シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫 たくさんのふしぎ 2003年2月号、岡谷公二文、山根秀信絵、福音館書店、2003CD絵本 バッハ(JOHANN SEBASTIAN BACH)、Ernst Ecker文、Doris Eisenburger絵、宮原峠子訳、カワイ出版、2005伝記絵本を二冊借りてきた。 三十年以上かけてたった一人で石の宮殿をつくったシュヴァル。彼の名前は二年前アンリ・ルソーの伝記絵本で知った。理想宮の写真を眺めていると、「いったい、なんのために」という言葉が何度もよぎる。おそらく彼にも、そういう思いがときどきよぎったに違いない。そんなとき、最初に石に躓いたときの感触を思い出しては、その言葉を呑みこんでいたのだろう。 付録に著者が書いているとおり、理想宮の世界は、子どものほうがすぐ入っていけるらしい。開いたとたんに目を輝かせ、読んでほしいとせがまれた。子どもが気に入ったのは、柔らかな絵も手伝っている。 周囲には変人扱いされても、仕事に支障がない限り問題はないと郵便局長がいったことや、宮殿は妻のもっていた土地に建てられたことが織り込まれていて、孤独な夢想者も、さりげなく周りの人に支えられていたことを感じさせる。 巻末には写真もあり、いつか本物を見に行く日まで、持っていたくなる。 バッハの伝記は、子ども向けも、大人向けも、読んでいる。何冊読んでも、「G線上のアリア」は何時代に作曲したか、ケーテン時代に何を作曲したか、ということが覚えられない。私には、どういうわけか音楽は知識に結びつかない。 バッハはあちこちに転居転職し、家族も多かったので、音楽を抜きにしても、生涯は波乱に富んでいる。 本書のバッハは、歴史に残る偉大な音楽家というよりも、中世に生きた一人の職人。偉人伝によくある天才的な逸話はない。職業を得て、家庭を持ち、衝突や不満があって職を替え、住む場所を替え、生きる。そういう暮らしは、バッハだけのものではなくて、中世ヨーロッパの職人にはきっとありふれていた。数々の名曲を残していなければ彼の生涯は、名もない音楽家として忘れられたかもしれない。事実、彼は忘れられていた。   今日でこそセバスチャン・バッハは、世界で最も有名で、もっとも多く演奏される音楽家です。ところが、1750年7月28日に亡くなったあと、ほとんど100年もの長い間、人々はセバスチャンのことを忘れてしまうのです。   メンデルスゾーンが発掘しなかったら、永遠に埋もれてしまったかもしれません。(「永遠のバッハ」) バッハがいま忘れられないでいるのは、彼の音楽が素晴らしいものだったからではない。バッハの音楽を見出し、残そうとした人がいたから。彼のように素晴らしい音楽を生み出しても、今では忘れられている人が世界にはたくさんいるに違いない。 シュヴァルの理想宮は、今では文化財に指定されている。それは誰かが未来へ残すべきものと認めたから。それではシュヴァルが人々の記憶に残るのは、彼が文化財と呼ぶようなものを作ったからなのか。もしも、そう呼ばれるものを作っていなかったら、彼の名前は記憶するに値しないのか。 そうではないだろう。シュヴァルが私の記憶に残るのは、それが後で文化財と呼ばれようと呼ばれまいと、どうしてもそれを作りたいという彼の思いが、彼が築いた理想宮に感じられるからではないか。だから彼の名前が私の記憶に残るのは、それが文化財であろうとなかろうと、彼のその思いが私に伝わってくるからではないのか。 確かに、彼は思いを形にして、築きあげた。バッハもまた、思いを楽譜にした。だから後の人々は、理想宮や音楽を通じて、彼らの思いを推し量ることができる。それでは、宮殿も音楽も残さなかった人の思いは、推し量ることはできないのか、推し量る必要はないのか。 ふと、『彼の手は語りつぐ』を思い出した。歴史の教科書にはない一人の兵士の名を記憶にとどめることを求める絵本。その絵本を読んで以来、ピンク・アイリーの名前は忘れていない。 二人の有名人を描いた絵本。一人は死後、百年たってからはずっと偉人扱い、もう一人は死後三十年後に認められ、徐々に知られはじめている人。二冊の絵本は、よく知られた人を、たとえ、その名前が知られていなくても、覚えておいたほうがいい名前として伝える。 知られている人を名もない人のように思い出す絵本は、名もない人も、よく知られた人のように思い出すことを促す。『彼の手は語りつぐ』を思い出したのは、たぶん、そのせい。 |
碧岡烏兎 |