小金井公園 梅園
2/2/2018/FRI
悲しむことの難しさ
月食のはじまり

1981年2月の最初の金曜日を思い出す日。

父が亡くなったあと、実感はなかった。長いあいだ単身赴任をしていたし、亡くなる直前には入院していたから、いないことに慣れていた。

それでも、少しずつ、父の不在を感じるようになってきた。週末に関西から帰宅することもなければ、こちらが病院に見舞いに行くこともない。昼食後に2階で休んで夕方に降りてくることもない。

今日まで、父の死を痛んで泣いたことはない。葬儀のあいだも、涙一つこぼれなかった。

それは。父の死が穏やかなものだったからだけではない。私は気づいた。私は悲しみ方を知らない。

悲しみは抑えるものとずっと思ってきた。

今まで通りでいい。いつものようにしていればいい。

そう言われて育った。

泣いてはいけない、前を向いて。

そんな空気のなかで少年時代を過ごした。

本当は今まで通りではなかったし、毎晩一人で泣いていた。

父は12月1日に亡くなった。父の命日のあと、二月して寒梅忌が来る。

この巡り合わせにこれから先、毎年、悲しみとともに苦しみを味わうことになるだろう。


写真は月食のはじまり

さくいん:悲しみ、悲嘆


2/6/2018/TUE
寒梅忌
紅梅

諡:寒梅清香大姉。

1962年2月28日 - 1981年2月6日。

戒名に違和感を持つ人は少なくない。私はそれほどではない。

存在の仕方が変わるのだから名前も変わることは不自然ではない。生きているとは違う名前を故人につける習慣は昔からある。

38回目の寒梅忌。この日を寒梅忌と名付けてから二年目。

写真は実家の庭に咲いた紅梅。


2/28/2018/FRI
満開の紅梅
敦香祭

56回目の誕生日。

俗名から一字、諡から一字とって誕生を祝う日とする。

今月読んだ本に命日に悲しむより誕生日に楽しかった「」を思い出すことが「悲劇から有意義なものを生み出す」(第十三章 回復--前進すること)と教えられた。

もう一つ、今日を祝いの日にする気持ちにさせた一文を抜き書きしておく。

亡くなり方だけではなく、「その人生こそが記憶されるべきなのです」(原文太字)。自殺は人生を終わらせるものであって、人生全体を語るものではありません。
(第四章 恥と孤立)

敦煌は、小学六年生の頃私が憧れていた場所の名前でもある。