週末は金曜日の17時にはじまる。そして日曜日の夜10時に終わる。そのあいだに何をしているかを書いておく。
週末は一週おきに実家に帰る。帰省といっても電車に2時間も乗れば実家には帰れる。それでも、県境は越えるし、山や海が近い環境は今住んでいるところからは心理的にかなり遠い。
実家に帰るのは、一人で暮らしている母の様子を見に行くため。まだ介護は必要とはしてはいないとはいえ、話し相手もなく過ごしているのは気の毒なので時間が許す限り帰る。
実家は横浜の南端にある。山を一つ越えれば、逗子や鎌倉。帰省すると海を見たくなる。
ふだん質素な暮らしをしているので、私が帰るとすこし贅沢なレストランで食事を楽しむ。食事のあいだは、これまで何度も聴いている短大とOL時代の話を傾聴する。面白い話が多いので、何度聴いても苦にならない。そうは思っていても、帰宅するとどっと疲れが出る。
傾聴を仕事にしている人には頭が下がる。精神科医やカウンセラーは一日中、人の愚痴を聴いているようなもの。どうやって聴く疲れをほぐしているのだろう。
帰省しない週末は病院の週。うつ病の治療のために精神科の小さな診療所、S医院へ行く。晴れていれば徒歩で30分ほどの距離。土曜の午後に用事がなければ運動がてら歩いていく。前は自転車で行っていたこともあった。昨日は雨だったので、バスに乗った。
病院の待合室には、デザインのバラバラの椅子が十人分くらい置いてある。待合室が混んでいるときは手洗い近くのパイプ椅子に座って待つ。
病院の混み具合には法則がない。朝一番に行ってもすでに沢山並んでいる時もあれば、診療時間が終わる昼頃まで待ち人が多い時もある。そうかと思えば、待合室に誰もいなくてすぐ呼ばれることもある。
待合室は新しくはないが、居心地は悪くない。診察室の会話が聞こえてこないないように待合室ではラジオが流れている。ファッション雑誌や街の情報誌が置いてあるので、パラパラめくりながら待ち時間を過ごす。長く待たされて座ったまま眠っていたこともある。
順番が回ってくるとS先生が扉を開けて患者の名前を呼ぶ。これが当たり前ではないことに気づいたのは最近のこと。たいていの病院では、看護師が名前を呼び、部屋に入ると医師がどっかりと椅子に座っている。机は横置きになっていて、医師は椅子を90度回して患者と対峙する。
S先生は自分から患者を診察室へ迎え入れる。医師と患者のあいだには大きな机があって、向かい合って話をする。
今日、病院は空いていた。一人が診察室にいるだけで待っている人はいなかった。
すぐに自分の名前が呼ばれた。
このところ調子がよいこと。通勤のストレスがないこと、毎晩よく眠れていることを伝えてから、質問をした。
帰省して母が話す同じ話を聴くのは、その時は面白くても後でどっと疲れが出る。
精神科医やカウンセラーは、一日中、人の愚痴を聴いているようなもの。どうやって聴く疲れをほぐしているのですか。
S先生の返答は素早く短かった。
切替ですよ
続けて言った。
職場を出たらいいことも悪かったこともすべて忘れる。そして、仕事を再開するときには途中になっていた仕事を務めて思い出す
あゝ、そうか。だから先生は克明なメモを取っているのか。
私も母から聞かされる話を毎回忘れよう。そうすれば、初めて聴いた時のように、もっと面白い話として聴けるかもしれない。
「仕事が立て込むと焦燥感が強くなる、と伝えたら、「安定剤はまだ減らせないかな」と返された。見方を変えれば、不要な不安や焦燥感がなくなれば、減薬もできて寛解も近くということ。今日は期待の持てる診察だった。
診察が終わると会計をして処方箋をもらい、近くの薬局で薬をもらう。薬局の人ももう顔なじみ。この土曜日午前中の一連の行動は非常に規則正しい。
薬局のあとは自由時間。いつもなら本屋を見たり百貨店を見たり、街をブラついて午後を過ごす。大雨なのに商店街はいつも通りの人混み。服屋や雑貨屋のある観光地的な繁華街とスーパーや食料品店のある生活感のある街が混在している場所なので、生活のためだけに外出しても、人出は劇的には減らない。そこがこの街の魅力でもあり弱みでもあることが、今回の外出自粛要請ではっきりわかった。
これはまずいと思い、人混みを避けて、とりあえず電車に乗った。一駅乗れば、通勤時の乗車駅。一駅でも、人の数はだいぶ減る。
我が家は二駅利用可の位置にある。正確に書けば、まだ二本使える路線があるので、四駅利用可、ということになる。事故や災害のときにはこれが役立つ。
駅を降りると、ここも駅ビルごと休業。でも、古書店が一軒開店していることをTwitterで確認していたので、そこを目指して歩きはじめた。
眺めて過ごせるアートやファッションの雑誌のバックナンバーが目当てにしていたけれど、そういうものはなかった。この書店で充実しているのは詩や俳句、演劇関連。文庫や新書もきれいな保存状態の本が多い。
隅から隅まで書棚を見てまわり、文庫本を一冊買った。吉田健一『酒肴酒』(1974, 1985, 2006、光文社文庫)。帯までついていて保存状態は最高。
最近、吉田健一の短いエッセイ「満腹感」を岩波文庫のアンソロジー『日本近代随筆選 3 思い出の扉』で読んで面白かったので、ほかに面白い本はないか、ちょうど探していた。ところで、このエッセイ集は名だたる文豪たちが書いた短い随筆を集めている。いわば珠玉の詰め合わせ。どの文章も短いながら味わいがある。
どうも古風な文章を好む癖が私にはある。平成時代の作家の本はほとんど読んでいない。読むとすれば、何かの専門家が書いた自伝や初心者向けの入門書。
方々、探してはいるけれど、波長の合う同時代の作家になかなか出会えない。
古書店を出ると外は豪雨。食通の本を買ったせいもあり、腹が減ってきた。平日、自宅で簡単に済ませているので、週末のランチはちょっと贅沢をしたい。あそこなら、というイタリアン・レストランに向かって歩いてみると扉が閉じている。残念。仕方がないので、もう少し歩いた先で見つけた店で味噌ラーメンを食べた。旨くも不味くもない、普通の味噌ラーメン。せっかく外食するときは、妥協せず、美味しいものを食べなければ後で悔やむだけ。
来月の診察日は、よく調べて美味しいものを食べよう。その頃には街は元通りになっているだろうか。
こうして土曜日は昼過ぎには帰宅することが多い。それからあとは昼寝して、夕飯の支度、——といってもレパートリーはカレーと餃子——をする。
土曜日の夜だけは必ずテレビを見る。『ブラタモリ』と『突撃アド街ック天国』。
土曜日も夜更かしはしない。起きていても23時まで。日曜日には7時過ぎには起きる。
病院へ行く週には床屋へも行く。床屋までは歩いて30分。スポーツジムが途中にあるので都合がよかった。再開したらジムと散髪をセットで習慣にする。
日曜日の午後は何をしているのか。コロナ以前は図書館を2館ハシゴすることが多かった。どこかへ出かけることはあっても、電車に乗ることはまずない。せいぜいバスで行ける範囲。日曜日の移動範囲はかなり狭い。
趣味がない、ということが私の週末の特徴だろう。帰省したときは、母を連れ出すために美術館へ行くことが多い。そうでない週は病院と床屋が一月に一回回ってくるので、ほかには何もしない。最近は図書館に行けないので、家でゴロゴロしていることが多い。
何か趣味を持ちたいと思う。楽器の演奏や絵を描くことや、料理やお菓子作り。
テレビは見ない。文字通りベッドの上で本を読んだり、音楽を聴きながらゴロゴロする。そのうち寝入ってしまい、2, 3時間昼寝してしまうこともある。
大河ドラマは見ない。その代わりに『日曜美術館』を見ることが多い。翌朝が速いので、日曜日はいつもより早く、21時半には床に就く。
さくいん:S先生
付記。昨日は午前中、豪雨だった。雨が降るなかで「雨」を検索語にしてライブラリからシャッフルして聴いた曲を掲げておく。