2005年の終わりに、その年に読んだ本からいくつか選んで読書録の補遺を書いた。2006年の年末はあわただしく過ぎてしまい、一年を振りかえる余裕はまったくなかった。年が明け、少し落ち着いた気持ちになってみると、2006年は一年丸ごと、終わりを待つ心持ちだった。
終わる、とはどういうことか。終わりを待つ、とはどういうことか。いまはまだ整理して、筋道を立てて書くことはできない。できないまでも、一つの終わりを待ち、そして見届けた今、終わりについて思いついたことを、書評に残せなかったいくつかの本の感想とともに覚書として書き残しておこうと思う。
箴言や断章といった形式に、禁断の陶酔のような魅力を感じながらも、これまでできるだけそのスタイルは避けてきた。
終わりについて考えはじめてみると、始まりも終わりも、筋道もはっきりしない断章の形式が、この主題にはふさわしいようにも思う。
- 終わりがある、と思ったとき、すでに終わりは始まっている。
- 帰ることを考えはじめたとき、旅は終わりに近づいているように。
- 終わりは、ある時間の幅を持っている。
- 終わりが来ることを予期したときから、終わっていたことを知るまでの間。
- 終わりは、いつも「終わっていた」と振りかえることでしかわからない。
- 終わりの時は、前から予期し、準備をしても、必ず突然に来る。
- そのとき我を失い、その一瞬がいつなのか、その時にはわからない。
- 終わったあとで振りかえると、終わっていた時がわかる。
- だから終わりは、ある期間であると同時に、ある一瞬の出来事でもある。
- 「終わっていた」とわかるのは、別の何かがすでに「始まっている」から。
- 「終わった」と思えることは、実は「終わっていない」ことを知ること。
- 終わりを待つことは、終わらせることや、終わりを急ぐこととは違う。
- 終わりを待つということは、始まりを待つということ。
- 始まりを待つことは、始めることや、始まりを探しまわることとは違う。
- 終わりを待っているうちに、いつの間にか、始まりが来ている。
- 「ほんとうの終わり」は、人間の生活にはない。終わりは始まりを含んでいるから。
- 「ほんとうの終わり」を知ることはできない。
- 「ほんとうの終わり」のその時、終わっていたことにも気づかないから。
- こうしたことは皆、「ほんとうの終わり」に近づいて、はじめてわかる。
- それを知った者だけが、すべての終わりのなかに始まりが、と言える。
- 食うために働いたことのある者だけが、働くために食うと言えるように。
- そのとき、はじめて、すべての始まりは何かの終わりを含んでいることを知る。
ウルトラマンメビウス オリジナル・サウンドトラック(1)、コロムビア、2006
ウルトラマン生誕40周年記念 ウルトラサウンド殿堂シリーズ(3)
ウルトラセブン、冬木透作曲、コロムビア、2006
『メビウス』は、ウルトラマン・シリーズ40周年記念作品。初期の作品は集中的に見ているけれど、ここ数年の新しいウルトラマンは見ていなかった。
ほかの作品がどうかは知らない。『メビウス』は、かなり意欲的で挑戦的でさえあると、見はじめてすぐにわかった。
子どもが楽しんでいるのは、もちろん台詞や登場人物も現代的で、なじみやすいこともある。大人が見て面白いのは、懐かしい怪獣が出てきたり、過去のドラマを下敷きにしているからだけではない。そこに、ウルトラマンで育った人々によるウルトラマンの大胆な再解釈が盛り込まれている。
気づいたことは二つ。一つめは、ウルトラマンの言葉遣いと立場。ウルトラセブンは、モロボシ・ダンでいるときこそ、キリヤマ隊長に敬語を使っているけれど、例えば「第19話 闇に光る目」では、ほかの宇宙人、アンノンと話すときには「キリヤマ」と呼び捨てにしている。地球人はウルトラマンの下にいて、敬語を使う隊員は仮の姿でしかない。
ミライの場合、メビウスに変身する前も後も、リュウさんはリュウさん、隊長は、隊長。見下した態度はまったくない。リュウや隊長にとっても、ミライは一風変わった青年ではあるにしても、すがったり崇めたりする存在ではない。
もう一つ、過去のウルトラマンと決定的に違うことは、正体を明かしたあとでも地球に留まるところ。「ばれても帰らなくていいんじゃん」という素朴で、率直な驚きは、ウルトラマン・シリーズになじんだ人ほど共有できるだろう。
外国、とくに欧米の文化や人間をどうとらえるか。この40年間に、日本からみた特別な憧憬や過剰な劣等感はだいぶ少なくなったのかもしれない。
場合によっては、日本から外国へ行った人がウルトラマンのように受け止めらることもあるかもしれない。そのとき、セブンのような態度をとるか、ミライのように振る舞うことができるか。
そういう読みとり方は、けっして的外れではないだろう。
サウンドトラックを聴いて驚いたこと。ウルトラマン好きの少年は、音楽が流れ出すと、一度しか見ていない「V3の男」のラストシーンの台詞を唱えはじめた。
子どもは、映像、演技、台詞、効果音、音楽、すべてを五感すべてで受け止めている。寛いでいるようで、かなり集中して見ている。だから、画面の外にあるそのときの匂いや手触りまで、ドラマの記憶と一緒に覚えておけるのだろう。
新宿の1世紀 アーカイブス—写真で甦る新宿100年の軌跡、佐藤嘉尚、
中田満之・新宿区立新宿歴史博物館資料協力、生活情報センター、2006
新宿区立新宿歴史博物館、東京都新宿区四谷
昨年は、四谷にでかける機会が何度かあった。駅の地図を見て、新宿区立新宿歴史博物館を知り、空いた時間に覗いてみた。
東京は広い、というのは、東京に住んでみての実感。何年住んでも、行ったことのない場所がある。駅やビルを頼りに歩くことが多いので、住所をあまり気にしない。はじめて行った場所で住所を見ると、思わぬ地名であることも多い。
新宿歴史博物館は、四谷の町を歩いていて見つけた。これまで新宿といえば山手線沿いばかりで、四谷やましてそこから歩く博物館のあたりははじめてだった。
この博物館は、歴史と言っても通史というより、大正から戦前の昭和に焦点を絞っているところに特徴がある。都電に、デパート、映画館。歌舞伎町以前の新宿はいまほど怪しげではなく、華やかな雰囲気がある。
当時のサラリーマンの服装と持ち物や住宅の展示もある。大正から昭和初期の新宿といえば、森有正が角筈で少年時代から学生時代を過ごした時代。森は、1950年代をほとんどパリで過ごし、60年代以降、定期的に帰京するようになった。彼は何度も東京も日本も何も変わっていないと書いているけれど、そう書くこと自体、表面的なものがずいぶん変わっていたことを示している。
かつて角筈と呼ばれたあたりも今年は歩くことがあった。現在の住所表記は西新宿。ところどころの古い表札で見ることができるほか、図書館の名前に往時の地名が残っている。
角筈図書館ですこし休んだ。目に付いて広げた本は、森有正ではなく、みうらじゅん『保健体育』(ポプラ社、2005)だった。男性の煩悩についての考察。
どういうわけか私のなかで、みうらじゅんと森有正のあいだにつながりがあるらしい。
煩悩とともに生きる。活躍する場も表現の方法も、まったく違う二人に共通点があるとすれば、『保健体育』の主題そのものにあるような気がする。
さくいん:東京
森有正先生のこと、栃折久美子、筑摩書房、2003
四百字のデッサン、野見山暁治、河出書房新社、1978
『森有正エッセー集成』の索引を作りはじめた夏以来、森有正の文章を再読している。同時に、これまで意識的に手に取らないでいた森有正について書かれた文章もいくつか読んだ。
読んではみたものの、特別な感想はわかなかった。森有正個人についての印象よりも当時の東京やパリの様子が、私の知っている80年代以降の都会とはだいぶ違っていてそちらのほうが関心を引いた。
もう一つ、興味を引いたのは、誰か一人というよりも、芸術や思想を目指した人々の濃密な人間関係。とりわけ祖国から遠く離れたパリでの切磋琢磨や慰め合い、あるいは仲違い。どの逸話も、真剣な人間通しのやりとりであったことが伺われる。
一言で言えば、青春。森の文章は独白体なので、孤独な思索者の印象を持たされてしまうけれども、同じ時代を生きた人たちの文章を読んでみると、一人の思想家が人間模様のなかに浮かび上がってくる。
芸術家や思想家のまわりは、今もそうだろうか。それとも、そんな時代はもう終わっているだろうか。思想という言葉を、ほとんど声に出すことのない私にはわからない。
刑事コロンボ コンプリートDVD-BOX、vol. 10、第19話 別れのワイン(1973)、ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 、2005
007は二度死ぬ(1967)、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 、2001
『刑事コロンボ』。図書館で一巻ずつ、ビデオを借りるだけでは飽き足らず、とうとう全話分のDVDを買ってしまった。内容をぼんやりと覚えているものから少しずつ見ている。
「別れのワイン」を見たきっかけは、『007は二度死ぬ』。丹波哲郎の訃報のなかで、この映画には60年代の東京の風景が描かれているという紹介文で興味をもった。
地方都市と首都東京という違いこそあれ、時代でみると、『24時間の情事』や『ウルトラセブン』とほぼ同じ高度成長期にあった日本の都市の風景。未開が大部分のなかに散りばめられた未来がまぶしい。
『007』を見るたび、「おっ、またやってるな」と思う、これはみうらじゅんの感想。確かにベッドシーンというものをはじめて見たのは、テレビで見た『007』だったかもしれない。
最後に登場した敵の親玉の顔に見覚えがあった。それが「別れのワイン」で犯人役を演じたDnaold Pleasenceだった。
彼の顔は、『大脱走』でも見たことがある。そのときはもう少し気弱そうな表情だった。この映画も、何度かテレビで見た。みうらじゅんは、年の瀬になって今年もだめだったと男が反省するため、恒例のように見る映画と言っていた。
『刑事コロンボ 完全事件ファイル』(町田暁雄企画、別冊宝島、宝島社、2004)には、この作品は、コロンボが犯人に<共感>をもつ最初の作品と書いてある。以後、犯人の共感しながら、相手の内側からトリックを崩す話がひとつの主流になっていく。
アメリカは訴訟社会、陪審制度の国。明らかに犯人でも、裁判では無罪になることも少なくないと聞く。
そういうところで、犯罪を外から暴くばかりでなしに、真犯人本人の口から供述を引き出すドラマは、かなり衝撃的だったのではないか。
コロンボの推理は心理的で司法的には弱い。つまり有力な証拠がないから、裁判では覆される可能性が大きい。
ふてぶてしい犯人は、裁判ではしらを突き通すだろう。それでも、一度コロンボの前で認めたことを覆さない犯人もいるだろう。
「別れのワイン」の犯人、エイドリアンはその一人に違いない。
ちいさなおひっこし、こみねゆら、偕成社、2006
こみねゆらの新刊絵本。物語の最後に、差出人のない手紙が来る。これまでほかの作品を読んでいると、「知ってる、知ってる、あの人から」とわかる。
『くつなおしの店』(THE COBBLER'S SHOP、Alison Uttley文、松野正子訳、福音館、2000)で見た赤い小さな靴が、絵本のどこかに落ちていないか、探したくなる。
引越も、一つの終わり。引越をするその日には、住み慣れた家を離れる実感はない。しばらくして、ふと同じ道が帰り道ではなくなっていることに気づく。終わりは、いつも過去完了形でしかないと思うのは、そんなとき。
さくいん:こみねゆら
鯨を捕る、市原基(文・写真)、偕成社、2006
写真絵本というジャンルが確かにある。図鑑とも違う。写真を絵のかわりにした物語。これまでには、『はるにれ』(姉崎一馬、福音館書店、1979)や『よるのびょういん』(谷川俊太郎、福音館、1979)を読んだことがある。写実性と臨場感が写真絵本の特徴であることは言うまでもない。
この絵本は、食物連鎖のなかで生きていく人間の生命について民話を通じて描いた『鹿よ おれの兄弟よ』の実写版。生きるために生命を殺す、という人間の宿命を鮮烈に見せつける。画面いっぱい、大海を染める鯨の鮮血が悲しいほど美しい。
食うために、ということは、職業という人間の宿命も指している。この絵本が取材したのは、20年近く前の捕鯨。この取材のあと、商業捕鯨は終わった。
最近、調査捕鯨の鯨肉が店に並ぶようになった。20年前に取材を受けた人たちが、過酷な船の仕事をまたしているとはちょっと考えられない。新しい人々が船に乗っているのだろうか。では、鯨を追うさまざまな技術は、20年の空白のあいだ、どのように維持、継承されたのだろう。
再開しても、もう船には乗ることがない人もいるに違いない。ずっと続けてきた職業が政治的に、さらには倫理的にまで否定されるのは、どんな気持ちだろう。
思いついた疑問を忘れないように、けっして価格は安くないけれども、見つけると鯨を買って食べてみるようになった。
鯨肉の竜田揚げとキャベツの塩もみ。アルミの食器と先割れスプーンで食べた給食の味も思い出す。