3/1/2022/TUE
2月のアクセス解析
28日間でも2000を越えるアクセスがあった。うれしい。
いつにも増して代ゼミ世界史講師、山村良橘先生関連の文章がよく読まれた。受験シーズンだから、皆、思い出して検索しているのだろうか。
『ダンテ論: 『神曲』と「個人」の出現』(原基晶)もよく読まれた。
28日間でも2000を越えるアクセスがあった。うれしい。
いつにも増して代ゼミ世界史講師、山村良橘先生関連の文章がよく読まれた。受験シーズンだから、皆、思い出して検索しているのだろうか。
『ダンテ論: 『神曲』と「個人」の出現』(原基晶)もよく読まれた。
代々木ゼミナール、世界史講師、山村良橘先生の講義音声をYouTubeで公開した。
元は講義をカセットテープに録音したもの。
毎回、録音をして、年号記憶法などおまじないだけを編集して通学中の電車で聴いていた。講義は毎回、上書きして録音していたので最終講義の音声しか残っていない。
手持ちの音声はすべて公開した。
さくいん:山村良橘
娘は一人。なのに、ひな人形はたくさんある。
両親が贈ってくれたものもあれば、子どもが幼稚園で作ったものもとってある。
上の写真のほかにも、豆粒みたいな人形の入った小箱もある。
せっかく飾ってあるので、写真に撮ってみた。
夜は手巻き寿司とはまぐりのお吸い物。実験に忙しい院生の娘も早めに帰ってきた。
平日は呑まないようにしている。今日は祭りなので呑んでいいことにしてソーヴィニヨン・ブランを1本空けた。
娘の未来に幸、多からんことを願う。
気になる音楽ライター、松永良平のツィートで知った特集。波長が合うのか、雑誌はふだん買わないのに、最近、BRUTASをよく買う。
昭和歌謡の特集は以前、雑誌Penでも読んだ。この雑誌もときどき買う。
昭和時代の歌謡曲や70年代から80年代のシティ・ポップがいま、注目を浴びている。その一番大きな理由は普遍性ではないかと思う。一言で言えばいい曲だから。クラシック音楽と同じように、いい音楽は時代を越えて愛される。
もう一つ、理由として考えられるのが、時代が地続きであること。たとえば、私の両親は昭和ヒトケタ生まれなので、私とは、教わった文字もこども時代に口ずさんだ歌もまったく違う。そこには世代間の断絶がある。
もっとも、共通項が何もないわけではない。父とは奈良京都の古寺名刹が、母とは日本の近代文学が共通の話題になっている。
平成生まれの我が子と私の間には教科書で読んだ話にも歌った歌にも大きな断絶はない。むしろ、親世代が積極的に自分たちが子ども時代に楽しんだ歌やゲームを子どもたちに伝えている。これを的にした「父子消費」というマーケティング戦略さえある。
さらに言えば、基盤となる文化が地続きなうえに、長寿命化も手伝ってアーティストの活動期間が長くなっている。私が十代のあいだに熱中した、さだまさし、小田和正、山下達郎、サザンオールスターズなどは、いずれも現在でも意気軒高に活躍している。平成生まれの娘はカラオケで久保田早紀「異邦人」をよく歌うと、懐メロ番組を見ながら教えてくれた。
こういう特集が成立して、一定数売れるには、そういう背景があると思う。
「全世代に捧げる」はけっして大袈裟ではない。
さくいん:松永良平、70年代、80年代、さだまさし、小田和正、山下達郎、サザンオールスターズ、
飛行機に乗るのが好きだった。20年前、28歳から30歳までのあいだが、一番よく飛行機に乗っていた。3ヶ月に一度ロサンゼルスへ。しかも毎回、ビジネス・クラス。マイルがすぐに貯まったのでファースト・クラスにも3回乗った。
機内食の写真を見ていると、贅沢な旅をしていたあの頃のことを思い出す。私にとっての「バブル期」だった。
初めてビジネス・クラスに搭乗したのは1996年の秋。シンガポールへの出張だった。離陸する前にお酒とサテーが出てきたので驚いた。それから音楽や映画の番組が100以上あることにも度肝を抜かれた。このときに聴いたのがKenny Gのベスト・アルバム、"Montage"。以来、海外出張で飛行機に乗るときには必ず聴いていた。最初はMDで、それからスマホで。
機内食や駅弁は、何でもない食事でも、暇を持て余す長旅のあいだ、狭い座席で食べるとおいしく感じる。
機内食の思い出は他にもある。
初めての海外旅行。国際線を就航させたばかりの全日空便でワシントンDCへ飛んだ。アルコールは有料で缶ビールが100円か1ドルだった。未成年だったのに安いのがうれしくてたくさん呑んだ。
中国民航での上海便。食事の前にクッキーが一人に一箱ずつ配られたので驚いた。
21歳、夏のヨーロッパ旅行。アエロフロートで、モスクワを経由してロンドンへ入った。提供された肉がプラスチックのナイフで切れないほど固かった。
これまにで一番おいしかった機内食は全日空のファースト・クラス。
これは二度とないような特別な経験だったので、明日別に書く。
先月のある日の出来事。
朝、パソコンを開き、メールを見る。ふだんはまったくない依頼ごとが3件以上来ている。
急いでやらなきゃ
焦って作業をはじめる。すると、単なる数字や記号の誤入力など、ふつうではしないようなミスをする。
そうしていると、前の会社を辞めなければならなかった頃のことを思い出す。
しなければならないことが本当にたくさんあり、社長からは厳しい指示があり、客先との交渉もうまくいかない。
そうして過去の記憶が現在の制御不能の精神をさらに混乱させる。パニックを起こす。
落ち着け、落ち着け
いくら自分に言い聞かせてもパニックは止まらない。
あとからミスを指摘されても、なぜ見落としていたのか、わからない。
ふだんの生活ではうつはほぼ寛解したと言えそうだけど、仕事ではまだまだ。
仕事がダメなら社会人としてダメ。社会人としてダメなら大人としてダメ。つまり、人間としてダメ。その悪循環が脳内ではじまる。
そして、この苦しい状態が継続すると体力も消耗する。とても疲れる。
さくいん:うつ
先週の土曜日は月一回のうつ病の診察日。昨日、書いたこと——ほんの少し仕事が増えただけでパニックになる——について、かかりつけのS先生に相談した。
S先生の助言。
今回、乗り切ることができたのは大きな成果。何とか乗り切ることができたのだから、次回、似たような事態になったら「前はうまくやれた」と自分に言い聞かせるといい。
言葉は自分の気持ちを整理するためにある。岡本夏木が『子どもとことば』で書いていたことを思い出した。S先生はいつも的確なアドバイスをくれる。
天気がよかったので、病院の近くの公園を散歩した。ここでは紅梅は満開、白梅は七分咲だった。
診察日の楽しみはランチ。在宅勤務で平日は昼にゆで卵しか食べていない。診察日は街中まで出るのでちょっと贅沢なランチにする。
といっても、新しい店を開拓するわけでもなく、お気に入りの店に行くことが多い。今回行ったのも、よく行くハンバーガー・ショップ。
注文は前回と同じ。チーズバーガー、オニオン・リング、生ビール。パティの追加が安いと言われて2枚にした。贅沢でヘビーな昼食だった。
SNSに投稿するとソフトドリンクがもらえるので、写真を撮ってツィートした。コーヒーを一杯もらった。脂っこいもののあとにはコーヒーがありがたい。
平日、筋トレやヨガはしてもウォーキングが足りないので、診察日は往復、歩く。今日の歩数は12,000歩。本当は平日もこれくらい歩きたい。もう少し暖かくなったら夕方の散歩を再開する。長く患っていた膝の痛みもほぼ回復している。
帰宅して夕方、今年初めて餃子を作った。BGMはBilly Joe1, "The Stranger"。
スマホで完結はありがたいけれど、小さい画面に小さいキーボードで入力するのはかなり面倒。ちょっとだけ還付される結果となったので報われた。
学校にある視聴覚室が拷問部屋としてTwitterのトレンドに入っていた。
私の通っていた中学校では、放送室と教育相談室が折檻部屋だった。呼び出された者は、たいてい顔が腫れたり、鼻血を出したりして戻ってきた。
放送室も教育相談室もどちらも密室。実際のところ、暴力は密室だけで行われていたわけではなく、平時から学校のどこでも、教室でも体育館でも、横行していた。
部活動の練習中、座っている下級生がいるという理由で部長が暴行された。私は、掃除のゴミ捨てと反省会の順序が違うという理由で壁に叩きつけられ殴られた。部活動の練習試合では、負ければもちろん、勝っても内容が悪いと殴られた。
暴力に支配されていたあの3年間を私は忘れることができない。
現在であれば、暴行罪で逮捕されてもおかしくないような過剰な暴力がなぜ日常化していたのだろう。
百歩譲って、異常に厳しい校則はまだわからないわけではない。3学年で1000人を超える生徒たちを管理するためには統制が必要だったのかもしれない。
でも、暴力は理解できない。
教員に刃向かったわけでもなく、刑法に触れるような悪事をしたわけでもないのに、なぜ殴られたり蹴られたりしなければならなかったのか。
あの頃、平然と暴力を振るっていた教員たちに、会って訊いてみたい気がする。
あなたはどんな気持ちで中学生を殴っていたのですか?
その一方で、もう二度と会いたくない気もする。どちらかと言えば、その気持ちのほうがずっと強い。中学校の同窓会は絶対に行かない。ついでに書けば、高校の同窓会も一回行ったので、もう十分。二度と行かないだろう。
体罰の記憶は、蒸し返すよりは、努めて忘れるようにするほうがいいかもしれない。
さくいん:体罰
ロシアがウクライナへの軍事侵攻を強めている。歴史の源を共有し、かつてはソビエトで連邦関係にもあった。
この戦争は国境を軍事力で変更しようと企む古典的な戦争。主権国家による主権国家への侵略。
21世紀は文明の衝突の時代と予告する人がいた。一神教と多神教の宗教対立の時代が到来すると言った人もいた。
冷戦が終わり、ロシアがG8に加入してからは、協調と相互依存が進む「経済の時代」とも呼ばれてきた。
国家とは無関係の無差別テロが多発する時代とも言われている。
NGOや国際機関が発展し、主権国家間の紛争は減少するかとも思われた。
しかし、起きてしまった。こんなにあからさまな、国際法違反で、経済協調にも反する、無謀な侵略が。
宗教対立を煽った人たちはこの戦争をどう見ているのか、彼らの総括を聞いてみたい。
日が延びたので、久しぶりに夕方、近くの公園まで歩いた。きれいな夕日が見られた。
今日も無事に一日が終わった。
ウクライナにも、一日も早く穏やかな夕暮れが訪れることを願う。
最近、Twitterでミクロマンを紹介するアカウントをフォローしはじめた。
ミクロマンは、幼稚園から小学校低学年までよく遊んでいたおもちゃ。ツィートごとに紹介される人形や乗り物がなつかしい。
私は、タワー基地とマリンコプターを持っていた。タワー基地はミクロマンが何人も乗れる大型の移動基地。マリンコプターは風呂でも遊べるモーター付きの乗り物。
大人になってから買い集めるコレクターもすごいけれど、幼い頃、遊んだおもちゃをずっと持っている人もすごい。偉いと思う。
遊ばなくなったおもちゃも、乗らなくなった自転車も、聴かなくなったラジカセも、私はみんな捨ててしまった。亡くなった姉が愛用していた物もたくさん捨てて、残っているものの方が少ない。残っているのは日記と手書きのレーベルのついたカセットテープくらい。
私はいつも、過去を捨てながら生きてきたように思う。学校を卒業すれば、仲が良かった友だちとも縁を切り、転職すれば、前の会社の人とは連絡も取らない。たくさん遊んだおもちゃを平気で捨てたのも同じ心性ではないか。
この傾向は、大学を出てから少しずつ和らいではいる。学生時代の友人は何人か定期的に会う関係にある。大学院を出て最初に勤めた米国系メーカーの先輩ともよく呑む。7社を渡り歩いたけれど、今でも会うのはこの会社の人だけ。
『庭』を始めてから手書きで書いてきたメモ帳も取ってある。
十代の頃は、過去を捨てたいと思っていた。二十代になってからは少しずつ、過去を大切にするようになってきた。それはいいことだろう。
でも、捨ててしまったミクロマンは戻ってこない。買い直せばいいという問題ではない。
しばらく前に大学受験の勉強に励むようになったきっかけについて書いた。
大学受験については、もう一つ、エピソードがある。
高2の夏、模擬試験を受けた。数学が0点だった。全問、解答を記入したにもかかわらず。
「0点、ありえねぇっすよ、採点間違いじゃないすか」というので理系科目が得意な後輩に答案を見てもらった。
これ、0点です
英語も国語もひどい点だった。だから、秋の個人面談で担任教員に言われた。
君の成績で過去に大学に受かった生徒はいない
こうして、英国社だけで受けられる私大文系に進路が決まった。
センター試験も私は受けていない。
いまだに理数系科目は中学レベルさえ怪しいと自覚している。
もう少し理数系の実力があったら、半導体メーカーの営業職として役に立ったに違いない。
つまり、ハッタリだけで半導体を売っていたということ。
『ベスト・エッセイ2020』で横尾忠則が書いた和田誠への追悼文を読んだ。
そのときさくいんを見直してみたら、和田誠の項に彼の作品がないことに気づいた。彼の仕事は好きで、見たり読んだりしていたつもりだったけれども、『庭』では取り上げていなかった。
装丁集の本書を眺めると、図書館でよく見たものはあるなかで、実際に読んだ本はほとんどなかった。毛利子来の本と絵本『あな』(谷川俊太郎文)くらい。
和田誠の仕事というと、私にとっては絵本『けんはへっちゃら』(谷川俊太郎文)。それと小泉今日子主演の映画『怪盗ルビィ』。めったに映画館で見ないのに、この作品は映画館で見た。併映されたアニメ『怪盗ジゴマ』も面白かった。
装丁を見ると一目で和田誠とわかるおなじみのイラストもあれば、格調高い装飾で『ユリシーズ』などの古典も手がけている。技量の幅の広さに驚かされた。
「ゆっこロードショー」のおすすめ。「どんでん返し」の作品として紹介されていた作品。横浜の実家で鑑賞。
追う者が追われる者になる。訴追する側が訴追される側になる。そういうどんでん返しが面白かった。映画リテラシーが低いので、途中、時間軸がわからなくなることがあった。
2回観て、オープニングの火事や書店が映る意味など、いろいろ納得した。
プルースト『失われた時を求めて』がフランスでどれほど重要な作品とみなされているか、ほとんど国宝級の扱いを受けていることが強く感じられた。日本での『源氏物語』のようなものだろうか。
週末の午後に観るのにちょうどいいエンターテインメント作品。
フランス語は"Bon. On y vas"と"Apres vous"しかわからなかった。
フランス語がわかるようになりたい、と久しぶりに学習のモチベーションが上がった。といっても、なかなか勉強を習慣にはできない。とりあえず、思っただけ。
日本語の翻訳者がいなかったことがちょっと意外だった。適役が見つからなかったか。
さくいん:マルセル・プルースト、『源氏物語』
ちょっと変わった旅の写真集を2冊、図書館で借りてきた。行ったことのある場所はなく、知識としても知らない場所ばかりだった。
行ってみたい日本のふしぎ絶景。
行ってみたい日本のデンジャー・スポット。
ブクログ:旅
テレビを見ていると、日本語を流暢に話すウクライナやロシアの人が多くて驚く。
日本語の広がりを感じる。
日本語は「日本人」だけのものではない。
かつて、田中克彦『ことばと国家』を読んで言語と国境は一致しないことを学んだ。
いまや言葉は民族とも居住地とも一致していない。世界中のあちこちに日本語を話す人が多勢いる。
日本語は、多和田葉子のいう、エクソフォニーな世界のなかにある。
ロシアが欧州評議会を脱退した。1933年、大日本帝国は国際連盟から脱退した。
国際的孤立を深めていくロシアを見ていると、1930年代に大日本帝国が国際的に孤立化を深めていった過程と、歴史の教科書を目の前で音読されているように呼応している。
侵略国である日本は太平洋で米国の逆襲に遭い、特攻と玉砕という常軌を逸した、作戦としては効果のない策をとり、最終的に敗戦した。
ロシアは西側の逆襲を受けるか。いや、問うべきは、西側はどこまでロシアの侵略を傍観するのか、だろう。
そして、その時、ロシアは常軌を逸した策を打つのか。
今後の動向が注目される。
今のプーチンを見ていると『未来少年コナン』の悪役、レプカを思い出す。
周囲にYesマンしか置かない。反対者を徹底的に弾圧する。前後の見境なく、正常な判断ができなくなってくる。自分さえも滅ぼしかねない強大な武器を持ち出す⋯⋯⋯⋯。
プーチンがいま一番恐れているのは孤立と世論だろう。国営テレビ放送でゲリラ的に反戦メッセージを掲げた女性が保釈されたのも、処遇を誤れば、国内外の戦争反対の世論が一層強まることを懸念したからだろう。
いずれにしても、この戦争の先行き、ロシアの破滅以外に考えられない。
しかし、それまでに多大な犠牲を強いられるかもしれない。それを避ける道はないのか。
プーチンの最期よりも、そちらの方がとても心配。
さくいん:『未来少年コナン』
代ゼミの世界史講師、山村良橘先生の1987年の講義音声をYouTubeで公開した。
評判は上々ですでに4本の音声に合計300以上、アクセスがある。
現役の予備校講師の方からも驚きと感謝のツィートが発信されている。
誰かの役に立つことはうれしい。ふだん、ここで書いていることは、感謝どころか閲覧もほとんどされていない。喜んでアクセスしてもらうのはほんとうにうれしい。
今回、あらためて全編を聴きなおし、登場するキーワードを概要欄に記入した。
講義音声には19世紀のロシア史も含まれている。クリミア戦争や露土戦争など、ロシアは常に「自民族保護」を口実に戦争を引き起こしていることがわかる。
山村先生が話していた。
勉強はご飯と同じ。忘れてもいい。また空腹になったら勉強しなおせばいい。
25年前の講義を聴きながら、ヨーロッパ近代史を復習している。
さくいん:山村良橘
趣味は読書という人はたくさんいる。私も読むことは好き。でも、それ以上に書くことが好き。読んでいる時間よりも書いている時間のほうがずっと長い。
書くのは本の感想だったり、日々の雑感だったり、ただの日記だったり。
今月は2週間先までのブログを書き溜めている。そして、日付がきたら公開している。この文章は6日の早朝に書いた。3時間眠ったら目が覚めてしまい、起きて書きはじめた。
文章を書いたり、自分が書いた文章を読んでいる時間が一番楽しい。
楽しいときばかりではない。書くことが辛いときもないわけではない。
それでも、漠然としていた気持ちが言葉によって整理され、文章という一つの形にできると達成感のようなものもあり、ざわついていた心も落ち着く。
ところで、文章を発表するのは『庭』だけと私は決めている。
だから、Twitterでのつぶやきも、できるだけ推敲したうえで『庭』に再掲している。
というよりも、ツィートはここ、箱庭の下書きと言える。
久しぶりに書くことについて書いた。こういう文章が書けたときはうれしい。
金曜日。仕事終わりに自室で缶ビール。夕飯にシャルドネ、一本。
土曜日。ケネディハウス銀座のランチ・ライブ。生ビールとグラスのシャルドネ。おそらく初めて「不思議なピーチパイ」を聴いた。
写真は、ランチ・メニューから「大人のお子様ランチ」。
母と合流。百貨店内にあるシチリア料理店で夕食。鮮魚のカルパッチョ、ピッツァ・マルゲリータ、野菜のペペロンチーノ、子羊のロースト。生ビール。シチリアのシャルドネを一本。ノチェロ。
帰宅して『ブラタモリ』「日本の温泉SP」を見ながらハイボール。
日曜日。横浜のそごう美術館で再興第106回院展。気になった画家と作品。
昼食はそごう10階にあるイタリア料理店。春キャベツとカラスミのパスタ。スプマンテを一本。
夕食はカンパチの刺身と鉄火巻。伊豆のクラフトビールと純米酒720ml。ハイボール。
月曜日の昼食。金沢八景駅前のワイン・ビストロで熊本のフルーツ・ビール。山梨のシャルドネをグラスで一杯。
帰京。
バスを降りると桜並木の彩りが変わっていた。
久しぶりに図書館でCDを借りた。在宅勤務中も音楽は流していない。
きっかけは、ロシアによるウクライナ侵攻。ウクライナを舞台にした映画『ひまわり』を思い出した。言うまでもなく、『ひまわり』は戦争の悲劇を伝える作品。
この作品はサントラ盤を持っている。作曲はヘンリー・マンシーニ。主題曲の曲名は"Loss of Love"。悲しい気持ちに浸りたいときによく聴く。
オリジナルは、もちろんいい。コンピレーションアルバム、"room No.001 Jazz 1"に収録されている、ジョー・ロックがヴィブラフォンを演奏しているバージョンが好きで、ときどき風呂で聴いている。
ジョー・ロックのほかの演奏はないか、図書館で検索して"Moon River"が収録されているコンピレーション・アルバムが見つけた。早速、予約して取り寄せた。
アルバム・タイトルは秋だけれど、冬の夜にもとても合う選曲。静かで、穏やか。ヴィブラフォンは好きな楽器。ピアノやギターのように粒の立つ音色が好き。音が節目なく流れていく弦楽器はあまり好まない。これはまったく好みの問題。
最近、なぜか5時前に目が覚めてしまう朝がある。目覚ましが鳴る6時半まで待つあいだ、布団にくるまり、まどろみながら聴いている。
さくいん:ヘンリー・マンシーニ
イタリアへは行ったことがない。なので、半分、旅気分で特集を読んだ。
特集は池上英洋、東京造形大学教授と漫画家のヤマザキマリの対談が大半を占める。この対談がわかりやすくて、面白い。こういう企画は雑誌ならでは。
教皇はエリート司祭がなるものと思っていた。実際には、いろいろな出自の人がなっていることを知った。
カトリックの思想に長いあいだ興味を持っている。身近なところに信者がいるというのも理由の一つ。大きな理由は、カトリックは「神対私」という個人的な宗教であると同時に、教会という巨大組織の宗教団体であること。そこに強さもあれば、矛盾もある。
今回の特集も、教皇の表と裏について詳しく書いている。敬虔な教皇がいるかと思えば、色や汚職にまみれたり、世俗権力と権勢を争った教皇もいる。
近い将来、洗礼を受けることになるとは思わないけど、カトリックへの関心は引き続いて持つだろう。それは教皇の持つ矛盾した性質、言葉を換えれば、その"人間臭さ"による。
宗教とは結局のところ、地上のものであり、人間のものである、と私は考えている。ヤマザキマリは「信仰とはなんぞやということを、政治や経済、そして文化とのつながりも含めて考えさせるのがヴァチカンであり、教皇の存在なんだと思います」と述べる。これを受けて池上英洋は「信仰のパワーというものを改めて考えさせられますね」いう言葉で対話を締め括っている
何にしろ、信仰というもの、「信」の精神は、私にはまだ遠い。
ヴァチカン直轄の聖堂はどれも荘厳で美しい。幼い頃、父が読んでいた『太陽』で、こんな風に美しいグラビアの、入江泰吉が写した古寺名刹の写真を眺めていたことを思い出した。
資産を増やす。これが今年の目標。昇給の見込みのない私は自力で所得を増やさなければならない。
1月12日に陣形を整えたはずの株式投資。結局、3月に入ってからもあれこれと動き回り、結局、布陣が確定したのは3月4日。利益確定のシナリオも、思春期に悩みながら書いたラブレターのようにほとんど毎日、書き直している。
その間に多少は取引が上手になった。
その見通しは的中した。
その時は、私にしては非常に珍しいことに、大きな賭けに勝った。
ところが、その数日後、株価の暴落がまた起こり、貯めてきた含み益を飛ばしてしまった。こまめに利確すること、急騰時には調整に注意すること、これがそのとき得た教訓。
そして、昨日、保有株の半分を利確した。
利益確定のシナリオにどれほど悩んだことか。タイトルにその時々で乱高下している心境がよく現れている。シナリオのタイトルを並べてみる。
最後は事態が急変したので、それまでのシナリオとはまったく違う「直感的シナリオ」を実行した。この直感は正しかったと思う。それまで熟慮を重ねてきたからこそ、最後に直感が働いたのだろう。シナリオを何度も書き直したことには意味があった。
肝心の利益は、今回の利確で多少得られたものの、まだ今年の目標額には届いていない。
これでひとまず、3月期の勝負は終わり。明日には5月の本決算発表に向けて新たな勝負が始まる。「始動的シナリオ」も、もう書いた。
追記。収益が出たのでiMac 24インチを注文した。色は椅子に合わせてグリーンにした。
息子が大学を卒業した。妻と卒業式へ行った。
式典には出られなかったけど、写真をたくさん撮った。天気がよかったので、学生たちも一層うれしそうな顔をしていた。
この大学へは、去年、娘の卒業式の日に来た。娘と息子は学部は別だが同じ大学に通っていた。ついでに書けば、私と妻もこの学校を卒業した。家族で学閥。
狙っていたわけではない。娘と息子にとっては、むしろ不本意な結果だったかもしれない。それでも、卒業するときには喜ばしい顔をしていたので「これでよかった」と安堵した。
家族で写真を撮るために、娘も実験室を抜け出して来てくれた。会うなり娘は、今朝、第一志望の就職先から内々定が出たと言った。
大学のそばにあるフランス料理店で少し贅沢なランチを食べた。この店は娘の指導教官のお気に入り。
デザートに「卒業おめでとう」のメッセージが書かれていた。
今日で保護者の役目も卒業できたような気がした。
卒業した息子と写真を撮るために大学へ行った。そのあと、学校のそばのフレンチ・レストランで、ちょっと贅沢なランチを食べた。
それからどうするか。相談して久しぶりに二人で銀座へ行ってみることにした。
結婚する前は二人の職場の中間地点だったので金曜の夜によく銀座で会っていた。あの頃、しばしば行っていたイタリア料理店を見に行くと、店はステーキハウスに変わっていた。経営母体も変わったらしい。通っていた店がなくなるのはほんとうに悲しい。
今年は結婚30年。真珠婚。何か記念品を買おうと思い切って和光に入ってみた。
ペアウォッチを見せてもらった。悪くない。でも、考えてみると在宅勤務なので腕時計をする機会は少ない。そもそも私は外出するときでも腕時計をする習慣がない。
何を買うか。ゆっくり考える。買い物は考えているあいだが楽しい。
四丁目をぶらぶらしてから、ブリュッセルのショコラティエで一休み。この店には前に一度だけ来たことがある。
お昼でお腹がいっぱいになっていたのに、ホットチョコレートだけではもったいない気がして、チョコレートのアイスクリームがのったベルギー・ワッフルを食べた。
高級ブランドの旗艦店をウィンドーショッピングしながら交差点まで戻り、地下鉄に乗り帰宅した。
気持ちのいい一日だった。
先週末、横浜へ行ったとき、百貨店で新しいシャツを買った。いつもの店。
以前は、ボタンダウンのシャツを買い足していた。今は在宅勤務でネクタイをすることもない。今回はラグビーシャツを買った。色はピンクと紺のボーダー。
ブレザーやスーツも眺めてみた。買いたいけれど、買っても着るときがない。きちんとしたスタイルが好きだったので、スーツを着る機会がなくなったのはさびしい。
週末も、定期券がなくなったので、遠くへ出かけることが減った。
先日、息子の卒業式へ行ったときには久しぶりにスーツを着た。ネクタイを締めると身が引き締まる。
これからは気候もよくなり、お出かけが楽しい季節になる。たまにはおしゃれをして街へ出かけよう。
桜が満開となった。東京では花曇りが続いていい写真はなかなか撮れないでいる。
週末に散歩の途中で写した桜並木は少し暗め。
昨日の朝は快晴だったので、家の前の駐車場に立つ桜がきれいに撮れた。
もしも、どんな職業にでも就けるという魔法があったら、エッセイストになりたい。正確にはエッセイストの2乗で「エッセイスト²」。
散歩に出かけて文章書いて、コーヒー淹れて文章書いて、昼寝してから文章書いて。
売れなくてもいい。読者もいなくていい。本にならなくてもかまわない。
書きたいことを、書きたいときに、書きたいように書いて暮らしたい。
なんだ、もう実現しているじゃないか。
吉祥寺第一ホテルが今月で閉館となる。お別れに家族で食事に行った。
運動会や学芸会など、学校行事のために両親に泊まってもらった思い出深い場所。バフェにもよく来た。
客室の窓が広い吹き抜けに向かって配置されている独特の設計。女性の集客を狙って設計も女性に任されたという。
コロナ禍のせいか、バフェに出された料理の種類は少なめ。それでも、盛り付けと味は、やはりホテルのそれだった。
葡萄屋に続いて、吉祥寺の名所がまた一つ、消えた。
コロナ、恨めしい。