5/28/2011/SAT
偶像と初恋
何も書けないままひと月が過ぎてしまった。過去に書いた文章の推敲だけは、ほぼ毎日している。
4月最後の土曜日、30日には最近読んだ3冊の本の感想を書くつもりだった。その3冊というのは、次の通り。
- 『みずうみ』(1849、Hans Theodor Woldsen Storm、関泰祐訳、岩波文庫、1979)
- 『夜のピクニック』(2004、恩田陸、新潮文庫、2006)
- 『優しい音』(三輪裕子、小峰書店、2010)
どの小説も、それぞれよかった。
『みずうみ』は、ずっと前に日経新聞のコラムで紹介されていた記憶がある。『夜のピクニック』は最近、盛んに本を読んでいる中学生の娘に教えられた。『優しい音』はどこで知ったのか、記憶も記録も残っていない。
3冊に共通するのは「青春」と「初恋」。その二つの言葉を始点にして読後、「秘密」や「友情」という言葉へと広がった思いを書くつもりでいくつかの断章を書いたまま、ひと月経っても書き上げることができず、書き散らしたまま放置してある。
どうしても書けないときは「書けなかった」ということだけでも書いておく。書けなかった理由を考えておくと書けるときがいつか訪れるかもしれないから。
「初恋」について考えるため「初恋」の歌を選んで朝夕聴いてみた。その中で今回印象に残ったのは角松敏生「初恋―HATSUKOI」(1986、『T's 12 INCHES』BMGビクター、1994)。
今は幸福をつかんだ君を
想い出にかえて時に身をゆだねながら
一人きりでも何かが見えてくる
初恋は 終わらない
初恋は終わったと気づいたとき、それはずっとずっとあとのことかもしれないけれど、そのとき「一人きりでも何かが見えてくる」。それはわかるような気がする。でも何が見えてくるのか、その「何か」がわからない。
だから私には、この歌の余韻とはまったく違う意味で初恋が終わっていない。
本の感想を書けなかったかわりに、こちらもまた長く書けないでいた第四部の副題について、隠喩的に、つまり遠回しで、勿体ぶった表現で書いておくことにする。
1970年代の終わり、季節は秋、私は私が私であることに気づいた。あとから思えば、それは思春期のはじまりと言ってもいいし、ルソーが「第二の誕生」と名づけた年ごろとも言える。そういう自分を見つけられたのは自分の外の世界を知りはじめたから。
自分の外側に美しいものを見出す、「初恋」もそのなかの一つ。
私は、小さな庭ではなく、自分がとても広い世界のなかにいることを知った。どこまでも広がっている世界を知ってみたい、そんな気持ちももちはじめた。
大きな木の木陰に私はいた。その大木には、いろいろな花が咲き、実がなっていて、それぞれが世界の広さを物語っているようだった。大樹にもたれ、さざめく木漏れ陽を見上げながら、私は広い世界へ思いを馳せていた。やがて、初夏のさわやかな風が私の頬を優しくなでていた。
ところが冬の澄み切った小春日和のある日、突然、大樹は音を立てて倒れた。崩れ落ちてくる花や実のなかで、私は小さな果実を一つ、受け止めた。それは、硝子でできた林檎だった。私は、何の感情も感じていないような表情のままで、割らないようにそっとその林檎を抱えた。
あのとき、私には何もできなかった。大木が崩れ落ちてゆくさまを茫然と見ているだけだった。そのときの後悔は、何十年も経った今でも、時が過ぎればなおさら、強く重くのしかかってくる、「あの頃」の稚い私にはあの木を支える力はなかったとしても。
もたれかかる大樹を失った私には硝子の林檎をしっかり持っていることだけが慰めだった。硝子の林檎は淡い光を帯びていた。日長飽かずに私は林檎を眺めていた。いつまでもそうしていられるような気がしていたし、それ以外のことは何一つできるような気がしなかった。
硝子の林檎は私とって偶像だった。眺めているだけで勝手に自分の恋人でいるように思える、その意味において文字通りアイドルだった。
ちょうど、その頃、よく聴いていた歌のとおりの気持ちだった。
真っ白な陶磁器を
眺めてはあきもせず
かといって触れもせず
そんな風に君のまわりで
僕の一日が過ぎていく
「白い一日」(小椋佳作詞、井上陽水作曲、『遠ざかる風景』)
爽やかな春の風が吹いていたある日の午後、淡い光を帯びている硝子の林檎がふわっと大きく輝いた。私は驚いてうっかり強く抱きしめてしまった。すると、硝子の林檎から私に向かって光が差し込んでいるように見えた気がした。それはまったくの錯覚だった。
硝子の林檎は粉々に砕けた。
砕け散った硝子の破片は私の目を見えなくし耳も聞こえなくした。砕け散った硝子のうえを裸足で歩きまわり、足の裏は血だらけになっているのに何の痛みも感じることがなかった。それどころか、目が見えないまま、ほかの人の足を踏みつけたり、蹴りつけたりしているのにそれに気づくこともなかった。
私がようやく薄目を開けられるようになったのは、いつのことだったか。アメリカを旅し、ヨーロッパへ旅しようと決心した19才の春だったかもしれない。確かにロンドンからブリュッセル、ドイツを経てウィーンまで、2ヶ月をかけてヨーロッパを横断した旅行は私を大きく変えた。
あれから何十年かが過ぎ、私は、今度は自分の弱さから目をそらすために自ら目を閉じ、耳をふさぐようになった。何も見えず、何も聞こえない。
「あの頃」、いつか、広々とした世界を見晴らすことができるようになれると思っていたのに、今は自分の足元も見えていない。
そんな風になって、もう4年くらいになる。
そんな私には、「青春」についても「初恋」についても、まだ当分のあいだ、何も書き出すことはできないだろう。
目を開けろ、耳をすませ。自分が立っている世界の広さを感じろ。
それができるようになるために、独りで酒を呑むことをやめた。呑みたいときには「ただの炭酸水」を飲む。一日に1リットル以上飲んでいる。
会社が潰れそうになって不安でたまらなかったときほど、量では呑んでいないのに、呑み方の質からみれば、この数年の方がずっと依存度が高い。
副題にはもう一つ、もっと単純な理由がある。
朝夕、電車のなかで白い林檎のマークのついたスマートフォンで自分が書いた文章を読み返している。気になる音楽を図書館で探しては、どんどん放り込んでいるのもおなじ機械。一昨年の夏、この機械を手に入れてから、生活がずいぶん変わった。40歳を過ぎて、こういうことが起こるとは思ってもみなかった。
こうして一ヶ月ぶりに文章が書けたことで、さっそく禁酒の効果がでてきたと思いたい。
さくいん:偶像、初恋、三輪裕子、恩田陸、小椋佳、ブリュッセル、ウィーン
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