2/2/2018/FRI
悲しむことの難しさ
1981年2月の最初の金曜日を思い出す日。
父が亡くなったあと、実感はなかった。長いあいだ単身赴任をしていたし、亡くなる直前には入院していたから、いないことに慣れていた。
それでも、少しずつ、父の不在を感じるようになってきた。週末に関西から帰宅することもなければ、こちらが病院に見舞いに行くこともない。昼食後に2階で休んで夕方に降りてくることもない。
今日まで、父の死を痛んで泣いたことはない。葬儀のあいだも、涙一つこぼれなかった。
それは。父の死が穏やかなものだったからだけではない。私は気づいた。私は悲しみ方を知らない。
悲しみは抑えるものとずっと思ってきた。
今まで通りでいい。いつものようにしていればいい。
そう言われて育った。
泣いてはいけない、前を向いて。
そんな空気のなかで少年時代を過ごした。
本当は今まで通りではなかったし、毎晩一人で泣いていた。
父は12月1日に亡くなった。父の命日のあと、二月して寒梅忌が来る。
この巡り合わせにこれから先、毎年、悲しみとともに苦しみを味わうことになるだろう。
写真は月食のはじまり
さくいん:悲しみ、悲嘆