書くことの地平――2004年暮れの回想


12月に、今年四度目のシンガポール出張があった。長い飛行時間のあいだに、今年一年のことを振り返ろうと思い、今年一年書いたメモ帳をもっていった。

二年ほど前からどこでも書きつけられるようにメモ帳を持ち歩いている。これまで書いたメモ帳は11冊、今年は8冊。どこへ行ったか、何をしたか、といったことはほとんど書いてない。行動記録は別につけている。

日付と場所のあとに、そこで思いついたことが書きなぐってある。思いついたことといっても、新しいことは少ない。過去の文章への追記や推敲がほとんど。それも断片的な記述なので、他の人には暗号のように見えるかもしれない。

あるページには「マリアは男」とだけ書いてある。あるページには「ポケモン→ドラえもん」。前者は、2003年11月25日の日誌の追記部分、後者は2004年3月3日の日誌にそれぞれ加筆したときのメモ。

一人でいるとき、とくに音楽を流しながらクルマを運転するときや、飛行機や電車に乗っているとき、これまで書いた文章についてよく考える。そこでは思いついたことをメモ書きしておく。帰宅してから、パソコンを開き、どの文章かを覚えていれば原稿をなおし、いつの文章か忘れていれば、思い出せる言葉で全文検索をかけて、その部分を探す。

私は、こんな風に文章を書いている。全体の文意は変えることはないけれど、加筆修正は何度も繰り返す。そんな「庭いじり」がいまの私には一番の楽しみになっている。


最初からこういう書き方をしていたわけではない。ネット上で文章を書きはじめた頃はページを文で区切ることも、可能な限り文節や音節で行を区切ることもしていなかった。書いては読みなおし読んでは書きなおすことを繰り返すうち、こんな文体に近づいてきた。

はじめは図書館の貸出記録だった日誌は、文章になってからもしばらくはただ書いて掲載するだけだった。書いた文章の分類も、始めた頃はできてなかった。内面から書き出す文章は随想、外から書く文章は批評。そういう区分けができたのは、文章を書いてかなり時間がたってから自分が書いている文章がエッセイという種類であることに気づいたのも、文章を書く習慣ができてからのこと。

手帳を眺めていると、今年一年のことだけではなく「庭」という名前をつけて文章作品を書きはじめた頃のことを思い出す。文章を書こうと思いたったのは、2002年の1月のこと。ネット上で読書記録を公開するようになったのはその年の6月。三年の時間が過ぎたことになる。

思い出してみると、本を読んだ感想をまとめて書くようになったのは、『小林秀雄全集』を読んだあたりから。ネット上の文章も縦書きで表示したくなった。2002年の秋のこと。2002年は、小林秀雄との出会いの年だったといえる。本を読む、文章を書く、批評する、そういうことについて考えはじめた。

2003年は森有正の年だった。年明けの北米出張の機内で『森有正エッセー集成』を読みはじめ、12月第5巻の書評を書き終えた。この読書を通じて経験、過去、記憶ということについて考えるようになった。


今年はどんな年だったか。今年読んだ作家を一人あげるとすれば、森山啓しかない。ちょうど今年は彼の生誕百周年にあたる。彼の本を読んだのは一冊の長編小説『谷間の女たち』と作品集『石川近代文学全集 9』と『日本プロレタリア文学評論集 7』に収められた二編の評論。

シンガポールへ四度出かけた今年、小松へも四度行った。小松図書館の二階にある森山啓記念室へは春と冬の二度行った。二年前初めて行った小松には、これまでは仕事で通り過ぎるか、せいぜい帰りの飛行機までのあいだ数時間を過ごすだけだった。今年は、夏休みに家族で片山津温泉に行った。

特別な目的はない、のんびり休むためだけの旅行。畳に寝転び湖上の大花火を眺めた。昼間は湖畔をぶらぶら歩き、中谷宇吉郎記念館で雪の実験や伝記映画をみた。

宿のロビーに小さな書棚があった。そこで『谷間の女たち』を見つけた。ほかには、鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』といがらしゆみこ・水木杏子『キャンディキャンディ』を一冊ずつ。


湖畔を望む窓辺で夕涼みをしながら、ぼんやり読書。『谷間の女たち』を読み返すと、いつも同じ場所を読み返す。学生時代から詩人、小説家を目指していた森山は、身の回りの人々の言葉遣いや会話の中身をたくさん記録に残していたと書いている。記憶だけではなく、そうした記録を元にして、彼は二十代の頃から自分の子ども時代について小説化を試みている。

『谷間の女たち』は、若い頃に書かれた作品を下敷きにして、あらためて構想され、執筆された。記憶と記録、記憶に残る作品と作品化された記憶、それらの多角的な交信。『谷間の女たち』に再現された森山啓の幼少時代は重層的で立体的な構造をもっている。

エリック・ホッファーの自伝は、“Imagined Truth”(『構想された真実』)と題されている。この言葉は、森山啓の自伝的小説の副題にもなる。一人の生きた時間を再現する作品世界。

真実とはそういうものかもしれない。無味乾燥な事実が、あるスタイルにより表現される。それは、解釈というものとは違う。表現を通じて世界が真実として理解されるということ


「庭」を閉じる最後の日誌はシンガポールへの出張だった。シンガポールへの旅はいつも転機にあたる。一月もしないうちに、再びシンガポールへ飛ぶことになったとき、二年前に読んだ梨木果歩『裏庭』を機内で読みなおした。「庭」を再開するならこの書評からはじまることになるだろうと思った。

晩冬に読んだ『谷間の女たち』と夏に読んだ『裏庭』のことを考えている間に9月になった。秋の気配を感じる、といっても今年はまだまだ暑さの残るころ、『裏庭』の書評を書き上げた

6月に書くことをやめたのは、一年間、毎日欠かさず日誌を書くという目標を達成したからだけではなかった。読書と文章が、次第に自分の意図しない方向へ進みはじめていたから。その伏線はおそらく『谷間の女たち』にある。森山啓の自伝的小説を読んでいなければ、「草の上に腰を下ろして」という副題をつけた第二部を書きはじめることもなかっただろう。


とはいえ、私は、森山啓にならって自伝的小説を書こうというつもりはない。ネット上で公開することへのためらいがあるから。もちろんそれもある。でも、それだけではない。思い出したことは、とりあえずは私のなかに映し出されればそれで充分に思う。いまはまだ、それさえできていない。

思い出したことを文章にすること、まして作品にすることは、当分できそうにない。森山のように記録も記憶も持っていない私は、過去をたどるために練習が必要になる。上手に思い出す練習。

文章を書くことは、回想を深める運動になる。絵本音楽はタイムマシーン。新しい作品でも、感動はいつも回想を促す。

私が書く文章は、記憶や記録、過去や経験に関わるものになるとしても、思い出した事柄ではなく、思い出す過程について書かれるだろう。これまでに書いた文章を読み返してみても、思い出すとはどういうことかを考えたり、思い出した場面を素描した文章が多いことに気づく。


これまでにも何度か、濫読したり几帳面に読書記録を書いたりした時もある。どの時期も、書きたいこと、書かなければならないと思うこと、いってみれば、私にとって書くことの核心に近づくと怖くなり、やがて辞めてしまった。

二年前にはじまった今回の濫読濫筆の時期も、例外ではない。ほとんど毎日、書くことをやめて、「庭」も閉じてしまいたい衝動にかられる。しかし、今回は少し違うところもある。書くことの地平線が見えている。書くことと書かないでいること、キャンバスの外と内をはっきりと自覚している。

何が書けないかがわかっているから安心している。書けないことは書かなくていい。書けることから書いていけばいい。やがて、書いたことの周縁が、書かれないことを縁取るだろう。そう思っている。


今年の年末には、何年ぶりかで森下洋子と清水哲太郎が演じる松山バレエ団の『くるみ割り人形』に出かけ、これもまた数年ぶりにハンドベルのクリスマス・コンサートを聴いた。しばらく堅苦しい暮らしが続いていたので、以前の気楽に過ごしていた頃の自分が戻ってきたように感じる。

以前よくしていたことを長い間隔をあけてしてみると、前の自分を思い出す。同時に、その間にあったさまざまな出来事を思い出す。いくつかの出来事が決定的に自分を過去の自分と違うものにしてしまったように感じられることがある。何であんなことになってしまったのだろうか。そんな風に考えてしまう。

この考えはたいてい堂々巡りになり、何も得られない。思い出すのは、過去にあった出来事を正確に把握したり、経緯を解釈するためではない。自分を変えてしまったそれらの出来事の前にいた自分を取り戻すため。

取り戻す、というのは正確ではない。取り戻すことなど、できないのだから。自分の過去、原初的な位置や状態を確認するのは、そのこと自体に目的はない。


私の文章は、自分の庭の地質調査のようなもの。土壌を調べるのは、これから新しい庭を造るため。そういうことがわかったのも、今年の収穫かもしれない。庭を掘り下げることが、己を彫り上げることになる

今年は途中から毎日文章を書くことをやめた。出会った作品のすべてに感想を書くこともやめた。実際、今年読んだ本ではすぐには感想を言葉にできない本も少なくない。そういう本は、読んだ足跡だけは残しておくように、ほかの書評や随想に書名だけを埋め込んでおいた。