政治家とリーダーシップ、山内昌之、岩波書店、2001山内昌之については、以前から日経新聞夕刊のコラム「明日への話題」などで、硬派な文章と難解な引用文で強い印象を持っていた。 山内の考えるエリート教育、「教養」の必要性については、賛同できる。大局観と倫理的規範という教養の内実もなるほどと思う。ただ、山内も具体的には示していないように、現代においてどのような形で「教養」をもつ人間を育てるのかという問題は簡単ではない。 現代は大衆文化の時代。確かに社会の階層化が進み、生活習慣(ブルデューの言葉を借りればハビトゥス)も明確に差異化が進んでいるようにみえるが、かつての階級社会とは異なり、各人の過ごす文化圏の境界はあいまいで、他の文化圏と交じり合っているし、その全体を大衆文化が覆っている。 具体的にいえば、ゆるやかな制約はあるにせよ、どの学校をでなければ絶対に官庁幹部になれないとか、企業幹部になれないという明文化された制約はない。また現在、どんなに難関といわれる小学校へ行っている子供でもアニメやテレビゲームと無縁ではあるまい。 純粋培養のエリート層がいないという現実のなかで、どのようにエリートを育てことができるるのか、大衆文化がすみずみにまで染み渡っているなかで、どのように「教養」を身につけることが可能なのか。これが一つめの問題。 二つめの問題。山内は、かつては日本社会に「教養」の伝統、「教養」を持つ人を育てる伝統があったと考えている。日経新聞最終面に掲載されている「交遊抄」で70代以上の人たちの回想を読めば、旧制高校での教育において精神、指導者、環境、いずれをとっても今の大学とは著しく異なっていたことは想像に難くない。 とはいえ、現代と本質的に異なり、高度で全人的な教育が行われていたことを認めたとしても、それが大局観と倫理的規範を備えた「教養」と呼べるものであったか、疑問は残る。 例えば丸山眞男は、「日本の思想」をはじめ、日本社会には「思想的伝統」が不在であったと、繰り返し主張している。とりわけ開国後、さまざまな外来思想と従来の思想が代わる代わるブームになっても、その精神は必ずしも内面化されず、次代に受け継がれていないと、丸山は指摘する。 日本社会ではノブレス・オブリージュという感覚より体育会的な、あるいはさらに元をたどって呼べば軍隊的な「上になったら楽になる」という意識の方が強いのではないか。ノブレス・オブリージュとは、端的に言って組織において上に立つものほど、責任も重く職務もきつくなることを意味する。だからこそ、上に立つものの高い報酬、特権も正当化される。 ところが日本社会では、といってもあくまで体験だけからいうのだが、下の者ほど労苦が多く、組織上の立場が上がるたびに労苦が解かれ、いわばそれまでの苦労に対する代償として高い報酬が用意されていることが少なくないように思われる。その悪しき典型が帝国軍にあり、戦後の身近な場面では体育会、部活動にある。大企業での出世街道にも似たようなことが言えるのではないか。 明治維新以後の日本で、多くの海外体験者や大学卒業生がエリートとして後進国の発展を指導したことは否定しない。それでは、いわゆるエリート層の頂点から「教養」がどこまで広がっていたのか、頂点から裾野へ拡大、普及する過程でどのように変容したのか、なぜ戦後、中学校の部活動レベルにまで軍隊調の上下関係が引かれ、「体育会系」として一般化したのか、年功序列と実績主義が入り乱れる現在の企業社会において幹部のエリート(指導者)意識はどういうものか、最近増加しているという営利・勝利優先とされる民営クラブ・チームでは、上下関係はどうなっているのか、などなど、興味は尽きない。 ところで、山内は島津義弘や保科正之をあげて、日本社会にリーダーシップあるいは「教養」の遺産を見出そうとしている。しかし、日本社会に思想的伝統が不在であるという丸山の議論をふまえると、日本社会における漢籍「教養」の伝統も、手放しの礼賛で現代に引き付けることはできない。 武家社会の知識人には、根本的な矛盾があるという指摘を聞いたことがある。武士は戦士、すなわち殺人を生業とする者であって、いかに世が文治の時代となっても、帯刀している限り教養を深めるほど自分の存在理由との矛盾が避けられない、この点で中国の士大夫や欧州の貴族とは根本的に異なる、という見解。では武士以外の知的影響力は少なかったのか。これはまた別の疑問。 「教養」、「知識人」をめぐる議論はもちろん教育一般のあり方につながり、広く深い。「リーダーシップ」ととらえれば、さらに政治や経済界の問題へも広がる。それだけに一筋縄ではいかない。 とはいえ、現在かまびすしい「学力低下」や「教育改革」の議論には、丸山が展開した「思想的伝統の不在」についての議論からはじめるのでなければ、彼が警告した「思い出の噴出」、すなわちブームの繰り返しに終わってしまうだろう。 山内の文章には思いがけない勢力に絡めとられる要素も感じられないでもないが、いい意味で学者らしい生真面目な問いかけは、ほとんど新聞でしか彼の文章を読むことがない私にも知的な刺激となっている。読者が不勉強だと自己嫌悪に陥るような文章を容赦なく、思う存分書き続けてほしい。 丸山眞男を引き合いに出したついでに書けば、丸山は自らを「知識人」と規定し、その内側にとどまって大衆とは距離を置いて生きようとした(長谷川宏『丸山眞男をどう読むか』講談社新書、2001)。ひとつめの問題に戻れば、現代において大衆文化とは無縁で育った人がいないように、大衆から乖離した「知識人」などほとんどありえない。ところがいまだに、まるで生まれたときから難しい本ばかり読んできたかのように書く学者がいる。まったくもって気に入らないけれど、その一方でわざと低俗な物言いでタレントを気取っている学者も好きになれない。 山内の場合は、どちらかといえば前者に入る。それでも、誠実な問題意識と硬質の文章表現に一体感があり、読んでいて不思議と嫌悪感はない。多くの場合は自然な振る舞いができず、見下したり迎合したりしているように見える。自然な振る舞いができないことこそ、「知識人」のありようが一様でない事態を物語っているのかもしれない。 話題は変わって、終章で運動会での悪しき平等主義について書かれていたので、以前から思っていることを書いておく。山内の論点は、スポーツや音楽では「才能」を認める一方で、学習能力についてだけ悪平等に押し込めるのは奇妙だという点にある。この点についてはまったくそのとおりとは思う。 ここで記しておきたいことは、昨今の運動会で徒競走をしない、あるいは順位をつけないという現象に反対する意見としてしばしば見られる、勉強ができなくてもかけっこが得意な子の活躍の場を奪っているという意見について。 このナイーブな意見は、山内の議論とは正反対の立場になるが、私自身のきわめて個人的な体験をもとに言えば、どちらも現実を無視している。私自身の体験から言えば小学校と中学校までは勉強ができるヤツが運動もでき、テレビも要領よく見ていて芸能情報にも詳しかった。要するに、できるヤツは何でもできた。 その上、小学校、中学校、高校と学校が進むたびに、どんなに小さい世界でも、「上には上がいる」を実感させられた。どういうことかというと、小学校で運動も勉強もでき、なおかつひょうきん者でクラスのリーダーだった者が、いくつかの小学校から生徒が集まる中学校ではあっという間に「その他大勢の一人」になってしまった。 つまり、見方をかえれば、純粋に個性の違いがわかるようになったのは、学力という一つの物差しによって輪切りにされた同質の集団に集約されてからのことだった。 しかも、その競争を決したのは本人たちの力量というより、親の収入や社会的立場、さらにはそれらに惑わされた教員たちの偏見であったように、今になって感じられ思い出すたび幻滅した気持ちになる。 いや、幻滅させるのは教員たちの偏見ではない。いつの間にかそんな偏見に感染しそんな物差しでしか友人を見ることができなくなった青白い神経。 |
碧岡烏兎 |