昨日、グリーフ・ケアを目的としたカウンセリングの一回目を受けた。カウンセラーは家の近くで、有資格者のオフィスをネットで探した。グリーフ・ケアに対応できるか、事前に問い合わせてある。
オフィスは、駅から歩いて5分ほどのところにある、古いアパートの一室。カウンセラーが座る椅子とクライエントが二人くらい座れるソファがあるだけの小さい部屋だった。
充実した時間だった。予定の70分よりも長く、初回にもかかわらず、深い話ができた。何より、話を聴いてもらえたことがうれしかった。
セッションの中で、今まで思いもつかなかった視点を提起された。これは、まさに目からウロコが落ちるような気がした。
- 1. 死別体験の直後に、子どもとして必要なケアを受けられなかったことが悲嘆を長引かせる要因になっている。自分の中の子どもをケアすることが大切。
- 2. 姉のことを思い続けてきたおかげで、学業を修め、職業で成功し、安寧な家庭を持つことができた、と言えるのではないか。
- 3. 例えば、姉が通った英語学校へ通って英語ができるようになったことも、姉が通った大学の大学院へ行ったことも姉への思慕の深さを示している。
- 4. そうした私の半生を、姉はどこかで喜んでいるのではないか。同時に、姉はいつでも私を見守っているのではないか。
- 5. 自死した少女の弟という恥として秘密にするのではなく、優秀で、立派な女性の弟であることを誇りに思っていいのではないか。むしろ、そう考えるべきではないか。
いずれも、これまで考えたこともない視点であり、心構えだった。これまでは、ずっと自死遺族であることをネガティブにとらえすぎていた。
こういう心境は、頭では理解できないことではないものの、常態化させることはまだできない。
どうすれば、このような心持ちを維持できるか。次回は、その点について助言を請おうと思う。
カウンセラーのM先生はとてもいい人だった。前に、無料カウンセリングで失敗したことがあるので、カウンセラーを恐れていたけれど無用の心配だった。
「複雑性悲嘆」とあらかじめ伝えてあったので、チェックシートを用意しておいてくれて、その結果から会話ははじまった。
話したいことがあり過ぎて、それでいてまとまりがなく、断片的になりがちな私の発言を辛抱強く聴いてくれた。
見立てや結論を押し付けられることはなかった。新しい視点は、あくまでも一つの見方として提示され、「そうなれると楽になれるかもしれません」と穏やかに勧められた。
スピリチュアルな話も、話題の一つとして上がった。「どこかで喜んでいる」「いつでも見守っている」という考え方も押し付けがましくはなかった。
思い切ってカウンセリングを受けてみてよかった。
今年の冬に読んだ本に書かれていた、グリーフケアの最後の課題を思い出した。
究極的には、親の死と、その人生に対する影響を受け入れるために、最も大切なことのひとつは、「喪失から肯定的かつ希望に溢れた意味を紡ぎ出すことだ」と私は信じています。(カッコは引用者)
———第9章 中の実用的な提案 十、自分の物語の意味を見つける
新しい世界が見えてきそうな予感がする。
参考:カウンセリング、2回目