憲法記念日に
改憲は論外。でも、いわゆる護憲派と呼ばれる人たちの主張にも違和感がある。いや、違和感以上に嫌悪感すらある。
日本国憲法のおかげで日本国は戦後70年のあいだ、戦争にまきこまれずにすんだ
そう誇らしげに語る人がいる。
それは事実かもしれない。しかし、それは事実の一面でしかない。
日本国民は戦争に関わらなかったとしても日本国は1945年後も戦争に関わってきた。日米安保の下、米軍は日本に置かれた基地から朝鮮半島からベトナム、アフガニスタン、中近東まで各地に出兵した。
日本国は基地を提供することで、またそれ以上の「思いやり予算」で、アジアにおける米軍の軍事活動を経済的に、また多くの軍属を提供して人的にも支えてきた。
朝鮮半島で、ベトナムで、イラクで、現地の人々とアメリカの人々との戦争に日本国は関わってきた。
自衛隊が直接戦闘に関わらなかったことを前向きに評価することはできる。それならば同時に、日本国民が間接的に戦争に関わってきたことも「正しく」評価すべきだろう。
あえて口汚ない言い方をすれば、直接手を汚さないだけで「平和国家」と自惚れてきたのではないか。
日本のカネが米軍を支え、戦争をしてきた。そして、自国に米軍基地を置き経済的また労働的な支援をしてきた。つい最近でも、通信傍受をするシステムを在日基地に設置する費用を日本国政府が負担したという報道があった。
在日米軍のほとんどが沖縄県に置かれていることは今さら指摘するまでもない。日本の国民のほとんどは安保の傘に隠れて、沖縄をはじめ基地のそばに住む人々をその傘の外に押し出し、自分たちだけ雨に濡れていないだけでいることを平和と呼んでいる。
日本国憲法の前文には次のように書かれている。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
憲法の理念は、日本国が戦争に巻き込まれないことを目指しているのではない。世界に平和をもたらすために積極的に関わっていくことを宣言している。この点だけでも「日本国民が戦争に巻き込まれてこなかったことが憲法の成果」という見方は間違っている。
「安保には反対だったけど、覆すことができなかった」というのは言い訳でしかない。現実に起きていることに対して、「反省」も「後ろめたさ」すら感じないなら、それこそ「平和ボケ」、もしくは「自分だけ平和主義」としか言いようがない。
日本国憲法が日本の社会によい影響を与えてきたという考え方にまったく賛同しないというわけではない。ただ「日本国憲法のおかげで世の中全体が平和で、人権が尊重されてきた」というような言い方には嫌悪感がある。
すでに書いたように、日本国は米国の戦争に間接的に加担している。国際社会において被害者ではなく、加害者の側にいることを忘れてはいけない。
国内を見ても憲法の理念が達成されているとは言い難い。会社では死ぬまで働かされる人がいて、学校ではいじめと体罰が放置され、生徒の生存権は脅かされている。
日本国憲法のおかげで「いま」があるのではなく、憲法の理念は「未だに」実現されていないという立場であれば、私は支持する。
大型連休。両親の家に来て、無為に過ごす。ソファに転がり、ふだんは見ない朝ドラを見る。
『べっぴんさん』の総集編を見た。噂通りに面白かった。
モデルになった子供服のブランドは、我が家でも大いに世話になった。ほとんどは頂き物。安くはないものの、何回洗っても着崩れない。娘に買ったつもりのあのワンピースを何人の子が着たことか。
幼稚園児の頃、3歳から4歳頃まで西宮に住んでいた。おぼろげながら、ドラマに出てくる三宮の百貨店に行った記憶もある。食堂のお子様ランチは、一緒に出されたこぐまの挿絵のエプロンと、乗車したチョコレート色の電車の記憶と一緒に覚えている。
ふだん朝ドラが放映される時間には家を出ている。連続ドラマを見る習慣もないので、話題になっても後から知ることが多い。『あまちゃん』ですらそうだった。この連休中、現在放映中の『ひよっこ』もこれまでのまとめを視聴した。
連続ドラマは苦手。主人公がピンチになった時、次の回まで心配になるので、ほとんど見ない。朝ドラは総集編で見るのが、私にはちょうどいい。
ぼくはオジさん
幼い甥と姪と遊んだ。
甥は息子が着ていたブレザーを着て小学校の入学式に出席した。
子が着ていた同じ服を、違う子が着て、目の前でうれしそうに飛び跳ねている姿を見る方が、古いビデオを見るよりもずっとうれしい気持ちになる。
ハレの日用には長持ちする服を用意しておくと、二度三度、うれしい気持ちになる。
早くも下り坂
爽やかな気分も楽しい時間も、そう長くは続かない。
もう暗く、重い気持ちになっている。
前の仕事が行き詰まっていた2014年は、いつも「不安」を抱えていた。仕事を休んでからは、異常な緊張感はなくなっても、「これからどう暮していけばいいのか」、不安は消えなかった。
今は「苦しい」。苦しい気分になることが多い。仕事でミスすること、家族をまともに養うこともできないお金しか稼げないこと、「障害者」になってしまったこと。恩のある人をことごとく裏切ってきたこと。
十代半ばに受けた暴力と恥辱。進んで体制に追従した自分に対する嫌悪感。心の病気で仕事を辞めた挫折感。そして、大切な人を助けることができなかった罪悪感。
何もかも歪んでいる、抜け出せそうにない絶望感。
小休止
少し休む。
読むこと、書くこと。閲覧すること、投稿すること。
いまは仕事のミスを減らして、仕事に慣れるために、仕事に集中するとき。
自分の弱さ、愚かさ、未熟さに正面から向き合うとき。
こういうとき、外からの入力も内からの出力もない方がいい。
Heartwarming Message
話を聴いてほしい
ここ最近の苦しい気持ちを誰かに聴いてほしい。でも、相談したり打ち明け話を聴いてくれる友だちはいない。
誰かに相談されることもない。人に冷たいから、人から冷たくされる。
聴き上手という人は確かにいる。通院している病院のS先生もその一人。彼が私の話を聴いてくれるのは仕事だからであって、友だちだからではない。
それでも、今日はきっと疲れていたはずなのに、少し話を聴いてもらえた。私も務めて話を聴いた。
思い出すと、相談を持ちかけられたことがあった。中学三年生の春だっただろうか。
思いもよらない人から答えようのない相談をされて困り果てた。二、三日考えてはみたものの名案はない。無理やりひねり出した回答は相手を失望させただけだった。
そして、諸刃の剣で切りつけたように私も深い傷を負った。
結局、苦しいときは苦しかったときのことを思いだしてばかり。誰か、話を聴いてくれないか。誰もいないなら、ここから外へ出る出口はどこかにないか。
こんな夜はせめて深く眠れるように、浜田真理子の歌う「アザミ嬢のララバイ」を聴きながら目を閉じる。
小見出しをつける
「ため息が重く感じて、むやみに辛いとき」、単純な手仕事をすると、心のざわつきをひととき忘れさせてくれる、と聴いたことがある。
何をすればいいだろう。ギターは忘れてしまったし、編み物もできない。
そこで思いついたのは、第五部で日付しかない箱庭の文章に小見出しをつけること。
小見出しをつけるのは簡単そうに見えてそうではない。中身の文章と同じくらい時間と頭を使う。
読みたくなる気を惹起しなければいけないし、あまり大げさで羊頭狗肉になってもいけない。
名詞にするか、体言止めにするか、文にして中身の一文目にするか、そういうことでも悩ましい。
自分が書いた文章を読み返すのは嫌いではない。校閲や推敲にもなるし、何より通勤の帰りの楽しみになる。
写真の引越
『庭』をはじめて15年になる。文章だけでなく写真も加わり、広がってきた。ついに利用しているISPの許容量を超えてしまった。追加料金を払って容量を増やすか、どこか別の場所に移転しなければならない。
いろいろ思案した結果、写真だけを別の専用サイトに移し、『庭』から参照することにした。
写真の移転場所は「はてなフォトライフ」。場所の名前は「
窓の見える庭」とした。
「庭の見える窓」ではなく、「窓の見える庭」にしたのは、著者である私はいつも庭にいるから。立ち上がり、見渡すと窓がある。そこを覗くと自分の庭にはない、さまざまな風景や花や建物が見える。そんな意味を込めて「窓の見える庭」というな名前にした。
鮮やかな緑色の芝生の上に金色の窓枠が浮かんでいる。庭から庭が見える。どちらから見ても庭しか見えない。そういう窓の絵がマグリットになかったか?
各編の目次は漢字二文字で統一しているので、そこでは「出窓」とした。
版画家、長谷川潔に、「窓からの眺め」「開かれた窓」「閉じた窓」「半開きの窓」といった名前の窓から外を眺める作品がいくつかある。額縁とは別に窓枠を設けて外の景色を描く作品を見ていると、人は自らの窓からしか世界を見ることができないことに気づかされる。
窓を閉じていては何も見えない。窓を開くことで世界を広く眺めることができるようになる。「ジョハリの心の窓」のように、窓を開いても見えない風景もある。
自分の窓枠がどんな形をしているかを知ることはとても大切なことと思う。
まずは940 x 200ピクセルでサイズの大きい第五部、各頁上部の写真から移転する。箱庭の各月の写真を外に参照するようにしたところ、うまくできている。
この方法がうまくいけば、フラッシュが必要なためにiOSで見られないISPのアルバムサイトも不要になるかもしれない。
あせらずに、重いためいきを忘れるられるように引越を楽しみたい。
とりあえず、サイトのルートは変更しないで済みそうなのでホッとした。
充実の日曜日
文京区千石にある六義園へ来た。つつじが満開。ここへは、就労移行支援事業所へ通所しているときに初めて来た。
小石川後楽園よりも広くて、周囲に高い建物がないので、都心であるにもかかわらず、大名、柳沢家や財閥、岩崎家が憩いの場とした、緑あふれる庭園を楽しむことができる。来月には紫陽花を見るために再訪するつもり。
六義園のあとはすぐ近くに有る東洋文庫ミュージアムで「「ナマズが暴れた!?安政の大地震展―大災害の過去・現在・未来」展。それから大塚で高校生のバスケットボールの応援。
東洋文庫ミュージアムのスゴいところは、展示品が貴重なものであることはもちろん、1階のホールに昭和5年に東洋文庫が発行した永楽大典がフツーに置いてあること。
昭和5年といえば1930年。私の父もまだ生まれていない。十分に貴重な史料。
高校生のバスケットボールは100点越えで圧勝。第4ピリオドには、ふだんはベンチで応援している3年生が順次、コートに出てきた。
スターターの生徒たちがふだん自分たちがうけている声援に負けないくらい大きな声とアクションで仲間を応援していた。
なかなか清々しい風景だった。
充実の日曜日。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
気持ちのいい朝
通勤途中に花壇があるのはうれしい。
今日も元気にがんばらない。
ちえみ曰く、
花はミツバチを呼び寄せるためにサービス残業しますか?
飯碗
炭水化物摂取を減らす指示のもと、この茶碗で飯を食べている。
息子のおさがり。もちろん、おかわりはできない。
何もしていないとき、何を考えるか
帰宅してふと、「あれ、今日は一度も死について考えなかったな」と気づいた。
何もすることがない時、たいてい死について考えている。これまで経験してきた死別。遅かれ早かれ看取ることになる死、そして自分の死。
生まれは時も場所も選ぶことができないのだから、死は自分で選びたい。時も場所も、その様も。
今すぐ何かしようというわけではない。だから、死についてばかり考えない日はとても調子のいい日と言える。
さくいん:死生観