2003年3月

3/1/2003/SAT

ユリイカ 詩と批評 2002年2月臨時増刊号 総特集 絵本の世界、青土社、2002

表紙を土筆に、表紙背景を薄緑に模様替え。

書評「シキュロスの剣」「春にして君を離れ」を剪定。内容に変更はないものの、てにをは、句読点を整理した。いずれも書いてから初めての推敲。


3/2/2003/SUN

スーパーロボット大鑑、メディアワークス、主婦の友社、1997

スーパーロボット大鑑

ただロボット・アニメというと、マジンガーZ、ゲッターロボ、ガンダムなど今でも広告やリメイク、続編などで見かけるものが真先に思い浮かんでしまう。ところがこの30年間のほぼすべてのロボット・アニメを網羅した本書を眺めていると、意外な作品が強く印象に残っていることがわかる。

UFO戦士ダイアポロンやダイターン3など、この本で見るまですっかり忘れていたけれど、熱心に見ていたことを思い出す。

どちらもいわゆるB級作品。ダイアポロンはアメフト選手のようなロボットがおかしい。ダイターン3は名前からして大胆。主人公の名前が波乱万丈というのもふざけている。波乱万丈という言葉はこの番組で知った。意味を知ったのはずっとあと。

確か、いつも美女に囲まれているナンパ男の金持ちが道楽で悪を倒すというような物語だったように記憶する。ロボットを設計した父親の名前が波乱創造というのもヘン。

リアル志向のガンダム直前に、同じ製作会社でこんな作品も作られていたことは興味深い。

絵本評『なぞなぞ100このほん』

さくいん:『機動戦士ガンダム』


3/3/2003/MON

絵本評『はるにれ』

絵本評『ままです すきです すてきです』『さかさまさかさ』『はてしない世界の入口』


3/4/2003/TUE

絵本評『あめのひ』『かさ』


3/5/2003/WED

大阪泊。

出張での息抜きは、機内のオーディオ番組。最近気に入っているのは、グッチ裕三の“MUSIC WONDERLAND”。ロック、ソウルからニューミュージック、演歌まで、ジャンルはさまざまなのに、60分間聞いていてもちぐはぐな感じがしない。バランスのとれた選曲。説明によるとグッチ裕三本人による選曲らしい。

今月の選曲から抜き出すと、Earth Wind & Fire(Reasons)、Jackson Five(I'll Be There)、ブレッド&バター(あの頃のまま)、ペドロ&カプリシャス(別れの朝)、S&GSound of Silence)、フランク永井(東京ナイトクラブ)、ちあきなおみ(黄昏のビギン)、Bee Gees(How Deep Is Your Love)、イルカ(なごり雪)など。

同じジャンルの曲ばかりをかける専門ラジオ局もいいけれど、一貫した趣味で多様なジャンルから曲を選んでくるのも、より難しいだろうし、そのうえ嗜好性が自分の趣味と合う確率を考えると、この番組は非常に珍しくツボにはまっている。

洋楽、邦楽、ロック、演歌を問わない選曲や、一人で曲にまつわる話をとりとめもなく続けるスタイルも70年代のラジオに似ている。ちょっと雰囲気は違うけど、JALジェット・ストリーム(FM東京)や、日立ミュージック・イン・ハイフォニック(ニッポン放送)などは、イージーリスニングやクラシックまでジャンルを問わず「快適音楽」(DJゴンチチが現在NHK-FMで放送中の番組名から拝借)を流していた。

「快適音楽」と単独DJの味な取り合わせを記憶に遡ると、そらまめさんこと、滝良子の「ミュージック・スカイホリデー」(ニッポン放送)にたどりつく。70年代後半から80年前後、日曜の夜11時から。あの番組でも洋楽から演歌までさまざまな曲を司会の自在なおしゃべりにのせていた。

あらかじめ設定された話題にそって投書を集める現在主流の構成ではなく、リスナーからの投書もさまざまだった。そういえば、提供が同じ航空会社。飛行機旅行に憧れていた「あの頃」のことも思い出す。

さくいん:大阪滝良子


3/6/2003

随筆「書くこと――内側と外側」を植栽。

絵本評『あなはほるもの おっこちるとこ』


3/7/2003/FRI

2002年版 知を鍛える書店の大活用術 巨大書店・有名書店・専門書店113店、毎日ムック アミューズ編、毎日新聞、2002

知を鍛える書店の大活用術

本は不思議な商品。どこで買っても同じ値段。注文すれば、どこでも買える。今では家にいても買える。それでも、ある本屋で本を買うのはなぜか。理由は本書が明らかにしているように、利便性と偶然性にある。

いつも通る道にある、店が見やすい、といった利便性か、たまたま興味をそそる本が置かれていた、という偶然性。それを上手に演出できる本屋が生き残っている。自分が本を買うときを振り返ってみても、そのどちらかによる。

しかし、それは本屋に限ったことではない。あらゆる商品は利便性と偶然性によって売れ行きが左右される。ふつうは、そこにもっとも強力な決定要素として値段が加わる。本屋だけは特別に扱わなければ、という信念も理解できるけれど、なぜ本屋だけを特別扱いしなければいけないのなのか、という疑念もやはりわく。

八百屋屋だって食堂だって肉屋だって居酒屋だって、みんな同じ危機に瀕している。図体の大きい者ばかりのさばり、耐えられない者は去る。そんな理不尽な時勢にも関わらず、小さくても元気に残っている者もいる。その状況はあらゆる「業界」で変わらない。なぜ書店や出版業界の危機ばかりが脚光を浴びるのか。それはメディアと本とが同じ業界に属すという単純な理由によるのではないのだろうか。

危機的な状況に抗い、品揃え、接客、立地など、それぞれに個性を発揮し生き残りをはかる書店が本書では紹介されている。こと販売の面に絞って見れば、逆境を環境のせいにせず、努力している店舗や企業は少なくないことがわかった。

書評「趣味は読書。」を植栽。


3/8/2003/SAT

絵本評『やんすけとやんすけとやんすけと』


3/9/2003/SUN

夢のおくりもの ましませつこ 絵本原画展、清瀬市郷土博物館

『あんたがたどこさ おかあさんと子どものあそびうた』(こぐま社、1996)と『いっしょにうたって! たのしいうたの絵本』(こぐま社、2000)で知った絵本画家の原画展。

絵は二次元の表現、という言い方は、実は間違っている。絵本の原画を見ると、印刷された絵本との違いに驚く。切り絵のくっきり切り落とされた輪郭、修正した白紙、絵の具のノリなども立体的に見える。それは、印刷された絵本が原画の魅力を削っているということではない。

印刷技術によって、原画は文を引き立てることもあれば、邪魔することもある。古い写真集や観光案内などは、印刷技術が拙く、もとの絵や写真を再現できていないことが少なくない。絵本は、文や絵だけでなく印刷までを含んだ総合的な表現であることをあらためて感じた。

原画を絵として見直すと、描写が細やかさに驚く。皿の上の豆や野菜、雛人形の調度品などが丁寧に描かれている。文と一緒の時には素朴な画風ばかりに目が行き、絵の全体しか見ていなかった。

批評文「読解試験批判への反駁」を植栽。


3/10/2003

鬼の毛三本 イランのむかしばなし、Nayyereh Taghavi再話・絵、斎藤裕子訳、新世研、2002

リンク「どこかほかのところへ」を復活。オンライン書店bk1に「趣味は読書。」の書評を投稿した。


3/11/2003/TUE

今朝の荒川洋治。本を読む人の呼び方。

趣味は読書。レコード鑑賞、スポーツ観戦などと選択で使われる。本を読んではいるけれど、質、量ともに本格的ではない。

本が好き。書店を通りがかれば立ち寄ってしまう。新刊や話題の本を眺め、たいてい一冊買って帰る。

本の虫。読書家、読書人とも言う。自分でいう呼び名ではなく、他人にいわれる言葉。ここまで来ると、度を越したという印象もある。さらに蔵書家となると、本を読む以上に、所有することに意味を見出す。

蔵書家は三代続かない。蔵書家は本を買ったり読んでばかりで家族や身のまわりにその本を読む意味、もつ意味を説明できていないことがしばしば。そのせいで蔵書家が亡くなると、蔵書印の押された本はたちまち売られてしまう。

蔵書家より先鋭なのは猟書家。

森本毅郎は自ら蔵書家に近いと認める。古い漱石全集をもっているが一冊足りないので「寝つきが悪い」。新しい岩波版全集で不足分を購入して並べたところ、新しい方が先に陽に灼けてしまった。「岩波の新しい全集はダメ!」。

荒川が好む呼び名は「愛書家」。読書は一人でするものなので孤高を気取っていると見られやすい。実は、市井には書斎人より本をよく読んでいる人もいる。読書家には誰でも畏敬と反発の両方をもつのではないだろうか。だから読書をする人は読書に対して懐疑的でなければならない。

今日の放送で面白かったのは、荒川よりも森本。めずらしく自分の趣味を披露して、大出版社をチクリと批判。

「趣味は読書」という発言は、斎藤美奈子を意識してか。彼女の名前は引用されてはいなかった。彼女の最新刊『趣味は読書。』の書名が指すのは、ベストセラーばかりを読む善良な読者のことだろうか。私には、彼女自身に向けられた戒めのようにも、またシニカルな自己表現のようにも感じる。確かに善良な読者は履歴書に「趣味は読書」と書いて悦に入る。読書人はそれを軽蔑する。

それでは斉藤はなぜ本を読むのか。本を読むことが偉いからでも、本のなかにだけ真実があるからでもない。やっぱり本を読むのが楽しいからではないか。だから斉藤にとっても「趣味は読書」なのではないだろうか。

そう言えば世間体がいいからでもなければ、生活とは関係のない「ただの余暇活動」ということでもない。単純に、あるいは純粋に好きで読んでいる、ということではないだろうか。下心も卑下もないからこそ、深い読書ができる。「趣味は読書」とは、そういうことではないだろうか。

「たかが読書、されど読書」なんて常套句におぼれず、ストレートで奥深い。書名もよく吟味されているように感じる。


3/13/2003

書評「知識人とは何か」を植栽。『「教養」とは何か』の著者阿部謹也が日経新聞日曜の「半歩遅れの読書術」で推薦していた。


3/14/2003/FRI

サイード『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社、1995)を読んだ。そこででてくる知的亡命という言葉で思い出したのは、小学生のとき電車で通ったスイミング・スクール。違う学校では、じゃんけんの方法も違えば、流行っている遊びもちがってひどく驚いた。知らない世界があることを、はじめて知った。

それはほんのささやかな体験だったかもしれない。しかし、異文化とはけっして外国のことばかりではない。逆説的にいえば、自分のほんの身近なところにこそ、自分とは違う世界があることを知った気がする。


3/15/2003/SAT

絵本評『センダックの絵本論』


3/18/2003/TUE

今朝の荒川洋治。ここ数年の中学、高校、大学の入学試験問題について、いくつかを紹介。

森有正の文章がセンター試験で採用されたことも紹介されていた。

荒川洋治が小学生の頃に書いた「夜の道」という詩も、小学生向けの国語練習問題に採用されているらしい。

明快な結論はない。試験は「難しい」と荒川は繰り返すだけで、必ずしも読解試験を全否定しているわけでもなさそう。

読解試験の是非よりも、最近の小論文形式の試験例(外国人が日本へ来て驚いた文章を参考に携帯電話などについて文章を書く)をひきながら、試験を解くほうばかりでなく、作るほうにも難しさがあると指摘したいのだろう。試験は主観的であってはならないという言葉も聞かれた。

番組の中でも、選択問題の場合は苦労しながらも、正答にはたどりつくことができた。選択問題や短い論述問題では「より適するもの」という観点に立てば、正答にそれほど異論はでない。だから客観性、妥当性の高い問題をつくることはできないことではない。難しいのは、小論文。書くことより、採点することが難しい。文章じたいでなく、書かれている内容を採点することになりかねないから。

同様に、一発試験に問題がないというわけではないけれど、最近流行している内申書を中心にした自己推薦、いわゆるAO入試では、かえって高校生活全体を大学入試のための生活に押し込めてしまう危険性もある。

必要なことは、小手先のテクニックでは解けないペーパー試験、客観性の高い試験をつくること、学力だけを測定できる試験方法を開発することではないか。

ペーパー試験を「テクニックに溺れる」や「詰め込み教育の悪影響」という理由で批判した結果、人物重視、平常点重視といった形で人間全体を評価対象にしてしまう事態になっているのが気になる。どこかで問題がすりかえられているような気がしてならない。

書評「小林秀雄のこと」を植栽。


3/24/2003/MON

みんなうれしそうだね、戦争について発言するのが。こんな楽しいことはない。画面で爆撃風景を見て、自分は一切傷つかず、平和を愛し、権力を批判する正義漢になれるのだから。

ある反戦デモは「沈黙は暴力を容認するものだ」と気勢をあげたらしい。この論理は、「テロにつくのか、つかないのか」を迫った大統領のそれと変わらない。

沈黙は暴力を容認する。その通り。ある暴力行為に反対の意を表明するとき、その他の暴力、不正義に対しては沈黙していることを忘れてはならない。

新聞は記事から社説、投書まで戦争であふれている。しかし……。

チェチェンはどうなってる?
アフガニスタンはどうなってる?
ガザ地区のパレスチナ人はどうなってる?
地下鉄サリン事件の後遺症に苦しむ人はどうなってる?
刑務所で受刑者に不当な懲罰を加えていた事件はどうなってる?
マットに中学生が包まれて殺された事件の真犯人はどうなってる?
女性会社員を殺したとされる外国人の逮捕、裁判はどうなってる?
原子力発電所の怪しげな故障や修理はどうなってる?
ドメスティック・バイオレンスはどうなってる?
途上国での子どもの就労はどうなってる?
違法なサービス残業はどうなってる?
従軍慰安婦問題はどうなってる?
ストーカーはどうなってる?
私の知らないところで行われている不当な暴力、不正義はどうなってる?
誰にも糾弾されず、報道さえされず、野放しになっているのではないか?
そして、私は、知らないうちに不当な暴力に加担しているのではないか?

それでも私は暮らしている。毎日毎日、不正義に沈黙しながら。おそらくは、いや間違いなく、さまざまな不当な暴力から恩恵を受けながら

それは罪なことかもしれない。そうに違いない。それでも毎日、暮らしていかなければならない。だから、しなければならないことを今こなすことが、ずっと遠回りで、ほんのささやかでも、不正義を正すことにつながっていると、信じるほかないのではないか。

たとえデモに行かなくても、大統領にメールを送らなくても、今、目の前にある自分の仕事を誠実にこなすことが「世界の平和」や「人類の利益」に貢献していると信じきるしかないのではないか。それは日和見か、平和ボケか、偽善か、独善か。

さっぱりわからない。


11/16/2003/SUN追記

「目の前にある自分の仕事」とは何か。業務か、家事か育児か、それともこうして書くことか、あるいは、そんな何かすることではなく、ともかく生きていくことか。

わからないことのうえに、わからないことが重なる。

もう一度、ふりだしに戻って考え始めたほうがいいかもしれない。


3/25/2003/TUE

今朝の荒川洋治。長編小説の読み方、やめ方。

壮大な小説を読みつづけるのは大変。途中で投げ出したくなることもすくなくない。

作品に入り込めない、性に合わない、文章がとっつきにくい、人物造型が乱雑など、否定的な感想からやめてしまうことがある。

それとは別に、満足してやめてしまうこともある。よく知られた場面や有名な文章に出会ったとき。プルースト『失われた時を求めて』プチ・マドレーヌを紅茶に浸したことから記憶を遡る場面は全体の1/50の地点で登場してしまう。ここを読むと満足してなかなか先へ進まない。イプセン『人形の家』のように有名な場面が最後にあると、そこまではがんばろうというつもりになる。極端なのは冒頭の文章が有名な場合。はじめを読むだけで半ば読んだ気になってしまう。

いずれにしても、長編小説を読むときには、有名な場面や文章を意識しないでいられない。これはつまり、長編小説を読むときには、社会的な意味づけを無視せずにはいられないということ。

長編小説を読み終わると、知らないあいだに外から入り込んだ先入観やイメージとは異なる魅力が必ず発見できる。ただ有名な場面を「確認」するだけでは、ガイドブックの写真をたどる、おざなりの観光ツアーと同じで意味がない。

それでは長編小説を通読するコツは何か。少しずつ読むのではなく、まとまった読書時間を確保する。新刊、新訳などがでたときに買ってしまう。そうした発刊を自分自身のために用意された出会いと思う。長編小説を読むことは「人生の一大事」だと思う。

それでも読みきれなかったときも自分を責めない。またいつか、と軽く流すのがいい。


荒川が勧めるように、まとまった時間をとることが長編小説を読みきる秘訣の一つかもしれない。

あえて反対のことを付け加えると、読書の楽しみは、どこにいても、ほんのわずかな時間でも、本の世界に入りこめるところにもある。駅で電車を待つあいだ、レストランで一人給仕を待つ間、約束までの待ち時間。そうした合間に少しずつ読むのも楽しい。

というのは、ほんとうに面白い本は早く読み終わりたくないものだから。少し読んでは先を想像し、また読む。映画や音楽とは違い、自分の都合で止めたり進めたり戻ったりできるのも、読書ならではの楽しみ方といえる。

面白いのは「新刊を自分のために出されたと思え」という言い方。それは「読まねば」と思って手に取ることとは少し違う。人に勧められたり書店で見かけたり、ふとしたことが本との出会いになる。その出会いは、いつ、どんな風に訪れるか分からない。子どものために買ったつもりの絵本に自分の方が感動することもある。この本はいくつで読まなければならないということはない。

だから今回読みきれなくても、また読みたくなるときがあるかもしれない。あるいは、ずっと読まないかもしれない。それでも、ずっと読まないで済むならば、それでもいいじゃないか。少なくとも、楽しむ読書に「読まねば」は不要。荒川流の読書の極意は、出会いを楽しむことにありとみた。


3/26/2003/WED

月曜日に書いたことを、別な角度から書いてみる。

戦争が継続、拡大すると、遠く離れた場所でも生活に変化がでてくる。大きな行事が中止になったり物価が上昇したり、日常生活にも不便が生じはじめる。そうしたことから遠い場所で行われている戦争を実感し、平和の尊さをかみしめることがある。そうした趣旨の文章があちこちで見られる。

平和は尊い。それはまったく、もっともな意見ではある。それにしても、先週の木曜日以前は平和だったのか。2001年9月11日以前は平和だったのか。確かにあの日以来、いわゆる先進国の、とくに大都市住民の緊張と不安は高まったに違いない。けれども、そのとき彼らが知るべきだったのは、そんな生活を生まれた日からしている人たちが、この世界には山ほどいるということではなかったか。『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子再話、マガジンハウス、2001)が書かれた、そもそもの意図も、そういうところにあったのではないだろうか。

しかし、斎藤美奈子『趣味は読書。』も指摘しているように、『100人の村 』の場合も、編者の意図と裏腹に自分は不幸な境遇でなくてよかったという安心材料として読まれた可能性は十分にあるし、戦争のニュースや悲惨な事件の報道にしても、受けとめようによって、「日本は平和でよかったな」「これに比べれば私の暮らしは平穏だな」に落ち着いてしまう。

日本にしても世界にしても、平和だったことなど一度たりともなかったのに。世界は常に不幸と不正義にあふれかえっているのに。そして世界にはいつも「終わっている世界」に生きている人がいるというのに。

要するに戦争や地震のように大きな事件や災害の報道は、それ以外の小さな事件を隠蔽する効果をどうしてももってしまう。そしてデモや署名では戦争は終わらないことに気づくと、結局、運動しても世界は変わらないんだ、という無力感、アパシーへ振り子が大きく揺り戻るように気持がなえていく。

身近な問題は見えないまま、むしろ深まった無力感がさらに問題から目をそらせる。恐ろしいのは、自分自身からも目がそれていくこと。

だからといって、「一日一善」や「おはようのあいさつから世界が変わる」という標語もちょっと違う。今度は身近な世界に意識を埋没させてしまうから。恵まれた生活を捨てて不幸な世界に身を投げ込むことも、そうした人に敬服はするけど、自分にはとてもできそうにない

世界の不幸に見てみぬ振りはもちろん、ただ知らないでいることも罪なことではある。そうかといって、世界の不幸のすべてが自分に責任があるかのように思い込むことも、ある種の傲慢だろう。そうでなければ、過剰な正義感というものだろう。健康な精神状態とは到底言えない

人にはそれぞれ持ち場がある。人はその持ち場で生きるしかない。宗教的な啓示や使命という受けとめ方ではないにしても、ある程度そう思わなければ、やってられない。

Essays in Englishの頁を新設。英語にできない文章は、論理がおかしいか、英語力が足りないかのいずれかだ。英語にしながら、元の文章を見直すことにする。

“Essays in English” is newly created.  In this page, I will translate some of my essays I have written in Japanese, which I believe are well written.  If I find it difficult to translate into English, it means either the logic of my Japanese is not right, or my English is poor.

In either case, it would be good to review my Japanese essays and think about English wording.


3/28/2003

書評「シキュロスの剣」の末尾に一行追加。子どもの本だからといって、大人のつくる幻想を押しつけてはいけないということはセンダック『センダックの絵本論』に学んだ。

思い起こせば、自分の子ども時代もけっしてばら色のメルヘンでもわくわくするファンタジーでもなかった。そこにはやはり子どもの世界なりの「酸いと甘い」すなわち現実があった


3/29/2003/SAT

¡lThe Very Best of Gipsy Kings!, Gipsy Kings, epic, Sony, 1999

The Very Best of Gipsy Kings!

滅入った気分を入れ替えるために少し違う音楽を聴いてみる。

思い返してみると、1989年にジプシー・キングスのライブへ行っている。ちょうどアルバム『ジプシー・キングス』を発表し、ワールド・ミュージックという宣伝文句とともに売れはじめた頃。図書館でこのCDを目にするまで、すっかり忘れていた。

コンサートへ出かけたこともあるし、デビュー・アルバムも買って持っているにもかかわらず、このグループがフランス在住であることを迂闊にも私は知らなかった。

彼らは南仏へ移住したスペイン系の人々。本来はジプシーではなく、スィンティ・ロマというらしい。少数民族保護を公約とするミッテランの宣伝にも使われこともあると解説に書かれている。面白いというか、きわめて複合的、混成的な出自。

彼らの出自も複合的ならば、彼らの売れ方もきわめて複合的といえるかもしれない。発泡酒の宣伝や時代劇『鬼平犯科帳』の挿入曲という、一見場違いなところで新鮮味を出したのは、彼らの音楽の中に固定した聞き方を打破する多様性があるからといったら言いすぎだろうか。

多様性というよりジプシー・キングスはほとんど「何でもあり」のバンド。カンツォーネも歌えば、「マイ・ウェイ」も「ホテル・カリフォルニア」も、ジプシー風にしてしまう。

実は、ジプシー・キングスは聞き手にとっても「何でもあり」の音楽。その極致は「ベン・ベン・マリア」の空耳だろう。第一回空耳大賞受賞曲と解説に大真面目に書かれていたのには、驚くより笑いが止まらない。

近所の桜が咲き始めたのにあわせて、表紙を桜の写真と桃色の背景に変更。


3/30/2003/SUN

戦中・戦後の暮らし 昭和館、東京都千代田区

日中戦争開始から敗戦後、講和条約締結ごろまでの国民生活を展示する博物館。

「国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていこうとする施設」と説明されている。遺族会などを支持母体とする厚生族、橋本龍太郎が首相だった時代にたてられた厚生省管轄の博物館。建物は新しくきれいで、展示も見やすい。ビデオや音声も効果的に使われている。時代区分ごとに週刊誌などが切り抜きでなく、丸ごと置かれていて、展示に加えて広告やコラムなども合せて読むと、時代の全体像が想像しやすくなるよう工夫されている。

一言でいえば、よくできた博物館。この際、加害者の視点がないなどといった批判はあてはまらない。この博物館の主旨は、あくまで日本国民の労苦を伝えることにあるのだから。

その目的に限定してみても、戦争責任などとは異なる問題点が浮かび上がってくる。それは行政の責任。戦争をはじめたこと、それが侵略戦争だったことなどの問題点は措いても、あくまで日本国民の立場から考えてみると、首都が無差別に空襲されるまで戦局を放置した責任は,、時の政府にもっと問われていいのではないか。さらに敗戦後、食糧や住宅、衛生の事情が何年たっても好転しなかった責任もある。

日本国では第一次大戦後のロシアやドイツと違い、戦前戦後を通じて政府、行政機関は変更されていない。憲法や内閣は変わっても、政府機関じたいは変わっていない。同じ組織が現在までも続いている。つまり、この博物館を建てた厚生省は、国民生活をどん底に落とし入れた厚生省と同じ厚生省ということ。

ところがこの博物館では、国民にさんざん「労苦」を与えた行政が、「あの頃は大変だったね」と一緒に懐かしんでいる。「労苦」に対する行政の責任がまったく感じられない。それどころか奇妙な郷愁にすりかえようとすらしている。


碧岡烏兎