土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2008年9月


9/6/2008/SAT

もっと、狐の書評、山村修、解説「狐」はいつでも起きている、岡崎武志、ちくま文庫、2008


もっと、狐の書評

一斉休暇となる職場ではないので、お盆の週もいつもどおりに出勤した。電車も駅も空いていて歩きやすい。周りも休みが多いので急ぎの仕事がない。今週は、いつもより早く職場を出られる。もっとも、ふだんでも、遅くまでいることはほとんどない

いつもより少し早く会社を出て、のんびり各駅停車に乗った。いつもなら駅で下りると、早足でバス停へと向かう。時間に余裕があると、気持ちもゆったり。ふと、吸い込まれるようにして駅ビルの書店に入った。

手に取ったのは、出たばかりの<狐>の新刊。新聞広告で発売になったことは知っていた。でも、<狐>こと、山村修がもういないことも、私は知っていた。新刊に収められているのは、これまでの単行本未収録の書評とインタビュー。迷わず買って、帰りのバスのなかで読みはじめた。

山村は、家では立って本を読んでいたという。いい文章は丹田に力が入っていないと書けないという言葉を読んだことがある。確か、画家中川一政の言葉。山村の書評は、背筋がピンとしている。本を読んでいるときの姿勢が、そのままその本について書いた文章に表れている。

山村は、朝夕の通勤でも電車の中で読んでいたという。立って読んでいたのか、それとも座って読んでいたのか。


前に<狐>の文章を読んだとき、「働きながら読む」といことを考えた。書評に対する心がまえなども吐露している新刊を読みながら、もうすこしし抽象的に「在野」ということを考えた。

「野に在る」ということと、「俗に染まる」ということは違う。高いところから下りてきて、下々の人間に教えてやっているという態度の文章は少なくない。そういう人にかぎって、安っぽいテレビ番組でつまらないコメントを垂れていたり、注文されるままに書いているのか、出すたびに質の落ちる本を次々量産している。また、そういう人たちにかぎって、自分は野に在ると誇らしげに語ったりもしている。

彼らは、自分が見下している人々にいつの間にか見下されていることに気づかない

山村修の文章を読むと、ほんとうに<野に在る>ということがどういうことなのか、よくわかってくる。もちろん、山村は、自分から「野に在る」などとは言わないし、「降りてきた」とも言わない。彼は、はじめから野にいて、野を駆け回っていた。

解説を読み、山村が亡くなったのは8月のことだったことを知った。おそらく彼は、私が毎朝乗っている電車に乗って通勤していた。いつもより空いている電車で<狐>が本を読んでいる姿を想像しながら、彼の遺著を読んだ。

写真は、夏休みの最後に御殿場で見た富士山。梅雨どきや秋に行くことが多いので、夏の富士を見るのは、実は初めてだった。


さくいん:狐(山村修)


9/13/2008/SAT

愛の戦士 レインボーマン キャッツアイ作戦編(1972)、川内康範原作、東宝、2001

愛の戦士 レインボーマン サイボーグ軍団編(1973)、川内康範原作、東宝、2001

エスパー魔美(1987)DVD 第1巻、藤子・F・不二雄原作、フロンティアワークス、2007

エスパー魔美(1987)DVD 第8巻、藤子・F・不二雄原作、フロンティアワークス、2007

エスパー魔美 星空のダンシングドール、東宝、1988

夏休みに見た映像作品の感想。

エスパー魔美のことを書いてから、ずっと前に書いた文章のなかにあった浅倉南を佐倉魔美に変更した。『タッチ』はコミックはまだかすかに覚えているけれど、アニメのほうは記憶にない。あだち充の作品は、『陽あたり良好』も『みゆき』も、80年代中ごろに一通り読んだはず。今はもう読み返すこともない。

もう一つ追記。『レインボーマン』「キャッツアイ作戦』に出演しているマカオに住む少年ロコは70年代前半、夕方に放映されていたNHK少年ドラマシリーズ『つぶやき岩の秘密』(1973)の主人公、紫郎を演じた佐瀬陽一だった。

破天荒なヒーロー『レインボーマン』と子ども向けにしては不気味なほど静謐な『つぶやき岩の秘密』は、ほぼ同じ時期に放映されていた。70年代が持っていた二つの顔と言ってもいいかもしれない。

写真は雲にとりかこまれた富士山。先週の写真と同じ場所。


この夏には、『ジュマンジ』をシアター・ルームで、『崖の上のポニョ』を映画館で見た。『ポニョ』は、老若男女総出で見に行った。一番喜んでいたのは、宗助に一番年の近い少年。この作品はそういう作品だし、宮崎駿はそういう作家だと思う。そろそろ、この人に作品を通じて語らせる以外に語らせるのはやめたらどうだろう

以下2009年1月3日追記。

作品のなかでも宮崎駿は饒舌になりすぎているような気がする。この映画の主題は「好き!」という単純で率直な気持ち。宗助やポニョ、5歳くらいの子どもはその気持ちを表わすとき、まず直接に行動する。顔をすりあわせ、身体を抱きしめる。そうでなければ「チュー」とか「ギュー」といった語彙を使う。実際、大橋のぞみが歌う主題歌は、子どもの言葉の「抱っこ」という言葉さえ使わず、「ギュー」という擬音を使っている。

映画でも、ずっと二人の気持ちはまず行動で、それから「好き!」というひと言だけで表現される。ところが、いよいよ大団円という場面で、ポニョの母親、グランマメールは、「チュー」でも「ギュー」でもなく、大人が恋愛で使うありきたりな言葉を突然、 口にする。

私は、そのひと言ですっかり醒めてしまった。「好き!」という一語で押しとおしてきた幼児の無垢な気持ちは、最後にあっさり大人の言葉にすりかえられてしまった。確かに「チュー」でも「ギュー」でも「抱っこ」でも、最後の場面にはふさわしくはなかったかもしれない。それにしても、無粋な台詞ではなく、別な言葉やアニメーションの技術ですりぬけることはできなかったのだろうか。

宮崎駿は、現実にはありえないような動きや気の利いた台詞を得意としていたはず。例えば、『未来少年コナン』の最終回、ラナを抱き上げバラクーダ号の帆柱を駆け上がるコナン、『となりのトトロ』の最後の場面、「案外、そうかもしれないよ」という父親の台詞ととうもろこしに残るメッセージ。

いつからだろう、驚くような動きもなく、説明文のように無粋な台詞で物語を締めくくるようになってしまった。『千と千尋の神隠し』でも、『ハウルの動く城』でもそうだった。

それでも『ポニョ』の場合、耳にいつまでも残る主題歌が救いになっている。


さくいん:宮崎駿


9/20/2008/SAT

Ocean Side (1984)、菊池桃子、VAP、1994

Rosé (1983)、飯島真理、ビクター、1994

Blanche (1984)、飯島真理、ビクター、1994

水の中のライオン (1984)、谷山浩子、ポニーキャニオン、1991

The Best Year of My Life (1984)、オフコース、ファンハウス、1994

ANOTHER SUMMER(1985)、杉山清貴&オメガトライブ、1994


Ocean Side Rose Blanche 水の中のライオン The Best Year of My Life ANOTHER SUMMER

ターミナル駅の前にある大型レンタル店には、図書館や近くのレンタル店では見つけられなかった作品も置いてある。『レインボーマン』や『エスパー魔美』もここで借りた。

夏の終わりの半額セールで、これまでずっと探していたアルバムをまとめて見つけた。どれもカセットテープでよく聴いていたもの。カセットテープをなくして、耳にすることはなくなっても、歌詞はずっと覚えていた。手にしてみると、すべて高校一年生の夏によく聴いていたアルバムと気づく。

高校一年生の夏を思い出したきっかけは菊池桃子のデビュー・アルバム。夏が来る前中国のホテルでネットから注文をした。ささやくような彼女の歌声が好きだった。このアルバムでは、歌詞よりもサウンドが耳に残る。男性コーラスと明るくて、爽やかなアレンジ。作曲と編曲は林哲司。

聴いていると初めて買った香りのついたヘア・スプレーに鈴木英人が描いた西海岸の風景が目に浮かんでくる。

菊池桃子に加えて、林哲司の仕事は、竹内まりや「セプテンバー」、原田知世「愛情物語」、松原みき「真夜中のドア」、など。なるほど、70年代の終わりから80年代はじめにかけての私の好みと接点が多い。

ここに挙げたアルバムを聞いていて思い出すのは、一人で電車の扉にもたれて見た風景。それでもあまりさみしさいらだちは思い出さない。

むしろ、頬を打つさわやかな風や夏の海の匂いを思い出す。そこには誰もいない。なぜだろう。


電車を乗り継いで通う遠い学校へ入学したので、16歳になってすぐに原付免許を取り、夏休みに50ccのスクーターを買ってもらった。風を切って走る心地よさを覚えて、海沿いをよく走った。朝駅の駐輪場に止めず、そのまま海辺をひとまわりしてから学校へ行ったり、そのまま砂浜で昼過ぎまで過ごしてしまうこともあった。

確かに、谷山浩子のアルバムには「K・M・A・K・U・R・A」という歌も入っている。そこでは鎌倉は「時間の進み方がちょっとおかしい」街と言われている。鎌倉の海辺は異界へとつながる場所

授業をサボって一日中海を眺めていても、咎められるようなことはなかった。それを、好き勝手に逸脱して、何かから自由になった気になっていたのだから、井戸から出ても、庭からは一歩も出ていない蛙のようなものだった。

ほんとうは、電車のなかでも海辺でも、どこにいても、一人ぼっちだったわけではない。でも、独裁国家の報道写真のように、そこにいたはずの人の痕跡はすべてなくなり、誰もいない風景だけが記憶に焼き付けられている。なぜだろう

一人でいたことにしておきたいのか、そのときも、ほんとうは一人でいたかったのか。それとも、誰といても、グループのなかにいても、心の中では一人ぼっちだったのか


バイクに乗っていたことなんて、ずっと忘れていた。坂のほとんどない東京の街に住むようになってからは、自転車で十分間に合う

しばらく、70年代のことばかりを考えていたので、これまで鮮明だった80年代の記憶が次第にぼんやり希薄になっている。でも、そうして一度忘却という濾過装置を通すことで、どの出来事や体験が私にとって重大だったか、その体験、一つ一つの本質的な意味がわかってくるような気がする。音楽は確かにそのとき触媒の機能を果たす。


さくいん:80年代菊池桃子飯島真理谷山浩子オフコース


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