10/2/2010/SAT
福永武彦戦後日記、池澤夏樹編、解説、新潮 2010年10月号
先週の続き。
本を開いても活字を目で追いかけることしかできていない。それさえ、一日に数十分と続かない。
生活は落ち着いている。帰宅する時間も早くなったし、夕食後、ひとり寝室でパソコンを開いて仕事をすることもほとんどなくなった。以前は週報が終わらずにいつまでも眠れなかった金曜日の夜に、早く休んだり、出かけることもできるようになった。昨夜も増員なった会社の仲間とカラオケにいって楽しいひと時を過ごした。
でも、理由もない過度の緊張感や焦燥感、言い知れない不安や、突然に津波のように襲ってくる途方もない疲労感や睡魔をやり過ごすまでは出来ていない。
精神と身体とでは、ストレスを受け止め方や、そこからの回復にかかる時間が少しずれているらしい。身体的に疲労が蓄積されているとき、精神は崩れそうな身体を支えようとしてむしろ反発力を高めて強靭であろうとする。そして身体が極度の緊張や疲労から解放されたとき、精神のほうに疲労が現れるようになる。
おそらく「回復」とは、そうした過程を一直線に進むのではなく、身体面での疲労と回復と精神面での緊張と疲労とを往復しながら、少しずつ進んでいくものなのだろう。
読書家のすすめでふだんは読むことのない文芸誌を手に取った。文学について語り合えるほとんど唯一の相手。ある意味、それは当然かもしれない。1980年の半ばごろ、中学二年生の冬からほぼ2年間のあいだ、その人の奨めるがままに文学作品を読んでいたのだから。福永武彦『草の花』(1954)はそのなかでもとりわけ深い思い入れとともに薦められた。
福永武彦の敗戦直後の日記を読んで驚くことは、生活や健康状態の厳しさより創作をして生計をたてていくという志のなかに創作だけで生活していけるのか、という不安はほとんどないこと。つまり、「文学も娯楽産業の一つに過ぎない」という考えがここにはまったくない。
旧制の東京大学を卒業していることや、フランス語が読み書きできることは、当時にあって現在とは比べものにならないほど希少価値があったのだろう。学生時代にすでに出版社との交際もあり、いざとなれば翻訳だけでも食べてはいけるようなことも書かれている。だからこそ、創作により身を立てることに真剣さが痛いほど伝わってくる。
現代の日本社会ではどうだろう。マス・メディアを通じて名前を知られることばかりが「身を立てること」と思われていないだろうか。そう誤解してしまっている気の毒な人も少なくない。それはマス・メディアにばかりアンテナを向けているから。
でも、地元でしか知られていない音楽家や画家や、そういった芸術家も少なくない。音楽にはライブやコンサートがあり、美術には個展がある。そういう生で作品を披露する方法や機会が文学にはあまり多くない。印刷されて、流通されることが文学作品の完成形と思っている人も多いだろう。
最近、文学の世界で手作りの同人誌が復活しているという記事を読んだことがある。文学の生演奏はそういうところで読むことができるのかもしれない。残念ながら、私はまだ魅力的な文学同人誌には出会えていない。
“J-POP'80's”という音楽番組をテレビで見た。ひと言で言えば、80年代の「一発屋」を集めたコンサート。ほとんど一曲しか知られていない歌手たちが、それでも、声も力も変わらずに往年のヒット曲を歌っている。
彼らはふだんどんな仕事をしているのだろう。印税だけで悠々自適な暮らしを送っているのか。小さなライブハウスで糊口をしのいでいるのか、それとも気に入った場所で、好きな歌を気ままに歌っているのだろうか。
何にしても、30年も経た今でも力強い歌声を聞かせられる、そのことに感動しないではいられなかった。
さくいん:福永武彦
10/16/2010/SAT
縦書きを横書きに
時間だけでなく、気持にも少しずつ余裕ができてきた。
新しく長い文章はまだ書けずにいるけど、前に書いた縦書きの文章を横書きにする作業は少しずつ進んでいる。変換の終わった文章が増えてきたので第一部の目次に横書の項目を設置した。
変換は文章を書いた順序でなく、ファイル名のアルファベット順でしている。絵本はすべてすんだ。今は書評の「R」ではじまる『ルバイヤート』(小川亮作訳、岩波文庫、1949)まで進んだところ。
昨年の夏前、仕事上の理由もあってAppleのiPhoneを使いはじめた。
そのあと自宅のパソコンが壊れた。iTunesに慣れはじめたこともあり、また、会社で使っている画面とは違うものを求めて初めてMacを購入した。
MacとWindowsとではそれほど違いはないと聞いていたけれど、使い始めてみるととくにブラウザにだいぶ違いがあることがわかった。
『烏兎の庭 第一部』を書きはじめた頃、自分のサイトを伝えた友人の一人にMacでは縦書き表記がうまくできていないと知らされていた。そのときは手元にMac、正確にはMac標準のブラウザ、Safariがなかったため確認することもできなかったし、たいした問題とは思っていなかった。
iPhoneやSafariを使い始めて、それまで自分が作ってきたウェブサイトがブラウザによっては自分の思い通りにはまったく表示されていないことがわかった。時を同じくして、自分では標準と思っていたInternet Explorerのシェアが低下しはじめていることも知った。実際、仕事で使っているPCでもメールソフトがGmailになったので今度は仕事用のパソコンにChromeをインストールした。
SafariもChromeも、IEではきちんと表示される縦書き表記が思った通りにはできない。JavaScript「縦書きくん」で一度つくったhtmlファイルをエディタで編集すると縦に揃っていた行がずれていってしまう。
iPhoneやSafariには独自仕様の部分が多いのか、「縦書きくん」で作ったファイルはうまく表示されないことが多い。そもそも「縦書きくん」は2001年にIE6に対応したあと更新されていない。10年が経ち、スマートフォンやIE以外のブラウザも普及している。
そこで、いま、これまで縦書き表記にしていた文章をすこしずつ横書きに変換している。文節で区切った行が乱れてしまうことは残念だけれど仕方ない。その代わりに『庭』のなかの他の文章へのリンクはつけやすい。
ブラウザが変わって困るのは縦書き表記だけではない。IEを見ながらつくったCSSも他のブラウザでは思った通りに表示されないことがある。『第三部 土を掘る』では表紙以外の文章の背景色が表示されなかった。そこでCSSファイルの名前から“_”を抜いたところ、CSSの指定通りに表示されるようになった。
『第二部 草の上に腰をおろして』では、CSSファイルに“_”が残っているのに表示に問題はない。もっとも確認しているのは自分が持っているWindows PCとMacBook、一台ずつだからハードウェアでの相違がブラウザの表示にどれほど影響しているのかはわからない。
愛読している『週刊アスキー』で、ハイテク製品にまつわる失敗談を集めた「東京トホホ会」(桜井哲夫編)が長く連載されていることからもわかる通り、コンピュータの世界は機械の世界と言いながら、0/1ですんなりと割り切れないことが少なくない。
自分の作ったウェブサイトが世界中のどのブラウザでも自分が創ったとおりに表示させることは、少なくともアマチュアでやっているかぎりはほとんど無理なことだろう。私はもともとテキストサイトという表現自体が嫌で「画面としてのページ」ということを意識しながら縦書き表記や文節での改行を試みた。もはやそれは無謀で不可能な試みとしか言いようがない。
そうは言っても、苦心して行末を揃えた文章を削除するのは忍びない。どれだけの人が私が創ったとおりに見ているのかはわからないけれども、初版の縦書きファイルはそのまま残しておくことにする。『庭』の中で参照するの先も縦書きファイルのままにする。
横書きファイルは検索エンジンから飛来する読者を多くするだろう。そこからまた縦書きのサイトに導かれ、見づらいと思う人は去っていくだろう。ほぼ同じ内容が横書きでアップロードされていることに気づいてくれれば、そこへ、また来てくれるかもしれない。
先週の土曜日、数ヶ月ぶりで昼寝をせずに一日を過ごした。体調がよく、買い物に出かけて餃子づくりの支度をした。実際に餃子を作ったのは、小学五年生になった息子。キャベツやニラのみじん切りからひき肉をこねて、合間に米をとぐことまでほとんど一人でやってくれた。
餃子を皮につつむ頃には娘も二階から下りてきた。私はオフコースの古い曲を聴きながら缶ビールを呑んでいた。
それはとても幸せで、同時に、とても悲しいひとときだった。
幸福は、私にはそういう形でしか現れないものなのだろう。
さくいん:餃子
10/23/2010/SAT
ブクログ
ブクログというウェブサイトで本や音楽、映像作品を記録している。図書館で本を借りることが多いので、返してしまった本の表紙をがいつまでも見ることができるブクログは便利。
このサイトではレビュー欄があり、自分の感想を書き込むことができる。私はHTMLタグを使って『庭』のなかのそれぞれの感想文へリンクをつけていた。
しばらくして気がつくとレビュー欄に「HTMLタグ使用不可」と書かれるようになり、ネットショップの商品へのリンクだけが使えるようになった。レビュー欄に感想を書き、そこからネットショップへ読書を誘い、そこで商品が購入されればアフィリエイトで収入が得られる仕組み。
考えてみれば、当然のことかもしれない。タダでウェブサイトを貸してくれるだけでは、ブクログが成り立つわけはない。たくさんのアフィリエイトを通じてネットショップでの売上が上がり、そこから一部がブクログにも還流するようになっているのだろう。
アフィリエイトに私はまったく登録していない。
最近、しばらく放っておいたブクログを見てみると、確かに<HTMLタグ使用不可>と書いてはあるものの、タグを使わずURLを書き込むとリンクが自動的に生成されることに気づいた。
そこでこれまで書き込んだリンクを作るタグをレビュー欄から削除する作業を始めた。登録日時を『庭』に感想を植栽した日に変更することもしている。
現在、ブクログに登録してある本やCDはあわせて約700件。リンク先は元の縦書きファイルから変換した横書きファイルへ変更している。
先々週末、久しぶりに図書館に出かけて何冊か借りてきた。字の本は読みきることができず、『世界の聖地』や『中央線 街と駅の120年』のような図鑑だけを眺めた。
しばらくは新しい文章を書くことはあきらめた。ブクログを整理することと、縦書きの文章を横書きに変換すること、それから、『庭』を始めた2002年から第三部を終えた2009年2月までた書いた文章を推敲することに時間をあてる。
この7年間はこれまでの20年ほどの社会人生活のなかでも特別な時間だった。この期間のことをよく考え直すことが、これからの20年にとっても大切だろう。いや、今は20年などとあまり先にことを考えすぎないほうがいい。
あんな風に集中的にたくさんの本を読み、次々文章を書ける時間はそうない。今、この瞬間のためにも、あの特別な時間を振り返ることにする。
10/30/2010/SAT
名古屋泊
先週はおだやかで毎晩、夕食時には帰宅していた。
今週は少し忙しく、火曜日に京都、木曜は名古屋に泊まり、金曜午前中はまた京都へ出向いた。
紅葉狩りの観光客のせいか、京都のホテルがどこも満室。そこで木曜の仕事のあと、そのまま出先の名古屋の金山に泊まった。
名古屋に行ったのは、かなり久しぶりのこと。『庭』の記録でみると2003年1月以来。
そのときは名古屋駅近くに泊まった。その前にも金山に泊まったことがある。覚えているのは、この街の小さな音楽店で夏川りみのアルバム『南風』を買い、そのアルバムに入っていた知らせをきっかけにして新宿の小さなライブハウスで彼女の歌を聴くことになったから。それは『てぃだ~風ぬ想い~』を聴くよりは前のはず。とすれば、2002年の夏前だろうか。
『南風』を聴かなければ、彼女のライブを聴きに行くこともなかっただろう。「涙そうそう」は『庭』のモチーフの一つに関連している。彼女の歌声を聴いていなければ『庭』を書きはじめることもなかったかもしれない。
今日は仕事の後、思いのほか早くホテルにチェックインできた。幸い、仕事の宿題も少なかったので、夜が更けるまで第一部の書評を縦書きから横書きに変換する作業を続けた。
思えば、2002年から2006年の終わりまでは経済的に苦しく、仕事の上でも不安定だったかわりに、時間だけはたっぷりあった。一件の仕事のために出張に行き、空いた時間はホテルで本を読んだり文章を書いたり、出張で出かけた街で仕事を終えたあとに散歩することもできた。
2007年初頭から今までの4年間、そういう余裕はほとんどなかった。
今も空いた時間ができたといっても本を読んだり、出張先で美術館や博物館をのぞく余裕はまだない。ただ、過去の文章の書換えをするという機械的な作業をする時間だけはようやく手に入れた。
時間的な余裕を精神的な余裕にどれだけ変換できるか。これは機械的にできることではない。少しずつでも、自分の気持ちの持ちようを変えていくほかない
さくいん:夏川りみ
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