今日は会社を休みにした。少し遅めに起きて上野まで出かけた。
上野へ行った目的は二つの展覧会を見ること。科学博物館で『日本を変えた千の技術博』展、国立博物館で『顔真卿』展。
どちらも充実した、素晴らしい展覧会だった。あまりにも充実していたので感想もすぐには書けそうにない。
展覧会はたいてい一人で行く。広い美術館の中で、特に人気のないときに一人でいるのは気持ちがいい。
美術館で寛いでいるときと、会社であたふたしているときと、布団でメソメソしているときでは、それぞれ違う人格であるようにさえ感じられる。
もちろん、一番好きなのは最初の自分。ほかの人といるときは、それがどんなに親しい人でも、自分の言葉や仕草が相手の機嫌を損ねていないか、いつも気になって仕方がない。
一人でいるとき、一番好きな自分でいられる。
ひとり(孤独)
暖かい小春日和の一日。
墓参りをしてからバスで浄妙寺までくだり、一条恵観山荘へ行ってみた。京都にあった江戸時代の皇族の茶室が移築され、ごく最近公開されるようになったとしばらく前にテレビ番組『王様のブランチ』で見た。
「山荘」という言葉が似合う、ひっそりした静かな場所だった。紅梅がちょうど咲きはじめたところ。
苔があり、草木があり、石灯籠がある。根津美術館の庭園の雰囲気に似ている気がした。
さくいん:鎌倉
江ノ電。極楽洞と鎌倉高校前駅
一条恵観山荘を見てから再びバスに乗り鎌倉駅へ出た。ここからはいつものコース。
江ノ電に乗り、鎌倉高校前駅で海を眺め、片瀬江ノ島から小田急線で帰る。
江ノ電では初めて最後尾に乗り、唯一のトンネル、極楽洞を撮影することができた。
今日は暖かい休日だったのに、鎌倉の人出はそれほどではなかった。梅見にはまだ一週間早いか。それでも、鎌倉高校前駅横の踏切には多くの人がカメラを構えて立っていた。
さくいん:江ノ電
39回目の2月6日。雨。あの日は小春日和の陽気だった。
今日は会社をサボった。上司にメールを送ってから昼前まで寝ていた。
午後は一人、「最期の手紙」を読みながら過ごす。
ビリー・ジョエルのことが書いてある。
二人で行った、さだまさしのフィルム・コンサートのことも書いてある。
そして、苦しい苦しい胸のうちが綴られている。
「最期の手紙」は1980年2月4日で途切れている。
もう涙を止められない
さくいん:ビリー・ジョエル、さだまさし
今日は一日松本隆三昧、NHK-FM
午後ずっとラジオを聴いていた。
松田聖子特集のコーナーで松本隆が選んだ作品は「ガラスの林檎」、松田聖子は「愛されたいの」。どちらも私のお気に入りなのでうれしい。
未練がましい別れでも湿っぽくない
松本は自作を評する。私の解釈が間違っていなかったようで、これまたうれしい。
大滝詠一「君は天然色」が松本隆の「悲嘆」を表現した歌だったとは知らなかった。
悲しみを歌うから悲しげな旋律でなければいけないとは限らない。悲嘆の表現にはこんな形もあることを軽快なメロディーに教えられた。
My Favorite 松本隆作品
- ガラスの林檎、松田聖子
- Sunset Beach、松田聖子
- 1グラムの幸福、飯島真理
- 夢色のスプーン、飯島真理
- メイン・テーマ、薬師丸ひろ子
- 恋するカレン、大瀧詠一
- 青春試考、中村雅俊
- September、竹内まりや
- マーガレット、綾瀬はるか
- 海が泣いている、太田裕美
さくいん:松本隆、松田聖子、飯島真理、大滝詠一、太田裕美
三昧の余韻
『松本隆三昧』の余韻が続いている。通勤のあいだ、松本作品を選んで聴き直している。
綾瀬はるか「マーガレット」、聴きたかった(作曲は呉田軽穂)。
乗り物がたびたび登場する松本隆作品のなかでもズバリ路線名を出しているのは珍しいのではないか。
江ノ電の線路を
海まで歩いたね
黙り込んだまま
飯島真理「夢色のスプーン」
飯島真理「1グラムの幸福」
「愛・おぼえてますか」からはじまり"Rosé," "Blanch," "midori"。初期の三部作で出来上がった「まりン」的世界の集大成。
飯島真理が詞を書いた作品よりも飯島真理的なところがすごい。
松本隆は私にとって何なのか。「一言で言えば」と書き出してみたけれど、彼の魅力も彼に受けた影響も一言では言い尽くせない。
これまでに書いたものを獺祭して読みなおしてみる。
さくいん:松本隆、飯島真理、江ノ電
生誕110周年 野口久光 シネマ・グラフィックス、横須賀美術館、神奈川県横須賀市
1930年代から1990年代まで、映画のポスターやレコードジャケットのデザインを手がけた野口久光の作品展。
モノクロームの時代には鮮やかな色彩の施されたポスターで、観客はスクリーンの色を想像していたのかもしれない。そう考えるとポスターの重要性は今よりずっと高かっただろう。
欧米で使われたオリジナルのポスターよりずっと写実的な表現が多い。これも、異なる文化世界の作品に人を惹きつけることに一役買ったことだろう。もう一つ、忘れてならないのは「邦題」。 盟友の筈見恒夫の邦題は原題よりももう一歩内容に踏み込み、見たくなる題名になっている。
構図にしても色彩にしても、多彩な技法で作品の特徴を引き出している。とくに驚いたのは多様な文字のデザイン。一字ずつ違う色を使った「テクニカラー」や欧文のフラクトゥールを援用した「ヘンリー5世」などが印象に残った。
私はほとんどの作品を見てはいないが、連れていった母が「これも見た、これも見た」と一つ一つ丁寧に見ていた姿に少しは孝行できたようでうれしかった。
この美術館は小さいながら常設展もよい。私のお気に入りの画家の作品を、いくつも見ることができる。
中川一政「風景(下板橋火薬庫)」、藤田嗣治「ル・アーブルの港」(1917)、国吉康雄「毛皮の女」、脇田和「中国の少年」。松本竣介「御堀端」(1940)、靉光「グラジオラス(1942)。
藤田はまだ自分のスタイルを確立する前、国吉の色使いや女性の表情の方が後のフジタに近い。脇田和の作品は絵本『おだんごぱん』の挿絵と同じ作者とわかる雰囲気。
私の好きな松本竣介の作品は、何種類の緑を使っているのかわからないほど多彩な緑。
この美術館は展示室が広々としていて気持ちがいい。もう一つ、この美術館の魅力はレストラン。テーブルから浦賀水道を行き来する船を眺めることができる。
今日もダメな一日だった。
いつもと違うことが一つあった。
それは、いつもよりずっとダメだったということ。
何かがおかしい
何かがおかしい。そう思っているうちはまだいい。
何もかもがおかしい。そう思いはじめたら危ない。
いまはそういう状態にある。
何か手を打たなければならない。
苦しい一週間
今週は苦しかった。理由は二つ、はっきりしている。
一つは、親しくなりたいと思っていた人に近づいて拒まれたこと。
もう一つは、会社ですることがなく一日中パソコンの画面を見ているだけという仕打ちを受けたこと。
どちらの場合も私は声をあげなかった。抵抗もせず、黙って状況を受け入れた。
自己主張が上手くない、と自分について常々思っている。就労移行支援事業所のメンタル・トレーニングで教わった"assertive communication"ができない。
気に入らないことがあったとき、「気に入らない」と言えない。私は激昂することがほとんどない。その代わりに憎悪を溜め込む。
相手は私が憎しみを抱いていることに気がつかない。溜め込まれた憎悪はいつか暴発するかもしれないし、別な場面で懐柔されて消滅するかもしれない。
いずれの場合も、出来事と感情に流されているだけで、自分の感情をコントロールできていない。
今日は会社を早退して、街をぶらぶらしながら帰ってきた。何があったというわけではないけれど、一つめの出来事については憎悪が薄れていくのを感じた。
会社の方は目処が立たない。激するでもなく臆するでもなく、穏やかに自分の意思を伝えなければ何も変わらない。
早帰り
何もすることがないので帰ってきた。
フレックス制度で早朝出勤しているから勤務時間の貯金がある。
いつも8時前後に出勤する。ほとんど誰もいない。10時にようやく顔が揃う。きっと2時間以上残業するのだろう。
私は2時間早く来て2時間早く帰る。
上司からは朝、「子どもが急病で病院へ連れて行くので休む」メール。午後には家から何かしら指示するメールがあるかと思ったところ何も来ない。
一日休みにしたのだから当たり前。いいこと。
あの人がいなくなったことを悲しむだけではなく(悲しむことも大切だから)、あの人がこの世界に生まれたことを祝いたい。
誕生日おめでとう。Happy Birthday!
まだ同じ「時」を過ごせたことに「ありがとう」と言う
余裕もないし、声に出して名前を呼ぶこともできないけど。
今日、帰り道で聴いている曲。
- 道化師のソネット、さだまさし
- 童話作家、さだまさし
- 愛を止めないで、オフコース
- 言葉にできない、オフコース
- 君は天然色、大滝詠一
- 風の詩を聴かせて、桑田佳祐
- ガーネット、奥華子
- 涙そうそう、夏川りみ
- 夕闇をひとり、松任谷由実
- Loss of Love, Henry Mancini
- Now and Again, Earl Klugh with Roberta Flack
- Georgia on My Mind, Ray Charles
- First of May, Bee Gees
- Honesty, Billy Joel
- Love of My Life, Queen
焦ることなく
つれづれなるままに
言葉を紡ぐこと
音を立てずに
眠ること
絵のなかへ入っていくこと
散り散りになった想い出を
病んだ心に集めること