久しぶりに連続ドラマを見た。たぶん『泣くな!はらちゃん』以来。
濃密なドラマだった。配役も音楽もよかった。
39年の生涯をそのまま50分x4回のドラマで再現するために話は駆け足で進んでいく。生き急いだ安克昌の生涯の切迫感を感じさせる一方で、PTSDという言葉や中井久夫という人物を知らない人には、意味がよくわからない場面があったり、急ぎ過ぎる展開に見えたかもしれない。
ほんとうに世の中には理不尽なことがあるのだな
これが率直な感想。優れた医師で、理想も高く、皆に愛されていた人が、なぜ若くして亡くならなければならないのか。それを理不尽と言わずしてなんという。
心のケアって何かわかった。誰も独りぼっちにさせへん、てことや。
このセリフは劇中で一番大切な言葉。精神科医や臨床心理士は困っている人を独りぼっちにさせないように働いている。人は時に家族からも疎遠になってしまう。そういうとき、最後に頼りになるのは医療者ということもある。その責任は重い。
最近うつ病を「心の風邪」と呼んだり、精神科にかかることを大ごとにとらえないようにする動きがある。それはそれで悪いことではない。しかし、心の病は人の命にも関わる重い一面があることは忘れられては困る。
人間とはいかに傷つきやすいものであるかということを私たちは思い知らされた。今後、日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていくきびしい社会を選ぶのか。
この言葉も印象に残る。
確かに傷ついた人の心のケアは必要。でも、もう一歩進んで考えると、人が傷ついている、ということは、傷つけている人がいるということでもある。傷つけている人のケアをしなければ、傷つく人は減らないだろう。
おそらく、傷つく人と傷つける人とがいるのではない。どんな人でも、傷つきやすい面と傷つけやすい面がある。Human being is harmful as well as vulnerable.
DVでも、震災の避難所での諍いでも同じことが言える。傷つけている人は傷ついている人でもある。
思想は加害者の側からしか生まれない。
これは石原吉郎の言葉。
自分は傷ついた身でありつつ、人を傷つけながら生きている。その自覚は忘れたくない。
もう一つ、書いておく。
精神科医は安克昌や中井久夫のように立派な人ばかりではない。傷ついている人をさらに傷つけるような医者も世の中にはいる。理不尽ではあるけどそれも世の中の現実。
こんな親切で情熱的で技量の高い医師に出会うことができる患者は幸せだと思う。
心の病であるのに運悪くヤブ医者に捕まってしまい、追い詰められて命を落とす人もいる。精神科医も心理士もメスは使わなくても人の生命に関わる仕事をしている。
精神科医や心理士の責任は心臓外科医と同じくらいに重い。