先々週、上大岡の京急百貨店に出かけたとき、八重洲ブックセンターで岩波文庫の特設棚があった。本書はそこで見つけた。2020年刊行なのに出版されていることは知らなかった。
西田の書簡は、日記とともに『西田幾多郎の声:手紙と日記が語るその人生』で読んだ。文庫本を手元に置いておけるのはうれしい。
西田の哲学は私には理解できない。でも、人生の悲哀や苦悩に耐えつづけた西田の人柄にとても惹かれる。だから、専門的な論文集ではなく、随筆集や歌集を読んできた。
西田は、その生涯で身内の多くと死別し、若い頃には思ったような職を得られず「磊落」していた。最近読んだ本になぞらえれば、西田の生涯は絶望に抗いつづける苦闘だった。
私のこの十年間というのは静かな学者生活を送ったというのでなく、様々な家庭の不幸に逢い人間として耐え難き中を学問的仕事に奮励したのです。
(和辻哲郎宛、1929年12月28日)
本書は、いま読み通すというのではなく、辛いとき、悲しい気持ちに押しつぶされそうになったとき、慰めとして開く本になるだろう。
さくいん:西田幾多郎、悲嘆
気になる俳優、松坂桃李の新作と聞いて映画館で見た。テーマが認知症ということも見た理由の一つ。認知症の母とこの先どう向き合うか、何かヒントを得られるかと期待した。
寺尾聰の歌声が素晴らしい。大きな音で聴くことができてよかった。好きなことを好きなようにして余生を送れたら、認知症の人も幸せだろう。
松坂桃李も佐藤栞里もお気に入りで、舞台になった横須賀の風景にも馴染みがあるので、作品全体の雰囲気は好はよかった。映画に詳しい人のなかには筋書きがありきたりで、想定範囲の結末に新味がないと難じる人がいるかもしれない。
認知症が進んで暴力的になる部分は怖かった。母もいずれあんな風になるのだろうか。
この物語では息子が自由業だから実家で仕事をしながら介護ができた。多くの人はそうはできないだろう。ではどうするか。暴れたりするようになったら、対応できる施設にお願いするしかないのではないか。
母のこれからのことを考えると、手放しに感動したとは言えない物語だった。
さくいん:松坂桃李
89歳の母。契約前はあんなに嫌がっていたデイサービス。
最近では、「今日はデイサービスです」「いま帰りました」と楽しそうなLINEが来るほど、生活に溶け込んでいる。
具体的には、施設の連絡帳によると塗り絵をしたりパズルをしたりしているらしい。
先週、「何をしましたか」尋ねたところ、「昔の歌を皆で歌った」と返信があった。とてもいい。
何もしなくても、多勢の人がおしゃべりをしているにぎやかな場所にいれば、脳は活性化されるだろう。ましてアクティビティに参加すればなおさら。そう期待している。
11月には卒寿の祝い。来春には初孫の結婚式が待っている。
「来年の4月はずいぶん先ね。元気でいられるかしら。」と弱気な発言を聞いた。
身体も心もデイサービスで活性化していれば大丈夫。そう信じている。
日曜日。実家からの帰りに立ち寄り、最終日に何とか見ることができた。
直線を基調とした抽象的な建物の絵。
展示の説明にもあるようにどこかで見たような気がする街角。
温もりある色使いがさらに郷愁を誘う。
いつもの通り、青い色の作品の前で立ち止まった。
毎日、昼休みに朝、録画しておいた朝ドラ『あんぱん』を見ている。
時代は太平洋戦争へと進んでいる。今回の朝ドラでは、主人公を含めて一般国民が無邪気に勝利を信じ、神国日本に心酔している様子が描かれていて興味深い。
海外事情に詳しい船員の次郎は敗北を予期している。それを口にすると、愛国女性の鏡と呼ばれているのぶが咎める。主人公が積極的に戦争に協力するよう描かれるのは珍しい。
風来坊の屋村はヨーロッパで第一次大戦に従軍して総力戦の悲惨なことを知っていた。この設定も興味深い。日本から欧州へ義勇兵となって行った人がいたかは不明のようだけれど、欧米にいた日系人には地位向上を目指して従軍した人もいたらしい。
日本が日中戦争が泥沼化しているのにさらに無謀な太平洋戦争へ突入した要因として、日進日露の成功体験と、第一次大戦の悲惨さを知らなかったことを中井久夫は挙げていた。
今回のドラマを見ていると、世界情勢を知らない庶民は政府と世相に振り回されて、戦時体制に積極的に協力させられていたことがよくわかる。
彼らはどのように戦後の動転をどんな表情で迎えるのだろう。ドラマはその表情をどんな風に撮るだろうか。
さくいん:NHK(テレビ)、中井久夫
しばらく前にテレビ番組『博士ちゃん』で1970年の大阪万博を特集していた。
私も大阪万博へ行った。行ったといってもまだ2歳だったので、写真を見ても何も思い出さない。母の昔語りで知るだけ。
ちょうど結婚10周年になり、初めて長い家族旅行を計画したという。名古屋まで新幹線に乗り、四日市で旧友に会い、近鉄特急で大阪まで移動して、当時単身赴任していた父が迎えに来た。我が家はその後、西宮に転居することになる。
母が必ず話すのは、太陽の塔を私が怖がり直視できず泣きじゃくっていたことと、今でいうB型の携帯できるベビーカーがなかったので、眠りそうになっても私の手を引きずって歩いたため、見知らぬ人に「かわいそうに」と声をかけられたこと。
部屋の片付けをしていたら、万博のガイドブックを見つけた。テレビ番組でも紹介していたコンパニオンの制服が巻頭を飾っている。いまではあり得ないだろう。
まだ和装で出かける人も少なくなかった時代に、このデザインはかなり未来的に映ったと想像はできる。
写真は太陽の塔の前で泣いている2歳の私と呆れている9歳の姉。二人が着ている服は母のお手製。
さくいん:大阪、70年代
最近、よく借りてくるナショナルジオグラフィックの図鑑。図書館で返却本が置かれた棚で見つけた。誰かが読み終えた本は少なくとも一人は読んだわけだから面白い可能性がある。返却棚はジャンル分けもされていないので、興味のなかった分野で面白そうな本に出会う場所でもある。
廃墟や廃線は興味をそそる。なぜ、人は街を作り、そして去っていったのか。そこには必ず物語がある。
栄えていた街がゴーストタウンになる理由はさまざま。鉱山など産業が衰退した街。戦争で荒廃して住民がいなくなった街。疫病で衰退した街。気象変動で砂漠化した街。都市計画が想定通りに進まず頓挫した街。地震や災害で壊滅して放棄された街。天然資源が枯渇して居住できなくなった街。
日本からは産業が衰退してゴーストタウンとなった端島(軍艦島)が掲載されている。
ゴーストタウンはいまはこうして写真で記録されている。でも、何世紀も経った後には砂に埋もれて人々の記憶からも忘れられる。そうして、忘れ去られてから掘り返され遺跡になる。
前に『世界から消えゆく場所』を読んだときにも思った。私が暮らしているこの場所も、いつか砂の下に隠れて、人々の記憶から忘れ去られるのだろうか。
「世界遺産」という発想はおそらくは20世紀までなかっただろう。衰退したり放棄された場所は忘却の波にまかされていた。いまは違う。貴重な建造物や景観は努めて残そうという機運がある。
小さな我が家は、1000年後に、21世紀の東京で核家族が暮らした典型的な住居として復元展示されるかもしれない。
痛快。そして爽快な一冊だった。
若い人に向けた読書案内で必ずと言っていいほど挙げられる『罪と罰』。その過剰に情熱のこもった「推し」がうっとうしくて、私はドストエフスキーを避けてきた。
図書館で偶然に本書を見つけた。私が「読まず嫌い」でいる理由がわかるかもしれない。そんな期待をもって読みはじめた。
本書は、作家や翻訳者、4人がまず『罪と罰』を読まずに切り取った部分から筋書きを推測する対談で始まる。この設定がなにしろ面白い。対談を読んでいると、小説家はどんな風に小説を読み込むのか、また、どんな風に小説を書くか、いろいろわかってくる。
キャラの立て方、地の文で説明するか、人物のセリフでするか、クライマックスまでどのように盛り上げていくか、伏線の張り方、全体の構成をどうするか、などなど。
この小説作法が惜しげもなく開陳されるところがとても面白い。
三浦しをんはエピローグでこの世界文学に挑戦することを勧めている。でも、あらすじも書かれているし、4人の読後の対談もある。本書を読むと『罪と罰』を読んだ気になれる。
結論。私は『罪と罰』は読まない。でも、『カラマーゾフの兄弟』には俄然、興味がわいてきた。
さくいん:ドストエフスキー、三浦しをん