今月は自死と自死遺族に関する本を続けて読んでいる。『庭』を始めた15年前から自死について書かれた本をいくつも読んできた。不幸にも国内での自死が毎年3万件を越える事態となってから自死に関する本が増えた。同時に「自殺」の代わりに「自死」という言葉が多く使われるようになった。
その嚆矢となったのは 『自殺って言えなかった』(自死遺児編集委員会・あしなが育英会編、サンマーク出版、2007) と本書に書かれている。以降、国内外の専門書から新書まで、数多くの「自死」関連の本が出版されている。
特筆すべきことは、年間3万件以上の自死という社会現象だけではなく、自死が起きた後に遺された遺族のサポートについて書いた本が増えている。40年前には考えられなかった。
この本は前に読んだことがある。記録は残っていても、内容はほとんど覚えていなかった。図書館で借りてきたときは前に読んだことも忘れていた。
あらためて、ほとんど初見のつもりで読んでみると、本書は自死遺族(サバイバーと本書は呼ぶ)の心理が細やかに記されている。
自死で子を失くした親や兄弟姉妹を失くした人を何人か知っている。その人たちの感情がわからないときがこれまで何度もあった。
こんなときにどうして笑っていられるのだろう
墓参りをしているのにどうして故人を偲ぶ話を一つもしないのだろう
どうしてこんな小さな出来事で故人を思い出して泣き崩れるのだろう
それぞれは異常な心理ではなく、サバイバーがもつ自然な反応だった。
本書には、悲しみに飲み込まれないようにしてはいけないことと、故人と過ごした時間を大切な思い出にしながら生き続けるためにした方がいいこと、その両方が書かれている。
残念でならないのは、これまで「してはいけないこと」ばかりをしてきて、「した方がいいこと」をほとんどしてこなかったこと。
そのせいで「苦しみを分かち合うこと」もできず、30年以上も過ぎてしまった。長い時を無為に過ごしてきたことがさらに自分を責め立てるような気になる。
それでもサポートグループに参加してみようとは思っていないし、カウンセリングを受けてみようとも思わない。
ほかの人の話を聴けば苦しくなりそうだし、自死遺族としてカウンセリングを受ける前にまず社会人として「うつ」から寛解しなければならない。
とはいえ、本書で挙げられている上手に悲しむ方法(Grief work)ですでに実践しているものもある。一つはこうして文章を書くことと自死に関する本を読むこと。
とりわけ森山啓『谷間の女たち』と 山形孝夫『死者と生者のラストサパー』の二冊は、「あなたは一人ではない」という本書の主張の一つを強く感じた。上手に思い出す方法でもヒントも学んだ。
サバイバーの悲しみ方はそれぞれで「回復 - 前進すること」(最終章)の道筋も一つではない。そう書いている。
そう考えると、これまでに苦しんできたことも、私なりの悲しみ方だったのかもしれない。そして、一度すれ違った本に再会して「悲嘆の作法」を知ったことも、ようやくその時が来たからなのかもしれない。
悲しむことと愛することは違います(第十三章 回復--前進すること)
この言葉は心に響いた。
巧く言い表せないけど、これまでとは少し違う気持ちを感じはじめている。
第六部の副題に我田引水すれば、苦しいだけの悲嘆に「終わりの始まり」が来た。