これまでに「死別」や「悲嘆」(Grief)についての本を数え切れないくらい読んできた。「悲嘆」について一通り理解しているつもりでいた。でも、そうではなかった。
私は一番肝心なことに気づいていなかった。本書を読んでようやくそれに気づいた。
これまで私は、40年間、「なぜ亡くなったのだろう」ということばかり考えていた。その答えはどれほど考えても見つけられない。書き残したものを読んでもわからない。きっと本人にもわからないだろう。それは心の交通事故だったのだから。
私が考えるべきことは「なぜ亡くなったのか」ではなく「失った私はどう思ったのか」ということだった。本書がそれを教えてくれた。
- 自分はどう感じたか、どう受け止めたか
- 自分は周囲にどうしてほしかったか
- 自分はどう変わったか
- 喪失体験はその後の人生と自分の性格にどんな影響を与えたか
- 自分はその喪失に何を見出したのか
- これからどんな思いで悲嘆とともに生きていくのか
そんなことは、これまで考えたことがなかった。本書を読んで、そんな当たり前とも言えるようなことに気づかされた。なぜ、これまで「自分」について考えてこなかったのか。自分のことなのに。不思議でならない。
"Never the same"という原題にハッとさせられた。今までと同じはずがなかった。それなのに周囲の大人たちは「今までと何も変わらない」と言い聞かせてきたし、それだから、自分自身でもそう思おうとしていたし、そう振る舞っていた。
本書は、「悲嘆」に対する考え方に「コペルニクス的転回」をもたらした。私は何よりも自分のことを考えなければならない。そうでなければいつまでも後ろ向きのままで、未来に向かって生きることなどできるはずがない。
なぜ、こんな基本的なことに気づかないまま、40年も過ごしてしまったのだろう。今さら悔やんでも仕方ない。これからのことを考える「時」がようやく来た。そう考える。
これまでの読書や思索、文章を書いてきたこと、その積み重ねがこの本との出会いにつながった。そう思うことにする。
上に書いたように、本書は「悲嘆」と主体的に向き合うことを積極的に提案する。
「主体的に向き合う」とは「悲しみ」をどうやって克服するかを模索することではない。「悲しみ」を抱えて自分はどう生きてきて、あるいは、どう生きることにつまづいたのかを考えること。そして死別体験に自分なりの意味を見出し、これからどう生きていくかを考えること。
その第一歩として、冒頭で本書は多くの「悲嘆」関連本に書かれている段階説を否定する。これだけでもその種の本に否定的な人も何か違うと感じるのではないか。理論はあくまでも理論、調査はあくまでも調査。個人の生き方はそれらを参考にすればよいのであって、それに当てはめることはない。
段階説にとらわれるな
思い切ってそう言ってくれると、とても安心する。
それ以降も、本書は遺族自身の立場に立った実践的なアドバイスや考える課題が続く。
一つ一つの課題を読んでいると、自分は「悲嘆」に沈んでいただけで「悲嘆」と向き合ってこなかったことがわかる。きちんと向き合わないことを本書は「回避」と呼んでいる。
それは、喪失があまりにも衝撃的だったせいでもあるし、周囲から有益な支援を得られなかったせいでもあり、目先の現実に引きづられてきたからでもある。
喪失体験の直後は「大人たち」の指示に従うしかなかった。1日休んだだけで学校へ戻り、元通りの暮らしを再開し、2ヶ月後には中学校に入学した。その後も、中学の部活動があり、高校生活があり、高校生活から大学受験まで、あっという間に時が過ぎていった。
目まぐるしく現実の生活が回りはじめ、悲しんでいる場合ではなかった。少なくとも、そう思っていた。「悲嘆」を隠し、押さえ付け、その状態のまま十代を過ぎてしまった。
大学卒業後も同じ。22年間の間に6回転職をして7社で働いた。その間に結婚し、子どもを授かり、育ててきた。
本書を読んだ今、ようやく自分の半生が主体的ではなかったことがわかった。あるいは、主体的であろうとしても空回りばかりしていた。もちろん、失敗ばかりだったというわけではない。出逢いに恵まれ、結婚して子どもも授かった。転職をするたびに収入は増えていった。
「悲嘆」を忘れたわけではなかった。ただ、問題の立て方が間違っていた。
「なぜ」ということばかり、ずっと考えていて、自分の「悲嘆」にきちんと向き合うことはなかった。
自分が抱えている「悲嘆」に気づきはじめたのは、文章を書くようになってからだった。
書きたいことはあるのだが、書けることではないのだ
『庭』をはじめる直前に、そう書いている。
それから、さまざまな本を読み、あちこちへ出張や旅をして、いろいろなことを考えた。そうするうちに「書けることではない」ことを少しずつ、最初は曖昧で遠回しに、それから段々と核心へと文章は進んでいった。
それでもなお、自分の「悲嘆」をどう表したらよいのか、わからなかった。感情に任せて文章を書いて、その場では吹っ切れた感じがしたこともあった。実際には、「悲嘆」の核心まで思索は届いていなかった。
本書を読みながら「こういう点を考えるべきだった」「こういう見方をすればよかった」と目から鱗が落ちるような気に何度もなった。
死別体験後、私が望んでいたこと。後から気づいたこともある。どう助けを求めたらいいのか、その時にはわからなかった。今ならわかる。こうしてほしかった。
- 最後にお別れをしたかった(傷跡があるから見ない方がいいと言われた)
- 学校へ戻る前に、もっと長く休みたかった
- 何があったのか、教えてほしかった
- 励ますのではなく、慰めてほしかった
- まるで最初からいなかったかのように扱うのではなく、故人の話をもっとしたかった
- 遺品をもっと大切にしたかった(するべきだった)
- 思い切り、人前でもいいから泣きたかった
- 親しい友人に悲しい気持ちを打ち明けたて、慰めてほしかった
- 「今まで通り」とは言ってほしくなかった
今から、時を戻してこれらのことをすることはできない。せめて、文章という虚構のなかで追体験していきたい。
私が言う文章とは小説ではない。自己を省みて書きつづる私的なエッセイのこと。
最後に本書が提示する、新しく生きるために試すべき10の「実用的な提案」(原文では漢数字)を転記しておく。
すべてをする必要はない。自分に合ったことをすればよいと著者は助言している。
- 1. 必要な情報を手に入れる
- 2. 故人との絆を保つ
- 3. 追憶のための儀式や伝統を守る
- 4. 書き出す
- 5. 表現アート
- 6. 思い出の品をまとめる
- 7. 何か良いことを形にする
- 8. ボランティアをする
- 9. セルフケアをする
- 10. 自分の物語の意味を見つける
1.についてはこれまでの読書の蓄積がある。2.は、思い出の品を『庭』にもいくつか掲載した。3. 墓参りにも行くようになった。4.と5.はまさに今している。6.は多くは残されてはいないけれど、「最期の日記」は手元にある。
7.から先ができていない。8.は現在の私には難しい。9.については読むことと書くことがうまくいったとき、セルフケアと感じることがある。10.はまったく手付かず。
ボランティアについて言えば、文章を書くことは自発的に、外の世界に向けてしていることなので、ボランティアと言えないこともない。
本来であれば、専門のカウンセラーに話をしたり、自助会に参加するのがよいのだろう。そういう余裕は経済的にも心理的にも今はない。
いまは2007年から2014年までの倒錯した労働のなかで心を蝕んだ不安とうつを退治し、崩壊した自尊心——自己肯定感と呼んでもいい——を取り戻すことが先決。
今の脆弱な心境のままカウンセリングを受けることには、かえって心理的な崩壊をもたらすリスクがある。実際、心の準備のないままカウンセラーに会って混乱した体験があり、恐怖心が残っている。
2年間休養して、負担の少ない仕事に再就職して、ようやく寛解が見えてきたところ。
その治療を焦らずに進めて、自分の「悲嘆」と向き合うことも少しずつ始めたい。
人生は長い。そんな風に思ったこともこれまでなかった。これからまだ続いていく人生を有益に、「新しい自分」になれるように生きていきたい。
少し古い文学的な言葉を借りて「新生」と言ってもいいだろう。
「悲嘆」との向き合い方が転回した今、私の「グリーフケア」はようやくはじまる。