小学生の頃はテレビばかり見ていた気がする。物語の本はほとんど読んでいなかった。
実際、子ども向けの番組が多かった。今はニュースや情報番組が放送されている夕方の4時からは古いアニメの再放送があり、7時から8時までもアニメや特撮が多かった。
『1979年の奇跡』という新書が、1979年が「現代文化」の基礎を作る重要なターニングポイントだったと指摘している。同書が説いているように1979年の一年だけではなく、1978年から1980年頃までを一つの「転換期」と見るのが正しいだろう。
1979年、私は11歳、小学五年生だった。
「あの頃」、どんな番組を見ていたか。それを調べるのに、ちょうどいい参考書がある。『<愛蔵版>昭和のテレビ欄1954-1988』。昭和後半の新聞のテレビ欄だけを印刷した本。
前にも一度、小学五年生から六年生の時期に見ていた番組を調べたことがある。その時は『テレビ欄』から曜日ごとに見ていた番組を拾って表にしてみた。
今回は、1979年のページから見た覚えのある番組をただただ列挙してみようと思う。
というのも、毎週同じ番組を見ていたわけではなく、同じ曜日でも、内容や出演者によって違う番組を見ていたらしいから。『テレビ欄』を見返してそう感じた。
1979年という年は私の生育史のなかでも重要な年だった。その詳細はここには書かない。一言だけ書くと、この頃は、その前と後ではまったく生活も考え方も変えてしまった「重大事件」が起きる直前だった。その前兆はすでにあった。
だから、この頃のことを思い出すことは「その前」を思い出すこと。どんな暮らしをしていたか、見ていたテレビ番組を通して思い出してみる。
「その前」を思い出すことは、中井久夫の言う「記憶の棚卸し」の作業の一環と言ってもいいだろう。
特に気に入って欠かさず見ていた番組は上位に置いた。
アニメ
- 銀河鉄道999「君は戦士のように生きられるか‼︎」
- ドカベン「常勝明訓ついに散る」
- 一休さん
- ドラえもん
- ルパン三世
- 機動戦士ガンダム
- 闘将ダイモス
- サスケ
- キャプテンフューチャー
- 巨人の星
- まんが日本昔ばなし
- 魔法使いサリー
- バビル2世
- キャンディ・キャンディ「今日からお嬢様」
- 科学忍者隊ガッチャマン
特撮・人形劇
- バトルフィーバーJ
- プリンプリン物語
クイズ
- クイズ!ドレミファドン
- クイズダービー
- クイズ100人に聞きました
- ほんものは誰だ?
- それは秘密です
- ホントにホント
- アップダウンクイズ
- クイズグランプリ
- ベルトクイズQ&Q(夏休み子ども大会)
ドラマ
- ゆうひが丘の総理大臣(斉藤とも子)
- ドラマ人間模様「ぼくは12歳」
- 青春ド真中!(中村雅俊)
- 男たちの旅路(鶴田浩二)
- 太陽にほえろ!
- 奥さまは魔女
- 熱中時代、刑事編(水谷豊)
- 水戸黄門
- 地上最強の美女! バイオニック・ジェミー
文化・教養・情報
- 夕やけロンちゃん
- 600こちら情報部
- まんがはじめて物語
バラエティ
- テレビファソラシド(永六輔、加賀美幸子、タモリ)
- カックラキン大放送‼︎(堺正章、研ナオコ、野口五郎、高田みづえ)
- 欽ちゃんのどこまでやるの
- ぴったしカン・カン(久米宏)
- 8時だヨ!全員集合
- ドリフの大爆笑'79
- お笑いオンステージ(三波伸介、減点パパ)
- OH! 階段家族‼︎
- 木曜スペシャル
- びっくり日本新記録
- 目方でドーン
- 世界の料理ショー
- レッツゴーヤング
- ザ・ベストテン(久米宏、黒柳徹子)
- 紅白歌のベストテン
- ヤンヤン歌うスタジオ
- 全日本プロレス「G馬場vs.J鶴田」
- 新日本プロレス
- 全日本女子プロレス「ジャッキー佐藤vs.マキ上田」
- 3時のあなた
- 3時にあいましょう
- ボクシング「具志堅用高vs.アルフォンソ・ロペス」
- アニメが多い、次にクイズが多い、特撮のブームは終わっているらしい
- ドリフ、欽ちゃん、三波伸介のお笑い3巨塔は外していない
- テレビを見ていたのは4時から9時まで、10時からの番組はまだ見ていない
- 生き物系がない。その傾向は今も変わらない
- 歴史物がない。「歴史への招待」を見るようになったのは六年生になってから
- ウルトラマンの再放送がない、見たのは79年以前なのだろう
- 夜10時以降の番組はまだ見ていない、9時の番組も「ザ・ベストテン」くらい
- 「少年ドラマシリーズ」はすでに終わっている
- 小遣いで毎月『モーターマガジン』を買っていた。
- 元々は一人一番組というルールがあったが、なし崩し的にいくつも見るようになった
- 4時から7時までの番組は一人で見ていた気がする、「気がする」という点が重要
- 一番楽しみにしていたのは木曜7時の『銀河鉄道999』。映画も見た
- 『ガンダム』よりもその前に放映されていた『ダイターン3』が好きだった。
- 『機動戦士ガンダム』は明らかにそれまでのロボットアニメとは違っていた
- プロ野球を見ていた記憶がない、ラジオでは寝る前に聴いていた覚えがある
- 水曜日と土曜日に水泳教室から8時頃に帰宅していたのであまり見ていない
- 「ドラマ人間模様」では「素直な戦士たち」も見た覚えがある、放映は79年12月
- さだまさしを聴きはじめた頃、『帰去来』『風見鶏』『私花集』『夢供養』
- 早く帰宅できたときはワイドショーも見ていた、当時は心霊写真特集をよく見ていた
- あの頃、外では缶蹴りとサッカーで遊ぶことが多かった
その他
この番組の羅列からわかること。気づいたこと。
思い出したこと。
総じて、1979年の私は、無邪気で、呑気で、幼稚だった。
同時に、孤独で、不安で、疎外感が強かった。
子ども向けの番組を一人で見ていたような記憶があり、大人向けの番組を家族で見ていた記憶がない。
歴史、英語、政治など、後になって興味をもったものの源のようなものがない。やはり、1979 - 80年までとそれ以降ではモノの見方が大きく変わったように思える。
つまり、1979年、私はいわゆる思春期の始まりにいた。
そして、1980年に六年生になった私は、1981年の2月に小さな望み以外のすべてを失い、掌にあったその小さな望みさえ、1983年に自らの力で握りつぶしてしまった。
さくいん:70年代、中井久夫、斉藤とも子、永六輔、タモリ、『ザ・ベストテン』、『銀河鉄道999』、さだまさし、『機動戦士ガンダム』