Aprril Fool
今朝は目が覚めると雨音がしたので散歩はやめた、というのはウソ。
だるくて起きられなかった。発熱はない。ただ、やる気が出ないだけ。
だいたい一月に一度、有給休暇を取って一日中寝る。
今日はそういう気分。
在宅勤務だと、ベッドの脇にパソコンがあるし、休んだ気にならないだろう。
今日はこっそり昼寝をするか。
仕事を始める前にベランダ越しに雨中の桜を眺めた。花見もそろそろ終わり。
予告通り、昼食後に1時間ほど、昼寝をした。
雨降りなので昼も外に出ずに家にあるものを食べたので、今日はまだ家から出ていない。
新型コロナウィルスについて何か論評しようとして文章を書き出した。でも、書けない。
政府の姿勢や政策のあり方について考察しようとしても、書くことが思いつかない。書き出すと自分の心境ばかりになってしまう。
これも病気のせいだろうか。学生時代、政治学を専攻していたのに、社会科学的な視点や思考を持てなくなっている。最近書いた文章はほとんど身辺雑記に過ぎない。
ニュースは見ている。新聞も読んではいる。でも、自分から世の中に斬り込んでいくようなことは書けない。
Twitterで舌鋒鋭く世相を批評するツイートを見かけると、新鮮な視点にはっとさせられることがある。とても自分にはできない。本当はそういう文章を目指していたのに。『庭』を始める前のメモ書きにはそう書いている。
文章の目的は原則として内面の吐露ではない。日常生活や社会事象の観察や分析を自分の言葉で表現していきたい。
実際、最初は時事批評的な文章をいくつか書いていた。むしろ、自分の悩みや心情を書くことは用心して避けていた。いつからだろう。「書けることではない」と書いたことを書きはじめ、自分の病気のことばかり書くようになったのは。
森有正は自分の心境を徹底的に追究することで思索を深め、やがて政治や歴史についても思索を広げていった。島崎藤村についても、高橋和巳は次のように書いている。
最低のしかしもはやその一線からは後退することのない自己を確認してから、次にその自己の精神を開示するために必然的に行きつかざるを得ないものとして、社会や歴史にも目を注ぐという迂回路をとったわけである。(「実事求是の精神―島崎藤村」)
深い内省を通じて社会や歴史に思索を広げた、と言えば、哲学者の西田幾多郎についても同じことが言えるだろう。
自己の内面を思索し続けることで私も社会や歴史に対する思索に辿り着けるだろうか。「日常を掘り下げる」ことさえ、まだできずにいるのに。
3月のアクセス解析
ページ・ビュー総数は、3,101。顔ぶれはいつもと同じ。
特別変わったことは何も書いていないのに、2017年6月の日記にアクセスが集まっている理由はわからない。
- 1. 終わりの始まり - 烏兎の庭 第六部: 137(4.42%)
- 2. 未来少年コナン、NHK・日本アニメーション制作、1978: 135(4.35%)
- 3. 烏兎の庭: 127(4.10%)
- 4. 烏兎の庭 第五部 最後の手紙 2017年6月: 127(4.10%)
- 5. 山村良橘先生のこと: 90(2.90%)
- 6. 烏兎の庭 2020年3月: 87(2.81%)
- 7. 未来少年コナン 第26話 大団円: 66(2.13%)
- 8. 「逆に」と「ていうか」: 59(1.90%)
- 9. モンスリーのPTGとして『未来少年コナン』を見る: 54(1.74%)
- 10. 烏兎の庭 第一部 目次: 54(1.74%)
桜もそろそろ見納めか。公園の桜はだいぶ散った。大通りの桜並木はまだ咲いている。
キャンセルでお願いします
昨日のこと。昼食後に少し昼寝をした。
17時に仕事を終えた。退屈なので外へ出てみたけれど、行く宛もない。近所に立ち読みができる本屋があるでなし、図書館は臨時休館が続いている。
公園へ行くと子どもが大勢いて、キャッチーボールやサッカーなど思い思いに遊んでいる。子どもは風の子。自宅待機は退屈に違いない。
大人だって同じ。夜遊び禁止は辛い。
金曜日には学生時代の友人四人で会う約束をして、スペイン・バルを予約していた。
やっぱりそうですよね
キャンセルの電話を受けた店の人は残念そうに応えた。申し訳ない気持ちで一杯だった。でも、仕方がない。
必ず行きますから
そう返すのがやっとだった。
この災禍が過ぎたら一番に行く。
三人にも早く会いたい。
虚無感に耐えること
天気がよいので跨線橋まで行ってみるとうっすら富士山が見えた。
桜並木も競技場の桜もまだ咲いている。
今年は見頃が長い気がする。
例年に比べて雨風が少なかったか、私が毎朝、意識して桜を見ているからか。
今週は軟禁状態の憂さ晴らしに毎日酒を呑んでいて家人に小言を言われた。
本来、まったく呑んではいけないところを「週末だけ」呑んでいいという自分に都合のいいルールで誤魔化してきたのだから、なじられるのも当たり前の話。
ふと開いた安克昌『心の傷を癒すこと』に私を叱責する言葉を見つけた。
虚無感とたたかいながら、自暴自棄にならず、あせらず、正気を保ちつつ生きていくのは、大変な忍耐を要することである。だが、悲観論をこえて、はじめて手にする楽観もある。
個を尊重しながら、人との結びつきを大切にする社会のありかたが、今こそ問われていると私は思う。
「現代日本を象徴する神戸ー虚無感をこえて」(1998)
私は非常時に弱い。心身が硬くなって動きが鈍くなる。言いたいことも言えなくなる。
「耐える」のではなく「怯える」だけになる。そして恐怖体制に従順になる。
この退屈な「日常」を体制に巻き込まれることなく、静かな戦いとしなければならない。
「耐える」は森有正の思想の重要な鍵語の一つ。言うまでもなく、読んだだけで身に付くものではない。
Z公園
土曜日は天気がよかったので、ふだんは行かない公園まで歩いてみた。その公園には池も湧水もある。
遠いと思って覚悟して歩いてみると、案外と近くだったの拍子抜けした。
ここでも桜はまだ見頃が続いていた。
午後はネット書店で買った『ピノコ哀しや』が届いていたので、のんびり読んで過ごした。薄い本だったので夕方には読み終えた。
日曜日は曇りのち雨。駅まで行って本屋でちょっと立ち読み。帰宅してから『マンガの神様 手塚治虫の仕事(クリエイション)。』と『ピノコ哀しや』の感想を書いた。
#こういうときこそ本を読もう / #思い出の一冊
週刊読書人がTwitterで募集していたハッシュタグに投稿した。
森有正エッセー集成 全五巻(ちくま学芸文庫)
静かに内省するために格好の一冊。
この本を読んで精神生活が大きく変わった。
愛読書と聞かれたら真先にこの本をあげる。
このツィートは3,500以上のインプレッションがあった。3,500人以上が見た。おそらく、これまでのツィートのなかで最高値。
ところが、埋め込んだ感想へのリンクが壊れていて本文に届かない。何たる不覚。
追記。夜になってからリンクを貼りなおして再投稿した。今回も3,000近い閲覧があった。文章のリンクをクリックした人は多くはないし、フォロワーが増えたわけでもないけれど、多くの人が森有正に関心を持っていることがわかったのはうれしい。
さくいん:森有正
森有正エッセー集成 索引
パンデミックについて思うこと
「非常事態宣言」を出せと国民の側から声を上げるのは危険なことのように思える。
今回は「自粛の要請」「強い要請」で済むだろう。法律上、そうなっている。
でも、次回は違うかもしれない。法律も歪曲されるかもしれない。
「国民の生命を守るため」という美辞麗句の下に、人権が制限され、政権が独裁を強めることになりかねない。
国民が望んだから非常事態宣言を発令した⇨それでも感染拡大は止められない⇨もっと強制力がある法律が必要⇨それを憲法に明記する
そういう流れにしたいのだろう。早速、政府は国会審議を中止して、「緊急事態には憲法論議が必要」と言い出した。
要警戒。
芸能人の死に多くの人が動揺したのは、その人の名前と半生を知っていたからだろう。
メディアは死者の数ばかり報道する。それは「統計」でしかない。
1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない
この言葉を本を読んで知っていた人も、今回のことで動揺とともに実感したに違いない。
私自身がそうだった。
芸能人の死によって「死」は劇的に人間的なものになった。
プライバシーへの配慮から病死した人の挿話はほとんど聞かない。だからまだ死が統計にしか感じられなかった。
新しさも独自性もないけれど、久しぶりに自分の心境以外のことについて書いた。
写真は、三分咲きの枝垂れ桜とアマノガワの蕾。散りはじめている桜もあれば、これから咲こうとしている蕾もある。
非常事態宣言について
今朝、散歩をしながら聴いた、米NPRのニュース番組、"Up First"。日本の非常事態宣言は強制権を伴わない。なぜなら日本では先の大戦の経験から政府が私権を制限することに対し強い抵抗感があるから、と。
帰宅してテレビをつけると、ニュースでは「外国メディアは非常事態宣言が緩いと批判している」。強権化したい政権に阿る国内メディアはそう言う。こういう見方もされている。
多勢の人が自主的に自粛すれば「日本は同調圧力が強い」と批判し、緩い非常事態宣言を出せば「生ぬるい」と指弾する。
最近は、上の「非常事態宣言はゆるい」という報道のように政府寄りに印象操作しているような報道が少なくない。報道はいつも注意して聞かなければ。
「外国メディア」と一括りにしないことも大事。
朝、6時に家を出ると陽はすでに高い。公園まで歩くとまだ満開の桜が。
ソメイヨシノとは違う種類みたい。
とにかく、今年は桜をよく見ている。
不要不急の用事などない
美術展もコンサートも、今日限りの経験かもしれない。もちろん、人と会うことも。
一日一日を大切に生きている人には不要不急の用事などない。
どれもこれも大切な用事。だけど、皆の安全と生命のために、断腸の思いで「自粛」しているのではないか。自分の命を賭して絵描きは描き、音楽家は演奏している。
またすぐ会える、と軽く考えていたら二度と会えなかった、という、悔やんでも悔やみきれない経験があるので人と会うことが不要不急とは思えない。
むしろ、会いたいと思うときには、リスクを承知で会いに行かねばならない、と思う。
人に会うときはいつも、子どもを送り出すときでも、これが最後かもしれないと思う。
昨夜は月がふだんより一際大きく見えるスーパームーンだった。今宵見る月も今宵かぎりの月。iPhoneで光学2倍、デジタルズーム10倍で撮影してみた。
さすがにスマホでは月はきれいに撮れない。
ガミラスのグラス
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、疫病を題材にした小説がよく読まれているらしい。
目に見えないモノのせいで外に出られない、人類絶滅の危機。悲観的に現在の状況をとらえると『宇宙戦艦ヤマト』の設定を思い出す。
西暦2199年、謎の惑星、ガミラス星が冥王星の基地から発射する遊星爆弾が地球を襲う。遊星爆弾は放射能を帯びていて地表はすべて汚染され、人類は地下都市での生活を余儀なくされる。オープニングで映される赤い地球の絵は衝撃的だった。
先日、帰省した際に「八景」という名前のレストランで食事をした。椅子に座ると冷たい水が青いグラスで供された。こういうグラスで水を出されること初めてだったので驚いた。
このグラスを見たとき、ガミラス星のデスラー総統が手にしていた酒杯を思い出した。思い出せば、デスラーをはじめガミラス星人は肌も青紫だった。
ガミラスに下品な男は不要だ
この台詞をよく覚えている。デスラーの声は伊武雅之が演じていた。
このグラスを見た時、「外出自粛」という今、目前にある閉塞感と子どもの頃に熱中して見ていたSFアニメの過酷な設定が重ねて思い出された。
もう一枚の写真は、生まれて初めて食べた神奈川県の名産、葉山牛。
汐風療法
週末はいつも通り、一人で暮らしている母の様子を見に行った。案の定、退屈していたので連れ立って逗子まで海を見に出かけた。
東京でも海岸線から離れたところに住んでいるので、滅多に海を見ることはない。会社から東京湾は見えるけど、自然の海岸線ではない。
海を眺めて、汐風を浴びることは私にとってうつ病の治療の一環なので、ここへ来たことは不要不急ではない。必要不可欠なこと。
幸い、人はまばらで、心地よい海風が吹いている。
汗ばむ心汐風が洗うに任せれば
いつの間にか生きることがまた好きになる僕だよ
中村雅俊「海を抱きしめて」(山川啓介作詞、筒美京平作曲)
汐風療法、と私は呼んでいる。
しばらく海を見てから、買い物をしてさっさと帰った。外に長時間いるのはよくない。
退屈しのぎに、実家に置いてある『エースをねらえ!』を手に取った。11巻以降は怒涛のように物語が展開する。
壮絶なグリーフ・ワークと奇跡的なPTG。そんな言葉がまだなかった時代に、すでにフィクションに描かれていた。表現者は専門研究の先を行く。文学が実学とはそういうこと。
頼りない私のストレス耐性ではとても真似できるものではない。劇的なPTGを可能にする資源も環境もない。
それでも、十代の頃から何度も読み返している。なぜか。
読書という擬似体験のなかに、自然とグリーフ・ワークを学び、PTGを待望していた。
この作品を何度でも読み返したくなる理由が、今になってよくわかった。
さくいん:悲嘆・グリーフ、逗子・葉山、中村雅俊、筒美京平
『ピノコ哀しや』の感想を書くにあたり、ずっと前に買った本書を参考にした。
この本はすごい。
今でこそ、『ブラック・ジャック』は全話のダイジェストや登場する全キャラクターを解説する本が出ているけれど、豊福きこうが本書を書いた時代は、連載されていた「少年チャンピオン」を国会図書館で地道に調べて批評を書いていた。
『ブラック・ジャック』を劇中の時系列で読むことや、報酬額や人間以外の患者に注目して読むことを、私はこの本に教わった。
現在は文庫化されて署名が「89.5%」から「90%」に変わっている。
人気を博したマンガやアニメの全記録をまとめたムックはたくさん出版されている。その先鞭をつけたのが豊福きこうだった。
写真は、散歩の途中で見つけたきれいな生垣。画像検索の結果によれば、おそらく牡丹かフロリバンダ。
「一番好きな季節」
昨日の朝、公園まで歩いていくと前日の大雨のせいで大きな水たまりができていた。
こんな光景を見たのは初めて。ほとんど池。
定点観測してきた桜も花はすべて散って葉桜に代わっていた。
葉桜、というと、北陸の小説家、森山啓に出会った福井への出張を思い出す。
彼との出会いがなかったら、『庭』を続けていたかどうかもわからないし、続けていたとしても、今とはまったく違う内容になっていただろう。
悲嘆、という感情と正面から向き合う姿を森山啓は教えてくれた。
「一番好きな季節」は、荒井由実「ベルベット・イースター」の一節。
大好きな季節が始まった。新緑があざやか。風がさわやか。陽射しがやさしい。
毎年、今頃から梅雨入りまでは調子がいい。
一番好きな季節は、同時に、一年で一番感傷的になる季節。
音楽もセンチメンタルなプレイリストを聴きたくなる季節。「ベルベット・イースター」もセンチメンタルな気分にさせる一曲。『Yumin Brand 1』はこの季節の定番。
そんな季節がはじまった。
さくいん:森山啓、荒井由実、悲嘆
山村世界史 講義録
代ゼミの世界史講師、山村良橘先生について書いた「山村先生のこと」のページに1987年1月の最終講義の音源を埋め込んだ。
最初は YouTubeに上げようとしたのだけれど、音声だけではうまくアップロードできず、結局、自分のサイトに埋め込んだ。
再生ボタンのデザインがChromeでは悪くはないが、iPhoneのSafariでは文字に重なってしまい見栄えがよくない。
いろいろ調べてみたけれど、いい方法が見つからないのでしばらくは不格好のままで放置する。
この文章は『庭』の中でもよく読まれている。これを機会に山村先生の思い出を語る人が現れることを期待する。
朝は池のある公園まで歩いて、帰りに近所の公園に立ち寄り、公園をハシゴした。池のある公園では鴨のような水鳥を見かけた。近所の公園では遅咲きの桜、関山が見頃だった。
今日の写真は拡大できるようにした。
追記。最終講義の音声はYouTubeにアップロードした。
2020年11月26日追記。
録音音源はウェブサイトの容量に収まらないので現在は公開していない。
YouTubeにアップしたいけれど、音声だけをアップロードすることがうまく行かない。
2022年3月2日追記。
講義の音声をYouTubeで公開した。
さくいん:山村良橘
Skype呑み会
昨夜は今日会う予定にしていた友人とSkype呑み会をした。
思っていた以上に楽しくて2時間近く話した。
とはいえ、これが常態にならないように望んでやまない。
週一回程度、出社している彼によれば、電車の混み具合は8割減には程遠いとのこと。
このまま連休明けも外出自粛、在宅勤務が続くのだろうか。
そんな不安も話題になった。
昨夜、ワインを呑んで、今朝は寒かったので、散歩には出なかった。なので写真もなし。
今日は雨降り
大腸がんの内視鏡検査をした。前日から食事はあらかじめ渡されていた流動食。味は悪くなかった。でも食べても満腹感がない。これはキツかった。しかも、ほぼ完全に空腹であるのに、体重は目標に届かず。
麻酔のおかげで検査は辛くはなかった。検査の後、麻酔が解けていくあいだのまどろみが心地よかった。
検査の結果、良性(と思われる)ポリープが見つかったので、その場で切除してもらった。検査結果は5月8日にわかる。
病院で聞いた説明によると、手術を受けた人のうち、1%が出血や腹膜炎を起こす可能性がある。そのために、お酒、こってりしたもの、辛いもの、は1週間控えるように注意された。運動や重い荷物を持つこともよくないという。
今週は娘の誕生日を家族で祝うので祝杯を楽しみにしていたが、仕方がない。
ポリープがあったことについて、大きなショックはなかった。医師も良性という診断をしているし、初期の腫瘍であれば治療できると聞いている。
同じように、新型コロナウィルスについても、まだ「自分は大丈夫」とたかを括っている。在宅勤務してほとんど外出いないから感染の可能性はほとんどない。安心しきっている。
「死にたい」と思った時もあったのに、今は「死ぬはずはない」と決め込んでいる。70歳くらいまでは生きられるかな、と根拠もなく無邪気に期待してもいる。
私の心理はいつも風に揺れる風鈴のようにその時の状況に任せて揺れている。一貫した「信条」や「道」というものがない。まして「信仰」とはまったくの無縁。
短期的な目標を失い、長期的な夢に敗れた。だから、現実に流され、揺さぶられて、翻弄される。「誠」(Faith)を持って生きることは私にとって、無い物ねだりなのだろうか。
今日は心のなかまで雨が降っている。
「今日は雨降り」は谷山浩子の曲の題名。写真はベランダの雨滴。
心理療法について
さまざまな心理療法がある。認知行動療法、マインドフルネス、レジリエンス、PTG。
精神疾患や重いストレスを抱えた人たちにとって、次々と開発される心理療法は間違いなく助けになっている。
ただし、心理療法は諸刃の剣でもある。いずれの手法も悪意を持って使えば、容易に管理や洗脳の道具になる。
実際、権力は疫病の感染拡大防止を理由に国民の監視・管理を強化しようとしている。
皮肉なことに、自らの安全と健康のために、国民の側から強制力のある、いわゆるロックダウンを望む声もある。
権力に利用される心理療法の典型はマインドフルネス。
「雑念を払う」という大昔からある修道の手法を「生産性向上」に企業は活用している。身体も時間も奪われ、心まで搾取されるのは御免被りたい。
個を尊重しながら、人との結びつきを大切にする社会のありかたが、今こそ問われている(安克昌)
これこそが、今求められている姿勢であり、監視・管理の自縄自縛社会への堕落になってはならない。
心理療法はその手助けとなるべきで、洗脳・監視・管理の手先になってはならない。
それにしても、今、心理療法にとても世話になっているのに、反感が拭えないのはなぜか。心理療法を洗脳・監視・管理に結びつけてしまうのはなぜだろう。
過去に精神科医とのあいだで問題があったからだろうか。つまり"悪い"心理療法を見聞きしたせいだろうか。
1ヶ月前には
先月の三連休。多くの人が自粛の緊張感が緩んで外出した。そのために数週間後に感染者が激増した。
実は私も家族でアウトレットモールへ出かけていた。中国での感染拡大のニュースは聞いていたものの、日本で、これほど深刻な事態になろうとは思っていなかった。この調子では大型連休明けに通常の勤務に戻ることはまず無理だろう。
あっという間に事態が大きく変化する昨今の情勢を見ていて、前職を辞めたときのことを思い出した。
結果的には2014年12月31日に自己都合で退職し、傷病手当金をもらいながら2年間近く、完全に休職し、そのあいだに障害者手帳を取得して障害者になった、。
2014年10月の時点では、まだ会社を辞めることになるとは思っていなかったし、2年後に障害者枠で再就職することになるとは想像だにしていなかった。
きっかけは7 - 9月期の人事考課だった。調子が悪かったので自己評価を厳しめにつけたところ、会社からも厳しい評価がついた。
外資系企業でこの自己評価をつけるということは、自分にはできませんと認めることと同じだよ
社長からやんわりと脅された。
それからはあっという間だった。事態があまりに早く変化していたので、交渉の内容さえメモしていなかった。慌てていたので、今となっては記憶も定かではない。
憲法が改正されるのも、独裁がはじまるのも、戦争が準備されるのも、こんな風にあっという間なのだろうか。
「不断の努力」というけれど、平凡な日常のなかで小さな変化に気づくことは容易なことではない。
その小さな変化に私は気づけるだろうか。いま、気付いているだろうか。
5月6日追記。
非常事態に「対応」しながら、「慣れて」しまわないことが大切。
昨夜、テレビで2006年版の『犬神家の一族』を見た。
平成生まれの子は「はじめての金田一耕助」を結構楽しんでいた。
昭和人の私には、演出も撮影も1976年度版を踏襲するだけで、新味は感じられなかった。出演者もオリジナルと何か違いを出そうと意識しすぎていて、かえって1976版の焼き直しになってしまったように見えた。
あおい輝彦、島田陽子、三木のり平、小林昭二、高峰秀子……。
やっぱりオレは昭和の人間。
金田一耕助シリーズが大人気だった70年代後半。テレビでも頻繁に放映されていた。このシリーズを映画館で見た記憶はない。『悪魔の手毬唄』『獄門島』『病院坂の首縊りの家』。どれもテレビで見た。
「八つ墓村の祟りじゃあ」は、先日亡くなった志村けんのギャグの一つだった。つまり、不気味で猟奇的な映画が子ども文化にまで広がっていた。今、地上波でこのシリーズの放映はしないだろう。70年代に比べると現在のテレビ番組はある意味、非常に清潔に見える。
だから何ということではない。私の世代が猟奇的で今の若者がみんな品行方正というわけではない。テレビだけで世代文化の比較はできない。
ただ一つ、すでに書いたように、70年代には今より大人文化と子ども文化が入り混じっていたように思う。少なくとも、小学生でこのシリーズを見ることを禁じられていなかった私はそう思う。
違う見方もできる。現代の子どもはテレビや映画の"メディア"を通さずに、スマホで直接、大人の世界に触れているのかもしれない。
さくいん:『犬神家の一族』、70年代、ザ・ドリフターズ
iCloud Drive騒動、再び
iCloud Driveでまたトラブルになった。
外付けHDDのデータをiCloud Driveに移そうとすると、コピーを仲介しているMac Bookにもデータが溜まり、やがて「空きスペースがないのでコピーできません」と表示が出る。
以前にも同じトラブルがあったので、そのときサポートデスクにもらったアドバイス通りに少しずつデータを移してみたところ、少しずつローカルにデータが溜まる結果は同じ。
サポートデスクに電話をすると「これは仕様です」と言われた。iCloud Driveにデータをコピーするためには、コピーする容量と同じサイズの空きスペースがローカルになければならないという。この返答は初めて。
つまり、iCloud Driveで2TBのプランを自在に使うためには2TBの空き容量がローカルに必要、ということ。
これでは256GBしか容量のないMac Bookを介してはiCloud Driveに2TBの外付けHDDのバックアップはできない。
提示された解決法は、もう1台、外付けHDDを用意すること。そのHDDにMac OSをインストールすれば、外付けHDDのサイズの分はiCloud Driveに移すことができる。幸い、もう1台、外付けHDDがあったので、これをiCloud Driveへのコピー用にMac OSを入れた。
iCloudはもともと「写真」などAppleのソフトのデータを自動的に保存することを目的としている。Dropboxのようにクラウドにある外付けストレージではない。そういう使い方をするにはあまりに使い勝手が悪い。
そうかといって、Dropboxに乗り換えるわけにもいかない。すでにMac BookやiPhoneのデータバックアップに1TB近く使っているから。
これまで、図書館に通いつめて集めた音楽ライブラリを守るために、外付けHDDで2台とiCloud Drive、合わせて三重のバックアップ体制をとってきた。
今後は外付けHDD、1台とiCloud Driveでのバックアップになる。
写真は萌える緑。3日ぶりに朝、散歩に出たら、すっかり新緑の季節になっていた。
さくいん:Apple
本屋のこと
昨日のこと。
気晴らしに雑誌を買おうと思ったところ、近い書店はどこもチェーン店で、しかも駅ビルに入っているために休業中と気づいた。
よく考えてみたら、私鉄駅の近くに本屋があることを思い出した。
独立系書店に厳しい時代によくがんばっている。
「名作映画に学ぶお洒落」が特集のファッション雑誌を買ってきた。
読書は個人に固有の経験、というのが私の持論。例えば、本の感想と買った書店の記憶が一緒になっていることがある。同じ本でも、どこで出会ったのか、どんな顔で出会ったか(ハードカバーか、文庫本か、全集の一巻か、国語の教科書か)、どこで読んだか、それによって本の感想も変わる。
読書は個人的で、その人固有の経験、とはそういうこと。
買った書店をよく覚えている本、ということがある。新田次郎『珊瑚』(新潮文庫、1983)。中学三年生で、『破戒』をきっかけに日本の小説を濫読していた頃。
家にあった新田次郎の作品、『孤高の人』『銀嶺の人』『栄光の岩壁』を読んでしまったので、次に読む本を探しに当時住んでいた街の駅前にある小さな書店へ行った。
小説の中身はほとんど忘れているのに、あの本屋で買ったことだけは鮮明に覚えている。
先日読んだ、安克昌『心の傷を癒すということ』も、あちこち探して見つけたので買った書店と本の感想が重なっている。
馴染みの呑み屋があると楽しいように、馴染みの本屋があるとうれしい。以前住んでいた団地の近くには個人経営の本屋がまだ2軒あった。
一軒はいかにも昔からある街の本屋という風情で、夏目漱石や太宰治など王道とも言える文庫本が棚にぎっしり詰まっていて壮観だった。もう一軒は老夫婦が経営していて主に雑誌を買っていた。子どもの雑誌を買うと、余っているほかの雑誌の付録をおまけにくれた。
どちらの本屋ももうない。最初の店は美容院になり、あとの店は商店街ごとシャッターが降りている。
最近では大型書店でさえ、ネット書店に押されて閉じる店があると聞く。ふらりと寄れる書店が減るのは残念でならない。
その代わりに、と言うべきか、個性的な古書店が近所に2軒ある。一軒では、しばらく前に長谷川潔と長谷川利行の画集を買った。もう一軒では、先週、散歩の途中に立ち寄り、吉田健一のエッセイ集を買った。
この3冊の感想は、買った本屋の記憶と一緒に残るだろう。そういう本屋があるのは本当にありがたい。
昨日は久しぶりに外できちんとしたランチタイムを過ごした。帰り道、上水沿いを散歩して新緑を写した。
連休初日の金曜日の夜。夜更かししてもいいかと思い、話題の映画を自室で一人で観た。
怖かった。感想を表す言葉が見つからなかった。
そのあと、なぜか、"Stay Home"と訴える都知事の声が聞こえた気がした。
1970年代には、多くの「人類滅亡」や「世界の終わり」を題材にした作品が制作された。そのあとでテレビで見たいくつかの作品も含めて、70年代のいわゆるパニック映画はどれもあまりにも大袈裟で荒唐無稽に思えた。
この作品は違った。前半のウィルスが感染拡大して人類が滅亡するという筋書きがあまりにリアルで怖かった。
40年前、この作品は荒唐無稽に思われていただろう。米ソの核戦争の方がずっと真実味があった。ところが、いま、『復活の日』の世界を私は生きている。
特に怖かったのは、疲れきった医療従事者たちが倒れている場面。テレビで見たイタリアやニューヨークの映像と重なった。
今以上に深刻な事態に進行したときに、私はどう振る舞うだろうか。気が弱い人間だからパニックに陥るだろう。でも、すぐあきらめるかもしれない。映画の登場人物たちのように希望を持ち続ける強さも、生にしがみつく貪欲さも、今は持っていないような気がする。
これまで他人事に思っていた。著名人が亡くなっても、東京で連日100人を超える感染者が出る報道を見ても、どこかで「自分は大丈夫」と楽観的だった。もちろん、そこには何の根拠もない。
自死や過労死については、「自分がそうなるかもしれない」と何度か思ったことがある。でも、新型ウィルスに対してはそう思っていなかった。安全な在宅勤務を続けているせいでもあるだろう。
この作品を見て、考えが変わった。行動も変わるだろう。
熟慮の末、この連休に帰省するのはやめた。
今日は晴天で気温も高かった。人の少ない路地を選んで散歩した。
さくいん:70年代
メモ:各ページの上マージンを広げた。
今朝は竹林とけやき並木を散歩してきた。
『復活の日』に続く、"Stay Home Theater"の第2弾。
素晴らしい伝記作品だった。
60年代の公民権運動の雰囲気、主人公たちの才能と熱意、彼らを正当に評価する人たち、そして導かれる成功。物語と演出がうまく噛み合っていた。
才能を活かし、認められるキャリアはうらやましい。
私は数学がまったくできないので、その点でも羨ましかった。
随所に流れるソウル・ミュージックを聴いていて、レイ・チャールズの伝記映画『Ray』を思い出した。
映像では、出張で何度も訪ねたアメリカのオフィスやホテルの部屋や、訪ねた同僚の住宅を懐かしく思い出した。ドアとノブ、コーヒーサーバー、ノートやファイリングなどの文房具、マグカップ、街の店の看板。足元が見えるトイレが苦手だったことも思い出した。
もうあの場所へ行くことはないと思うとさびしい。
主人公たちは差別されていたとはいえ、黒人社会のなかでも裕福な層にいた。大きな家に住み、クルマも持っていた。同じ時代の東京では、平均的なサラリーマンでももっと狭い家でもっと貧しい暮らしを送っていただろう。
差別が正当化されるということではもちろんない。当時の国力の違いを強く感じた。
それにしても、本作の時代から60年経っても、黒人への差別は解消されていない。今回のコロナ渦でも、医療を受けられない貧しい人が多い黒人社会で死者が多いと言われている。
キャリアについては、私は上手く立ち回ることもできずに道を外してしまったので、才覚を認めてくれる人に出会い、それを活かすことができる人がうらやましくてならない。
どんな仕事が向いていたのだろう。どうして自分に合ったキャリアを見つけられなかったのだろう。職業について考えると後悔することが多くて暗い気持ちになる。
ところで、"Hidden Figures"にもっと気の利いた邦題は考えられないか。"Figures"とは人と数字の掛け言葉だろう。「知られざる才能」ではどうか。「宇宙計画を支えた黒人才媛たち」という副題は余計か。
今朝、公園まで歩いてみると、水辺ではもう菖蒲が咲きはじめていた。帰りは上水沿いを歩いてきた。
さくいん:アメリカ、労働
"Stay Home Theater"、第3弾。以前から見たかった映画。先日買った雑誌の特集「名作映画に学ぶお洒落」でも取り上げられていた。
原作もペーパーバックも読んだ気がするけれども、筋書きは忘れていた。私にはあまり心に残らない作品だったかもしれない。
映画を見ても、その感想は変わらない。
『日の名残り』と同じように、文学作品としてある世界観を言葉で表現したところが評価されるのだろう。映画の方も、映像作品としても没入感の深い(immersive)一つの世界を作り上げている。
ただ、そういう客観的な評価と、物語に心を動かされるか、登場人物に共感できるか、ということはきっと別の問題なのだろう。
「ある人を一途に思い続ける」という心情はわからないわけではない。それ以外の、登場人物の性格や行動の意図はよくわからなかった。
「わからない」ということは、それだけ1920年代のニューヨークという、今の私の居場所とはかけはなれた時と場所を見事に描写している、と言うのであれば、知らなかったことを垣間見た、とは言える。
見る目的が、第一にラルフ・ローレンが監修したという衣装だった。その点では満足した。黄色のロールス・ロイスをはじめ、登場する当時のクルマも魅力的だった。
連休のひととき
昨日から大型連休になった。通勤のない在宅勤務でも疲れるがたまるのか、昨日は一日中寝ていた。朝起きて、朝食のあとで二度寝したら次に目を覚ましたら夜の7時だった。
それでも夜もまた快眠度100%になるほどよく眠った。それなのに、また朝食後に昼まで寝てしまった。
何だろう、この眠気は。
在宅勤務の合間に過去の文章を校正・推敲している。本の題名をブクログにつないだり、『庭』のなかでリンクを追加したり。もちろん、誤字脱字の修正もしている。
過去の文章を読み返すと、「うつ病の精神障害者で契約社員」という今の境遇がなるべくしてなったということがよくわかる。壊れるべくして壊れた。
2009年の2月にレイオフされたあとで転がり込んだ会社での業務はキツかった。転職したばかりの時点で、いつまで続けられるか、不安になっている。
6年間、不安を抱えながら働いてつぶれた。よく保ったと思う。いま、同じ暮らしをしろと言われてもとてもできない。
気分転換に散歩に出た。駅まで歩いて上水沿いを歩いて帰ってきた。朝とは日差しの向きが違うので違った趣の写真が撮れる。
今日は一人で餃子を作った。BGMはビリー・ジョエル。
ビリー・ジョエルを聴きながら餃子を作ることは、ただ料理を作ることではない。
「心から悲しむことができる」ひとときを与えてくれる特別な時間。大切な喪の作業(grief work)。
悲嘆の絵本、"The Saddest Time"に書かれている「喪の作業」(grief work)のなかで、「故人と一緒にしたことを一人でする」というのはかなり難しい。しかも、それを「心から悲しめる幸せ」と感じるまでにはかなりの時間と苦痛を必要とする。何より、それに気づくまでに時間がかかる。
私の場合、「餃子を作ることがグリーフ・ワーク」と気づくまでに20年かかった。
さくいん:悲嘆(grief)、ビリー・ジョエル