仕事らしい仕事
先週、入社10ヶ月目で初めて仕事らしい仕事と自分で思えるようなことをした。北米オフィスとの電話会議。相手は英語を話すフランス語ネイティヴ。部内でビジネス英語を使える人が転勤したので代わりに私が仕切ることになった。
とても疲れた。
3年ぶりの英語。これだけは今の自分を活かせると思うスキル。ここでちゃんとできるところを見せないと⋯⋯⋯⋯。
そんな焦りもあって、短い時間だったのに、会議の後も喉が渇いて午前中はずっと水を飲んでいた。
英語はそれなりに。
練習していたフランス語の自己紹介はほとんど通じなかった。
解散総選挙
先週末、風雲急を告げた衆議院。
ふだんはあまりしない政治的な主張をつぶやいた。
表立って政治的信条は明らかにしたくない。その理由もつぶやいている。
維新と希望、民進潰しの密約があったのではないか?
蓮舫と前原では、どちらが首領でも、与党や希望の党との全面対決で勝てなかった。
では、どこに入れるか? よく考えないと。
今の状況は1994年、村山が首相になった自社さ連立のときの構図に似てないか?
誰も一人で過半数を取れないときはキャスティングボートを持つことが重要。公明党はそこにこだわり、こだわりすぎて都議選で失敗した。
とすると、公明党はキャスティングボートを握るために寝返るかもしれない。
希望の党の小池は、「首相にしてくれるなら連立しあげてもいいことよ」くらいのことは自民党に伝えているだろう。
政治家は別として有権者は政治的信条をその時々で変えていいと思う。
小選挙区制は、一つの議席を二大政党が争うことを期待して作られた。
つまり、有権者がそれまでの政権に満足しなければ、政権交代を促すために別の政党へ投票する思慮と選択が毎回望まれる。
実績や政策を見ずに有権者が支持政党を固定してしまうと、勢力図に変化は生じない。
ネットや新聞で広まっている、希望の党に公認をもらうための政策協定書。
ほとんど脅迫状。内容も書かずに「憲法改正を支持すること」なんて。本選挙に当たり(ママ)、「党の指示する金額を党に提供すること」という文言もある。
こんな白紙委任状に署名してまで議員になりたいのか。
名月前夜
雨が止んだので中秋の名月の前夜の月を写してみた。明日は晴れるか。
中秋の名月
夜、ベランダに出て、雲に覆われた夜空を見上げる。薄明かりが雲間から溢れている。
こんな月夜もいい。名月は満月に限らないし、晴天でなければならないと決まっているわけでもない。
霞の中からひとすじの明かり。
しばらく待っているとちょうど丸く空いた雲の合間に小さな月が顔を出した。
聴こえているのは穏やかなジャズ・ピアノ。太田寛治, "If You Could See Me"。
優しい音が秋の訪れを告げる。
Yes残業デー
今は朝、4時半。
昨日は月に一度の残業日。夕方に上がってくる前月の数字を集計して月次報告書をまとめた。
入社した月に指示された業務なのに、まともにできるようになったのは先月。今日は15時頃にとりかかって18時45分に提出した。帰宅は8時過ぎ。
数字はあってるだろうか。今日の朝、間違いを指摘され、叱責されるのではないか。
不安で仕方ない。こういうところが「まだ回復していない」と言われる所以だろう。
それでも昨夜は、身体が疲れていたこともあって早く眠れた。
ふだん、残業がないのはありがたい。毎日、同じ時刻に退社できるのがうれしい。
最近、前に書いた文章を読んでいて気づいた。
2014年末 に辞めた、健常者として働いた最後の会社。入社したのは2009年の3月。
シリコンバレーに本社を置く未上場のベンチャー企業に、金持ちになる夢を抱いて張り切って入社した。
ところが、同じ年の年末にはすでに疲れはじめている。
手短に書けば、これほど自分が会社に染まるとは思ってもみなかったほどに、3月に転職してからは会社の業務に没頭していた。そういう年もあるだろうし、あってもいいのかもしれない。何年も続いてしまっては困る。私の体質では早晩落ちていくだろう。
一年もしないうちに長くは続けられそうにないことを予感していた。
6年近くいられたことは、追い詰められたギリギリのところまでは何とかやったということだろう。運もよかった。
最後の一年はかなり危うい状態だった。今になって文章を読み返すとよくわかる。
あんな働き方はもうできない。仮に病気が寛解してもできない。気力体力が回復しても自分から選ぶことはないだろう。
結局、報告書については、いいとも直せとも言われなかった。何も期待されていない。邪魔をしないで静かにしていればいい、ということかもしれない。
2013年10月に書いた文章を読み返す。
完全に壊れてる。よくぞ一線を越えず踏みとどまった。
Twitterがその一助になったことに疑いの余地はない。
ここで読んだ言葉、読んでもらった言葉、会ったこともない人の言葉のおかげで今日も呟ける。
今日は第一金曜日で、日付は6日。この二つが巡り合わせる日は珍しい。
黒い指環を身に付けて一日を過ごした。
自称リベラルの暴力性について
政治の考え方や勢力で、右翼と左翼、保守と革新など、二項対立にする分類法がある。最近は左翼はあまり使われない。代わりにリベラルという言葉が使われることが多い。
そのリベラルを自称する人のなかに批判する相手(例えば首相)に対し暴力的な言葉、具体的には「死ね」とか「叩き斬ってやる」とか言う行儀の悪い人が少なくない。
権力者には何を言ってもかまわないと思っているのか、そういう姿勢が反権力と勘違いしていないか。
日本で左翼が一時期暴力的になったり内ゲバを起こしたことと関係がある気がする。
言葉を換えれば、日本では「世の中を良くする」という意味での「革新」が、マルクス主義の、その曲解である「暴力による革命」というある種の迷信に根ざしているところに問題がある、と思えてならない。
その一方で、明治維新の動乱以降、マルクス主義を含めた西洋の思想を輸入しながら、政治や社会のあり方について考えた人々のなかには、もっと穏健な、それでいて究極的な平和思想があった、狭く細い私の知見の限り。
現在では保守というより反動と呼びたくなる自民党にも、かつては「鳩派」と呼ばれる穏健な思想を唱える人たちがいた。
明治維新から150年近く迎える今、そうした人たちの考え方を日本の政治思想の一つの「伝統」と言ってもいいのではないか。
この点は、もう少し具体的な名前を挙げてまとめてみたい。強弁するにはもっと勉強が必要。
10月15日追記。
立憲民主党の支持者には熱狂的なツイートが多い。
与党を嫌う人には言葉の暴力と咎めたくなるツイートをする人が少なからずいる。
一方で、与党支持者からは野党支持者を見下したり、せせら嗤うようなツイートをよく見かける。
政治的志向とツイートの文体には何か関係があるだろうか。
Much impressed with the words two Princes honestly put their grief after 20 years, since the sudden loss of their mother, Princess Diana.
Felt a sort of sympathy and compassion with them, who lost the loved one at very young age.
悪い癖
家族3人で出かけた。
帰るとき、「急ぐから」と娘は先の電車に乗っていった。
各停に乗って帰宅すると家に灯りが点いていない。
娘の自転車もない。
もう、帰ってこないのではないか
こういうときに真っ先にそう思う。心臓がドキドキする。
心配しながら待っていると10分ほどして帰ってきた。ルートが遠回りだったらしい。
よくない癖がいつまでも治らない。
眠い
昨夜はよく眠れた、はずなのに、午前中ずっと眠かった。
電車の中では立ったままウトウトして膝をカクンカクンさせた。会社に早くついたのでしばらくデスクに突っ伏して眠った。
それでも、眠い。午前中はパソコンの前で夢を見ているようだった。
何だろう、この眠気は。
昨夜もよく眠れた。心配で10時に床についた。一度も起きることなく熟睡して、朝は自然に目が覚めた。
今日はどうだろう。
三連休
肺炎で入院した父は奇跡的に回復し、退院した。ところが、一月もしないうちに「胸が苦しい」と訴え再入院。肺炎を再発した。「入退院を繰り返す」とはこういうことを言うのか。
また週末帰省が始まった。土曜日は上野で芸大美術館を見たあと、見舞いに行った。
今回も、入院当初は手の施しようがないと見放されていた。実際、見舞いに行っても、意識ははっきりせず呼びかけにも応じなかった。
次には、退院はできても痰を吸引する設備がある施設で生活するしかないと言われた。
ところが、今回も徐々に回復し、週末には受け答えもしっかりできていた。週が明けてから歩行訓練をしている。
「早く家に帰りたい」と気力は十分。あとは体力。3ヶ月間寝たきりだったので、足がすっかり痩せている。肉や魚もほとんど食べていない。血や肉になる栄養が必要。体力がつけば帰してもらえるだろう。
これか先は秋から冬。寒い時期を元気に乗り越えられると安心できる。
この3連休、病院へ見舞うため、毎日シーサイドラインに乗った。写真は、シーサイドラインの窓から撮影した平潟湾の夕照。
本当の「金沢八景」は「野島の夕照」。ここでは野島を背にしている。野島を撮影するならば、海の公園の方まで、ずっと北へ行かないとならない。
シーサイドラインから見えた野島。30年以上行っていない。頂上の展望台がきれいに改築されているように見える。父が退院したら、タクシーで登ってみる。
液晶ディスプレイ
液晶ディスプレイを買った。家でも会社でもノートPCの小さな画面を見ていてとても疲れる。
Thunderboltケーブルの相性が悪いと後々面倒なことになるので、まず家電販売店へ行き、話を訊いてみた。
2014年製Mac Book Proに合うHDMI変換ケーブルはすぐ見つかった。ディスプレイの売り場も案内してくれた。店頭にある製品の価格を見ると、同じメーカーでも、ネットで見た製品より数千円高い。
これはネット通販専用モデル。こちらは型落ち品。
店員はよどみなく答える。きっと毎日、同じことを聞かれているのだろう。思い切って聞いた。
ネット通販に近づけてくれたら今買います
店員は奥へ行って上司と相談したらしい。戻ってきて電卓を見せる。
300円で勘弁してください。その代わり、ポイントは10%つけます。
対応のよい人だったので即決。本体のポイントでケーブルが買えたので良しとする。
広い画面は気持ちがいい。複数のアプリを同時に開いて作業できるのはうれしい。推敲メモを読みながら、『庭』を手直しできるし、そのとき、音楽も好きな曲を選んで流しておける。
ショックだったことが一つ。
13インチのディスプレイに合わせて作ってきたレイアウトが崩れていること。
全部ダメならやり直す。ほとんど意図した通りで一部がずれる。ということは、製品の仕様で微妙に画素がずれてしまうのだろうか。
今後はこのディスプレイで確認しながら文章を書く。するとMac Bookでは一部ずれてしまうだろう。
幅はCSSを使って固定している。それでも、ディスプレイによって見映えが違う。何か工夫できないか。
最近、マウスとフルキーボードも買った。倹約のつもりで有線にしたら、デスク周りがケーブルだらけで見苦しい。これは仕方ない。無線はそのうちに。
元気になると退屈になる
父を見舞うために定時に退社して病院へ。顔色はいい。呼吸も苦しそうではない。喉がガラガラしているのが気になる。痰を自力で吐けないので機械で吸い取ってもらっているらしい。この症状が残っている間は機械のある病院にいなければならない。
日曜日。病院は退屈だから帰りたいと言う。もともとテレビもラジオも進んで視聴するタイプではない。それでも自宅は病室より寛げるにちがいない。
病院に担ぎ込まれたときは呼吸することもままならなかった。「今夜が峠」とさえ言われた。今度も、奇跡的に回復している。ところが、身体の回復が意識の回復に追いついていない。だから、ベッドの上だけの生活に飽きて不満が溜まる。これは辛いだろう。
医師も看護師も献身的に仕事をしている。それでも人間なので、調子が合う人もいれば合わない人もいる。元気が出てくると我も強くなる。悩ましい。
母が主治医に聞いたところでは、気管支炎は完治しておらず、誤嚥の心配があるので、もうしばらく入院したほうがいい。
これを父にどう伝えるか。猫に鈴をつけるより難しい。
お見舞いの合間に
土曜日。病院へ行くまでは実家で寛いでいる。
父は展覧会へ行くと必ず図録を買う。ちょっとしたコレクション。出かけるまで実家の図書室で過ごした。
眺めていて楽しかったのは台北故宮博物院『故宮勝概 新編』と『北京故宮博物院展」。前者は蒋介石と国民党が北京から持ち去ったと言われる秘宝の数々。「汝窯青磁盤」も大きな写真で掲載されている。
後者は清朝歴代皇帝の肖像画や身の回りの品を集めて皇帝の生活が垣間見える。
東洋文庫ミュージアムのおかげですっかりアジア文化好きになった。
父を見舞ったあと母と逗子へ。お気に入りだった店が閉店していてがっかり。他の店も貸切や予約満席。5軒目で当たり。
シラスとブロッコリーのアヒージョ、牡蠣フライ、ピッツァ・マルゲリータ、シラスとトマトのアーリオオーリオ。生ビール一杯と白ワイン一本。
お酒が呑めてよかった。お父さんからもらった財産ね。
呑むと必ず出る母の台詞。父親、私の祖父の葬儀で初めて酒を口にしたという。その後、海外旅行の経験も手伝ってワイン好きになった。
駅前の狭い範囲でこれだけ小粋な店がある逗子に感謝。観光地にはない地元の人が通う名店が多い。
逗子と鎌倉の関係は、三鷹や荻窪と吉祥寺の関係に似ている。鎌倉と吉祥寺は観光地になりすぎた。週末はいつも混んでいる。連休はなおさら。
地元の人は値段も高くなった観光地を避けて一つ二つ遠い街へ行く。そこに感じのいい店がある。
逗子、鎌倉
何鉄というほどではないものの鉄道は好き。この雑誌も特集に興味があるときに借りてくる。
こんなにたくさん延伸、複々線化、相互乗り入れの計画があるとは知らなかった。
工事の開始予定が2030年で、予算がつくかどうかさえわからなくても、計画はすでにある。これだけの工事、地盤沈下や騒音の問題が同時多発しないように、誰か全体を見ているのだろうか。
私の実家近くでは、京浜急行金沢八景駅の真上に、今は離れた所にある横浜シーサイドラインの新駅が建設されている。計画段階はすでに終わり、開業が近づいている
そう書きながらネット上で確認してみると、開業は当初予定の今年から2年遅れて2019年になるらしい。
毎回、工事現場を見るたびに思うこと。駅舎を建て鉄道を敷くよりも、今の運行や人の流れを妨げずに建築する計画を立てる方がずっと難しい仕事ではないか。
工事が進むたびに足場や仮設通路の位置が変わる。更地に駅舎を建てるよりこの仕事の方が難しいように思える。
気になる計画
- 東京 - 宝町・日本橋(東京駅と浅草線の接続)
- 横浜環状鉄道:日吉- 鶴見
- 中山 - 二俣川 - 東戸塚 - 上大岡
- 根岸 - 元町・中華街
- 京葉線の中央線への乗り入れ。中央線の複々線化
夕暮れの病院で
再び夕暮れに病院へ。
会社で気になることを二つ、S先生に伝えた。
一つ目。忙しそうに働いているを見ると「あんなに忙しくて大丈夫なのか。俺みたいに壊れてしまわないか」と、勝手に他人のことを心配してしまう。そうして他の人の心配をしているうちに、自分が猛烈に忙しくてパニックになっていたときのことを思い出して、胸がドキドキしてくる。
これは前にも話した。
電話でトラブルの対応をして、受話器越しに謝っている人を見かけるときも同じ。
今回、もう一つ、気になる心理状態を伝えた。
若い人がテキパキ仕事をこなしていたり、何か一仕事終えた様子で数人で談笑しているグループを見ると「オレだって、昔はそれなりに働いていたんだぞ」と思うことがある。まるで『きかんしゃ やえもん』。
誰に馬鹿にされたというわけでもないのに、自尊心が疼いて、やはり胸がドキドキしてくる。
猛烈な働き方ができなかったから、今こうして特別扱いで働いているのに、まだ余計なプライドを捨てられない。
She said a bad day's when I lie in bed
And think of things that might have been
Paul Simon, "Slip Slidin' Away"の一節。
「どうしてあんなことになっちゃたのかな」「ほかにやりようもあったんじゃないか」「もっとうまく立ち回っていれば、こんなことにはなっていなかったのに」
考え出したらきりがない。それに、いまの暮らしに不満があるわけではない。むしろ、責任もなく、残業もなく、Basic Incomeをもらっている生活にふだんは満足している。
会社で特別扱いされていることが時々気になる。自尊心を制御するのは容易ではない。
急速に不安になったときに服用する頓服薬を久しぶりに処方してもらった。
さくいん:ポール・サイモン
心にしみる雨
今日は人の情けが身にしみる一日だった。
雨の唄を聴きながら帰ってきた。
お洒落な雑貨が欲しいといつも思っている。街へ出て雑貨屋をぶらぶら回るのも好き。
なのに私の部屋は素っ気ない。お洒落な雑貨など一つもない。机は家電販売店で買ったパソコン用、椅子も同じ。雑貨屋でよさそうに思っても、結局、買う時には当たり障りのないものを選んでしまう。
しかも、独立した本棚がない。大きな本はクローゼットの奥。文庫本はベッドの頭側についた宮と呼ばれる棚。他はパソコンデスクの本来ならプリンターを置く頭上の台と机の下。一言で言えば、私の読書環境はコックピット。新しく本棚を置く場所はない。
本書を読んでも雑貨屋に行ったときと同じ気分で、「いいな」と思っても買いたいとは思わない。思えない。デザイン性が高いものほど大ぶりで機能性は低い。
小さくてもいいので本棚が欲しい。図書館で借りた本をまとめておきたい。常に本が5,6冊、CDも7,8枚、複数の図書館で借りている。これが、読んでいるうちにあちこちに散乱し、返却日に慌てて探し回っている。
Xシェルフ(小西啓睦)なら小さくすることも畳んでしまうこともできるので、残っている空間に置けるかもしれない。板をX字に組み合わせたでけの簡潔なデザインなので、この部屋にも合いそう。
睡眠良好
今週はよく眠れている。水曜日の快眠度が高いのは珍しい。
涼しくなって布団のなかが心地よくなってきたからだろう。眠れずに眼が覚めるのではなく、まどろんだまま布団から出られない季節が始まる。
布団から出られない一日も、この季節に毎年ある。
月曜夜の週例会
大小さまざまな会社で働いてきた。いま働いている会社が一番大きい。全世界で5万人以上の社員がいる。日本には2,000人近く。
一番小さい会社は社員3人だった。3人といっても日本支社のことでシリコンバレーの本社に50人、台湾の工場に20人くらいいた。それでも全体で100人はいなかった。
この会社では毎週、月曜の夕方にWeekly Meetingをしていた。理由は居酒屋で焼酎のボトルが月曜日なら半額だから。
要するに月曜日から呑んでいた。平日に酒を呑まない今では考えられない。
桜が咲けば川べりで花見をして、金曜は週報を書き終えて本社に送信すると、事務所で缶ビールを開けていた。
今の職場は線路沿いの高層ビルにあり、見下ろすと新幹線が走っている。
あれに乗って毎日通勤していたのか。しかも月曜日から呑んで。
懐かしいというわけでもなければ、思い出したくないというわけでもない。あまりにも違いすぎるから。
会社の窓から新幹線を見下ろすたび、何とも言えない回想にとらわれる。
ジャズが好きになってきた
最近、ジャズを聴くのが楽しくなってきた。聴きながらいつも思う疑問がある。
同じ編成で、同じ楽器で同じ曲を演奏しているのに、違う音色だったり、個性あふれるアドリブで感想は全く違うものになる。
どうして気にいるアーティストとそうでない人に分かれるのだろう。
不思議。
通勤途中、シャッフルして聴いていて、「これはいいな」と思ってアーティストを確認すると同じアーティストであることが多い。
これも不思議。
最近、よく聴くミュージシャン。ヴィヴラフォンとオルガンが多い。
- Eddie Higgins Trio, Quintet (piano)
- Phineas Newborn Jr.. (piano)
- Joe Locke (vibraphone)
- Gary Burton (vibraphone)
- "Baby Face" Willette (organ)
- Blue Mitchell (trumpet)
- Fabrizio Bosso (trumpet)
- Russ Freeman (guitar)
- David Benoit (piano)
- Sophie Milman (vocal)
- Eddi Reader (vocal)
- Grant Green (guitar)
- 小沼ようすけ (guitar)
- 伊藤ゴロー (guitar)、naomi & goro
音楽の趣味と読書の嗜好
音楽では、ほかの人と趣味が連動して継続する確率が高い。好きな音楽が共通している人が勧める音楽は気に入ることが多い。
ところが読書はそうならない。ブログやツイッターで同じ本を読み感想に共感した人が読んでいるほかの本や作家が、私はまったく気に入らない作家だったり、それどころか、毛嫌いしているような人の場合もある。
どうしてあの人を推すかなぁ
勝手にそう嘆くことも少なくない。
音楽は、パクリの曲でも好きになってしまうほどに素養のカケラもなく、雰囲気の良し悪しだけで聴いている。
本には多少こだわりが強い。でも、それだけが理由だろうか。
酒呑みの言い訳
今週は「急に寒くなったから」と理由をつけて月曜から熱燗を呑んでいる。
よくない。
夕飯がおでんだから
玉こんにゃくが食卓にあるから
酒呑みは酒を呑むために作る言い訳だけは上手い。
山口瞳がそんなことをどこかで書いていたような気がする。
昨夜、週初めに買った五合の日本酒を呑んでしまったから、今、家に酒はない。
今夜は控えよう。
上は木曜日の早朝に書いた文章。
結局、木曜日の夜も呑んだ。しかも、週末並みに。というのも⋯⋯。
今日の言い訳は重くて辛かった。こういう酒が一番よくない。
わかっちゃいるけど。
さくいん:山口瞳
重い選択
父が再入院して4週間経つ。肺炎の治療はした。あとは療養するだけ。
病院は「治療」するところなので「療養」するところではない。なので病院には今から60日しか入院できない。
あとは自宅へ帰るか、柔らかい食事を提供し、痰を吸引する機械のある施設へ入るか。
家に帰れば母の負担が重くなる。施設に入るのはさびしかろう。
どちらを選ぶにしても重い選択になる。
年内に元気になってくれるのが一番いいのだが。
顔色はよくなった。息切れでフーフー言うこともない。
体力が足りない。8月からの入院生活ですっかり痩せてしまった。
病院食では精がつくわけもなく。
妄想癖
最近、妄想癖が強くなっている気がする。
これを言ったら相手はキレるのではないか?
あの問いかけは私を試しているのではないか?
なんであんな意地悪な言い方をするんだろう?
誰もそんなに私のことなんか気にしてない。気にしてない。気にしてない⋯⋯⋯⋯⋯。そう自分に言いきかせる。
言葉は自分の心に秩序を整える。だから、自分に言い聞かせることが大切。
岡本夏木に学んだことを実践している。
今日は雨降り
日曜の午後、雨の中、1時間ほど散歩した。
まず図書館まで15分。借りていたものを返して予約していた本とCDを受け取る。
それから床屋まで40分。床屋は15年くらい前に住んでいたところの近くにある。気が知れた店なので転居しても通っている。
ふだんは自転車で行く距離。途中に池のある大きな公園がある。そこを避けるとかなり大回りになるのでぬかるんだ公園を通り抜けて歩いた。
いつもなら何人もの人が大砲のようなレンズを並べてじっと座っている。目当てはカワセミ。今日は雨なので誰もいない。
帰りは一駅電車に乗った。それくらい距離がある。
改札の前にあるカウンターだけの小さなステーキ屋で昼飯を食べた。1,000円にしては十分に美味しい。店の名前は「ロッキー」と思っていた。店の名は「テキサス」だった。いずれにしても『太陽にほえろ』。
帰宅して、借りてきたCDを聴いた。Grant Green, "Sunday Mornin’"がよかった。
よかった、と言っても聴いていたのは3曲目くらいまで。気づかぬうちに眠っていた。
週末に昼寝するのは、最近では珍しい。
月曜日から
年齢と病気のせいで気を遣わせているのか、それともこちらが気を揉んでいるだけか。
ほかの人の言動にいちいち動揺している。
月曜日から嫌な循環思考。
とりあえず緊急救援の薬を飲み込んだ。別の薬も呑んでしまいそう。
まだ月曜日なのに。