6月のアクセス解析
『未来少年コナン』の再放送効果で、先月よりやや減ったものの、6月も総ページビューは8,000を越えた。もう「山村先生」も「中井久夫」もいなくなって、目次と箱庭を除けば、15位までは『コナン』が占めている。
ありがたいのは「モンスリーのPTGとして『未来少年コナン』を見る」がよく読まれていること。この文章は15年前に書いたシリーズの感想文とは別に2年前に書いたもの。「未来少年コナン モンスリー」で検索すると高い順位でヒットする。
6月の箱庭のページも180人程度が閲覧し、そのうち140人くらいはリピーター。つまり、100人以上の人が拙サイトの固定読者になってくれているということ。素直にうれしい。
読んでもらいたい文章はまだまだある。
『未来少年コナン』の感想文からあちこちにリンクを飛ばしているけれど、なかなか別のページまでクリックしてはもらえない。文章と文章がつながっているところが『烏兎の庭』の最大の特徴と自負しているのだけれど。
もっとも、私が書いている文章は内容も文体も万人受けするものでないことは、私が一番わかっている。
さくいん:『未来少年コナン』
空と地と人と
空には青、地には緑
そのあいだに
赤い血が流れる人の影がある
毎日は書かない
在宅勤務が始まってから、毎日、文章を書いてきた。通勤時間がなくなった分、文章を書く時間が確保できたということもある。
会社は少しずつ出社率を上げる指示を出した。朝から出勤するようになれば、朝の散歩もできなくなるし、文章を書く時間も取れなくなる。
そこで、毎日書くことを止めようと思う。
書きたいことがあれば書く。書きたいことがなくても、毎日「箱庭」を続けるために何か書くという姿勢は改める。
透明なサファイアの夜
昨日は月に一度のレポート作成日。毎月、数字が合わずに神経がすり減る。
6時半にレポートをメールで送信、1週間の業務が終わった。
渇ききった喉をまず冷たいビールで潤す。
夕食のあと、お気に入りのクリスタルグラスに氷を入れて、青いボトルからジンを注ぐ。
ベルモットもスタフトオリーブもない、シンプルなロンドン・ジンのロック。
ようやく胸の動悸が収まってくる。
この週末は楽しみな予定がある。
仕事は忘れて、透明なサファイアが誘う酔いに身をまかせる。
週末のはじまり。
さくいん:ジン(マティーニ)
アメトラ総本山
アメリカン・トラディショナルのブランド、Brooks Brothersの青山本店が移転のために閉店すると聞いてお別れの記念写真を撮りに行った。
ふだんは二重にポイントが付く百貨店で買うことが多い。
青山本店で買ったものは多くはないけど、思い出深い買い物もある。
10年くらい前のクリスマス。ここでダウンジャケットを買った。今ではもう街で見かけることも少ない、厚手のモコモコしたアウター。
クリスマス用の包装をしてもらい、こっそり持ち帰った。クリスマスイブ、家族が眠るまで時間を潰すために近所の教会まで行った。ミサには与らず、外から参拝した。
家に帰り、家族へのプレゼントと一緒に、Brooks Brothersの包みもクリスマスツリーの下に置いた。
翌朝、皆でプレゼントを広げた。早速着てみた。ところがジッパーを上げると前が開いてしまう。不良品なのか。すぐに店に電話した。
一通りクレームすると、先方から「それは仕様です」という回答があった。ジャケットの真中だけ閉じることができるようになっているらしい。
そして店長らしき人がこう言った。
わかりづらい商品ですみません。これから伺って説明いたしましょうか。
これには驚いた。それには及ばない。電話の説明でわかったと告げて電話を切った。
店長が本気で来る気だったかどうかはわからない。でも、懇切丁寧な商品説明は今もよく覚えている。
Brooks Brothersは服がいいだけではない。店員にも気持ちのいい応対をする人が多い。
この店で買い続けている理由はそこにもある。
「独裁者ボタン」を自分に向けて押したい日
月曜日は昼食もとれないほど忙しく、緊張度の高い業務が続いた。
火曜日は一転して時間を持て余した。
空いた時間に書簡と日記を集めた『西田幾多郎の声』を読んでいた。
月曜日は緊張を解くためにビールを呑み、昨日は寛いだ気分で缶を開けた。
月曜から呑むのはよくない。
何の比較にもならないが、西田は煙草が止められなかった。日記に「禁、禁、禁、破」と続く日もあった。
今日はハンコ押印のために出社した。
帰る途中でシュークリームを買って帰宅して食べた。
気分を落ち着かせるために甘いものを食べるのもよくない。
業務の忙しさに起伏があると心身が安定しない。安定しないと酒や甘味に逃げる。
これがよくない。
よくないことをしておいて、よくない自分に嫌悪する。ここから悪循環が始まる。
この悪しき<ぐるぐる回り>を止めるには、目の前の仕事に集中することや単純作業を黙々とすることがいいらしい。森田療法の本にそう書いてあった。
今、目の前にあって、すぐに手を付けられる単純作業が何かないか。
文章の推敲。
1月から書いてきた文章を読み返し、行末を揃え、誤字脱字を校正し、推敲する。
これはいいかもしれない。
さくいん:西田幾多郎
悲報! ブルックスブラザーズ破綻
米国の老舗ファッション・ブランド、ブルックスブラザーズが破綻した。つい先日、日本の本店に行ったばかり。
直接的には新型コロナ感染拡大による売上激減が原因と報道されているが、ビジネス服のカジュアル化やファストファッションの隆盛などが遠因になったらしい。
クールビズの普及でネクタイをすることがくなった。ネクタイ専門企業は総合アパレルメーカーよりさらに厳しい状況に置かれているのではないか。
倒産前には当然、売り先も探しただろう。買い手は見つからず、倒産に至った。
当面のつなぎ資金はあるらしい。日本の店舗もこれまで通り営業するとメールが来た。
長年続いたブランドを活かしてくれる援助者が現れることを望む。
複雑な業務、複雑な気持ち
数字や数学は苦手だけれど、データマイニングは嫌いではない。
要求されたデータを関数やピボットテーブルを使ってデータベースから抽出する。そういう作業は苦手ではない。
昨日の作業はちょっと違った。
依頼された内容は「営業の売上予測がどれだけ実績と合っているか」。いわゆる「フォーキャストの正確性」の調査。
データ抽出自体も簡単ではなかったし、その上、気持ちが重かった。
営業が入力するフォーキャストのファイルを見ると実績がないのに予測を立てている場合もあるし、中には桁数を間違えている場合もある。
こういうフォーキャストをしている人は"accuracy"が足りないと叱られるのだろうな
他人が責められる材料を作るのは気持ちのいいものではない。
それから、「売上予測の正確さ」というと、営業職をしていた頃の失敗を思いつく。
桁数を一つ増やして売上予測を報告してしまい、翌月、1/10の実績が出たときには厳しい叱責を受けた。その記憶が蘇った。
一つ嫌な出来事を思い出すと連鎖的に営業職時代の失敗を次々に思い出す。
出来上がったデータは良しとされたのに、何やら複雑な気持ちで仕事を終えた。
Chapter 11の思い出
米国古参の服飾メーカー、ブルックスブラザーズが会社更生法、いわゆる"Chapter 11"を申請した。
"Chapter 11"は私にも経験がある。
2001年7月に入社した米系ベンチャー企業が、2006年の12月に"Chapter 11"を申請して倒産した。このことは『庭』では詳しく書いていない。
噂はあった。倒産の前には買収の噂もたくさんあった。でも、買い手がつかなければ倒産するということはわかっていた。
米国本社の営業担当副社長からは、5月頃には「転職活動も始めておいた方がいい」という指示も出ていた。実際、倒産した時点で、幸運にも次の居場所は見つかっていた。
それでも、クリスマスの朝に出社して「終わったよ」と聞かされたときはショックだった。
本来であれば、労働者の未払い賃金が一番優先される債権なのに、日本支社の資産は米国本社に送られて一月分の給料さえ出なかった。
次の会社は2月1日が入社日だったので、1ヶ月は無職となった。
そのベンチャー企業で、私は「成功」するつもりだった。この先働かなくてもいいくらい儲ける「計画」だった。ところが、成功どころか、その会社にいるあいだに給与は減額されボーナスはなくなり、どこかの会社に買収されて移籍するという最後の望みも潰えた。
世の中、うまい話はそうそうない。そのことを思い知った6年間だった。
ところが、と書き出したけれど先が続かない。でも、このエピソードは確かにこのままで終わらない。「ところが」から先がある。その先がうまく書けないので「ところが」で書き止めておく。
東慶寺、鎌倉市
週末を横浜の実家で過ごした。曇天の土曜日。家にいても湿っぽいだけなので北鎌倉まで出かけた。
散策の目的地に東慶寺を選んだのは、ここに西田幾多郎の墓があると知ったから。いま、日記と書簡を集めた『西田幾多郎の声』を読んでいて、私の中で西田がブームになっている。先月は岩波文庫の新刊『西田幾多郎講演集』を買い、昨年買った『西田幾多郎歌集』も読み返している。
他にも小林秀雄や岩波茂雄などの墓があるのは知っていたものの、雨が降りはじめたので、西田の墓だけ探して手を合わせた。
これまでに、親類ではない、活字でしか知らない人の墓参りをしたのは森有正だけ。西田幾多郎の哲学は私にはとても理解できないけれど、西田幾多郎という人物には森有正と同じくらい私は惹かれている。
墓誌によれば幾多郎のほか、息子夫婦の外彦と麻子、孫の幾久彦、後妻の琴が埋葬されている。
墓地は苔に覆われていて、誰かが定期的に墓参しているようには見えなかった。
境内には紫陽花がたくさんあったけれど、どの花ももう色が褪せていた。代わりに桔梗と女郎花が咲いていた。
その後、駅まで歩くと雷が鳴り、猛烈な雨になった。駅の反対側にある円覚寺への参拝はあきらめて大船に出た。
大船から根岸線で新杉田まで乗り、新杉田でシーサイドラインに乗り換え、金沢八景へ。いつもの店でワインを呑んで夕食にした。
帰宅すると、ちょうどテレビで『ブラタモリ』「葉山」が始まるところだった。
さくいん:鎌倉、西田幾多郎、小林秀雄、森有正、葉山
ブラタモリ、葉山、NHK総合テレビ
土曜日に放映された番組。知っている場所なので興味津々で見た。
葉山に御用邸ができたのは日清戦争と同時期の1894年。他にもいくつか皇族の別荘が建てられた。軍港である横須賀に出やすいことが選択の理由の一つだったという。
番組ではふだんは公開されていない旧東伏見宮葉山別邸を紹介していた。
今回の特集は京急の駅名が「新逗子」から「逗子・葉山」に変わったことにも関連がありそう。京急にとってはいい宣伝になった。
葉山の好きなところは、江ノ島と富士山を一枚の写真に収められること。
逗子では海岸が引っ込みすぎていて江ノ島が写らない。七里ヶ浜では江ノ島が近すぎる。葉山から西に進んだ長者ヶ崎でも江ノ島と富士山が同時に見えるけれど、二つを一枚に収めようとしても距離が離れ過ぎていて下の写真のようになってしまう。
葉山からの眺望がちょうどいい。
葉山港の防波堤からの眺めがいい。江ノ島も富士山も、海も。番組は葉山の独特な地形が入り江に複雑な風を吹かせていると説いていた。ヨットに乗らない私でも、防波堤で快適な汐風を浴びることはできる。
第六部の表紙の写真はそこで撮った一枚。
さくいん:葉山、タモリ(「ブラタモリ」)、京浜急行(京急)
未来少年コナン、第11話 脱出、NHK総合テレビ
日曜深夜に放送している『未来少年コナン』のデジタルリマスター版を録画して見ている。結末まで知っていても何度でも見て、そのたびにハラハラ、ドキドキする。
第11話を見て、モンスリーが異常に地震を怖がっていることがわかった。
インダストリアでも地震が起きたはず、インダストリアはやがて海に沈む
ラオ博士にそう言われるとムキになって「インダストリアは大丈夫」と反論する。それこそ地震に怯えている証拠。もちろん彼女自身は自分の心理に気づいていない。
ここが第19話に続く伏線になっている。
何度見ても、新しい発見がある。
何度も見なければ、この伏線には気づかない。
さくいん:『未来少年コナン』
雨の日の捺印出社
小雨のなか、事業部印の押印のために出社。
今週中でいいと言われていた用事が、昨日、「明日してほしい」と言われた。
出社している人は2割程度。静かなオフィス。ヒソヒソ話も聞こえない。見知った人は誰もいない。仕事だけ済ませて退社する。
急ぎの用はないので、駅ビルのレストランで1,200円のちょっと贅沢なランチ。
この暮らしはいつまで続くのだろう
パスタが出されるまでぼんやり考える。
小学六年生や中学三年生は気の毒だな。修学旅行も運動会も文化祭もないなんて。
パスタはまだ出てこない。
それで安堵している子もいるのかな。
私は今のままでいい。家で働き、ときどき出社。納涼会もいらないし忘年会もいらない。
入社して3年以上経つというのに未だに「よそ者」という気持ちが抜けきらない。
会社に馴染めないのは自分が意識しすぎだから、構えずに話しかけてくれる人もいるのに。
でも、昇給も昇進もない身分では、やはり周縁にいることに違いない。内輪ではない。
だから、今のまま、のらりくらりやっていくのがいい。
押印の依頼者から感謝と労いのメールが届いた。
こんな風に頼まれごとをこなしていければ、それでいい。
いつの間にか積読
本が増えてきた。
最近、よく買っているし、実家から借りてきた本も多い。
読みたい本、再読したい本、図書館の本、眺めるために置いてある本、それから、いつか読みそうな本、いわゆる積読の本。
本は極力買わないようにしている。置く場所もないし、読む速度も遅いし、そもそも本を買うお金がない。もっとも、缶ビール6缶と新書一冊が同じ程度の金額なのは知ってはいる。どちらが自分のためになるかも知っている。
でも、たいていの本は図書館で借りて済ませてしまう。
最近買っているのは、広告を見てすぐに読みたくなった本、一冊ずつは安い文庫本や新書、出版を待っていた本、衝動買い、それに加えて、散歩がてらに立ち寄った古本屋での買い物。もちろん、買って自分のものにして読みたい本もある。
小さな本棚を買うか。ちょうど小型の単行本が入りそうな隙間が部屋の隅にある。
本を買う金もないのに本棚を買う金があるのか。
酒を買う金はあるのに本棚を買う金はないのか。
読まない本を積んでおくのと同じくらい意味のない問答をいったい誰としているのか。
死ぬ気でやれば - 嫌いな言葉
嫌いな言葉。
死ぬ気でやれば何でもできる
食われたりしないから、死ぬ気で行ってこい
どちらも実際に言われたことがある。
最初の言葉は、就業移行支援事業所で言われた。さすがに頭に来てクレームした。
死ぬ気どころか、普通に学校や会社に通っていた人がいじめやパワハラ、長時間労働に耐えかねて死んでしまうこともある。
そんな人がいることを、こういう発言をする人は気づいていない。
確かにその人は逆境に耐えて今は盤石な足場に立っているのかもしれない。でも、その人も途中で崩れてしまう可能性はあった。
自分だったかもしれない
その可能性にすら想像が及ばないのはなぜだろう。
雨が止まない
雨が止まない。東京では7月に入ってから雨の降らなかった日はないという。
在宅勤務も終わりが見えない。
会社が入っているビルで感染者が出た。会社は警戒レベルを「段階的に出社」から「基本在宅」に戻した。
東京では感染者が増加している。東京都は『Go Toキャンペーン」の対象から外された。
私自身は今のままで構わない。でも、東京の観光業、飲食業はどうなるのだろう。
世界でも感染者数は増えている。
止まない雨はない、明けない夜はない、そういう言葉をよく聞くけれど⋯⋯…
この雨はいつ止むのだろう。そして、コロナの夜が明けるときは来るのだろうか。
何だかSF小説の世界で暮らしているような気がする。
7月19日追記。
日曜日、東京は快晴。止まない雨はやはりなかった。
では、コロナの夜明けもいつかは明けるのだろうか。
苦手な会社
20年前に営業職をはじめてからずっと苦手な会社がある。社風というのだろうか、会う人会う人、皆、感じの悪い、もっと率直に言えば、意地悪だった。同じ顧客を数年も担当していれば、互いに気心も知れてきて信頼関係が強まっていくもの。ところが、その会社の人ではウマが合う人には一人もいなかった。
ああいうのを社風というのだろうか。いつまで経っても主従関係のままで、無理難題を押し付け、対応できないと嫌味を言われ、問題が起きると激怒する。仕入先にそういう態度をとるように研修を受けているのかと思うほど、判で押したように高圧的な態度の人が多かった。
相手は大手企業で、こちらは同じ業界で転職をしていたので、16年の間、ずっと何らかの形で関わりが続いた。その度に辛い思いをした。
うつ病を発症する原因の一つが、ある購買担当者のパワハラ的な態度だった。
4年前、まったくそれまでとは違う業界の会社に入社した。ところが、ここでもその会社と関わることになった。そしてやっぱり無理難題を押し付けてきた。
いまは営業職ではないので直接、その会社と関わっているわけではない。営業担当経由で無理を言ってくる。
情けないことに、その会社の名前が出てくるだけで胸がドキドキして苦しい気持ちになる。何かミスがあったら直接電話をかけてきて怒鳴られるのではないか。直接の関係はないのに不安で身体がこわばる。
上に書いたことが原因なのか、ここ数年、まぶたを閉じればすぐ寝ていたのに夜、眠りに落ちるまでに時間がかかるようになった。先週は雨が多くて散歩に出られない日が多かったせいもあるかもしれない。
先週末の土曜日、月例の診察日にS先生に尋ねてみると因果関係はあるかもしれないという反応だった。相談の結果、一度やめた睡眠導入剤を再度、処方してもらうことになった。
心配な日に服用、眠れそうな日は飲まない。
土曜日、散歩+料理+酒に薬を加えたらよく眠れた。
具体的に書くと、朝、病院まで1時間歩き、午後には立ちっぱなしで3時間玉ねぎを炒めてカレーを作り、ビールを呑み、寝る前に薬を飲んだ。
さくいん:S先生
中井久夫を読んで得られる安心感
一患者として中井久夫を読むときにもらえる安心の効果。
1. 健常と病気を二項対立で見ない。病気は正常な反応の過剰な状態。
2. 「完治」を目指さない。何とか暮らしていければ良しとする。
3. 現状を肯定する。いま生きていることを前向きに受け止める。
4. 「人類の一人」と「かけがえのない自己」の「つりあい」が大事。
5. 病気を人生観を変える「チャンス」と考える。「せっかく病気になったのだから」。
6. 秘密を大切にする。スティグマをあえて「宝物」ととらえる。
上は以下のツィートに加筆修正したもの。これまでで一番多くRTされたかもしれない。
さくいん:中井久夫
Mac OSのミュージックについて
Mac OSに標準で搭載されているミュージック・アプリがOSアップデートのたびに、どんどん使いにくくなっていく。Apple Musicで定額料金を払っている人のためのアプリになっていて、自ら音楽ライブラリを保有している人は二の次にされている。
例えば、以前はライブラリ全体の容量やアルバム数、曲数が表示されていたのに、いまはどこにもない。だから今の状態だと、3TBの外付HDDのどれだけを音楽が占有しているかはわかっても、アルバムをいくつ持っているか、わからない。
検索も不便になった。前はアーティスト名で検索すれば、そのアーティストのアルバムだけではなく、そのアーティストの曲が入っているコンピレーション・アルバムも検索結果で表示された。いまはアーティスト単独のアルバムしか表示されない。
曲数はファイル数と同じだからFinderで調べられる。いまは76,357曲持っている。
76,000曲もあると、録音しただけでまだ聞いていない曲も少なくない。お気に入りのアーティストのアルバムはほぼ全て集めた。
最近、家にいるときはSpotifyの無料版を利用している。好きなアーティストの曲はここで選んで聴ける。
完全無職時代は、毎日、住んでいる自治体内にある図書館を歩きまわりたくさん借りた。就業移行支援事業所に通っていた頃は、CDの多い図書館が近くにあったので、毎週、大量に借りていた。いまはそれもできない。
Apple MusicやSpotifyの有料会員、月額980円は私には高い。
音楽ライブラリは、これ以上は増やさなくてもいいかもしれない。持っている曲だけでも十分だし、持っていない曲はSpotifyで聴ける。
音楽の蒐集はひとまず休みにする。
写真は梅雨の合間の晴れの日に撮影した木漏れ日とベルフラワー。
地元でF会
昨夜のこと。
3月にキャンセルした集まりを今月に延期した。店も予約して「決行」の予定だった。ところが、直前になって、子どもが小学生の人、二人から「今の状況ではちょっと行かれない」と連絡が入った。
4人の集まりなので、2人抜けると、残りは二人。偶々、同じ路線沿いに住んでいるので、予定していた大学近くの店はキャンセルして、地元の蕎麦屋で呑むことにした。
昼は何度か来たことがある。夜は初めて。
気楽な会だった。三密はない。味は美味しい。値段は手頃。
会話も弾んだ。コロナのことからアメリカの大統領選のことまで。
呑んで、つまんで、〆には板そば。
ほろ酔いで帰宅しても10時前。ご機嫌な夜だった。
あまりにご機嫌で食べる前に写真を撮るのを忘れてしまった。
ご機嫌ついでに帰宅してからジンを一杯呑んだ。
買い物。靴と鞄
新しいものを二つ買った。一つは靴。もう一つは鞄。
靴は防水加工されたウォーキングシューズ。朝の散歩用。これまで長い間、息子の”お古”を履いていた。毎日履いているのでもう靴底も抜けて、爪先も口を開けそうなくらい擦り切れている。下見をよくしたのでいいものが選べた。色は黒。
鞄はグレーの大きなトートバッグ。パソコンも入るし、隔週で2泊する実家への帰省に使うのもよさそう。値段もそれほど高くない。鞄も時間をかけて選んだ。
元は5月の連休に買うつもりで、冬の終わりからあちこちの店を見た。長く使うつもりで革製品の高級ブランドも見てみた。百貨店のカバン売り場でブランド名のない製品も見た。
ちょっと気に入ったものを見つけたので家族にも見てもらったところ、評判がよくない。デザインがゴツい、値段が高い、重い、など、散々なことを言われた。そこまで言われると気に入っていた気持ちも萎えてしまう。その鞄はあきらめた。
そんなとき、最寄駅の駅ビルに小さな革製品の店を見つけた。種類も多く、色のバリエーションも豊富。いくつか見せてもらったなかに、探しているサイズの製品を見つけた。
使い勝手もよさそうだった。鞄はジッパーで閉じられる。中には、片面にパソコンが入れられる大きなポケット、反対側には長財布などを分けて入れられる3つのポケット。外側にもジッパーで開閉できる小さなポケット。スマホや小銭入れを入れられる。
このメーカーはいわゆる途上国に工場を持ち、製造をさせるだけではなく、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を理念にして、フェアトレード的なビジネスをしている、店員がそう説明してくれた。その点も、この店で買おうかなと思いはじめた理由。
それでもまだ買わなかった。そもそも3月以降、在宅勤務が続き、5月の連休も帰省せず、巣篭もりの暮らしを続けていたので、新しい鞄を買っても使う場面がなかった。
最近はまた隔週で実家に行っているし、社印を押すための出社もときどきある。そろそろ買っていい頃。そう思って、今日、買ってきた。
私はもともと不動産の購入もその場で決めてしまうほどの即決派。「買い物は買うまでが楽しい」という人もいる。今回は、十分に「買う前」を楽しんだ。
三木清全集 第19巻 遺稿・日記・書簡・補遺・年譜他、岩波書店、1968
実家に帰ると、たいていは母を連れ出して出かける。海だったり、百貨店だったり、映画館だったり。
先週末はひどい雨だったので家で過ごして、映画を見た。見たのは『海兵学校物語 ああ 江田島』と『破戒』。
前者は「海軍さん」の好きな母が喜びそうなので選んだ。
1959年のカラー作品。兵学校の厳しくも規律ある暮らしぶりを背景にしつつ、若者たちの友情を描いた青春ドラマ風の仕上がり。
ヒロインも設定されていてその点では和製『愛と青春の旅立ち』の雰囲気。
1959年といえば、安保闘争の激しかった頃。自衛隊への風当たりも強かった時代。本作はどんな風に社会や批評家に受け入れられたのだろう。
兵学校がどういうところか、職業軍人とはどういう人たちか。そういうことがよくわかる作品。
海上自衛隊も協力しているこの作品は、士官候補生募集キャンペーンの一翼を担ったのではないか。そんなことを想像させる「作り」でもあった。
小説『破戒』は初めて読んだ文学作品なので思い入れがある。映像作品を見るのは初めて。どんな風に解釈されて映像化されているのか、興味を持って見はじめた。
配役と演出、演技はよかった。市川雷蔵は秘密を抱えて苦悩する青年をよく演じていた。三國連太郎も気骨ある思想家の雰囲気が出ていた。
二人以外にも、私のなかでは老人役でしか見たことのなかった俳優をずっと若い年齢の役で見つけられたのが面白かった。
長門裕之、岸田今日子、加藤嘉、浦辺粂子。もっとも浦辺粂子はおそらく実年齢よりずっと老けた人物を演じていた。
キャストとそれぞれの演技には趣があった一方、原作と違う場面が多々あり戸惑った。
長編小説はもちろん、中編小説でも映像化すると、どうしてもダイジェストのようになる。そこで製作者は小説からモチーフを一つ取り出して、そこに焦点を絞り映像化する。これは『蜜蜂と遠雷』を小説を読んでから映画を見たときに考えたこと。
だから、あの場面がない、あの台詞がない、とケチをつけても意味がない。製作者たちが小説のどこに焦点を絞っているか、そこにピントが定まっているか。そこが問題になる。
この作品は瀬川丑松の苦悩に焦点を絞っている。そう思ってみれば、よくできている作品と評価できる。
さくいん:島崎藤村、秘密
先月、松田聖子の楽曲の編曲を多く手がけた大村雅朗の特集番組を見た。
番組で紹介されていた、大村の遺作となった「櫻の園」は聞いたことがなかった。そこで図書館で調べてみると、「櫻の園」だけでなく、大村雅朗が作曲編曲を手がけた曲を集めたアンソロジーがあった。さっそく借りて聴いてみた。
「櫻の園」に松本隆が添えた詩は、盟友へ捧げる思いのこもった挽歌だった。
思っていた以上に私の好きな曲がたくさん入っていた。前に松田聖子が歌った松本隆作詞の楽曲からお気に入りを選んだ。そのとき選んだ10曲のうち6曲が大村雅朗編曲だった。
間奏のアコースティック・ギターが軽快な「水色の朝」、甘えた声がかわいい「真冬の恋人たち」、詩の世界が壮大な「メディテーション」、幻想的な雰囲気が漂う「ガラスの林檎」など。
ジャズ風の「Sweet Memories」からバラードの「セイシェルの夕陽」、ポップな「夏の扉」まで、あまりに編曲の幅が広いので、どういう編曲が大村雅朗風なのか、私にはわからない。いろいろな雰囲気の曲があるということは、それだけ歌手、松田聖子の世界を広げたことは間違いないだろう。
作曲した作品を並べると「Sweet Memories」に代表される甘くしっとりしたメロディが多い。そういう曲が私のお気に入りと重なっている。
作曲についても、甘いメロディが多い、というだけで、いろいろな雰囲気の曲がある。耳がいい人は「大村節」という曲調や編曲が分かるのだろう。音痴の私にはわからない。もしかすると、懐が広く、臨機応変に曲のイメージに対応できるところが大村アレンジの肝だったのかもしれない。
ただ、松田聖子が成長し、アイドルからシンガーへ変わっていくにつれて大村のアレンジも多彩で豪華なものになっていることはわかる。シンセサイザーなどの電子楽器もより進化していったのだろう。
好きな曲、10曲のうち6曲が大村アレンジだったということは、名前も知らないうちに彼の編曲に惹かれていたということ。名前を知って、彼が関わった楽曲がさらに好きになった。
さくいん:松田聖子、松本隆、Earl Klugh、80年代、名前
見えない偏見
今、アメリカでは黒人に対する差別が、日本では身体障害者に対する差別や偏見が注目を浴びている。
差別の問題を考えるときに、いつも頭をかすめる疑問がある。有色人種や障害者に対する差別は、不当であることはもちろんわかってはいるけれど、生理的に嫌悪感を抱く人がいることはわからなくはない。なぜなら、見た目で違いがわかるから。
このタイプの差別や偏見については多くの人が語っている。私が注目しているのは、「見た目」ではない差別と偏見。
私が疑問に思うのは、目に見えない「差異」が差別になること。被差別部落出身者、在日韓国・朝鮮人、LGBT、自死遺族、精神疾患の患者とその家族、犯罪者の家族、最近では新型コロナウイルスに感染した人たち⋯⋯…。
彼らは見た目では「一般人」と変わところはない。だから「差異」を告白しないかぎり、何事もなく、社会でふつうに生きていける。
しかし、ひとたび「差異」が明るみになれば、周囲は戸惑い怖れ、偏見を抱きはじめる。
典型的な例が島崎藤村の小説『破戒』。それまでずっと普通に接していたのに、瀬川丑松が被差別部落出身とわかった途端、周囲は突然態度が変え、教員をしている彼を学校から追い出そうとする。
この心理メカニズムは何だろう。たった今まで「普通」だった人が、一つの情報で「違う人」になる。人間は「社会的動物」だから、社会制度や社会の空気で作られた差別に目だけではなく、頭で反応してしまうということだろうか。
ある意味、このような差別の方が根深いものと感じる。なぜなら「差異」が目に見えないように「偏見」も表情には出ないから。しかし、「偏見」は厳然と心のなかにある。言葉を換えると、その人を見るとき、もうその「差異」抜きでは見られなくなる。
目に見える差別は、そこに明らかに差別があるから、社会的な制度の改善や教育の拡充で少なくすることができる。
目に見えない差別は、差別や偏見が見えない。だから当事者は「差異」が明るみになったとき、どんな偏見をもたれて、どんな差別を受けるのか、想像することができない。だから当事者は「差異」を隠す。「秘密」にする。親しい人にも打ち明けられない「秘密」は心の内で重さを増やしていく。目に見えない差別が根深く厄介なもの、とはそういうこと。
見えない差別でも見える差別になると、差別が明らかになる分、社会制度の改良への道も開ける。例えばLGBTの人たちには「秘密」を告白(カミングアウト)してあえて偏見に身をさらす人が増えている。その代わり、同性婚が法制化されたり社会制度も改良されている。
目に見えない「差異」に対する偏見は、心の底に巣食っているだけに、解消するのは容易ではない。
さくいん:島崎藤村、秘密
毎日書いてる
毎日書かないと書いておきながら、結局、7月は毎日書いてしまった。
書きたいことが尽きることはない。本を読んだり音楽を聴いたりすれば感想を書く。何もしなかった休日には「何もしなかった」と書く。
いまでも強い抑うつ状態になったり、ため息が重くなる日もある。それでも、一番辛くて苦しかった頃のように、ひと月何も書けなかったり、「言葉が出ない」ということはない。
読むことより、書くことの方が好きかもしれない。
完全無職時代、就労移行支援事業所で「ブログのことを話しているときが一番うれしそうですよ」と言われたこともある。
書くことは、「内に秘めた情念」を発散する効果があると聞いたことがある。「王様の耳はロバの耳」効果。
確かに人には言えないことをここでは自由に書いてきた。過去に書いた文章を推敲する「庭いじり」は私の一番の趣味でもあるし、ユーウツな時をやり過ごす作業でもある。
ことばが、その公共性において「外なることば」として機能しうるとともに、その「私」性において「内なることば」として機能しうるという、まさにこのことにおいてことばは個人と社会をつなぐ点に位置するのである。そして子どものことば獲得の過程のなかにその源を見出したいと思うのである。
岡本夏木『子どもと言葉』から。言葉は他者との交信以前に、まず自分に向けられ、心を整わせる機能をもつ。
今朝、TwitterのTLで「セルフ・セラピー」という言葉を見かけた。自分自身に向けて行う心理療法。
「書くこと」は私にとって、「セルフ・セラピー」であり、「セルフ・ケア」でもある。
来月も毎日書くのか、いまはわからない。決める必要もない。書きたければ書くし、書けなければ書かない。
「箱庭」という名称は我ながらいい名づけだったと思う。いくつかのキーワード——概念といってもいい——を配置して文章を作ることが、私にとって「箱庭療法」になっている。
それらのキーワードは思索の操作によって定義が堅固になっていく。
そして、これらの言葉は「さくいん」で[語彙]としてまとめて見ることができる。
秘密、悲嘆、労働、孤独、暗黒、うつ、偶像、英語、70年代、80年代、⋯⋯⋯⋯。