6/1/2020/MON
5月のアクセス解析
『未来少年コナン』の再放送が始まったおかげで、1ヶ月のページビューが初めて9,000を越えた。3月の3倍。
『コナン』関連の文章だけで全体の1/4以上。20位内で『コナン』以外の文章は2件だけ。
常連の「山村先生のこと」と最近上位に入り出した「精神健康の基準について」『「つながり」の精神病理』(中井久夫)。
「ひとり遊び」と書いてはいても、やはり、読んでもらえるのはうれしい。
『未来少年コナン』の再放送が始まったおかげで、1ヶ月のページビューが初めて9,000を越えた。3月の3倍。
『コナン』関連の文章だけで全体の1/4以上。20位内で『コナン』以外の文章は2件だけ。
常連の「山村先生のこと」と最近上位に入り出した「精神健康の基準について」『「つながり」の精神病理』(中井久夫)。
「ひとり遊び」と書いてはいても、やはり、読んでもらえるのはうれしい。
いつか治ること、精神医学でいう「寛解」を前提にしてうつ病の治療を続けてきた。
でも、一度「障害者枠」で就職してしまったら「障害者」をやめることはできない。寛解してしまったら「枠」から出てしまうから。
会社を辞めるまで、つまり定年まで「病気のあの人」でいなければならない。
もう健常者のように働くことはできないし、がむしゃらに働くつもりももうない。
一生、障害者でも仕方ないもしれない。この先、寛解するかどうかもまだわからない。
ちょっとため息が重くなってきた。
仕事では不安なことが増えてきた。
何か大変なことが起こりそうな気がする
ミスすることも気分を悪くさせるけれど、まだ起きていないことを不安がるのはよくない傾向。
Twitterを見るのが面倒。いつでも眠い。読書が続かない。お酒が呑みたい。
全部、よくない兆候。さて、どうするか。
とりあえず、昨夜は酒を我慢して炭酸水を飲んだ。
起きていてもよからぬことばかり考えるので、8時過ぎには床についた。
朝の散歩は続けている。紫陽花が見ごろになってきた。こういう時は、生活のリズムを維持することが大切。
毎朝、在宅勤務を始める前にドラマ『エール』を見ている。朝ドラを欠かさずに見るのは珍しい。
連続ドラマはほとんど見ない。映画や一回きりのドラマはときどき見る。それも、ほんのごくたまに。音楽や読書に比べると、ドラマや映画は趣味とは言えない。
連続ドラマでは毎回、主人公がピンチになったり、事件が起きて次回、見たくなるような終わり方をする。これが我慢できない。
主人公がピンチになるとそれだけで心配になる。朝ドラのように翌日には解決することがわかっていても、不安が消えない。
このまま大変なことになるのではないか
自分自身に感じる不安をテレビのなかの人物についても感じてしまう。
映画や一回完結のドラマなら、数時間で終わるから主人公のピンチも数時間で解決する。だから見るなら映画か1回から数回で終わるドラマを好む。
今朝の『エール』は、「音はつわりが酷くてオペラの練習を2週間休んだ」、というナレーションで終わった。こういう終わり方を見ると、音が皆に責められる場面を想像してしまう。
ドラマに感情移入しているという状態とは少し違う。いつも最悪の状態を想像してしまう「認知の歪み」の現れ。ただの心配性では収まらない。
今朝は散歩をサボったので、昨日撮った写真を貼っておく。
先月、横浜の実家で録画してあった映画『クリスタル殺人事件』を見た。
面白い作品と思ったものの、感想を書き残すほどではないと思い、見たということだけを書いた。
でも、何か心に引っ掛かるものがあった。それはすぐには言葉にはできなかった。
印象に強く残ったのは、マリーナ(エリザベス・テイラー)が壁に掛けられた聖母子像の方を向いたまま、絵を見ているのではなく、まるで宙を見ていたようだった場面。
ミス・マープルも若い家政婦チェリーから事件当時の状況を事細かに聞き出しながら、この場面を聞いて事件の糸口をつかむ。
数週間が経ち、ふと気づいた。この物語の本質。
他人にとっては些細な、何でもない出来事が、誰かにとっては一生心に残る傷になるかもしれない
それは言葉かもしれないし、仕草かもしれない。小説の一節かもしれないし、音楽のワンフレーズかもしれない。
一刺し、という言葉がある。そんな風に一撃で一人の人生を狂わせる出来事というものがある。それは本人さえも気づかないうちに心に残されている。
その傷に気づくのはいつか、当人も知らない。一生気づかないかもしれないし、ある時、ふとしたきっかけで思い出すかもしれない。
こうして振り返ってみると、つくづく恐ろしい話だった。
金曜日の夜、夜更かしをして映画を見た。『復活の日』に続いて小松左京原作の70年代のパニック映画。右手には青いボトルからジンを注いだクリスタルグラス。
日本列島が地殻変動によって沈む、という設定はもちろん衝撃的。私がもっと驚いたのは、1億人の「日本人」を世界各地に難民として受け入れてもらうという工作。
数千年のあいだ、離散したことのない「民族」。「日本人」(とりあえず、ここでは自分を日本人と規定している人をそう呼ぶ)は、世界中に離散して「日本人」として生き残ることができるだろうか。ポーランドやイスラエルのように祖国「日本国」を再興することができるだろうか。
とても楽観的にはなれない。外国と比較することでしかアイデンティティを確認できない人々が保護してくれる島国を失い、自身の内側から湧き上がる自尊心を持てるとは思えない。しかも、島国の安全は米国の安全保障政策に依存している。
島国だからこそ蔓延している同調圧力は消失して、誰にも頼らず、誰とも比較せず、本当に自立しなければならない局面に立つとき、そのとき初めて「日本人」が生まれる。
太平洋戦争前に米国に移住した日本人たちは、本当に自立しなければならない局面である戦争と差別を通じて「日系アメリカ人」というアイデンティティを獲得した。。
南海トラフ地震の予測が頻繁に報道されている。国土が壊滅する前に、自身の内から湧き上がる「愛国心」を持てるか。民主主義を根付かせることができるか。
悲観してばかりはいられない。「日本人」一人一人に、私にも、その課題は突きつけられている。まずは、それを縁遠い問題ではなく「日常」の深みにある問題ととらえることから。
朝井リョウ『何者』、小説と映画の感想を書いた。以下、本文に書かなかった蛇足。
実は、「何者」という言葉をこれまでに使ったことがある。拓人と同じように、若い頃の私は何の努力もしないでもいつか「何者」かになれると無邪気に考えていた。
結局、私は何者にもなれなかった。それどころか、会社員としては道を外れて、人としては心を病んで、まともな会社員にもまともな人間にもなれなかった。
私の場合、「カッコ悪い努力」に染まったというよりは、むしろ、それに馴染めないまま、会社のなかで落ちぶれていった。順応もできず、抵抗もできず、折り合いをつけることは更にできなかった。
会社にいればその文化に合わせなければならないこともある。かといって、身も心も会社に預けるような暮らしをすれば、心を病んだり、酷い場合には過労死する恐れもある。
バランスが大事。それはその通りだけど、実地で失敗した者に言わせれば容易なことではない。
1983年に開業して37年の歴史を閉じるという。コロナ禍のせいに違いない。
葡萄屋との付き合いは私たち夫婦の結納に遡る。30年近く前のこと。
そのあと、家族の誕生日や忘年会、外国からの客人へのもてなし、娘と息子、それぞれの成人もこの店で祝った。
子どもの行事のために両親に来てもらったとき、地下のバーで3人で呑んだこともある。
娘の成人の祝いの席では、父は、初孫が自分と同じ大学、同じ学部同じ学科に入ったので終始、上機嫌だった。
息子の成人を祝った時には、生まれたときから気にかけてくれていた妻の叔母二人が我が孫のように喜んでくれた。
家族史の節目に訪れたレストランが閉店する。
当然、閉店前に行きたい。とはいえ、蕎麦屋のように気軽に行ける店でもない。今月中に行けるか。費用の捻出が課題。
馴染みの店が閉まるのは美々卯に続いて2軒目。
悲しい。コロナ禍が恨めしい。
一本のデモテープからミリオンセラー歌手になる。それだけでも驚きのシンデレラ・ストーリーなのに、そこから先の信仰に全身全霊を捧げる半生はさらに驚きの連続。
こんな半生、神様でも計画できないのではないか。
回心した人に興味がある。人生の途中で信仰、とくにキリスト教に入信した人びと。何が回心を生むのか。どんなきっかけで信仰の道へ進むのか。そういうことに興味がある。
啓示を受けて回心したパウロから戦艦大和の沖縄特攻から生還した吉田満、真珠湾攻撃の総隊長だった淵田美津雄やベトナム戦の兵士など、いろんな人の本を読んできた。
著者の場合、芸能界でスポットライトを浴びる暮らしに馴染めず、悩んでいたことが教会へ通う契機になった。とはいえ、洗礼を受けるだけならともかく、神学校で勉強したり、ギリシア留学までするバイタリティには舌を巻く。信仰の原動力は人とのつながりであるらしい。出会いが新たな出会いにつながり、広がっていく。
信仰は神なら神という信仰の対象と自己との関係を指す。でも、信仰のきっかけやそれを深めていくのは、やはり地上に生きている人間。人との出会いやつながりがあって信仰は成り立つ。
歌手は引退しても、彼女の活動を支えているのは、芸能界に身を置いていた時に得た人とのつながり。「異邦人」がなかったら、音楽伝道師になることもなかっただろう。
興味はあっても足を踏み入れることのできない者には、揺るぎのない人生の指針を持つ人の生き方が清々しい。
さくいん:久保田早紀(久米小百合)
先週の日曜日。神代植物公園まで歩いていった。2時間弱、15,000歩の散歩。
日陰を選んで歩いたつもりが、帰宅すると両腕が真っ赤に腫れていた。
体脂肪をかなり燃焼したつもりでいても、いつもの店でビールをジョッキで呑み、中盛りの冷やしたぬきそばを食べたので、±ゼロだったかもしれない。
蕎麦屋までは意気揚々と歩いたけど、広い植物公園では疲れてきた。これ以上歩くと膝の痛みが振り返しそうなので帰りはバスに乗った。
蕎麦屋のわきから水生植物園に入る。きれいに並んだ花菖蒲が壮観だった。
ヨシやイグサも水生植物園ならでは。中央高速の音が聞こえてこなければ東京であることを忘れてしまうくらい、深い緑に囲まれる。
さくいん:神代植物公園
神代植物公園、その2。
ばら園も見事だった。3年前に来たときよりもたくさん咲いていた。
見惚れていたのでそれぞれのバラの名前をメモすることさえ忘れていた。
さくいん:神代植物公園
神代植物公園、その3。大好きな大温室のスイレン室。
ここへ来るとほんとうに心が落ち着く。水、緑、色とりどりの花。
釈迦が座して瞑想するのも当然という気がする。
メモが間違っていなければ、左上から、ムラサキシキブ、セントルイスゴールド、トレイルブレイザーズ、ジェネラルパーシング。
さくいん:神代植物公園
つくづく会社が嫌いなのだな、私は。
在宅勤務が3ヶ月続いても、会社に行きたいとも、会社の人に会いたいとも思わない。
会社が嫌い、というよりも、人が大勢いる所が嫌い。人数の少ないスタートアップで働いていた時はそれほど嫌ではなかった。
三食自宅、通勤時間ゼロ、午後にちょっとうたた寝、自分のペースで仕事。
朝の散歩も通勤時間がないからできること。
写真は朝の散歩で見つけた「あやめ」。いつまで経っても、アヤメとカキツバタと花菖蒲の区別ができない。
主に中世から近世にかけてのイギリスでの死生観や死に関するしきたりや慣習を網羅的に探訪する新書。以前、『死者のゆくえ』という本を読んだことがある。そちらが日本版で、こちらが英国版という感じ。
取り上げられているキーワードは、天国、地獄、その間にある煉獄。幽霊、葬儀、埋葬、墓、記念碑など。
面白いと思ったことは、キリスト教では聖書という絶対的な権威を持つ教義があるので、死生観はもちろん、葬儀や墓など死にまつわる制度も、聖書の記述と矛盾しないように解釈しなければならないこと。その一方で、庶民のあいだに宗教的な教義とは別に土着の風習がある。教義と慣習に折り合いをつけることも難しい。
本書によれば、聖書との整合性を持たせたり、土着風習との矛盾を解消したりするためにかなり牽強付会な解釈も行われきた。
キリスト教には明確な教義があり、死後の世界や墓の意味付けについても理路整然とした解釈があるという印象をこれまで持っていた。
結局、宗教とはどこまでも人間世界のものであり、人間特有の組織、解釈、矛盾があるのだろう。
今日はTwitterを眺める暇もないほど忙しかった。忙しかったといっても頭を使う仕事ではない。データ入力に時間を取られた。
データ入力は一番嫌いな仕事。いつも、たくさん、間違えるから。
単純作業に見えても、細かい注意が必要。項目ごとに単位が違ったり、データごとに入力する内容も少しずつ違う。
何度見直しても、必ず間違いがある。修正をして毎回システム担当者に迷惑をかけている。激しい自己嫌悪感が蓄積される。皆に迷惑をかけていると思うとさらに辛い気持ちになる。
もともと注意力が散漫で事務処理が苦手。今回の給付金申請も家人にすべてしてもらった。病気になってさらに集中力や注意力が劣化しているように思う。
システムの方で間違いを防止する、いわゆる"fool proof"があればいいのだけれど、現在、格闘しているシステムはあまり親切でない。自分で注意しながら入力しなければならない。
派遣社員の人はどうしてわずか半日、入力方法を聞いただけで間違いなく仕事をこなせているのか、不思議でならない。
『庭』もう読み返すたびに誤字脱字があるし、行末の揃えも完璧にできたためしがない。
派遣社員が一人辞めるので、来月からはデータ入力が主な業務になる。
いまからユーウツな気分。
気分は黄昏。
週末、県境を越えて帰省した。
写真は実家に咲いていた紫陽花。最後の写真は梅の実。2月に咲いた花が実った。
どれも父が植えたもの。バラのように華やかな花はないけれども、季節ごとに楽しませてくれる。
実家の庭はちょっとした植物園。梅、桜、紫陽花、万両、ツツジ、石楠花、水仙、千両、沈丁花⋯⋯。
私は仮想の『庭』は手入れしても、現実の庭は何も手をつけていない。クルマを持ってないので郊外にあるホームセンターや植木屋に行くことができないせもある。
せめて紫陽花と梅は植えたい。
オレはこんなところで燻っている男ではない。本当のオレはもっとできるはず。
そういう自惚れがまだ心の底にあるから苦しむ。
最初からダメな人間と心得ていれば苦しむこともない。
もっと何度も自分に言い聞かせなければならない。
お前はどうしようもなくダメな人間、と。
ダメな自分に耐えるのは辛い。
「幸せ」があると思って「上を向いて」歩いてみたけれど、青い空しか見えなかった。
『神曲』の「地獄篇」「煉獄篇」の解説を読み終えた。『神曲』は事前知識がなくても、幻想的な光景を映し出す言葉を楽しむことができた。
解説を読んでみると、一語一語に二重三重の意味が重ねられていることがわかった。当時の政治状況だったり、聖書からの引用やアレゴリーだったり、ローマの詩法に依拠していたり、ダンテの置かれていた境遇だったり。その作品世界の広さと深さに驚かされた。
そして、解説でたびたび言及されるのがギリシャ神話。中世の文化人にとっては聖書と並び最も重要な教養文化だったのだろう。
ところがギリシャ神話の素養が私には全くない。子ども向けの物語も読んだことがない。
ギリシャ神話を知れば、『神曲』はもっと面白く感じられるだろう。そう思い「ギリシャ神話」の文庫本を買ってきた。
この本は手頃でちょうどいい。物語ではなく、列伝、もしくは人物事典と言った方がいいかもしれない。一つの話で一人の神について語る。一話はとても短い。もともと「ギリシャ神話」をコンパクトにまとめた案内書として書かれたらしい。
これは寝る前の読書に好都合。
読み終える目標の日付は決めない。聖書と『神曲』は時間をかけて読みたい。
さくいん:ダンテ
我が家のハレの日、御用達の店、葡萄屋が閉店することになった。
予約が殺到するなか、何とか週末のランチの最後の時間に予約が取れた。
コロナ禍のせいで家族四人で外食するのも久しぶり。ゆっくりと別れを惜しむひとときを過ごした。
扉に近づくとドアマンが扉を開けて招いてくれる。ところがドアマンの男性が驚いている。何と彼は息子がアルバイトしているスーパーの常連客だった。いつもと立場が逆転して、二人ともどう対応したらいいのかわからない様子。見ている方は微笑ましい場面に心が和んだ。
炭焼き担当のKさんに会えなかったのは残念。店が急にてんてこ舞いになり、体調を崩してしまったという。来月12日の最終日までもう予約は一杯。
食事をしながら、これまで来店したときの思い出話に花が咲いた。子どもが幼い頃が隣にある百貨店でシルバニアファミリーとヒーローものの玩具を買ってから来て、食事が出るまで遊んで待っていた。そう言えば息子はヒーローものの玩具を「カッコいいおもちゃ」と呼んで他の玩具と区別していた。
そんな息子もステーキに合わせて赤ワインのカラフェを分け合うようになった。
娘は「なつかしい」と言いながら、昔は平たいグラスで飲んでいたぶどうジュースを細長いグラスで美味しそうに飲んでいる。
30年も経てば、世の中の流れも変わるのかもしれない。でも変わらないままでいるものもあるし、変わらないでいてほしいものもある。
ステーキは言うまでもなく美味しかった。デザートもコーヒーも美味しかった。この味がここで食べられなくなるのは口惜しい。
行きつけの店が閉じるのは本当に寂しい。ハレの日のための場所となればなおさら。
『心を病んだらいけないの?』のなかで斎藤環は次のように書いている。
「会話」がシンフォニーを志向するなら、「対話」はポリフォニーを重視するのである。
「対話」とは多声的な「違い」の並立を尊重すること」とも書いている。
斎藤は「オープン・ダイアローグ」という治療法を勧めているので「対話」という語に高い価値を置いているのだろう。
これまでの読書をふりかえり、とくに鶴見俊輔の思想について思い出すと、「会話」こそ、個人の寄って立つところが異なっても言葉が交わされ、相互理解が生まれる営為に思われる。
「対話」や「対談」には明確に共有された目的があり、目的に到達するために言葉が交わされる。国家間の対話や雑誌で特集される有名人の対談がそれにあたる。
一方、「会話」には目的がない。あえて言えば「おしゃべりすること」それ自体が目的とされている。
話題は次から次へと変わり、飛び、逸脱さえする。そして互いの知性を刺激し合う。そこに「会話」と「おしゃべり」の醍醐味がある。
この違いは、単に言葉の選び方の違いかもしれない。斎藤は「ダイアローグ」という言葉からヒントを得て「対話」の重要性を指摘している。
斎藤も鶴見も、またリービ英雄も、ポリフォニー的な意思疎通を目指していて、それぞれに「対話」と言ったり「会話」と言ったりしている。丸山眞男ならば「だべる」と言うだろう。
何にしろ、結論は同じ。対話であろうと会話であろうと、私には相手がいない。
昨日の続き。「対話」「対談」「会話」。どう呼んでもいい。とりあえず、よく使われる「対談」を使う。その面白さはジャズのフリー・セッションに喩えられる。
筋道も結論も助けている対談はつまらない。典型的なのは保守系論壇誌の企画対談。同じことを考えている人通しが異口同音に予め決めてある結論に向かって喋るだけ。鹿爪らしい顔で楽譜通りに演奏する軍楽隊のよう。
面白いフリー・セッションは、各人が好き勝手に演奏しているようで、実はきちんとベースラインに乗っている。その上で自由にインプロビゼーションが飛び交う。
「対談」についても、同じことが言える。話題があちこちに逸れて、ほとんど雑談のようになりながらも、相互理解が深まり、読み手にも爽快感を残すような「対談」が面白い。
これまで読んだ対談で面白かったもの。私はリービ英雄にならって「会話」と呼びたい。
鶴見俊輔は文章より対談の方がずっと面白い。鶴見俊輔は「会話」の達人、と私は思う。
それから、読み終えたばかりの斎藤環と與那覇潤。『心を病んだらいけないの』。
どれもアドリブばかりのフリー・セッション。そこが面白い。
仕事に対する私の姿勢は「ミスをしない」に尽きる。
効率を上げようとか、業績に貢献したいとか、そういうことは一切考えない。
トラブルが発生しても自分のミスでなければ他人事。
今日も営業から事務方にクレームが来た時、真先にしたのは、自分のミスではない証拠を探すことだった。
これでは正社員になれないのは当たり前。昇給がないのも仕方ない。
この厳しいご時世、居場所があるだけマシと言うものだろう。
6年前に病気で辞めた前職ではこうではなかったと思う。
売上を上げて、新しいビジネスを勝ち取って、会社の業績に貢献したいと思いながら仕事をしていた。
実際、業績に貢献すれば相当の報酬があった。
でも、その道を邁進することができなかった。
家で家族と夕飯を食べたかったし、週末は自分の時間に使いたかった。
破綻するのは当然の成り行きだった。
さくいん:労働
今週はだらけている。月曜から酒を呑んでいるし、読書も進んでいない。
雨の日が続いて散歩も行かず寝坊。続けているのはWii Fitのヨガくらい。
それでも、例年の6月よりは安定している。
毎年、この時期には『庭』を閉じてしまいたくなったり、Twitterを止めたくなったりしている。今年はそこまでの抑鬱状態ではない。
かといって元気いっぱいというわけでもない。張り合いのない日が続いている。
こういう時には過去に同じ月に書いた文章を読み返す。
読めば、どれだけ回復しているかを実感できる。その実感を自己肯定感に変えられたら、気持ちまで湿りがちな季節を乗り越えることもできるだろう。
もうこうなったら、今週は「ダメな1週間」にしてしまおう。
5時に終業のメールを出してから、家族が帰る前に缶ビールを開けた。今は昔書いた文章を読みながら、ベルモットのないマティーニを呑んでいる。
さくいん:マティーニ
会社から通達があり、7月1日から徐々に出社比率を上げていくことになった。
通常業務への移行方法は部門ごとに任される。週の前後半で分けるか隔日出社になるか、いずれにしても出社人数は段階的に増えていくことになる。
4ヶ月にわたった在宅勤務もついに終わる。
できれば週に2日、在宅勤務を残してほしい。先週末の診察で、S先生も賛同してくれた。
ところで、本社から出社率を上げよという通達はあったが、割合や順序は各事業部に任せるという。これはトップの責任逃れにしか思えない。
写真は、上大岡、京急百貨店、10階から見た横浜の夕景。
昨日は文書に事業部印の捺印をするために午後から出社した。出社率は2割程度。
あれくらい人口密度が低いのであれば、オフィスで働くのも悪くない。
人が多いのはそれだけで好かない。
さらに言えば、同じ組織のなかにいながら、名前も知らない人が多勢いると緊張と不安が高まる。
米国本社は上場して大きくても、日本支社では多くてもせいぜい40人程度の小さな所帯で働いていたのは、環境としては私の性格に適していた。
いまの会社も非道ではないし、むしろ「優しい」と思うことが少なくない。
例えば、今日の出社にしても、朝の始業時間に出社しなくても誰にも文句は言われない。むしろラッシュアワーを避けることが推奨されている。
コンスーマエレクトロニクス業界では、売上のノルマも、品質問題が起きたときの緊迫度もずっと厳しかった。
どちらがいいか。CE業界のスピードや厳しさについていけなかったから壊れてしまった。それを思うと、人が多くても、給料が安くても、いまの私の心身の状況にはいま働いている会社がふさわしいだろう。
ということは、今の会社であと15年間、働くということか。できるだろうか。先のことは考えまい。なるようにしかならない。
さくいん:労働
昨日のNHKテレビ『日曜美術館』。京都の京セラ美術館の館長の言葉
美術館はいつも新しい感動を与えなければならない。同じ展示で同じ感動しか与えられないのは失敗。
正確ではないかもしれないけれど、「失敗」という言葉は確かに使っていた。この言葉に違和感があった。
美術館にとって、企画展と常設展はどちらも同じように大切なもの。どちらかだけが重要ということはないと思う。
それに、常設展では同じものを展示しているからといって、同じ感動しか与えられないとも限らない。
見るたびに違う感動を与える作品もあれば、何度見ても新しい発見のある作品もある。
疲れたとき訪ねれば優しく癒してくれて、すこし時間ができて立ち寄ったときには穏やかに迎えてくれる。そんな、旧友に会いに行けるような美術館を私は好む。
例えば、府中市美術館の牛島憲之記念室、西洋美術館の常設展、大川美術館の松本竣介の作品⋯⋯…。
いくつか書いてみたところで気がついた。最近、馴染みの常設展を観に行っていない。
緊急事態宣言が解除されて、美術館も少しずつ開館しはじめている。
会いに行こう。旧交を暖めるために。
福岡のテレビ局が制作したドキュメンタリー番組。大村雅明という人は知っていたけれど、これほど多くの、しかも質の高い仕事をした人だったとは知らなかった。
ポップスの作品で記憶に残るのは、歌手、作詞家、作曲家の順になる。編曲家の名前まで覚えている曲は多くない。でも、仕事の難しさから見たら、アレンジャーが一番ではないか。
極端なことを言えば、作曲は鼻歌でもできるし、作詞もやろうと思えば誰にでもできる。でも、編曲は専門的な知識と技能を必要とする。
すべての楽器を演奏できる人はきっといない。でもアレンジャーはさまざまな楽器の特性を活かして編曲する。アレンジャーの頭のなかでは完成した音楽作品が響いているのだろう。
弾けない楽器の楽譜が書けるということが私には不思議でならない。
大村雅明の編曲が幅が広い。明るいポップなものからしっとりとしたバラードまでまさに変幻自在。後から言われないと素人には大村作品とはわからない。
一方、大村の作曲作品には甘いバラードが多い。ここに彼の個性があるような気がする。
もう一つ、大村雅明について特筆すべきことは、松本隆より前から松田聖子の楽曲制作に関わっていたということ。松田聖子を一躍スターダムに押し上げた「青いサンゴ礁」は大村による編曲。言うなれば、松本隆を松田聖子の育ての親とするなら、大村は松田聖子の産みの親だった。
以下、My Best 大村雅明を選んでみた。松田聖子から選んだ3曲は作曲も大村の手による。
番組でも取り上げられていた「メイン・テーマ」と「スタンダード・ナンバー」は、男女の気持ちを編曲でも描き分けていて大村の才気を感じさせる。
それにしても46歳での他界は若すぎる。私はとうにその年齢を過ぎている。何の才もない者が生き延びているのは申し訳ないような気もするし、恵まれている命を大切にしなければならないとも思う。
毎年6月は調子が悪く、『庭』を閉じたり、Twitterを休止したりしている。文章を書けたとしても読み返すと暗い文章が多い。
今年は何とか調子を崩さず、穏やかに過ごすことができた。とてもうれしい。
さくいん:松田聖子、谷山浩子、中村雅俊、原田知世、薬師丸ひろ子