逗子夕景

ふだん小説は読まない。とくに賞を取った作品はつい敬遠してしまう。今回は勧められてKazuo Ishiguroを手に取ってみた。

とてもよい作品だった。静謐で美しい。感想を書くとなると私の語彙ではとても表現できない。しかも、読めば焼き付いてしまうので見ていないが、この作品についてはすでに語り尽くされているだろう。私などが屋上屋を建てることはないだろう。

そこで無知と不遜を承知で正直な感想をそのまま書いておくことにする。

この作品は、最近読んだ島崎藤村『夜明け前』と共通することがいくつかあるような気がした。一方は大長編、他方は文庫本一冊と長さこそ違えど、二つの作品には共通点がある。

  1. 1. 個人→家族→仕事、果ては国家まで視点が広がっていく
  2. 2. さらに社会観察を通じて「歴史」が舞台となる
  3. 3. 主人公の信念が主題の一つ
  4. 4. 主人公はその信念ゆえに挫ける
  5. 5. きめ細やかな情景描写

2作品にある大きな相違点は死の扱い方。

その理由は藤村は自らの家族史として書き上げた一方、イシグロは純粋なフィクションとして書いたところにあると思う。

イシグロの死の扱い方は非常に丁寧で慎重。

人が死ねば感泣物語になると言わんばかりに死を粗雑に扱う人が多いなか、本作での死の表現は高貴とさえ呼びたくなる。


あの時、ああすればよかった。あんなこと、言わなければよかった。

人生に後悔はつきもの。とくにその場では気づかず、何年もあとになってから自分の誤った選択に気づかされると、これまでの人生すべてを否定したくなる。

それでも、よくよく考えてみれば、自分自身で自信を持って選択しいたこともある。深くは考えなかった選択でも巡り合わせがよく、結果がよかったこともないわけではない。

後悔と納得の数を比べても意味はない。大切なことは、自分で選び納得した選択もあったこと、それに気づくこと。本作でも、主人公は何度も自分の選択を正しかったと自分に言い聞かせる。

後悔したことを忘れることなく、納得した選択も覚えておくこと。それが現在の自己肯定感の源泉になる。自分について言うのはおこがましいが、主人公はそれを密かに「品格」(dignity)と呼んでいる。

余談。残念なことに日本ではつまらない新書の類で多用されてしまったために「品格」という言葉に「品格」が感じられない。

要するに、この作品は主人公の蹉跌を描いただけではない、と思う。後悔しつつも現在の自己を肯定し、旅の終わりに次の目標も立ててもいる。それは負け惜しみのようなものではない。

主人公は短い自動車旅行と長い心の旅を終えダーリントン・ホールに帰る。彼は「新しい自分」を生きはじめる。その後ろ姿は、藤村の言葉を借りて「新生」と呼んでもいいのではないだろうか。


この本は母が勧めてくれた。中学生のときに読んだ『破戒』にはじまり、母に勧められて読んだ本でつまらなかった本はない。読書において、私はずっと母の影響下にある。


さくいん:Kazuo Ishiguro島崎藤村