最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

明治生命館(対日理事会(ACJ)会場)

8/15/2015/SAT

真実の「わだつみ」 学徒兵 木村久夫の二通の遺書、加古陽治、東京新聞出版局、2014


真実の「わだつみ」
   つまり平和というのは、一人一人の人が自分の責任を感ずること、これが平和の一番最後の根底です。人が自分のことで何かやってくれる責任があると思って、人を責めている、お互いに責め合って、しまいには戦争になってしまう。けれども一人一人が自分の責任を自分で感じるということが徹底したとき、それが一番平和の大きな基礎になるわけです
———森有正『アブラハムの生涯』(日本基督教団出版局、1980)

日経新聞 2015年5月10日 書評、道浦母都子「半歩遅れの読書術」で知った。

大学生だったにも関わらず一兵卒になることを選んだ木村久夫は、部隊が起こした住民虐殺事件で、戦後の裁判で上官から罪を押し付けられ、死刑判決を受けた。

罪を着せた上官は、敗戦当時こそ家族の前で詫びたが、その後、「一つの生命と引き換えに多くの仲間が助かった」と居直った。

彼の遺書には若くして戦場に送られ、戦犯として処刑されることになった運命に対する悔恨や無念さが書き込まれていた。ところが、その遺書には、これまで発表されていなかった軍部、とりわけ陸軍への痛烈な批判が描かれていたことが、ごく最近になってわかった。


最初に公開されたときには伏せられていた部分の一部を引用しておく。

・日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちが予測していた通り、やはり国を亡ぼしたやつであり、すべての虚飾を取り去れば、我欲のもののほかは何ものもでもなかった。
単なる撲る(なぐる)ということからだけでも、われわれ日本人の文化的水準が低いとせざるべからざる諸々の面が思い出され、また指摘されるのである。
精神的であり、またたるべきと高唱してきた人々のいかにその人格の賤しきことを、我、日本のために暗涙禁ず能わず。

軍人の将校には、戦いのあいだは勇ましくても、負けたとなると保身に走る人がいる。よくそう聞く。水木しげる『総員玉砕せよ!』でも、上官は玉砕を命令しておきながら、「自分も《あとから》行く」と言って尻込みした。

こうした考え方や人の心理の見方は、戦争に限ったものではないはず。

「戦争反対」を唱える本にときどき失望してしまうのは、問題を「戦争」、とりわけ「あの戦争」に限ってしまうから。

そして「戦争はよくない。二度と起こしてはいけない」という単純明解な結論で終わってしまう

言葉を換えれば、「戦争反対」の標語だけがナイーブな感情論に包まれ、同じ考えをもつ人のあいだ、もしくはその感傷的な主張に共感した人のあいだで共有されるだけで終わる。


もちろん、安全保障について政策的な議論は必要だろう。それは政策論としてあるべきで感情論だけで片付くものではない。政策論には政策論で対抗しなければ、行政的な手続きでゴリ押しをする官邸と官僚を打ち破ることはできない。

同時に、「戦争反対」の議論を「海外で戦争をしない」「子どもたちに人を殺させたくない」という焦点の狭すぎる標語ではなく、「平和」についてもっと人間論的な議論、すなわち、どんな人間が平和を創り出すのか、という、広く深い洞察と思索と議論が必要ではないか。


前途ある若者を無駄死にさせるのは戦争だけか? 危機になると自己保身する上層部が多いのは軍隊だけか?

たとえ戦争はしてなくても、国内外で労働者に理不尽な条件で過剰な労働を強制し、人権を踏みにじっている組織はないか。

外国で戦争をしてはいなくても、教室で同級生に嫌がらせをし、暴行し、死に追い込むような生徒が放置されていないか

今現在、日本国は武力戦争に関わってはいない。しかし、木村が非難した事態はいまも日本社会のあちこちに残っているではないか。


  • 原子力発電所で未曾有の重大事故が起きても、責任を放棄し逃亡した電力会社の経営陣。
  • ・生徒がいじめを苦にして自死しても、ろくに調査もせず「いじめはなかった」と弁明し、さらには生徒に口止めまでさせる学校長。
  • ・生徒を罵り、殴り、蹴り、苦しめておいても、「指導の範囲だった」と居直る学校教員。
  • ・社員を馬車馬のように働かせておいて、「過労死」しても責任を認めない経営者。
  • ・世界平和を訴えながら、内部抗争が絶えない組織、独裁的なリーダーを崇める組織。
  • ・子どもの頃に弱いものいじめをした体験を、平然とプロフィールに掲げる政治家。

テレビでは「二度と戦争を起こしてはいけない」と体験者が語り、それを聞いた若者も「戦争はよくないと思います」と答える。こんな問答を繰り返しても平和は来ない

次に戦争をするとき、為政者は、「この戦争」は「あの戦争」とは違う、と言うだろう。「すべての戦争に反対」と主張すれば、「これは戦争ではない。防衛だ」と言うだろう。

だから、「戦争を起こしていけない」では足りない。「戦争を引き起こすような悪徳」を社会から、また自分自身から、断たなければならない。

強欲差別いじめ無責任暴力偏見ヘイトスピーチ⋯⋯⋯、数え挙げればきりがない。

戦争の種子は、日常生活のあらゆる場所にある。


「戦争の問題」を「あの」戦争」のなかに閉じ込めてしまうと、かえって問題を矮小化させてしうように思えてならない

木村の透徹した視線はは、あの戦争だけでなく、もっと広く遠くまで見通して、日本社会にはびこる病理を見ていたのではないか。

戦争体験を継承していく時にも、個別具体的な体験とともに、その奥底にある普遍的な問題もつねに提起しつづけなければ、体験談はただの「昔話」になってしまう。


写真は、終戦後、対日理事会が置かれた明治生命館