5/1/2016/SUN
ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想、府中市美術館、東京都府中市
Twitterでも賞賛の声を多く見かけたので、日本画の展覧会へ行ってみた。
若冲や応挙は大人気で、都心の大きな美術館で企画されると大混雑になると聞く。本展でも人気画家の作品を見ることができる。画家の名前を前面に出していないので、館内は静かで、ゆっくり見ることができた。
つい最近まで日本画を積極的に見たことはなかった。国立近代美術館で所蔵作品の蔵出しを見たとき、少し興味を覚えた。そのあと、三菱一号館で河鍋暁斎を、横浜美術館で中島清之展を見て、日本画への関心が深まった。
楽しい展覧会だった。一つのテーマで作品を各地から集めて見せる展覧会は、キュレータの腕の見せどころだろう。個人コレクションの変形と言ってもいい。
どれか一つの作品が印象に残ったというより、展覧会全体が気持ちよかった。画家も題材も、表現方法も、掛け軸か屏風か版画か、という形式も多彩で、ひととき、江戸時代の文化サロンで過ごしたような気がした。
展示を見ながら思ったこと。これだけさまざまな表現を知っていた江戸末期の趣味人たちは、写真をどう受け止めたのだろう。
これまでは、見たままを写し取ることができる写真に人々は驚いたに違いない、と思っていた。今回の展覧会を見て、考えが変わった。
あれだけ空想の世界を色鮮やかに多様な表現方法で魅せる作品を知った数寄者にとって、所詮は白黒でしかない写真は、技術として驚きに値したかもしれないとしても、芸術の表現方法としては、その可能性はまだ知らなかったのではないだろうか。墨絵のように白黒でも幻想的で人を魅了する芸術もあった。
2001年7月から2006年12月まで働いた会社は府中駅近くに事務所があった。仕事の帰りに美術館へ来たことも何度かあった。ここは、言ってみれば「行きつけの美術館」だった。
この美術館の常設展には、いろいろ教えてもらった。正宗得三郎、青木繁、長谷川利行、松本竣介。
「行きつけ」の店で楽しむのは、もちろん、定番の逸品。ここに来ると必ず「牛島憲之記念館」でしばらく過ごす。毎回展示は変わるけれど、ふんわりとした淡い色使いは変わらない。企画展も空いていたので、常設展と牛島記念室は、見守り役以外、誰もない。
今回、じっと眺めていたのは、「灯台のある島」「漁港」「春温む」の三作品。空、海、灯台、島、水門。碧、青、白、緑。
こうして好きな絵を黙って見ている時間を幸せに感じる。何も考えない。色が心に染みてくる。色のなかに自分が溶けていく。
広い部屋で、一人で静かな時間を過ごす。私にとって、それが美術館へ来る最大の楽しみ。
この美術館はロビーは吹き抜け、展示室も広く、天井が高い。外は緑あふれる広い公園。来るだけで、美術浴と公園浴ができる。
階段を降りて図書室へ。美術館の図書室は、たいてい敷居が高い。ここの図書館は開放的で入りやすい。前にも長く過ごしたことがある。
『難波田龍起画集』(569/600、講談社、1984)と『長谷川潔 版画作品集』(美術出版社、1981)を、1ページずつゆっくりめくり、お気に入りの作品を眺めた。
美術館へ行く前に、昔、よく行っていたラーメン屋に寄ってみた。ちょっと辛い味噌ラーメンの味は変わっていなかった。2001年から2006年まで通勤していたビルは見に行かなかった。
京王線の駅と百貨店のあいだにあった古い商店街が取り壊されていた。タワーマンションでも建つのかもしれない。
今の住まいからは便利な場所とは言えないけれど、ときどき戻ってきたい。
写真は、若林奮「地下のデイジー」。美術館入口そばにある。常設展の出口に解説があった。解説がなければ、配管の施設かと思って通り過ぎていただろう。
《地下のデイジー》は、厚さ2.5センチの鉄板が123枚重なってできており、高さは13メートルを超えます。ただし、地表に出ているのは3枚だけ、残りは全て地下に埋められています。
(府中市美術館 彫刻ガイド 若林奮 地下のデイジー)
今朝の日経新聞、文化蘭に明治期の写真についての特集があった。
幕末に「技術」として伝わった写真は明治後期から「芸術」としての道を模索する。絵画の模倣で始まった欧米のピクトリアズム(絵画主義)を取り入れながら、芸術を志向する独自の写真表現が生まれた。
私の見立ては、あながち的外れではなかったように見える。