10/29/2017/SUN
漱石文学が物語るもの――神経衰弱者への畏敬と癒し、高橋正雄、みすず書房、2009
芸術家の創造性をその人の病歴から探る学問を病跡学という。言葉は知っていても病跡学の本を読むのは初めて。
著者は、神経衰弱だった夏目漱石に三つの評価を与えている。
一つ目。神経衰弱の巧みな心理描写。二つ目。創作による自己相対化、創作の試みから得た自己治療。三つ目。友人や弟子たちなど周囲の人たちに対する精神療法の実践家。
医学の専門家ではない、しかもうつ病や双極性障害という概念さえない時代に、人間心理を観察する洞察力と巧みな文章の表現力で後にさまざまな病名で呼ばれる症状を描いたことは、荒川洋治の言う「実学としての文学」の好例と言えるだろう。
本書は、漱石が使っていた、当時、精神疾患全般を指した大雑把な「神経衰弱」という言葉を使い、現代医学の言葉を用いて漱石を診断することはしていない。
神経衰弱の状態にある人の行動や心理を漱石が細やかに描写していたことは、最近、『行人』を読んでよくわかった。本書でも「行人』から数多くの引用がされている。
創作による自己治癒についても、講演「文芸の哲学的基礎」にその根幹が書かれていたので著者の指摘に一つ一つ同意しながら読んだ。
三つめの、漱石は精神療法の実践者だった、という指摘にはすこし驚いた。私生活での漱石は創作に没頭しているかと思えば、癇癪を起こしては家族を困らせたり、まさに神経衰弱が常態化しているように思っていたから。
引用された弟子たちや友人であった武者小路実篤へ書いた手紙を読むと、漱石は現代で言うところのカウンセリングの基礎知識ーー相手を説得したり指導したりするのではなく傍らで傾聴することーーを身につけていた。ただし著者も指摘する通り、精神療法だけで神経衰弱が治癒できるという楽観的な考えを漱石は持っていなかった。
40代ーーあとから見れば晩年ーーになって漱石の神経衰弱は軽快に向かったと著者は説く。だからこそ、周囲の人に相手を思いやる精神療法的な応対ができた、という説には得心がいく。けれども漱石は、心だけでなく身体も病んでいたので、心の病を寛解させる前に亡くなった。
つまり、軽快に向かったとはいえ、漱石の神経衰弱は寛解したわけではなかった。
漱石が亡くなる直前まで心の病を治癒することを願っていたことは、彼が生前、最後に書いた手紙から知ることができる。
変な事をいいますが私は五十になって始めて道に志すことに気のついた愚物です。其道がいつ手に入るだろうと考えると大変な距離があるように思われて吃驚(びっくり)しています。
あなた方は私には能く解らない禅の専門家ですが矢張り道の修行に於いて骨を折っているのだから五十迄愚々々していた私よりどんなに幸福か知れません。また何んなに殊勝な心掛けか分かりません。私は貴方の奇特な心得を深く礼拝しています。
(立川昭二『最後の手紙』(筑摩書房、1990)より孫引き)
今年、私は漱石が亡くなった歳になった。
いまの私は漱石以上に病んでいる。道を志すどころか、こんな風に生きていくしかないという諦めの気持ちが強い。
これから先、志す道を見つけることはできるだろうか。「ひとり ただくずれさるのを待つだけ」になることは避けたいと願っている。