Homeという題名をつけて気に入った曲を集めたソング・リストの第4弾。よく聴くピアノ曲とギター曲を集めてみた。今回の選曲は、Homeや「帰る」という概念とは直接に結びつかないものが多いかもしれない。むしろ自分の嗜好の無秩序さをさらけだしているにすぎないような気もする。とはいえ、何度も繰り返して聴くという意味では、これらの曲が帰る場所であることも確か。
好きな楽器はギターとピアノ。粒立った音を好む傾向がある。弦楽器や吹奏楽器の曲は、ふだんあまり聴かない。
ギターとピアノといえば、『庭』を開いてから、J.S.バッハの音楽をよく聴くようになった。バッハでお気に入りを集めると、それだけでもひとまとまりになりそう。バッハ集は、またいずれ。
以下の選曲は、バッハ以外というより、バッハ以前に好きだった音楽ともいえる。
「失われた声を求めて」という副題には、三つの意味がある。楽器の声、文章の声、そして過去の声。
ふだん聴くのは、インストゥルメンタル、いわゆる器楽曲よりは歌の入った曲が多い。歌詞を聴くのが好きだし、声を聴くのも好き。器楽曲には声がない。でも、演奏者にしてみれば、楽器の音が表現者としての彼らの「声」に違いない。それを聞き分けられないのは、聴くほうに問題がある。その意味で器楽曲の声は、失われたわけではない、まだ聴こえていない声。
器楽曲の音が楽器演奏者の声であるように、文章は作家の声。文字しかない文章を読んでいても、ふいに書いた人の声が、その文章を読んでいるように感じるときがある。声だけではない。書いている人の息づかいまで文章から漂ってくるような気がしてくる。エッセイの書き方を教えているビル・ローバックは、書いた人の思いや人柄まで伝わるような文体を「声」と呼んでいる。
書くということは、思いの丈を言葉に封じ込めること。声で伝えたいことを、あえて声で伝えないこと。書くことは、叫ぶことに由来すると考える人もいる。
音的に見ても、意味的に見ても、書くこと(schreiben)は叫ぶこと(schrei)と複雑な関係にある。でも、実際に叫びを文字にできるのは、少しは恵まれた環境にある者だけである。自分の受けたい教育を受けることができ、小説や詩を書いている余裕のある環境に育つことは、どちらかというとめずらしい。多くの者は、叫びたくても声を持たないので、眼ばかり大きく見開いて、人間たちが壊れていく様子をまのあたりにしながら、聞こえない叫びの中で死んでいくしかない。又、書く代わりに本当に叫び始めてしまったら、精神病者ということにされてしまう。書くことは叫ぶことではない。しかし、叫びから完全に切り離されてしまったら、それはもう文学ではない。(エクソフォニー、3 ロサンジェルス、多和田葉子、岩波書店、2003)
文章の声は、作者の叫ぶに叫べない声。失われたのではなく、わざわざ息を止めて飲みこんだ声。
過去の声。もう聞くことのできない声。それは、失われたままの声だろうか。声のない音楽を聴き、声のある文章を読みながら、考えてみる。答えを急ぐ必要はない。
『烏兎の庭』は、図書館やレンタル店での貸出記録にはじまった。こうして並べると、その頃に聴いた音楽が多い。聴きかえしてみると、「庭」をはじめる直前のころのことを思い出す。そこが、作家としての私のHome Position。
- Catherine, Earl Klugh, Finger Painting
- Comme au premier jour, André Gagnon, Impressions(印象物語)
- Sunburst、村治佳織、カヴァティーナ
- M-5A(あなたといた日々)、M-29(雨のあとの虹のように)、ナースエンジェルりりかSOS Heart-Aid 2nd
- 放課後の音楽室、ゴンチチ、Gontiti Best Works
- 別れの曲(Frederic Chopin)、中村紘子、ライト・クラシック・コレクション Disc1
- Farewell from little Romance, Georges Delelue, ジョジュル・ドルリュー作品集2
- 夜の歌(piano version)、カードキャプターさくら—3
- All the Children, Stanley Jordan, Magic Touch
- しあわせなウーフ一家、加羽沢美濃、くまの子ウーフ
- Black Sand Beach、加山雄三、ツインベスト30
- パリは燃えているか、加古隆、パリは燃えているか
- Inspiration, Gipsy Kings, Gipsy Kings
- Loss of Love, Henry Mancini Orchestra, Henry Mancini Best
- Across the Universe、渡辺香津美、guitar Renaissance
- もののかたち〜マロン、飯島真理、Midori
1. Catherine, Earl Klugh, Finger Painting
アール・クルーの作品で、最初に聴いた曲。ディスカウント店だったか、駅のワゴン・セールだったか、格安で買ったオムニバス・アルバムの一曲目だった。
音楽資料の豊富な図書館に通い出して、すぐに探して収録アルバムを借りた。それ以来、見つけるたびに彼のアルバムを買い足している。
曲名をうろ覚えの曲、曲名は忘れていても、演奏者や挿入された映像作品の名前を覚えている曲、そういう曲を図書館で少しずつ探していた。
器楽曲に歌詞はないけれど、題名は必ずある。サウンドトラックでは番号だけでも、名前は名前。これがあるから出会ったり、探し当てたりすることができる。その意味で、題名も器楽曲から聴こえてくる声。
いまでも、この曲はアール・クルーの曲に聞こえない。名前を知らないアーティストの心地よい演奏が、ラジオから流れてきたような気になる。
この曲を聴きはじめると、すぐに男性の声が聴こえてくる。「首都高速は、この時間、全線おおむね順調です」「関東地方、きょうのお天気は晴れ」。やはり、どこかで聴いていたのかもしれない。
70年代のFM番組には、イージー・リスニングを聴かせる番組が多かった。Smooth Jazzという言葉はまだなかったような気がする。
この曲は2002年の秋にはじめて知った。でも聴いていると、ずっとむかし、ラジオから流れていたような気がしてくる。声の主は、若山弦蔵か、城達也か。
この曲をはじめて聴いたのは、2002年のはじめ、北米出張の機内番組。クラシックやアコースティック・ギターの音が好きなことを思い出させてくれた一曲。作曲は、Andrew York。
クラシックのような、フュージョンのような不思議な音楽。ここから古典から現代まで、気持ちのいいギター曲を探すようになった。
そうしてめぐり会ったのが、Michael Hedgesや福田進一。福田進一から渡辺香津美につながり、昔から聴いていた音と重なりあった。
4. M-5A(あなたといた日々)、M-29(雨のあとの虹のように)、
ナースエンジェルSOS Heart-Aid 2nd
この作品は、チャンネルを回しているときに偶然、第一回目を見て、そのまま最終回まで見た。原案:秋元康、原作:池野恋、アニメ監督:大地丙太郎、音楽:光宗信吉。
いわゆる戦闘モノだから、対決する敵役は存在するものの、敵はふつうの人の心に潜む悪から生れているようにも見えるし、主人公にしか見えない誇大妄想にもみえる。
世界の運命が自分の肩にかかっていると思うのは、それがまだ幼い子どもであればなおさら、傲慢というより異常な心理状態。治療を必要としているのは、主人公りりかのほうではないか。
そういう妄想にとりつかれた友達が近くにいたら、どうしたらいいか。無理に反論するのではなく、身の危険には注意しながら、ただそばにいるのがいいだろう。落ち着けば、自分がただ生きているだけでも世界を救っていることに、きっと気づいてくれるはず。
りりかの隣家は病院。そこには身体はむしろ丈夫そうな人達が入院している。その点に含意はないのだろうか。それは穿ちすぎた見方だろうか。
主人公のりりかよりも、彼女の自己破滅的な妄想を見守る隣家の少年、星也の優しさから目が離せない。ナースであるのは、きっと彼のほうだから。
5. 放課後の音楽室、ゴンチチ、Gontiti Best Works
シャンプーの宣伝でも使われていた曲。私には、飛行機旅行の思い出。着陸の前にいつもなら回収されるヘッドフォンがそのままになっていることがあった。着陸するとき、ちょうど流れていたのがこの曲。
だから、この曲を聴いていると、曲が想定している情景とはまったく関係なく、ロサンジェルス空港への着陸アナウンスが聴こえてくる。
「放課後の音楽室」という題名は、ショパンの「別れの曲」を思い出させる。次へ。
6. 別れの曲(Frederic Chopin)、中村紘子、ライト・クラシック・コレクション Disc 1
大林宣彦監督の映画『さびしんぼう』。全編に「別れの曲」が流れるこの作品は、放課後の音楽室からはじまる。カメラのファインダーから、放課後の音楽室でピアノを弾く女生徒を探す高校生。
この曲を聴いて思い出すのは、もちろん映画のヒロイン富田靖子の声。「もう一つの顔のほうは、どうか見ないでいてほしいのです」という台詞が忘れられない。そのあと、記憶のなかでも、土砂降りの雨のなかを泣きながら走る尾美とりのりの姿が続く。
ショパンには、もちろんさまざまな演奏がある。聞き比べるほど、ピアノの演奏に詳しくない。中村紘子の名前をあげたのは、つい最近、日経新聞夕刊にあるコラム「あすへの話題」を面白く読んだから。
「あすへの話題」は、自分で文章を書くきっかけになったコラム。600字程度なら、何か書けそうと思っていたけれども、短い文章には、かえって個性や思索の深さがはっきり現われる。鷲田清一のように、この欄をきっかけに著作を読んだ作家もいる。吉田満や舟越保武のように、著作を読んでみて、何年も前に執筆していたことを知った人もいる。
この欄は、どれも面白いというわけではない。実は、腹が立つほどつまらないほうが多い。これまでに読んで面白かったのは、山内昌之、中村桂子、中村稔、小長谷有紀、アダム・カバット、宿澤広朗。
この曲は、初めてCDプレーヤーを買ったとき、あわせて初めて買ったコンパクト・ディスクにあった中村紘子の弾くピアノ名曲集から録音した。そういう思い出もある。
7. Farewell from Little Romance, Georges Delelue, ジョジュル・ドルリュー
作品集2
原曲は、ヴィヴァルディ作曲、リュート協奏曲ニ長調RV93。
映画はほとんど見ない。見てもせいぜい、テレビの映画番組。そのぶん、見た映画はずっと覚えている、淀川長治、水野晴郎、荻昌弘の声と一緒に。
ダイアン・レインのデビュー作は、録画して十代の間、何度か繰り返して見た。映画は1979年の作品。当時は十代を主人公にした、いわゆる「青春ドラマ」が少なくなかった。『ラ・ブーム』、『青い珊瑚礁』、少し前には『小さな恋のメロディ』。
ローレンはパリに住むアメリカ人。この曲を聴いていると、「私たち、ずっと誠実でいられるわね」という、パリを去る前、ローレンの最後の台詞を思い出す。ダイアン・レインの声ではなく、吹き替えられた声で。
ネットは便利。玉川紗己子という名前がすぐにわかった。
アニメからもう一曲。『さくら』を見たのは、昨年秋の再放送から。『りりか』と同じように主人公はローティーンの少女。着せ替え人形のリカちゃんこと、香山リカも設定は11歳。10歳から12歳、学校でいうと中学校入学直前は、一つの節目なのかもしれない。
十代前半を描いた作品をよく読んだり見たりする。末吉暁子『雨ふり花 咲いた』と『星に帰った少女』、森忠明『少年時代の画集』と『君はサヨナラ族か』、新田次郎『つぶやき岩の秘密』。NHK少年ドラマシリーズも、ローティーンを主人公にした作品が多い。
『りりか』と『さくら』は、似たような設定であるけれど、陰と陽とたとえられるくらい雰囲気は正反対。とはいえ、どちらも十代前半の内面的な危機や成長する苦しさや喜びを描く点では同じ。
この曲も、声に関係がある。第23話、「さくらと知世とすてきな声」。誰もいないはずの夜の音楽室から聴こえる歌声。『さくら』には、声が盗まれるという話もあった。第37話「さくらと消えた知世の声」。コーラス部で練習している、岩男潤子演じる大道寺知世の「声」が盗まれる。取り戻した声で歌った「友へ」も思い出す。
両手演奏の名手。アルバムの解説によると、この曲は、なかでもとくに難しいらしい。実際、録音でもライブでも、ミスタッチがところどころ聴こえる。それだけでも難しいことがよくわかる。
ミスタッチがない、リズムが正確、ということは快適な音楽にとって大切ではあるけど、本質ではない。そうかといって、意気込みだけで演奏はできない。その両者をうまくとりもつ何かがいる。
その何かが、きっとインストゥルメンタルの楽曲から聴こえてくる演奏者の声。
10. しあわせなウーフ一家、加羽沢美濃、くまの子ウーフ
『くまの子ウーフ』は、神沢利子原作の童話をアニメ化した作品。原作の絵は、井川洋介。絵も声も、原作の雰囲気をよく伝えるアニメ作品になっていた。音楽も、ピアノやフルートを中心にして穏やか。
加羽沢美濃の声は、毎週土曜日の朝、NHK-FM「名曲リサイタル」で耳にする。以前読んだ音楽雑誌のインタビューでは、クラシック演奏者に対する先入観を裏切るような横顔を見せていた。
11. Black Sand Beach、加山雄三、ツインベスト30
この私家集にどの曲を入れるか考えていたとき、NHK-FM、夕方の番組「サンセット・パーク」でベンチャーズ「ダイアモンドヘッド」がかかった。ベンチャーズも悪くないけど、もっと気に入った曲があったはずと考えているうち、この曲を思い出した。
この曲は、何年かまえに足繁く通っていたライブ・ハウスの思い出。「思い出の渚」と一緒によく演奏されていた。その店も、ボーカルの女性の声が聴けなくなってから、足が遠くなっている。カレン・カーペンターも、チャカ・カーンも、太田裕美も、いまでは彼女の声で上書きされているけれど、きっともうその声を聴くことはない。
追記。2018年からまた彼女の歌声が聴けるようになった。
「サンセット・パーク」では、楽しみにしていた石井庸子アナウンサーの声が突然聴けなくなった。そらまめさんのように、もう二度と聴くことはないとしたら、残念でならない。
最近、楽しんで聴いているのは、2005年度、水曜日のイージー・リスニングを担当している小野恭子アナウンサー。彼女の声は「朝のバロック」や「ベスト・オブ・クラシック」で以前から馴染みがある。
しっとりと落ち着いた声で「ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲」と読み上げるだけで、少し背を正したくなる。その同じ声で、「ドラマ暴れん坊将軍サウンドトラック」と読み上げたりもするので、聴いていて楽しい。「ひとくち関西弁講座」も楽しい。
「ダイアモンドヘッド」がかかったのも、水曜日。この先、この曲を聴くたび、彼女の曲紹介を思い出すだろう。
12. パリは燃えているか、加古隆、パリは燃えているか
20世紀の歴史を映像で伝えるNHK『映像の世紀』の主題曲。この曲を聴くと、加賀美幸子アナウンサーの声が聞こえてくる。それだけではない。恐ろしいことに、戦争のドキュメンタリーを見ると、必ずこの曲が耳元で流れ出す。
吉田満と戦中派を特集したNHK特集「散華の世代からの問い 元学徒兵 吉田満の生と死」で、吉田直哉は、戦中派の遺した言葉と渋谷の雑踏を重ねて映し、彼らの声が現代にもなお響いていることを表現した。このことは、『吉田満著作集』の付録に、吉田直哉自身の言葉で書かれていた。
この番組のことを思い出すとき、その頃にはまだ『映像の世紀』という番組もなかったのに、やっぱりこの曲が聴こえてくる。ナレーションが、同じ加賀美幸子だったからかもしれない。
ドラマ『鬼平犯科帳』の後主題曲。大阪の小さなスナックの思い出。たぶん、当地ではラウンジと呼ぶ店。
この曲を聴くと、ほかでは聴くことのできないマスター自ら作詞作曲した「清流四万十」「町田さん」を歌う声も思い出す。
反戦映画の一つ。みうらじゅんに言わせると「巨乳映画」らしい。確かにこの映画は、戦争がどうというより、一人の女性の生きる執念を描いている。生きる喜びも悲しみも、それからもう一度生きる決意も、ソフィア・ローレンの全身からみなぎっている。
悲しみにくれたときの髪の乱れと、生きる決意をもったときの指先の美しさの違いを指摘する文章を読んだことがある。
渡辺香津美をはじめて聴いたのは、ラジオで聴いた坂本龍一「千のナイフ」。たぶん1980年。以来、熱心なファンというわけではないけれど、ラジオや店頭で目にするたび、注意して聴いている。
ギター独奏というスタイルを好んで聴く。弾き語りという言葉は、弾きながら、つぶやくように歌うことを指す。ギターは、一音ずつはじいたり一度に鳴らしたり、繊細な音から荒っぽい音まで多彩な演奏が楽しめる。曲もクラシックからロックやジャズ、フラメンコにフォルクローレ、四畳半フォークまで。
このアルバムも、バッハの作品からビートルズまで、一本のギターでかき混ぜられ、料理されている。混沌とした秩序。Fusionという響きが似合う。
それから言うまでもなく、この曲からは、“Nothing's gonna change my world”と歌うJohn Lennonの声が聴こえてくる。
16. もののかたち〜マーロン、飯島真理、Midori
2002年6月から2004年6月まで書いた「烏兎の庭 第一部」では、小学校高学年から高校時代にかけて聴いていた音楽を聴きなおして、少しずつ回想を深めていった。その中に飯島真理の名前がなかったのは、考えてみればとても不思議な気がする。ミドリという言葉を使った筆名を考えたときは、この曲のことも頭をよぎっていたのに。
デビュー作品であるアニメ『超時空要塞マクロス』は見てはいなかったのに、どこかで彼女の声を知り、アルバムを聴きはじめ、この三作目では、コンサートにも行った。
この曲は、歌のないピアノ・インストゥルメンタル。この曲も、大桟橋に近いコンサート・ホールの思い出。
そのほかにここで聴いた音楽は、ディオンヌ・ワーイック、さだまさし、谷山浩子、中島みゆき。最近は生の歌声を聴いていない。
もっとも、こうして声のない器楽曲を聴いているだけでも、さまざまな、生き生きとした声が聴こえてくる。そして、重なり合った声のむこうから、かすかに私の名前を呼ぶ声が聴こえる。
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