9月のアクセス解析
先月は総アクセス数こそ少なかったものの、『死者と生者のラスト・サパー』と『破戒』の感想、「モンスリーのPTGとして『未来少年コナン』を見る」や「庭師」(プロフィール)、当月の箱庭など、読んでもらいたいと思う文章が読まれたので、素直にうれしい。
ちなみに今日一日のアクセスは下の通り。新規ユーザが18人、リピータが4人。月末にまとめるといくつかの文章にアクセスが集中しているように見える。実際は、数は少なくても、幅広くアクセスされていることがわかる。非常にありがたい。ファイルのタイトルタグに誤字があることを見つけた。
復活! 一人カラオケ
緊急事態宣言がようやく解除された。真先に何をするか、と考えて思いついたのが、カラオケ。もちろん、一人で。前回行ったのは4月だから6ヶ月ぶり。
台風一過で気持ちのよい秋空。朝早く洗濯を終わらせ、カラオケ店までのんびり歩いた。
カラオケ店の隣のカフェで手早く昼飯をすませて、開店と同時に入店。これは正解。3時間歌って精算したときにはもう満室だった。
3時間、歌ったのは初めて。喉の調子がよくて、オフコースを原曲キーで歌えたのでとてもうれしかった。とはいえ、人に聴かせられるレベルではない。だから一人で歌う。
往復歩いて、いい運動にもなった。爽快な週末。
今日の歌唱曲リスト
さくいん:オフコース
同じ椅子でも、勤務日と休日では座り心地が違う。
平日にはTwitterと株価を表示しているだけの液晶モニターも、週末にはデスクシアターのスクリーンになる。
平日も週末も同じ部屋で過ごしていても、気分転換はまあまあできていると思う。
美味しいお酒と読みたい本、観たい映画があれば、そこは私だけの秘密基地になる。
狭いスペースで一人寛いで映像を観ていると、頻繁に飛行機に乗っていた頃を思い出す。
初めてのビジネスクラス。偶然のファーストクラス。皆、『庭』を始めるより前の遠い昔の思い出。
自室で過ごす時間が長い。仕事はたいして忙しくない。つまり、空き時間が長い。
空き時間を利用して、積極的に身体を動かすことにした。
ヨガは休職中のあいだ、Wii Fitでかなりやり込んで、基本の姿勢は覚えた。一時期通ったスポーツジムでもいくつかポーズを教わった。
本書はヨガのポーズ、100種を姿勢から効用まで解説付きで網羅している。これから試したことのないポーズも少しずつ挑戦する。
本書は長く読み込みたいので購入した。ヨガマットも買った。
ヨガと筋トレの環境は整った。間食の代わりに運動。在宅勤務の空き時間に一石二鳥。
形から入る、インドア派、熱しやすい。最近のヨガ・ブームには私の性格がよく出ている。
ヨガに続いて、ダンベルエクササイズの本も図書館で借りてきた。
ダンベルは部屋の隅に転がったままになっていた。
こちらは買わずに、基本姿勢のページを写真に撮って済ませた。筋トレのやり方はウェブやYouTubeにもたくさんある。
いま、一つ困っていることがある。それは右膝に痛みがあること。スクワットでしゃがむときに時々強く痛む。
余談。そのとき撮った写真が第五部の表紙に貼りつけてある。
休職していた7年ほど前のこと。天気がよいので調子に乗って2時間以上、サイクリングをした。翌日、激しく膝が痛んだ。そのときの後遺症かもしれない。
今は治療より鍛えることで治そうと考えている。無理はせずに少しずつ負荷を上げている。
時間はたっぷりある。無理をしないことが一番大切であることは自転車で故障したときに身にしみた。ヨガもダンベルも、ぼちぼちやっていく。
最近は、夫婦で健康や医療を特集した番組をよく見る。二人ともすっかり中年になった。
投資のこと
働いても給料が上がる見込みがまったくないので、小遣いを元手に投資を始めた。
アルバイトでも5年も続ければ時給は上がるだろう。どうも障害者枠の私には、その望みはないらしい。
収入を増やすためには副業という手もある。それも考えた。でも、仕事には前に苦しんだ不安がつきまとう。働くこと自体に恐怖を感じてしまう。
ミスしたらどうしよう。怒られたらどうしよう。
ストレスを増やしてまで副業を始める勇気はない。
自分一人で完結する投資なら、そういう不安とは無縁。最近は時間がたっぷりあるので、ネットを利用して勉強したり、資料を探すことも容易い。
投資で得たお金は不労所得だからと忌避していたときもあった。今はそうは思わない。
仕組みを勉強して、資料を集め、熟慮して戦略を練り、作戦を立て、実行する。これは頭脳労働。
もっとも、今はまだ、投資と呼べるほど大掛かりなものではない。せいぜい小遣い稼ぎのレベル。千里の道も一歩から。
追記。本日の日経新聞「大磯小磯」に「長期投資、決めては忍耐力」と題して、投資初心者への激励の言葉があった。
突如として市場下落に見舞われ、不安のもとで投資方針を貫き通すには、強い忍耐力が必要だ。投資家が最終的に手にする収益の裏には、ここまで乗り越えてきた苦難と試練がある。こう考えれば、投資収益は決して不労所得ではないはずである。(陰陽)
自分が決めたシナリオを信じてブレないこと。これが大事。早速、昨日、ビビって失敗をした。忍耐の必要性を痛感した。
さくいん:労働、日経新聞
TLで「高校時代に戻れたら」というツィートを見て、つぶやいたこと。
高校時代に戻れたら。
やり直したいことはたくさんある。
今の自分のまま戻れたら、違う行動をとれるかもしれない。
少しは賢くなっているだろうから。
でも、あの時はああするしかなかった。
悔いは多いけど、そう納得するしかないことが多い。多過ぎる。
戻れるのなら、小学六年生の秋に戻りたい。
戻ることができたら、すぐにあの人に声をかけたい。
「生きて」と。
そして、勇気を出してあの家の呼び鈴を押したい。あの子に会えたら⋯⋯。
この世で一番素敵な子だと言ってあげたい
———沢田聖子「シオン」
さくいん:沢田聖子
Twitterで愛読書に挙げている人が多くいたので、図書館で借りて読んでみた。原田マハを読むのは初めて。
正直なところ、面白いとは思えなかった。伝説のスピーチライターというキャラクターや、スピーチ10箇条など、設定に面白いところは少なくない。
物語の合間にはさまれるいくつかのスピーチも読ませる内容ではあった。
でも、物語全体が上っ面だけという印象が最後まで抜けなかった。
言葉を扱う人、という点では三浦しをん『舟を編む』がある。それに比べると、言葉に対する思い入れに深みが感じられなかった。
それは作者の責任だけではなく、日本語において、スピーチの重要さが浸透していないせいでもある。日本では、歴史に残る文書はあっても、歴史に残るスピーチとはあまり聞かない。日本の政治家からは、思わず黙って聴き込んでしまうような演説を聴いたことはついぞない。スピーチの文化がそもそも浅い。だからそれを題材にした小説もなかなか深みのあるものにならない。
ケネディ大統領の就任演説が、どうのように制作されたかを追いかけた本を読んだことがある。その本では、大統領候補と政策ブレーン、スピーチライターがそれぞれの技量を総動員して、一つのスピーチを作り上げる過程が臨場感たっぷりに描かれていた。そうして今も英語教材になるほどの名演説と呼ばれるスピーチが生まれた。そういう緊張感や臨場感が、とくに政治家の演説を作る部分で残念ながら感じられなかった。
本書のなかでも、結婚式の祝辞は心温まる内容となっている一方で、政治家の演説は上滑りしている感じが拭えない。現実の政治状況と似通った設定にしているところも時を経て読んだ時に「古さ」を感じさせてしまう。例えば、三谷幸喜脚本の映画『記憶にございません』のように、思い切り現実離れした政治世界を描いていたら、政治家の演説もエンタメ度が高いものになっていたのではないか。
さくいん:三浦しをん、ジョン・F・ケネディ
「ゆっこロードショー」のおすすめ。「ボロボロ泣ける」と紹介されていたけれども、涙は出なかった。ラストは思っていた方向と違っていて驚きはしたけど「そういう選択をする人もいるかもしれない」と冷静に受け止めてしまった。
ひどいうつ状態を経験し、希死念慮も持ったことがあるので、さまざまな理由から「死にたい」と思う人がいることは理解できる。自分が身動きできないような身体になったらどう思うかもわからない。どちらかと言えば、安楽死に対しては賛同する気持ちの方が強いかもしれない。
それでも、この物語には納得できないところが残る。主人公は相手の気持ちを推しはかり過ぎている。生きるかどうかは自分が決めること。自分が生きたいなら、どんなに人の手を借りることになっても生きればいい。その権利はあるはず。
相手の重荷になりたくない、というのは一方的な想像でしかない。また、五体満足だった頃の自分を忘れられない、という理由も説得力に欠ける。この考えは、メンタルケアで修正することができるのではないか。要するに死を選ぶ理由が弱い気がする。
これは映画なので、病人が本当に苦しんでいる場面は、詳しく描かれているわけではない。医療スタッフの言葉でしか語られていない。安楽死を望む病者がどれほどの苦痛を感じているのか、健常者は想像しても想像しきれない。
結局、この作品は説得力に欠ける部分があるとしても、安楽死に対しては私は賛同に傾いている。人は生まれる時を選べないのだから、死ぬ時は自分で選んでもいいのではないか、とさえ考えている。涙をこぼさなかったのは、そういう自分の意思の表れだろう。
ルーはこれから、どう生きていくのだろう。これほど深い恋愛とこれほど辛い死別を経験した人は、別の誰かを愛することができるだろうか。
彼女には、自死遺族の一人として悲しみを和らげる心のケアが必要。切実にそう思う。
さくいん:悲嘆、自死・自死遺族
葡萄酒のぶどう
先週末、久しぶりにレストランでお酒を楽しんだ。
金曜の夜、横浜の百貨店にあるホテルのバーの支店で黄昏を眺めながらマティーニ。正しいマティーニを呑むのはいつ以来か、わからない。やはりベルモットが入っていると美味しい。続いて、隣のイタリアンに移り窓辺の席で夜景を見ながらスプマンテ。料理も美味しかった。
土曜日の夜は金沢八景のなじみのワイン・ビストロ。本格的な再開に店主も喜んでいた。
いつものワインを呑んでいると、店主ののAさんがワイン用のぶどうを振る舞ってくれた。山梨へ収穫を手伝いに行ったという。白ワイン用のソーヴィニヨン・ブランと赤ワイン用のピノノワール。昔、勝沼のワイナリーで出来立てのワインの試飲はしけれど、ぶどうを食べた記憶はない。
粒は小さいけれど、とても甘い。糖度は食用のワインよりも高いという。日本のワインも呑んでみたくなった。
ようやく街に賑やかな週末が戻ってきた。新規感染者が激減している理由は、よくわかっていないらしい。だから、また感染が拡大する懸念もある。
どの店の人たちもうれしそうな顔が半分、再拡大を心配する顔が半分の表情をしていた。そうだろう。ほぼ2年の間、夜の街は息の根を止められていた。再開できると言われても半信半疑なのも、わからないことではない。
願わくは、取り戻したこの穏やかな日常が続きますように。葡萄酒用のぶどうはワインになって初めて生きる。夜の街も、酒があって息を吹き返す。
日曜日は吹奏楽のコンサートを聴いた。生の音楽を聴くのも久しぶりで楽しかった。
さくいん:横浜、マティーニ、日常
お酒は週末、金曜と土曜だけ呑んでいいことにしている。
5日間禁酒はけっこう辛い。途中で呑みたくなる。そこで規則を緩和することにした。
日月は休肝日。火曜日はちょっとだけなら呑んでよし。水木も休肝日。
火曜日はビール一缶だけ。週末は好きなだけ、と言いたいところ、ほどほどの量まで呑んでよし、とする。ほどほど、には明確な基準は設けない。
これで二日連続の休肝日を確保した上で、呑みたい気持ちにも応じられる。
抗うつ薬を服用しているので、本当は酒はまったく呑んではいけない。でも、こればかりは抗しきれない。
長く呑み続けられるように、糖質と脂肪の摂りすぎには注意している。
先日、図書館で借りてきた大判図鑑。
『ワールド・ロードトリップ』はキャンピング・カーに乗り世界各地を旅する人たちを追いかけたドキュメンタリー。北欧縦断、アフリカ南部縦断、アラスカでオーロラ観察、など、雄大な大自然のなかを旅する写真はとてもロマンチック。クルマはどれも質素で古め。贅沢が目的ではない。自然との出会い、人との出会いを求めて、キャンパーたちはさすらう。写真は美しいけれど、実際の旅は困難の連続だろう。うらやましいけど、とても真似はできない。
『世界の果てのありえない場所』は、『世界の秘密都市』の姉妹篇とも言えそうな一冊。見たことも聞いたこともない場所がたくさん紹介されている。写真がカラーでないのが残念。
「最果ての場所」は謎に満ちていたり、陰謀論と関係があったりする。そういうところが人々を惹きつけるのだろう。私も例外ではない。
私の興味をひいたのは、旧ソ連の核兵器開発施設、ベルリンの盗聴用トンネル、北京の核シェルター。いずれも冷戦時代の遺物。
日本からは「廃墟になった場所」として軍艦島、「この世とあの世のあいだ」として青木ヶ原が掲載されている。「風変わりな建物」に投入堂を入れて欲しかったところ。
青木ヶ原は自死が多い「悪霊の森」と本書は説明している。
日本では昔、自ら命を絶つことは武士の特権だった。「切腹」は高度に儀式化された自殺の形態である。武士の名誉を守るとともに、敵の拷問を受けたり、敵の手で処刑されることを避ける意味もあった。そうした精神の"高潔"を重んじる伝統が、現代日本においても驚くほど自殺者が多いことの一つの理由ともなっている。
この見方はステレオタイプで、古典的。現代日本において自死の原因は"高潔"よりも経済的困窮、パワハラ、いじめなど、基本的人権の侵害に特徴がある。まだまだ日本の自死=切腹という古くて誤った見方がはびこっていることがこの叙述を見てもわかる。
さくいん:自死
昨日に続いて図書館で借りた大判図鑑。東洋文庫ミュージアムの特別展を一回り見たような気分になれる一冊。
こうして眺めてみると若い頃に世界の大都市を訪れる機会に恵まれた。ワシントンD.C.、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、北京、上海、ロンドン、パリ、ウィーン。古地図でも輪郭や街路が変わっていない街が多く、地図を片手に旅をした記憶がよみがえる。
地図には必ず目的がある。旅人の道案内であったり、為政者の権勢誇示だったり、開発の青写真だったり。目的により、地図の体裁も変わってくる。そこが面白い。
古地図では俯瞰図が面白い。大きな城や橋から小さな船や家まで立体的に描かれている。往時の人々の暮らしを想像させる。
Jeremy Blackの名前には見覚えがある。調べてみると、"Eighteenth Century Europe 1700-1789" (Hampshire: Macmillan, 1990)と"Natural and Necessary Enemies: Anglo-French relations in the eighteenth century" (Georgia UP, 1987)が、修士論文の参考文献に挙げてあった。確か18世紀の戦争の実態を調べるために読んだ。こんな風に再会するとは思ってもみなかった。
さくいん:東洋文庫ミュージアム、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、パリ
金曜日、17時30分。至福のひととき
一日のほとんどを同じ部屋のなかで過ごしている。
それでも、仕事中と自由時間ではまったく気分はちがう。
金曜日。17時を過ぎて、勤怠アプリの退勤ボタンを押す。
軽くビールを引っかけてからお気に入りのグラスを出す。
コックピットのような狭い座席に落ち着き、お気に入りのジンで喉を潤す時、夜間飛行で空から灯りの瞬く街を見下ろしているような気分になれる。
夜のしじまの何と饒舌なことでしょう
さくいん:ジン(マティーニ)
世界21ヶ所の美しい森林風景を集めた写真集。
なかなか遠出ができない状況なので、本書のような写真集があるとヴァーチャル森林浴ができる。景色はもちろん、写真も美しい。
これまでに見た雄大な自然というと大学四年生の夏に旅したグランドキャニオン。頂上のロッジに泊まることができたので、素晴らしい星空や朝日を満喫することができた。ただ、ここは岩石が剥き出しになっている場所で森林ではなかった。
美術館や街並みを求めて旅することが多いので、思い出の森林というほどの場所は思いつかない。室生大野駅から室生寺まで歩いた東海自然道、吉野の山、比叡山、そんなところか。どれも中学生のときの一人旅の思い出。
近隣に広い公園や植物園があるので、小さな森林浴はよくしている。
写真集でイメージを膨らませて、近所の公園を歩けば、気分は「世界で一番美しい森」の散歩になる。
専門知識は何もないのに、建築の図鑑を見るのが好きで、図書館でよく図鑑を借りてくる。もちろん、実物の巨大な建築物や変わった建築物を見るのも好き。
本書はとくに建築方法に焦点を当てて解説をつけている。巨大な橋はどのように力を分散するのか、重い構造をどのように支えるか。風の影響をどう受け止めるか。そういうことがよくわかる。
エンパイアステートビルは1930年に建てられた。わずか1年で完成したことにも驚くし、重いレンガの仕上げ材で全体を安定させているという話にも驚いた。すでに築90年。いずれ世界遺産になるだろう。
スコットランドにある美しいフォース橋やサンフランシスコのゴールデンゲート橋は行ったことがあるので興味深く読んだ。
本書は写真ではなく手描きのイラストで図解が描いてある。文章もわかりやすい。難しいことを子どもにもわかる言葉で説明し、柔らかい線の絵で細かいところまで描き込んでいたかこさとしの科学絵本を思い出した。
さくいん:サンフランシスコ、かこさとし
ついに日本酒用の片口を見つけた。
といっても、これは煎茶用の湯冷ましのための器。岐阜の焼き物。
横浜の百貨店で酒器の売り場を見ていたところ、茶器の売り場の人が声をかけてくれた。
これ、今日、入ったんです。お酒にも使えませんか。
即決。
前に横浜の元町で買ったものは青色。実家に置いてある。
週末、これで「いつもの酒」をいただいた。
ぐい呑みは高校の修学旅行で買った備前焼。もう30年以上も前のこと。なんで修学旅行でぐい呑みを買ったんだか。
あの頃、すでに呑兵衛だったか。
ペンギンの缶ビールは予備校の帰りに呑んでいた記憶はあるけど、まだ日本酒のよさは知らなかったと思う。
父への土産のつもりだったのか。結局、長い間、自分で使っている。
仕事の夢と眠れぬ夜
土曜日の夜、珍しく長い夢を見た。見た夢を覚えていることも滅多にないこと。
仕事の夢だった。
アメリカの本社から来た人たちと食事をしていた。"This is my third start-up"と言っていた。
まだバリバリ仕事したいという気持ちがあるのだろうか。まだ英語で何かしたいと思っているのだろうか。
思ったところで今更どうにかなるものではない。
日曜の夜はなかなか寝付けなかった。10時には床についたあと11時ごろウトウトして目が覚めてから2時過ぎまで眠れなかった。
その間ずっと、目を閉じたままゴロゴロしていた。こんなことは初めて。
急に寒くなって、おなかの具合が悪くなり、昼も夜も抜いて空腹だったせいかもしれない。腹が減ると眠れないということを初めて知った。
スッキリしない週末だった。
さくいん:英語
在宅勤務になって一年半。スーツとワイシャツはまったく着なくなった。
夏服はこれまでに勤めた会社のシャツがたくさんあるから何とかなる。問題は秋冬。
秋冬の部屋着はたくさんは持っていないので、仕方なく、中高を私服で通学していた息子のお下がりを着ることになる。
息子は、誕生祝いや進級祝いに祖父母からたくさん服をもらっていた。
サイズは、私の身長を越す前の中学生の頃の服がちょうどいい。
今夜、今季初めて着る秋冬のパジャマもお下がり。
今日、久しぶりに出社したら、きれいに冠雪した富士山が見えた。
昼休みの使い方
最近、昼休みに外を歩くようにしている。行き先は図書館だったり、コンビニだったり、公園だったり。
ふだん週末に行く図書館へ昼休みに歩いたのがきっかけ。在宅勤務の気分転換になるし、暗くなるのが早いこれからの季節にも好都合。
昼食はゆで卵1個か、プラスこんにゃくゼリーだけなので時間は取られない。ランチ抜きのおかげでダイエットは順調に進んでいる。
昼頃にテレビをつけても、くだらないワイドショーしかやっていない。正午前の天気予報とニュースの見出しを見れば十分。それから家を出る。
一番近いと図書館は10分程度で着く。二番目に近い図書館も15分はかからない。ちょっと雑誌を立ち読みして帰って来ればちょうどよい。
思い返すと、『庭』をはじめる前、2001年の夏に転職した会社は近くに図書館があった。ランチのあとに神社の隣にある図書館まで歩いた。ここで『クオ・ヴァディス』や『小林秀雄全集』を借りた。ずっと探していたアール・クルーのアルバムで、初めて聴いたのも、ここで借りた"Finger Painting"だった。
『庭』のはじまりは昼休みの図書館にあった。昼休みの図書館は吉。
さくいん:『クオ・ヴァディス』、小林秀雄、アール・クルー
お彼岸の墓参りのあと、鎌倉駅前にある島森書店で買った。鎌倉へ行くと必ず島森書店に立ち寄る。鎌倉に関連した本がたくさん置いてある。都心の大型書店では見かけない小さな出版社の本もある。そういう本は図書館にはないので買って読む。
読んでいると、鎌倉は時の流れがゆっくりであることが伝わってくる。観光客が集まる小町通りや江ノ電の長谷駅あたりはいつも忙しない雰囲気。ところが一本裏の路地へ入ると急に静かな街路が広がる。田村が素描する街角にも観光客はいない。静かな時が流れている。
鎌倉では今も魚屋や八百屋の御用聞きが家に来る習慣が残っていると聞いたことがある。時の流れがゆっくりというのは、単に時間というだけではなく、時代もゆっくり流れていることを意味している。
田村は好きな季節は「サザンカと椿の花の晩秋初冬と、水仙、梅の花咲く早春」と書いている。これにはまったく同感。
秋から冬にかけての鎌倉は正月を除けば観光客も多くなく、街全体がひっそりとしている。そして、晴れた日には七里ヶ浜から富士山まで見える。それくらい空気も澄んでいる。
もうしばらくしたら鎌倉へ行きたくなる季節になる。詩人が教えてくれた谷戸や小路を散策してみたい。
田村隆一が亡くなってからすでに20年以上経っている。その間に鎌倉もずいぶん変わっただろう。それでも、時の流れが都会と違う鎌倉には、詩人が下駄を鳴らして歩いた「鎌倉」がきっとまだ残っているだろう。
さくいん:田村隆一、鎌倉
Amazonプライムのおすすめ。青春映画を続けて観てきたからだろう。
ストレートな青春映画。観ている方が恥ずかしいと思いながらも観続けてしまい、終わったら「もう彼らの姿を見られないのか」と残念な気持ちになった。
もう自分の子さえ高校を卒業してしばらく経つくらい歳をとったので、こういう作品を観ていると「若いっていいな」「いいぞ、がんばれ」という感想しか思いつかない。
この手の作品をいくつも観てしまうのは、懐かしいからでもなければ、うらやましいからでもない。たぶん、若さからエネルギーをもらっているのだろう。
土屋太鳳と北村匠海が歌う主題歌、"Anniversary"が作品に似合っていてよかった。
『君の膵臓をたべたい』『思い、思われ、ふり、ふられ』と観てきて、北村匠海が好きということに気がついた。声がいい。フーテッドパーカーがよく似合う。『キミスイ』の印象が残っているからか、イケメンというよりは素朴で朴訥な感じがする。
さくいん:北村匠海、声
長者ヶ崎の夕照
週末、久しぶりに海を見た。
逗子まで行き、バスで葉山を通り、長者ヶ崎まで足を伸ばした。
天気がよかったので、明るいうちは富士山と江ノ島がくっきり見えた。
海は広かった。海を見ていると心が穏やかになる。
帰りに馴染みのイタリア料理店で夕飯を食べた。
写真は拡大可。
さくいん:逗子、葉山
ノチェロ、ノチェロ
先週末、金曜と土曜の夜、続けてイタリア料理店で夕食を食べた。
緊急事態宣言が解除されてお酒も呑めるようになった。
イタリア料理店で楽しみにしているのは食後酒。胡桃のリキュール、ノチェロを必ず頂く。
小さなグラスから甘い香りが広がる。味もまろやか。
家に置いてあったら毎晩呑んでしまいそうな危険なお酒。
外食のときの楽しみにしておく。
新しい日常
ランチは自宅の食卓。
昼休みは近所の図書館に行ったり、デスクわきのベッドで昼寝したり。
3時には仕事の手を休めて洗濯物を取り込む。
5時01分に退勤とともに帰宅。
通勤時間0分の暮らし。
20年近くサラリーマンをしてきて、こんな暮らしになるとは、2年前までまったく想定していなかった。
コロナで日常生活が一変してしまった。
さくいん:日常
期日前投票
火曜日の夕方、衆議院議員選挙の期日前投票へ行ってきた。
場所は公民館。自転車で10分もかからないところ。
一票は一票でしかないけど、一票が当落を決めることもあるから一票を投じてきた。
有権者になってから、私の投票行動はほとんど変わっていない。棄権もしたことはない。
とくに支持している政党があるわけではない。ただ同じ政党が万年与党ではつまらないと思っている。
今回もその姿勢で投票した。
昭和40年代から現代までの吉祥寺の街並みを写した写真集。ざっと50年間の歴史。
昭和40年代の写真からは今の賑わいはとても想像できない。駅前は小さな商店が密集していて、鉄道も高架になっていない。青果をのせた貨物列車も停車していたという。
昭和60年でも、駅前は雑然としていて、大量の自転車が放置されている。
ということは、吉祥寺が今の吉祥寺に近づき始めたのは、平成になってからということになる。北口駅前広場が整備されたのは、昭和62年と年表にある。私の知っている吉祥寺も、このあたりから。
横浜市の南端に住んでいたので、東京といって思いつくところは、京急線と東横線で行ける品川、銀座、渋谷だった。新宿は遠く、まして池袋は未踏の地だった。
高校生のとき、下北沢の本多劇場で中村伸郎の一人芝居を見た。ほとんど終電でようやく帰宅できた。だから吉祥寺も長い間、行ったことのない遠い街だった。
そんな吉祥寺を生活圏にして暮らすようになり、すでに30年近く経つ。
吉祥寺の歴史を眺めていると、「うつりゆく」の前に「目まぐるしく」と前置きをしたくなる。近鉄百貨店は三越になり、今ではヨドバシになっている。伊勢丹もなくなり、昭和から残っている百貨店は東急だけ。
今の吉祥寺は賑やかすぎるくらい。コロナ禍の週末は怖くて近寄れなかった。
朝早く出かけて用事を済ませ、ランチを楽しんだらすぐ帰る。それが今の吉祥寺との付き合い方になっている。
さくいん:東京、横浜
餃子の思い出
昨夜は久しぶりに餃子を作った。
最近買ったワイヤレスイヤホンをつけてさだまさしの古い歌を聴きながら作った。
これは私だけのセルフ・グリーフ・ケア。
亡くなった人と一緒にしたことを一人になってもしてみる
姉が亡くなる前の晩、母と三人で餃子を作った。そのときはとても元気そうだった。
心から悲しいと思えることが幸せ。
悲しくて、懐かしくて、幸せな不思議なひととき。
珍しく家族四人揃って夕食を食べた。
餃子を作るとき、私がどんな気持ちでいるか、家族の誰も知らない。
私だけの密かな、大切なひととき。
さくいん:餃子、さだまさし、悲嘆(グリーフ)、秘密、自死・自死遺族
対論 人は死んではならない、小松美彦、春秋社、2002
死と向き合って生きる - キリスト教と死生学、平山正実、教文館、2014