「就活の総括」について
障害者としての就職活動について書いた。
病気による退職から再就職に漕ぎつけるまで、何度も感じたことがある。それは適切な情報を入手する重要性と適切な助言者と支援者を見つけることの大切さ
「大切さ」は、「難しさ」とすべきだった。有益なセーフネットや福祉サービスがどれだけあっても、それをワンストップで受けられないところに問題がある。
「いいね!」をもらった文章を読み返すと誤字脱字あり読点抜けもあり。
言葉足らずなところも多い。今夜、推敲する。
読み返し書き直すとき、心が穏やかになる。心地よい音楽が流れていて片手にグラスを持っていたらなおさら。
「就活の総括」に「いいね!」をつけてくれた人が二人いた。内定したとツィートしたとき、真先に祝いのメッセージをくれたのも同じ二人。これは偶然ではない。
気にかけてくれる人がいると思えることは幸せ。
「世界に対する基本的な信頼感」はここから始まる。
世界卓球開幕
世界卓球。また、解説者が日本選手を応援している。いい加減にしてほしい。
解説者に話してもらいたいことは、たとえば、ダブルスで、なぜサーブをする人でなくレシーブを返す方の人がサインを出すのか、サインはコース、回転、長短など、どこまで具体的なことを示し合わすのか。
要するに、何が勝負を分けるのか、ということを聞きたい。
テレビの音声を消したくなるような解説者もいるなか、宮崎義仁の解説が冴えている。
選手の性格や点差から次のプレイを予測すると、その通りに選手がプレイする。試合の極限では選択肢はほぼ一つなのだろう。
ところが、その予測を覆すプレイをする選手がいる。選択肢のないギリギリの場面でも新手を繰り出す選手に、宮崎は驚きを隠さず賞賛する。賞賛に加えて、彼は新手の意図を解説する。
これぞ、スポーツ解説。
平野早矢香と藤井寛子の解説もいい。現役引退からまだ間もないので、選手の視点からわかりやすい話をしている。
アイススケートの織田信成や荒川静香など、最近は引退後間もない選手が指導者となる前に、選手の視点で語る解説者として成功している人が少なくない。
もし、世界卓球で⋯⋯
世界卓球。ゲームとゲームの間、選手はコーチから助言を受けている。
ありふれた光景。
もしここで、コーチが選手の頬に平手打ちをしたら、観客はどう反応するだろう?
フェンス裏の見えないところで脇腹を蹴り込む姿が世界に配信されたら…。
それが普通の時代があった。それを普通と思う人もいた。
選手を殴ることを普通と思っていたのは殴っていた方だけではない。
殴られた方もそれが「フツウ」と思っていた。
辛い、怖い、とは感じていても、告発すべき罪とも、逃げてもいい異常とも思っていなかった。
今、思い返すと、ほんとうに狂気の沙汰としか言いようがない。
学校内暴力、SV or TV, "at school violence, or "teachers' violence"。
卓球は今や人気スポーツ。
白熱した試合や華麗なプレイを見ていると卓球をやってみたい、と思うこともある。
テレビを見ているだけで苦しくなるようでは、再開は止めておくのが無難だろう。
さくいん:体罰
日本卓球界の若年化に異議あり
NBAは高卒生のドラフトを辞めた。フィギュアスケートでは、ジュニアと一般が年齢で明確に区切られている。
いずれも選手生命を長くするための措置。
にもかかわらず、15歳で世界的にデビューした浅田真央は30歳になる前に引退した。
卓球の人気が上がってきた今こそ、選手生命と卓球界の人気を持続させるために真剣に考えるとき。
競技は短い、人生は長い。
福原愛は幼いころ、卓球台に対し背が低いので頭の上でラケットを振っていた。身長が伸びてからもその打点を維持するために、知らないうちに腰を沈めていたため腰痛を発症した。
身についたフォームを修正するに、かなりの労力と時間が費やしたとドキュメンタリー番組で見た。
張本はまだ13歳。身体を大事に成長してほしい。
もう一つ、気になることがある。それは、家族ぐるみで選手を鍛えていること。
幼児が泣くまで厳しく練習をさせるのは星一徹だけかと思っていたら、母親が幼い娘をシゴく姿は今では珍しいことではない。
プロ・スポーツはやがて歌舞伎のように事実上の世襲制になるのではないか。
すこし楽観的にみると、この状況は長くは続かないかもしれない。みうみま世代がそのまま成長すれば東京五輪の代表になるだろう。
すると張本を含む今十代前半の選手は、その次の五輪を目指すことになる。2024年にその世代は二十歳前後。ここから世代交代が回転する。
中国はこうして世代交代と高いレベルを維持してきた。
I have reopened an account at LinkedIn. The reason is simple; I don't need self-introduction in the gigantic company where I've been working since last Dec.
Anyone who wonders why such an old guy joins the company, can see what I am by refering to my profile in Linkedin
It gives me "Desolation & Consolation" when looking at the names and the faces of the people I used to work with. I don't miss anything about businesst but people.
Dropped out of energetic but stressful industry, now my second life has started: no title, no business trip, no overtime, and no tough negotiation with customers. I don't miss any of them.
Because I am now confident in this chage of life. This is why I disclose all of my personal history.
There is the only one thing I don't mention in this profile. That is, I have a "Garden" in the internet world as well as in my heart.
Needless to say, the name, MIDORIOKA, Uto, is not in my profile.
テロ対策への違和感
ヨーロッパでテロが頻発している。
大騒ぎになっているけれど、思い出せば、20年前の日本では、反社会的な宗教団体が猛毒ガスのサリンを撒き散らすテロ事件を起こした。
拉致された家族を救う運動をしていた弁護士の家族が殺害された。家族を取り戻そうとした人も殺された。
予行演習のために行った毒ガス事件では、被害者の家族が誤認逮捕され、拘留された。
多くの証拠があり、教団はサリンを製造できる巨大な基地まで作っていたのに、警察の捜査は拙速でテロ事件の発生を止めることができなかった。裁判も結審していない。被害者への弁済もまだ終わっていない。教団は名前を変えて存続している。
報道では、伊勢志摩サミットや東京オリンピックに向けて、テロ対策を強化することが喧伝されている。
サリン事件を阻止できなかったこと、弁護士一家殺害の事件を真剣に取り上げなかったこと、それに誤認逮捕の人権侵害。そういうことへの反省と改善策はできているのか。
それがうやむやなままで、「東京も非常事態」と騒ぎ立て、危機感だけを煽り、厳しい法律だけ作るのはおかしい。
この文章は、元は2015年11月20日、パリでのテロ事件後に書いたもの。
モリソン書庫
過日、東洋文庫ミュージアムでパノラマ撮影に挑戦した。
行くたびに思うこと。なぜ人は集めるのか? なぜ人は残すのか?
現代人はその意識が希薄になっている。和紙は何千年も保管できるのに、自分が十代に読み書きした文書さえ、ポロポロと崩れる。
デジタルで残ればいいしゃないか!
そんな風に問いかけられたら、一言、返す。
モリソン書庫の前に立ってごらん。ここへ来てもデジタルで十分と思う?
このツイートは14人もの人から"Like!"がついた。「自分だけのためのひとり遊び」と言ってはいても、たくさんの人に見てもらえると、やはりうれしい。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
パリには3回、行ったことがある。学生時代の1989年と、1998年から1999年の間に仕事で2回。学生旅行の時は一週間近くいたので主な観光地は見た。仕事ではアンジェであった会議のあと、ヨーロッパは初めてというお客さんとTGVに乗り、1日かけてパリの名所を大急ぎで回った。
ルーブル、オルセー、凱旋門、エッフェル塔、オペラ座、カルナヴァレ博物館⋯⋯。
観光名所が集まる旧市街はそれほど広くない。ニューヨークやロンドン、東京など他の都市に比べれば、名所が凝縮されているので、短い日程でも見て回ることができる。どれくらいの時間が必要かはどれだけの時間を美術館で過ごしたいかによる。
現在、観光地域となっている旧市街ができたのが19世紀後半。日本で言えば幕末から明治維新、文明開化の時代。
ナポレオン3世の治世からパリ・コミューンを経て第三共和政まで。日本では政治の大改革が行われていた時代に、パリでは街の大改革が行われていた。エトワールの凱旋門やオペラ座をはじめ、私も回った名所はこの頃に建てられたものが多い。
セーヌ川の治水が完了し、ブルジョワは舟遊びに興じ、画家が屋外の暮らしぶりを描きはじめたのもこの頃。
街が近代化することで、人々の生活も洗練されていったことがよくわかった。
見づらい古地図の展示が多く、かなり混雑していたので、一つ一つの展示品をよく見ることはできなかった。そこで、図録を買う代わりに、前に読んだことのある浩瀚な図鑑と歴史地図を図書館で借りて見ることにした。
もともと、この展覧会は絵画を観るつもりで出かけた。気に入った作品。
他にもポール・シニャックや佐伯祐三などの作品も展示されていた。展示品目録を紛失してしまったので、作品の名前はわからない。
昨年12月に入社した会社はまさにパリ旧市街の中心に本社がある。末端の契約社員が仕事で行くことはないだろう。これまでに働いた米国系企業で本社に行く機会がなかったことはない。観光を兼ねてでも、在籍しているあいだに本社を見てみたい。
LANや会議室のプロジェクター、トイレなど、現代のオフィスは19世紀に建てられた建物の中で、どう整備されているのか、そういうところを見てみたい。
さくいん:パリ
もったいない
リラックスしている週末ではなく、緊張で張り詰めている自分を診てもらおうと思い、水曜日の夕方に予約してS医院に行った。
会社の様子や、いま、不安に思っていることをS先生に伝えた。
ちょっと考え過ぎではないか。
会社で初の精神の障害者雇用という立場で確かに注目されているかもしれない。それが気になるという気持ちもわかる。
でも、四六時中、あなたを見ている人はいない。皆、自分の仕事もあるから。
見られているとあまりに気にするのは、軽い妄想と言ってもいいかもしれない。
余計なことに心のエネルギーを使うのはもったいない。せっかくいい仕事を見つけたのだから、一つでもミスを減らせるように仕事に集中するようにしましょう。
まったく、S先生の言う通り。私は仕事をするために会社に通っている。障害者であることを喧伝するためではないし、まして憐れんでもらうためではない。
実際、入社から半年経っても、満足のいく仕事はできていない。まずは仕事に集中すること。
幸いなことに、いま与えられている仕事は興味のないことではない。仕事に没頭すれば余計な妄想をしている暇などなくなる。その道理は間違っていない。
いつも優しい言葉で励ましてくれるS先生が、「軽い妄想」など言葉遣いがやや厳しく感じた。午後7時というのに、まだ診察を待っている患者がいた。先生も平日の終わりで疲れていたのかもしれない。
S先生の助言は的確な叱咤にも聞こえた。合理的な配慮をしてもらった上で指示された仕事は、障害者であろうとなかろうとキチンとしなければならない。そこに甘えは許されない。
S先生が的確なアドバイスをくれることは、いつもと変わりはなかった。
さくいん:S先生
2016年6月19日追記。
多くの人が職場で使っている。「了解!」「了解です」「了解しました」。
どうも用法に馴染めない。私はなるべく「承知しました」と言うようにしている。
滅多に開かない『広辞苑』(第四版、1994)を紐解くと、「了解」は次のように定義されている。
1. さとること。わかること。会得すること。(原文は丸数字)
「了解」には元々「わかりました」という意味しかない。最近の用法では「仰る通りにします」の意まで含んでいる。原意に「従います」の含意はない。
ここが引っかかるところだった。
「わかりました」の意味で使うのなら問題ない。最近の用法は「仰る通りにします」が多く含まれている。これには違和感がある。
ちなみに広辞苑で「承知」を引いてみると。
1. 旨をうけたまわって知ること。知っていること。2. 聞き入れること。承諾。(原文丸数字。用例は省略。)
では、「うけたまわる」とはどういう意味か。
1. 謹んで受ける。2. (目上の人の)命を受けてその通りにする。
上記2.の意味が私が仕事で「承知しました」を使う用法。
ここまで細かく言うのは、かえって野暮かもしれない。
言葉は変わるもの。あらためて言うまでもない。私は使わない、というだけの話。
指示された通りに行動するときには「承知しました」と使う、これからも。
文明の衝突? 宗教対立の時代?
一時期、21世紀は「宗教対立の時代」と予言する人が少なからずいた。なかには、「一神教と多神教との避けられない衝突」と煽る人もいた。
21世紀も16年目を迎えた今、「宗教対立」は聞かれず、代わりに「ポピュリズム」「post-truth」などが時代を象徴する言葉として盛んに使われている。
1989年にソ連をはじめ、東欧のほとんどの社会主義国は崩壊した。にもかかわらず、中国は今も社会主義体制を維持し、人権運動家を抑圧している。北朝鮮は国連決議に聞く耳を持たず核兵器の開発を加速させている。
無差別テロが世界のいたるところで発生し、攻撃はイスラム圏内でも発生している。
対立は地域の覇権争いや、資源をめぐる領土問題がある。紛争やテロの原因は、宗教や理念の問題だけにあるわけではない。
テロ集団でさえ、動機は直接的には宗教でなく先進国への怨嗟や自分たちの勢力範囲の拡大にある。
6月7日の日経新聞、朝刊の記事。
イスラエルとアラブ諸国、かつての敵、今や「連携」、イランなど、共通の脅威
宗教対立を煽った人は誤謬を認めて自己批判をしてほしい。そのつもりがないのなら、せめて「私は反省などしない」と小林秀雄のように啖呵を切ってほしい。もしそれだけの勇気があれば。
You know, You know、って何で言うの?
しばらく前に書いた"you guys"と同じように、米語のPodcastを聴いていて気になることがある。
それは"you know"という一種の間投詞。インタビューでよく聞く。話し慣れていない人ほど、頻度が多い。
日本語でいうと何だろうか。中学校では「え〜と」は"well"と教わった。その"well"はまったくというわけではないが、それほど頻繁には聞かない。
「あの〜」「その〜」「そうですねぇ」といったところか。日本語のインタビューで、話し慣れていない人はこれを連発する。
率直に言って、"you know"の回数が増えるほど、反比例して知性を感じなくなる。副社長なのに、全体会議で話すときにも"you know"なしでは話が進まない人が以前働いていた会社にいて、会議やパーティーのたびに飽き飽きした。
日本でも、特に英会話中級者にネイティブを真似して"you know"を会話に混ぜる人がいる。その方向は間違っているのに。
間投詞を混ぜるほど流暢ではないので、私は使わないですんでいる。
経験的に言って、聞きかじったスラングを使ったりするより、教科書のような文で話す方がきちんとした人にみられる。
さくいん:英語
新しい図書館カード
新しい職場の近くに図書館があることを知った。会社があるのは、これまでに図書館を利用したことのない自治体。早速、利用カードを作成した。
貸出資料は予約しておいて、昼飯を急いで食べれば、昼休みのあいだでも往復できる。飯は家族に注意されるほど、いつも早く食べているから無理に急ぐ必要はない。普段でも十分早い。駅の近くにあるので、帰りに寄ることもできる。
建物はあまり広くない。狭い場所に並んだ椅子にぎっしり人が座って雑誌や本を読んでいる。ここでは休息できないし、書棚をあいだを歩いてくつろぐこともできない。資料は事前に予約しておくのがよいだろう。
これまで利用した八つの自治体で図書館を利用してきた。職場が変わって利用できなくなったところもある。
今回、利用しはじめた自治体を入れて、現在、利用しているのは家の近くの2館のみ。就労移行支援事業所に通所している頃は、事業所の周辺で複数の自治体の図書館へ行っていた。今は、2館で十分。ここにもう一つ加われば言うことはない。
十分というのは、これまで行ったどの図書館にもなかった本やCDをこの図書館は所蔵しているから。これはいくつか検索してわかった。資料の購入方針は自治体ごとで違う。複数の自治体の図書館を利用するメリットはそこにある。
いずれにしても、音楽ライブラリが大きくなるのは楽しみ。
最上階に郷土史展示室がある。いつかここへ行くのも楽しみ。
新しく使えるようになった図書館で最初に借りたCD。
これまでに利用した図書館で見つけられなかったアルバムをメモしてある。それを順に検索していった。
最初にヒットしたのは伊藤麻衣子のベスト盤。「微熱かナ」と「見えない翼」は持っている。収録アルバムは、「音故知新~懐かしいのに新しい/17才~いい日旅立ち」(SONY, 1989)と「ザ・ベストテン スポットライト編 1978-85」(SONY, 2009)。
デビュー曲「微熱かナ」はお世辞にも上手いとは言えない。そのあと、だんだん上手になる。とりわけ「見えない翼」はいい。
歌詞、曲、歌、どこから見ても伊藤麻衣子のベストソング。
Eddi Readerを探していたのは、たぶん、コンピレーション・アルバム”Flower - natural & acoustic girls -”(Universal, 2005)で"The Girl Who Fell in Love with the Moon"を聴いてから。
iTunesが落としてきたジャンルはAlternativeだった。"Alternative"というジャンルは自分では使っていないのでJazzに変えた。これはJazzか?、と詰められると自信はない。Jazz, Falk, Pop、いずれの分野の雰囲気もある。アコースティックな音が心地よい。
歌声も、中域で私好み。ハンバートハンバートに曲調も、佐野遊穂の声も似ている気がする。雰囲気というか、スタイルというべきか、共通するものを感じる。
歌詞はまだじっくり読んでない。これからもっと好きになりそうなミュージシャン。
Eddi Readerをたどって一つのコンピレーション・アルバムを見つけた。アルバム名は『鎌倉ジャズ』。「?」が頭のなかで泳ぐ。
鎌倉 + ジャズ = コンピレーション・アルバム?。
制作会社のサイトには次のように紹介されている。
若い女性を中心に人気を保ち続ける、ほっこりとした独特の趣をもつ古都 鎌倉。「鎌倉」という文字のもつ引力は、「鎌倉」と名のつく様々な商品の在庫が残ることがないというジンクスもあるくらい、だそうです。そんな鎌倉という街の魅力とJAZZの魅力をかけあわせて、女子向けフレーバー・ジャズ・コンピレーション「鎌倉JAZZ」をお届けします。「お散歩のお伴にできる気軽なフレーバー・ジャズ」をポイントに20曲前後を選曲。
こういう漠然としたコンセプトのアルバムはどれくらい売れるのだろうか。察するに、個人より、それこそ鎌倉のカフェや雑貨屋が購入して店で流しているのではないか。
鎌倉ではないけれども、「今、流れている音楽」とポップを付けてCDを販売しているカフェを見たこともある。
このアルバムを聴きながら、いま、この文章を書いている。居心地のよいカフェにいる気になる。こだわりはないので、コーヒーは即席で構わない。
M部長のアドバイス
会社で上長の上長にあたる人と話をした。面談というほど堅苦しいものではない。
入社から半年、私の働きぶりを見て、どう感じているか、アドバイスがあったらいただきたい、とこちらからボールを投げた。
M部長の返答。
うつ病と聞いていたので、まず、毎日出社できるか心配していた。以前、社内で病気になった人がそうだったから。
その点、勤怠には問題なく、体調も悪くないようで安心している。家族や医師の支援を受けられていることも、会社としては安心材料。
そこで、次の段階としてお願いしたいのは課題として与えられた資料の正確度を上げることに。その点がよくなると、さらに上の段階に進んでもらえる。
「仕事に集中しようという」というアドバイスは、先週、S先生がからもらった言葉と同じ。
一昨日、病院でその話をしたところ、S先生は「軽い妄想」という言葉は少し強すぎたかもしれない、とあとで考え直したという。
伝えたかったのは「余計なことに気をとられず、仕事に集中しようということ」「会社でも同じアドバイスをもらったのなら、なおさら、そうしよう」。
複数の人に同じアドバイスをもらうと、助言に対する信頼度が増す。
今は8時半から17時まで、残業もなく働いているので、働き過ぎを心配するレベルではない。あえて注意すべきことを挙げれば、室内でパソコンを見つめて座りきりなので、時々、外へ出て深呼吸して背中を伸ばし、気分転換をすればいい。
さくいん:鎌倉
ワークライフバランス
今さら、こんなことを書いても挙足取りと言われるだけだろうし、すでに誰かが言っているかもしれない。それでも、あえて書いておく。
「仕事」と「生活」のバランス、とはおかしくないか。「仕事」は「生活」の一部なのだから二つを並べてバランスをとるのは間違っている。
正しくは"Work in Life"、もしくは、”Work Portion in Life”だろう。
"Work-life balance"という言葉は「生活」全体と対立するほど「仕事」が「生活」を侵食している現実に対する批判が込められているのかもしれない。/p>
なかなかそうは受け取れない。むしろ、現実を追認しているように見える。その結果、議論は「生活」の中での「仕事」の位置付けではなく、「仕事」と「生活」のバランスに矮小化されている。
いま、残業のない生活をしている。8時30分に出社して17時に退社する。振り返ると、どれだけ自分が異常な生活をしていたかがわかる。
帰りの電車では、スマホでずっと客先と連絡をとりあい、米国本社に送る依頼や報告の下書き。帰宅して食事をしたあとは、依頼文や報告書の清書をして送信。金曜日の夜は週報を書くので深夜、曜日が土曜に変わることも少なくなかった。
さくいん:労働
10年前に一緒に働いていたIさんとエレベーターでバッタリ!
苦しいときに助けてくれた人なので再会できてとてもうれしかった。
その人は今月末で退社するそう。
ということは、あと2週間のあいだに気づいてなければ、お互い同じビルで働いていたことを知らないままだった。
こんなこともあるのか。
もし、今日、声をかけなかったら一生再会することはなかったかもしれない。
そんなこともあるのだろう。
そういう再会したりしなかったりすることを「縁」と呼ぶのかもしれない。
来週、ランチをする約束をした。
手帳で美術館へ行くこと
東京都の精神障害者保健福祉手帳を持っていると、都営のバスと地下鉄が無料になる。そして、国公立の美術館や博物館の多くで観覧料が無料になる。
この制度はとてもありがたい。
精神疾患は多岐にわたるのですべての人に当てはまるか、素人の私にはわからない。
少なくとも、うつ病の私にとって、美術館や博物館、庭園や植物園へ出かけることは、大げさでなく治療の一つになっている。
なぜならうつ病の人にとっては心を落ち着かせることが一番大事なことだから。外から見ると落ち着いているように見えても、心の中はいつもざわついている。
もともと絵を見ることが好きだったせいもある。美術に興味のない人でも、天井の高い広々した静かな場所でひととき過ごすだけでも、不安時に頓服薬を服用する以上の効果があると思う。
職場のうつ:2016年6月4日に追記
2016年6月4日の箱庭に以下の文章を追記した。
2017年6月23日追記。
新聞で、安易なうつ病の診断や休職が増加しているという記事を読んだ。過労から心を病む人が増えているのだろう。対象の人が増えれば、一人ずつに合わせた案内はできなくなり、対応はおざなりになる。
本来、得られるはずの補助や支援を知らされないまま、休職させたり離職させるのは、身ぐるみ剥がして路上に放り出すようなもの。弱者の切り捨てでしかない。
一度も転職をしたことのない40代の人が病気で離職した場合、再就職にはいろいろな助けが必要になる。就労移行支援事業所の重要性は高まっている。
神代植物公園、ばら園、東京都調布市
神代植物園では、バラも見た。
バラは神代植物公園で一番の名物。5月には大勢の人が訪れてコンクールも行われる。季節の風物詩で人出も多いことからニュースで報道されたりもする。
先週、行ったときにはほとんど枯れていた。残っていたものをいくつか撮影した。
クィーン・オブ・神代とアンソニー・メイソン。アンソニーといえばバラの門。
グラハム・トーマス。もう一つは、名前をメモし忘れた。
さくいん:神代植物公園、『キャンディ・キャンディ』
さくいんへのリンク
「私の文章は無理に読ませるものではない」と書き、Twitterに長い文章を書くことは止めた。書きたいことはここに書く。
だから、『庭』へ来てくれた人にはできるだけ多くの文章を読んでもらいたい。
そこで、頻繁に登場する人物については、それぞれの文章の下にさくいんへのリンクを設置した。
さくいんへのリンクを設置した人物は、今のところ、下記の通り。
いい感じの日。
幸せ、というほどではないけれど、今日はいい感じの日だった。
- 1. 読みはじめた小林敏明『漱石と西田』(岩波新書)が面白い。
あれだけの接点が線でつながらなかったことが不思議。まだ途中。先が楽しみ。
- 2. 図書館で予約しておいた3枚のアルバムがどれも当たり。後日詳報のつもり。
- 3. 『笑ってコラえて! 』(日テレ)。94歳のパイロット、高橋淳。
青年のような明朗快活ぶり。
知られていない「偉人」を探してくるのはこの番組の真骨頂。
- 4. 最近、それぞれ多忙な家族4人が久しぶりに全員揃った。
使えないトロい奴
会社では使えないトロい奴くらいに思われている方が気楽。どう思われても構わない。
ヘンリー・ダーガーのように職場と自室で全く違う顔をもつ人になりたい。
フェルナン・シュヴァルのように、何を言われようと誰に嗤われようと、好きなことにまるで取り憑かれたかのように生命を注ぎたい。
2017年7月8日追記。
初稿では「ちょっと」トロい「ヤツ」としていた部分を「使えない」「奴」に変更。
「ちょっと」などという考えでは甘い。どう思われても構わないなら、いっそのこと、まったく「使えない奴」と思われた方がいい。