硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2011年4月


4/16/2011/SAT

母校へ行って考えたこと

通っていた大学の校舎が取り壊されると聞いて、春休みに家族と両親を連れて見に行った。両親を連れて出かけたのは父もかつてこの場所で学んでいたから。

敗戦直後、まだ大学の規模も小さく、空襲を受けたために使えない校舎もすくなくなかった。学校の近くに教会がある。父はそこを臨時の教室に使っていた。そのプロテスタント教会で私は結婚式を挙げた。

4年間籍を置いていたはずの場所に行ってみて、正直なところ、何の感慨もなかった。無理に探してみれば、入学試験の合格発表を見た掲示板があった。4年間もいたはずなのに、思い出すのは入る前のことだけというのでは、何とも情けない

思い出してみれば、マンモス大学のこの場所に、ほとんど通っていなかった。サークルにも入らず、特別に親しい友人もなく、ぼんやりと過ごしていた。卒業できる日数を計算しながら通った高校のときよりもひどかった。一度も出席したことのない科目の試験を誰のものかも知らない人のノートのコピーを一夜漬けで覚えてこなしたことも一度や二度ではない。


その後、もう2年通った学校の方が、ほとんど毎日通っていたし、いろいろな意味で思い入れもあったので、母校というと、ついそちらの学校を思い浮かべてしまう。それを口にすれば、気まずくなってしまうので、ただ黙って高層ビルの森に変わりはじめたキャンパスを黙って歩いた。

大学生の頃、つまり、18歳から22歳のころまで、私は職業とか将来の生活についてまったく真面目に考えていなかった。「バブル」という名の恵まれた時代のせいもあった。いや、時代のせいにしてはいけない。ほかの同級生達は職業について、将来についてよく考えていて、そのうえで勉強したり、OBに会ったりもしていた。

何をしたらいいのか、何をしたいのか、どんな仕事をしたいのか。私には何の考えもなかった。「職業」について、私は何の心構えもなかった。

アルバイトをしたこともなく、ましてや食べることに困ったこともなかった。ただ、のんべんだらりと二十歳過ぎまで暮らしていた。


なりたい職業がなかったわけではなかった。

最初に夢見たのは、クリーニング屋だった。バス停で待っている間、アイロンをかけている姿が目に止まった。次に夢見たのはタクシーの運転手。クルマが好きで、でも家に自動車がなかったので、一日中クルマを運転できる仕事に憧れた。その頃、小遣いで買って読んでいた自動車雑誌に「どうすれば個人タクシーの運転手になれるのですか」と投書して掲載されたこともある。これは小学五年生の頃のこと。

小学六年生のとき突然古代史と仏教美術に憑りつかれた。伏線がなかったわけではない。小学五年生の夏休み、家族で明日香村を歩いた。そのときは、わけのわからない石と寺のあいだを歩かされているだけで退屈極まりなかった。

歴史を勉強しはじめた六年生の夏休みには、同じ場所をまったく違う気持ちで歩いていた。遺跡を掘ったり、古い仏像を修復したり、それを博物館に並べて見せたり。そんな仕事に憧れはじめていた。

その夢は具体的になることはなかった。どんな学校でどんな勉強をすればいいのか、そんな職業につけるのか、調べることもなかった。私はいつも志が浅い。


高校二年生の夏、今度は英語に憑りつかれた。理由はなかった。あったのかもしれない。まだ、それほど意識はしていなかった。大学受験のための予備校ではなく、指導の厳しい、今から思えば少し異常な雰囲気の漂う英語学校へ通った英語が話せるようになりたい、外国に行ってみたい、住んでみたい、そう思うようになりはじめた

でも、その野心と職業が交差するところを見つけるまで思いは至らなかった。

職業とはどういうものか、まったくわかっていなかった。教えてくれる人もなかった。今中学校では職業体験も行われている。そういう体験もなかった。

私が大学生の頃は、経済は「バブル」の絶頂期、就職活動は「売り手市場」の時代だった。電話帳のように分厚い企業情報が何冊も勝手に家に送られてきた。

結局、最初の会社は休日が多く、海外駐在ができる可能性が高そうなところ、つまり、自分よりも英語ができる人がいなさそうなところを選んだ


学校を出て、会社で働いて、また2年間学校に通い、そのあとは転職を繰り返しながらサラリーマンを続けている。

職業とは何か。いまも私は明確な考えをもってはいない。生活していくためには働かなければならない。職業について考えるとき、必要性から考えることが多い。だからできるだけ楽に稼ぎたいと思っているし、休みも多いほうがいいと思っている。

「働きがい」ということを、私はほとんど感じたことがない。仕事というといつでも、楽か大変か、という尺度でしかみることができない

働いていて楽しいと思ったことがないというわけではない。でも私が感じる楽しみというものは、行ったことのない場所に行けるとか、仕事で出会った人とのちょっとした関わりに小さな幸福を感じるとか、いずれも職業そのものとはすこしずれている。問題を解決したとか、売上が増えるとか、プロジェクトが成功するとか、そういうことでは興奮したことがない。

いや、正確に言えば、感じていたのかもしれない。それなのに、気づかぬうちにそれを積極的に快いものと感じないようにしてきた。つまり、私はいつも仕事を必要悪という面からとらえていて、そこから派生する楽しみや歓びは偶然の副産物としか思っていない。

それを「職業についての学習」をしなかったせいにするつもりはない。

家族や友だちからみれば、私は仕事を楽しんでいるように見えているだろう。そのうえ、いま働いている会社では職場の環境にも恵まれているし、報酬の面でもメディアで知る統計を見るかぎり、同じ年齢と人に比べてはるかに恵まれていることを知っている。

問題は、私の「職業観」にある。


外国に住んでみたいという夢は潰えた。留学にも駐在にも縁がなかった。外国に出ていくこととは反対に、外国企業の日本支社でずっと働いている。それは、多少でも人よりできることが英語を使えることだったから。

高校二年生の夏から一年間、英会話学校に通った。校内では日本語禁止という奇妙というよりは無謀な原則を看板にしている学校だった。その学校も今はもうない。

なぜ、あのとき、ほかの生徒が受験予備校に通いはじめたころ、英会話などにのめりこんでいったのだろう。

その理由はわかっている。わかってはいるけれども、なぜ、そんな理由で英語学校に通いはじめたのか、その理由が、いまではよく思い出せない。

海外出張に行くとき、飛行機の狭いシートでまどろみながら、いつも考えてしまう。なぜ、私などが英語を使う仕事に就いているのだろう。

何の目標もなく、夢もなく、それでも目の前に現れた「英語」という世界に飛び込んでいった心境は何だったのだろう。


夕べは、そのことについて語り合えるただ一人の相手と、久しぶりに二人だけで顔を合わせ、日本酒を酌み交わしながら静かに話をした。同じ場面を一緒に見ていても、その受け止め方は少しずつ違っていたことに、今さらながら気づいた。

結論を求めていたわけではない。いつか私は自分の十代のあいだにしたことすべてについて「総括」しなければならないとは思ってはいるけれど。

夕べは、美味い刺身を肴に語り合えたというだけで、「悲しみのなかの幸福感」を私は味わっていた。


さくいん:英語


4/23/2011/SAT

Twitter開始

Twitterをはじめた。もちろん、その存在は知ってはいたものの、ほかの人のいわゆる「つぶやき」は読んだことがなかった。

私の「つぶやき」は人に聞かせるものではない。内容は、『烏兎の庭』の推敲メモ。

仕事の帰り、電車に乗ると、まずスマートフォンでその日のNBAの試合結果を見る。それから駅の売店で買った日刊ゲンダイを一通り読む。それでも、まだ家には着かない。

そういうとき、自分が書いてきた文章を読み返す。読み返すと誤字脱字をまだたくさん見つける。文法が正しくない記述もすくなくない。ある言葉からほかの文章へリンクさせておきたいところにも気づく。

そういう推敲のためのメモや、ふと気づいたことでそのうち文章にしようかと思うようなことは、これまで手書きでメモ帳に書いたり自分宛てに携帯電話からメールを送ったりしてきた。最近では、クラウド・サービスで新聞や電車の吊り広告で見つけて気になった本やCDのメモ書きもしている。

クラウド・サービスのソフトウェアには、次に図書館で借りる本の書名やら、あとで調べたい人の名前や読み返して気づいた自分の文章の間違いやらであふれかえっている。

そこで推敲メモは独立してTwitter上に書くことにした。誰かに見せるためではない。携帯電話でメモ書きした後、パソコンで見られる、クラウド上のメモ帳。

もともと、『烏兎の庭』というウェブサイト自体、外に向けて書いたつもりであっても、誰かに読んでもらうつもりで書いたのではなかった。文章を書きはじめたのは、自分の考えを整理するためだった。

それが、いつのまにか、自分の記憶と気持ちを整理する場所になっている

私の『庭』一人で石を積み上げて築いたシュヴァルの理想宮のようなもの。好きなことを好きなときに好きなようにつくりあげていく場所。

考えてみれば、私の『庭』は最初からつぶやきで独白だった。そのことは今はもう鍵を開けた裏庭へ続く木戸にも書いてある。


さくいん:日刊ゲンダイ


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uto_midoriXyahoo.co.jp