伝記絵本の続き。石ころから船の時計へ。そこから海のつながりで、もう一冊。
シュヴァルと同じように、石が好きで、石を集めていた男。シュヴァルは、集めた石で自分だけの宮殿を作った。この絵本の主人公、作者ハーストの父親は博物館で仕事を見つけた。
好きなことを職業にするのは自然なことではないし、そうすれば必ず幸福になるともいえない。だから、誰もがそうでなければいけないものでもない。
ハーストの父親が博物館に勤められたのは、石が好きだったからではない。博物館で働くために必要な知識をもっていたから。シュヴァルは、自分の宮殿を建てるための知識や技能は身につけようと努力したかもしれないけれど、それに関係がないことは、石についても、建築についても知ろうとはしなかっただろう。
ハーストの父親が、博物館館長になったのも、もちろん石が好きだったからだけではない。根気よくやる、人とうまくやる、新しい方法を考える、そういった事業を営むために必要な感覚や技能をもっていたから。
この絵本では、一見、好きなことを仕事にした幸運を描いているようで、よく読むと、職業で成功するには、好き嫌い以外にも、その人の内側外側にさまざまな理由があることが描きこまれている。
正確な船舶時計をつくることに一生を費やしたハリソンの場合、好きなことを職業にしたとは言えるかもしれないけれど、職業上、成功したとは言い切れない。でも、自分のしたい、しなければならないと思ったこと、自分の一生の仕事を見つけて、しかも生きているうちにそれを成し遂げたのだから、彼は幸福だったとは言えるかもしれない。
人間には単純化したい、図式化したい、一言で言い当てたい、そういう欲望がある。誰かの伝記を読んでも、そこに一つの意味を見出そうとしてしまう。
確かに伝記は、一人の一生にあったさまざまな出来事を一つの物語に閉じこめる。でも、読み取れるものは、必ずしも一つではない。むしろ、一人の人間には、さまざまなおそらくは無限の広がりがあることを、すぐれた伝記絵本は教えてくれる。
同じことは、一つの魚について物語る歴史絵本についても言える。『タラの物語』では一つの魚を通じて、昔の人の食べ物から、文化や歴史、現代の政治や環境問題にまで話題は広がる。
北ヨーロッパにすんでいたバイキングとよばれる人々が、北アメリカにまでこられたのは、タラのおかげでした。ヨーロッパ人は、タラをもとめて大西洋を渡りました。ピルグリムファーザーズがマサチューセッツ州に移りすんだのも、タラがいたからでした。タラはアフリカ人奴隷の食べ物になったばかりでなく、奴隷貿易をささえる働きもしました。冷凍された最初の食品でしたし、海洋法をかえることになったのもタラのせいでした。
序章で要約された項目はすべて詳しく、それぞれの時代にタラがどう食されていたか料理法も交えながら、絵解きされていく。
丸太船から蒸気船という程度でも、歴史の流れを知っていれば、この絵本の大筋はわかる。でも、この絵本の広がりを味わうためには、途方もない知識がいる。この絵本一冊から、図書館で調べてみたいことがたくさん見つけられる。
『あたまにつまった石ころが』は、『彼の手は語りつぐ』や『雪の写真家 ベントレー』で読んだ千葉茂樹による訳。去年の夏に読んだ、夏休みに似合う爽快な『ウエズレーの国』(Weslandia、Paul Fleischman文、Kevin Hauks絵、あすなろ書房、1999)も彼の訳。
『海時計職人ジョン・ハリソン』は『あなたがもし奴隷だったら』で読んだ片岡しのぶの訳。彼女の仕事では、『絵本ジャンヌ・ダルク伝』(Joan of Arc、Josephine Poole文、Angela Barrett絵、あすなろ書房、2004)も読んだ。ジャンヌが処刑される直前、最後に手を差し伸べたのは、敵側にいた人間だったと書かれた場面をよく覚えている。
翻訳絵本は絵と原文と訳文、三つの世界をもっている。あらかじめ出来上がっている二つの世界を引き立てる言葉を選ぶ仕事は、黒子でありながらも前に立つ、司会者のような役割。翻訳家は、どんな風に作品を見つけてくるのだろう。
二人の仕事には、それぞれ一貫している何かがあるような気がする。二人のあいだにも何か共通するものがある。それは何か、ひと言で言い当ててみたい。でも、いまは単純化することはやめて、彼らの仕事の幅広さを楽しむのもいい。
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