過去相に生きる
初著作『自死遺族であるということ』のなかで、「過去相に生きる」という言葉を何度となく森有正の言葉として引用した。この言葉は著作のなかでも重要な位置を占めている。
ふと気になって『エッセー集成』を読み返してみたところ、「過去相に戻る」という表現はあっても、「生きる」という言い方は見つからない。ちょっと勇み足だったかもしれない。
厳密には「過去相に生きる」とは書き残していないけれど、「戻る」よりは「生きる」の方が、意味としてはわかりやすい。そう牽強付会しておく。
「過去相」という概念は、森のなかで、少なくとも私が森有正を読む場合、非常に重要な概念に思える。しかし、ネット上で検索するかぎりでは、「過去相」を中心に据えた文献は見当たらない。
「森有正における〈過去相〉」。このテーマは研究するに値すると思う。
実は、著作の第二弾として、これまでに森有正について書いた文章を、一冊の本にまとめてみようかと思っている。
時間をかけて再読し、「森有正における〈過去相〉」を書いてみたい。
来年の仕事にするか。
さくいん:森有正
ついに買ってしまった。全17冊。
前々から買いたいとは思っていたものの、価格と置き場所で悩んで、決心できなかった。
今回、森有正を読み直したいと思いはじめ、「日本の古本屋」のサイトを調べたところ、手頃な価格で状態のよいものが出品されていた。
月報も揃っていることをメールで確認して購入を決めた。
いまはベッドサイドに積み重ねてある。
来年はやはり森有正、再読の年としよう。
さくいん:森有正
金曜日は一日休みにした。昼前、生協を受け取ってから出発。渋谷のリル・ウッディーズでハンバーガーを食べて大船へ。モノレールに乗り換えて湘南江の島へ。
江ノ島では期待していた富士山は見えなかった。そこから、小動神社を過ぎて七里ヶ浜を通り、稲村ヶ崎まで海岸沿いを歩くつもりが、どうにも膝が痛くて歩けない。仕方がない。鎌倉高校前駅で一休みして江ノ電に乗った。
稲村ヶ崎でしばらく海を眺めてから、寒くなってきたので近くのカフェに入った。
稲村ヶ崎のカフェでコーヒーを飲んでいたら、どんどん日が傾いていく。急いで店を出て、公園から何枚も写真を撮った。今年一番の会心の一枚が撮れた。これだけを掲示しておく。
稲村ヶ崎は、砂浜がほとんどなくなった。学生だった30年前、『庭』を始めた20年前でもまだ砂浜はあった。異常気象の影響だろうか。高校時代、誰かと二人で歩いた記憶も砂浜と一緒に波にさらわれて消えていった。
夜は、高校時代の友人と逗子のラ・ベルデで忘年会。酒はあまり呑まなかった代わりに、近場のタコのマリネからアクアパッツァ、さらにデザートまでたらふく食べた。
友人はあまり呑まない。私だけ、デザートの前にノチェロをいただいた。
まだ早かったので逗子駅の近くでもう一軒。前に母と行ったことのあるバー。マスターは覚えていてくれた。ここで珍しい、いちご風味のBeefeaterをいただいだ。ここでも私だけ、2杯目にボンベイサファイアを呑んだ。
実家へ帰宅すると母がまだ起きていて、〆の一杯を呑んだ。
さくいん:鎌倉、江ノ電、逗子、、ジン
土曜日は母を連れて鎌倉へ出かけた。岐れ道でバスを降りて、鎌倉宮まで歩いた。本数は少ないものの、きれいな紅葉を見ることができた。鶴岡八幡宮では、台風で倒れた大銀杏の代わりに植えられた銀杏がだいぶ大きくなり、黄金の葉を着飾っていた。
昼食は、若宮大路の銀座古川。カツカレーのボリューミーなこと。
夕飯は、Unionで買ったソーセージとザワークラウトで済ませた。
もちろん、ビールとワインは呑んだ。
さくいん:鎌倉
Amazonに注文していた自著、『自死遺族であるということ』が届いた。
最初の読者は著者である私自身。品質の確認も含めて購入した。
目次も人名索引も奥付も、きれいに印刷されている。見開きの余白も十分。
横書きで書いている『庭』の文章を縦書きにして本にする。その夢がついにかなった。
これまで味わったことのない達成感がある。
本が好き。多読ではないから、本を読むのが好きとは言い難い。
でも、本が好き。本を見るのが好き。図書館、本屋、古書店。本がある場所が好き。本についての本も好き。
装丁と装画、ブックデザインにも関心がある。『装丁・装画の仕事2019』には、数えきれないブックデザインが紹介されている。見ているだけで楽しい。
絵心がないので、自作の本はミニマル・デザインにした。
もう一度、本を作るとしたら、おそらく『烏兎の庭から』というシリーズにするだろう。とすれば、今回のデザインを踏襲して色違いにするだろう。
実は、密かに計画していることがある。出版予定は再来年。鬼に笑われるな。
昨日、日経新聞の交遊抄に三重県松阪市の焼肉屋、一升びんのことが書いてあった。
なつかしい。
社会人一年目の頃、工場出張の帰りに連れて行ってもらった。
翌朝、社内の人にもわかるというくらいの煙と匂い。
30年前の風景が見えてきた。床は血で真赤に染まり、バケツに山盛りのホルモンを店員が冷蔵庫から厨房へ運んでいた。急いでいるからバケツから血がこぼれる。その血が床を染めていた。
丸山という店にも連れて行ってもらった。何でも食肉とホルモンは組合が違うから松阪牛の肉は高級店に行き、ホルモンは街の焼肉屋に来ると聞いた。ほんとかどうかは知らない。
新卒で入った会社は1年半で結婚と同時に辞めた。
世間知らずで、生意気で、自信過剰な若僧だった。
iPhoneのロック画面をランダムに設定している。
スマホが勝手に風景写真を選ぶ。人物だけの写真は選ばない。よくできている。
自分でも撮ったことを忘れた写真が表示されるので、楽しい。
さくいん:Apple
先週の金曜日のこと。有給休暇が残っているので、午後を休みにして高円寺まで出かけた。中央線沿線に20年以上住んでいるけど、高円寺で降りたことは数回しかない。もちろん街は知らない。
純情商店街を抜けて、早稲田通りに出たところで右折して、あずま通りを南に戻る。肉屋に魚屋、八百屋など、個人商店がまだたくさんあるので驚いた。定食屋も多く、看板を見るとどこも安い。若い人が住みたがる理由がわかる。
一回りしてもまだ時間があるので、カラオケをした。女性ボーカルばかり3時間。Lemonも歌った。今週、訃報に接した山田太一を悼み、彼が作詞をした「耳をすましてごらん」(南野陽子)も歌った。元は本田路津子だけど、私は南野陽子版が好き。歌詞が心に刺さる。
時は過ぎ 人は去り 冬の世界を歩むとも
生きるの 強く あの愛があるから
夕方、仕事帰りの妻と駅前で待ち合わせ。こんなことをするのも珍しい。二人で外食するのは九月の結婚記念日以来。妻はふだん火水木の勤務で私は在宅勤務。そんなこともあり、外で会うことはあまりない。
職場の人に教えてもらったという焼き小籠包と刀削麺の店で食べた。初めての焼き小籠包は美味しかったけど、麻辣麺は容赦のない辛さだった。
もう一軒、ワインバーで一杯呑んで帰宅した。妻は真面目な人で酒も呑まず、夜遊びも好まない。家で寛ぐ方を好むタイプ。外食が少ないのはそのせいもある。
高円寺には、小さなバーや美味しそうなエスニック料理の店がたくさんあった。次に金曜出勤になったらまた来ることにした。
さくいん:米津玄師、山田太一、南野陽子
土曜日は今年最後の診察日だった。最近、入眠に問題はないが、ぐっすり寝たと思って目が覚めるとまだ夜中ということがある、という相談をした。S先生の回答。
よく眠れている実感があるなら心配ない。夜中の覚醒も、週に1回程度なら薬を処方するほど深刻ではない。無理に眠ろうとせずに 、リラックスして次の眠りのサイクルを待てばよい。
今年は大きく崩れすることはなかった一方、年始に立てた目標は何一つ達成できなかったことも伝えた。
医師からは「大崩れしなかっただけでも大きな進歩。QOLの向上はやがてついてくるから焦らないこと」と諭された。
自分でも、今年は低空ではあるものの安定飛行できた一年と思っている。
朝早く病院へ行ったので、そのまま神代植物公園までバスに乗った。驚いたことに12月というのにバラ園ではまだたくさんの花が咲いていた。
楓の紅葉も見頃。ちょうどいい日に行けた。
紅葉狩りのあとはビールとそば。30年近く通っている店で初めて天ざるを頼んだ。
さくいん:S先生、神代植物公園
日曜日。散髪のあと、小金井公園へ行った。楓は少なく、ほとんどが銀杏。しかもだいぶ葉は散っていた。どの木も背が高く、立派だった。
小金井公園は26年前に住んでいたところ。当時住んでいたアパートはそのまま残っていた。
ここで娘が生まれ、小金井公園で歩くことを覚えた。
この日も、たくさんの家族連れでにぎわっていた。貸し自転車やソリゲレンデ、長い滑り台、ターザンロープがなつかしい。
小さな子どもを公園に連れてきて親子で遊んでいる家族は皆幸せそう。平日は働いて疲れているだろうに、偉いものと感心した。同時に、こんなに気持ちよく晴れた日でも、親に構ってもらえず、外で一緒に遊んでもらえない、不遇な子どもたちについて考えた。
我が家の場合、子どもが幼い頃はまだ私にも心と時間に余裕があり、積極的に一緒に遊ぶことができた。彼らが高校生の頃には過労からうつ病になり、週末はほとんど寝て過ごしていた。もし子どもが小さかったら、ずいぶん寂しい思いをさせただろう。
子どもを産み育てたいという人を増やすためには、週末に子どもと遊ぶエネルギーが残るように、平日の働き方を改善しなければならない。そういう思いを強くした。
12月なのに20℃を越える異常な天候。歩いていると背中に汗をかくくらい。
14,000歩以上歩いた。週末はこれくらい歩かないといけない。
さくいん:小金井公園、労働、うつ病
新しいフリースジャケットを買った。表面の毛が立っていて手触りがモハモハ。今年の流行らしい。色はグリーン。名前はファーリーフリース。毛皮っぽいということか。
今まで、10年くらい前に当時働いていた会社で支給されたフリースを着ていた。胸にロゴ付きで色はグレー。長いあいだ着ていたのでとうとうジッパーが壊れてしまった。
とても暖かいので、在宅勤務のあいだ、ラグビージャージの上に着ている。
まだ着れるので今年も着るけど、予備も必要かと思い、新製品を購入した。
とても暖かい。これに電気ひざ掛けを足せば、エアコンの暖房はいらないかもしれない。
今年、身体障害者が、健常者の読み手としての特権的位置を批判する作品を発表して話題になった。同様に、書き手も特権的位置にいると思う。
商業作家や研究者は、編集、校正、装丁、製本などの専門家による特殊な工程を経てはじめて自著が販売されていることを当然のようにとらえていないか。
彼らは本という商品を製造する工程のうち、本文を書くという工程を担当しているにすぎない。
映画では、出演者だけでなく、監督、脚本、製作などさまざまな役割を担った人が名前を列挙(クレジット)される。音楽でも歌手だけでなく、作詞、作曲、編曲、ディレクター、プロデューサーなどの製作陣の名前が歌詞カードに書かれている。
本だけは、著者以外は黒子に徹していて、著者が特権的な位置を独占している。
これはおかしいと思う。
こんなことを考えるのは、すべて自分でこなさなければならなかったモグリの作家の僻みだろうか。
上の内容でX(旧Twitter)に投稿したものの、反応はなかった。同じ日に投稿した小金井公園の紅葉には「いいね」がついたのに。
皆、この問題について、どう考えているのだろう。まったくの無関心なのだろうか。
何か、触れてはいけない出版業界の約束事なのだろうか。
さくいん:名前
X(旧Twitter)のタグから。
さくいん:島崎藤村、夏目漱石、住井すゑ、福永武彦、森山啓、北條民雄、三浦綾子、伊藤整、川端康成、新田次郎
ブクログ:小説
昨日のつづき。
小説よりもエッセイを好んで読む。だから、こちらの方が真正「私の最愛日本文学」。
辻邦生のエッセイはどれもいい。どれを選んでもいいので、最初に読んだ作品にした。
作家名で言えば、小林秀雄も入る。ただ全集で読んだので個別の作品の記憶がないため、選ばなかった。
さくいん:エッセイ、森有正、辻邦生、島崎藤村、西田幾多郎、山形孝夫、三木清、吉田満、石原吉郎、遠藤周作、小林秀雄
ブクログ:エッセイ
先週の金曜日は頼まれごとがあり、出社した。用事は午前中で済んでしまったし、ほかに急ぎの仕事もないので、フレックスタイムを利用して3時に退勤した。それから向かったのはトーハク、国立博物館。2018年以来の訪問。
「キリシタンの祈りと聖母マリア」展。重要文化財の「親指のマリア」を見たかった。
美しい絵だった。西洋美術館にある「悲しみのマリア」と同じ装束と姿勢。
写真は展示室の看板を写したもの。
ほかにはマリア観音やロザリオなど、キリシタン関連の品々が展示されていた。
実際に使われた踏み絵を見たのは初めて。どれだけの人がどんな気持ちから、これを踏むことを拒み、あるいは踏むことを選んだのか、想像してみた。
平成館を出てから、本館は多くの部屋が改修中だったので、東洋館を見た。お気に入りの汝窯の青磁盤に再会できた。
昼食が軽かったせいでとてもおなかが空いたので、オークラのレストランでミルクレープを食べた。外へ出ると、とっぷりと暮れていた。
宵闇にライトアップされた本館が浮かび上がっていた。
さくいん:東京国立博物館
土曜日。米寿の母を連れて丸の内の静嘉堂文庫美術館へ。母は68年前、丸の内でOLをしていたので、ここへ来ると元気になる。きっと楽しい時代だったのだろう。
青磁の名品をいくつも見ることができて眼福だった。景徳鎮の青磁盤の説明には「憧れの汝窯の青」を目指したと書かれていた。皇帝を象徴する朱色の龍を描いた一対の大きな瓶も素晴らしい。季節の花を描いた小さな茶碗のセットも美しい。
曜変天目茶碗は写真撮影禁止。でも、売店にあるぬいぐるみは撮影OK。買った人はどんな風に使うのだろう。
毎回、来るたびに展示品が変わる。そのたびに岩崎家の財力に驚く。秘蔵のお宝に加えて六義園や清澄公園も所有して、あの巨大な邸宅で暮らしていたのだから、私の想像をはるかに超えた富豪だったのだろう。現代の大富豪である孫氏や柳井氏でも、これほどの財力はないのではないか。
静嘉堂文庫美術館を観覧したあと、ランチは同じビルの地下にあるステーキ・ハウス。
一度、六本木店でステーキを食べたことがある。
予約をしていなかったのでカウンター席に通された。ステーキを食べるわけではないからこれで結構。ずらりと並んだ酒の瓶を見ながら食べるのも楽しい。
まず、自家製のポテトチップスとこれまた自家製のケチャップソースが出てきた。お通しが十分に美味しい。
生ビールを一杯空けたところでハンバーガーの登場。
これぞ"King of Hamburger"。こんなに美味しいビーフ・パティは食べたことがない。
具だくさんなのに丁寧にビルドされているおかげで、見た目よりもずっと食べやすい。具がこぼれ落ちることもなかった。
今度は家族でステーキを食べに来たい。
ランチのあとは三菱本館、丸ビル、新丸ビルを横切って丸善へ。ブックサンタに初めて参加して子どもが小さかった頃によく読み聞かせた『ゆうびんやのくまさん』を贈った。
毎年買っている翌年の美術展を特集した雑誌も買った。冬休みに来年の計画を立てるのが楽しみ。
今日は、新しいブレザーを着て、以前、母がくれたネクタイを締めて出かけた。在宅勤務が続いているので、こんな時でないときちんとした格好ができない。美術館の向かいにある、いつものショップでブレザーにワイドカラーのダブルカフスはおかしくないか、訊いてみた。店員の回答は「問題ない」。ホッとした。きちんとした格好をすると気持ちがいい。機会がないので、なおさらそう思う。
12月と思えない暖かさのおかげで、コートいらずの一日だった。
昨日のこと。寒いせいか、眠くて空腹。
節制を務めているいつもとは違う、ジャンキーな一日を送った。
昼にスーパーで買った具のない焼きそばを食べ、寒いのでおやつに肉まん。
夕飯の支度の前には、コンビニで買ってきたビールとフライドチキン。
夕食が寄せ鍋だったので日本酒も買ってきた。
忘年会、第一回目。
夜、ぬる燗を呑みながら「クローズアップ現代」(NHK)を見た。7年前に降板したキャスターの国谷裕子さんが出演していた。降板には政府の意向が働いたという噂があった。
桑子アナウンサーもがんばってるけど、何とも、格が違いすぎる。
英語で直接問いかけられること一つとっても。もちろんその問いかけの内容も。そもそも、アナウンサーとジャーナリストという職種が違う。
国谷さんの復帰は? ないのだろうな。いまのNHKでは。残念だけど。
昨日は一つ、いいことがあった。
英文学の元大学教員でカトリック信徒の親戚に『ダンテ論:『神曲』と「個人」の誕生』(原基晶)を贈った。
『神曲』は、もちろん何種類もの翻訳で読んできた人には「釈迦に説法」かと気後れしたけれど、とても面白いと喜んでくれた。
本を人に贈って喜ばれるととてもうれしい。
さくいん:NHKテレビ、ダンテ
来年の大河ドラマは見るつもりでいるので、特集した雑誌を買って予習をすることにした。
『源氏物語』には疎い。古文は大学受験期に読んだきり。当時も、『あさきゆめみし』(大和和紀)であらすじをつかむ程度のことしかしなかった。
特集にある大塚ひかりによる紹介文は、『源氏物語』は男性優位で女性を虐げる物語、とかなり厳しい。紹介文を読むかぎりでは、確かに自由奔放な貴族が弱い立場にある女性を次々に弄んでいる話。ドラマでどのように解釈されるのか、興味が湧いてきた。
女性が虐げられるという物語を、多くの女性作家が現代語訳にしたり、多くの女性読者を惹きつけているのはなぜだろう。華麗な宮廷文化か、自分の不遇を登場人物に重ねるのか。ちょっと私にはわからない。
ジェンダーの問題より、私が関心を持つのは、紫式部は何を目的に物語を書いたのか、ということ。
出版することが第一の目的ではなかっただろう。多くの人に読んでもらうためか、それとも自己満足が目的だったのか。このあたり、ドラマでどう描かれるのか、とても興味がある。
そもそも、紫式部は『源氏物語』から収入を得ていたのだろうか。もし得ていたならば、世界で最初の商業作家ということになるだろう。その点も知りたい。
『源氏物語』の手稿はもちろん今では存在しない。この作品に編集者や校正家は関わっていたのか。そういうことも気になる。
さくいん:『源氏物語』、紫式部
子どもも独立して二人暮らし。もう大きなクリスマスツリーを飾るのはやめた。
聖誕の場面の人形は飾った。クリッペというらしい。
この人形を見ると、子どもたちが幼稚園で演じた聖誕劇を思い出す。
なつかしくなり、昔の写真を見ている。大きくなったな、としみじみ思う。
ブクログ:クリスマス
クリスマスイブの前日、一人で街へ出た。まず表参道へ。新しいキーケースを探してお店で下見。いま自宅と実家、合わせて5本のカギを革製のキーフォブにつけている。これがジャラジャラしてあまり美しくない。すっきり収まるキーケースを探している。
いま持っている長財布のブランドの本店が表参道にあるので、まずそこへ行ってみた。よさそうな品を見つけたので、来年の誕生プレゼントのリストに入れておく。
続いて地下鉄を乗り継いで銀座へ。百貨店はものすごい混雑。ここでもキーケースを見た。よさそうなものはなかった。
ミキモトのクリスマスツリーを眺めてから教文館へ。カフェに入りシュトーレンとホットワインで一休み。ホットワインが美味しかったので、一本、買った。ほかには買い物はしなかった。
夜は母と金沢八景、Re:viniで第一回目の忘年会。ルッコラのサラダ、キッシュ、椎茸のペペロンチーノ、ランプステーキ。ワインも美味しかった。大晦日の忘年会用に泡と白を3本、見つくろってもらった。
昨日は、恒例となっているハンドベルのコンサート。会場が築地だったので、コンサートの前に家族と母と寿司を囲んだ。
人数が増え演奏に厚みが増した。ベルの数も楽器の種類も増えた。超絶技巧はそのまま、さらにその先の超絶技巧を感じさせない余裕を感じさせる演奏だった。
ガーシュウィンのメドレーでとくにそれを感じた。すごいことをしているのに少しもそれを感じさせない。滑らかに音が流れていく。
そのメドレーを編曲した山岸智秋氏をキーボードに迎えてコラボした演奏があった。曲はまさかの"Rydeen"(YMO)。終盤、パイプオルガンの重厚な音色とハンドベルの煌びやかな音色の協奏となって華やかだった。
かつては少人数でしっとりした演奏だった、おなじみの"O Holi Night"も、10人の演奏で壮麗な雰囲気があった。
ハンドベルを聴くといよいよ年の瀬という感じがする。
追記。妻からのクリスマスプレゼントはアーティゾン美術館のトートバッグ。ちょっとした買い物に便利そう。
さくいん:大坪泰子(きりく・ハンドベル・アンサンブル)、YMO
今日から、今年の本、図鑑、展覧会、映像作品を回顧する。まずは本から。
今年は年始に「長編小説を読む」と宣言したのに、結局、小説をほとんど読まなかった。
『文にあたる』に出会ったことで、本をつくるという一大決心がついた。まず電子書籍で。それから紙の本。今年は他の人の作品より、自分の文章を読みかえす時間が一番長かった。
『自殺の思想史』は著作を締めくくるにふさわしい本だった。
衝撃だったのは『台湾の少年』。知らないことばかりだった。台湾の歴史にあまりに無知だった。
『シオランの思想』は、いろいろなことが腑に落ちた読書だった。「今のお前でいい」と励まされた気がした。
『〈ほんもの〉という倫理』は難しかった。勉強不足を思い知らされる読書だった。
さくいん:台湾、シオラン、チャールズ・テイラー、田中智彦
今年は面白い図鑑にたくさん出会えた。選んだ5冊以外にも、写真が美しい本、内容が充実している本、知らなかったことを教えてくれる本。いろいろな図鑑に出会えた。
今年は大型図鑑に収穫が多かった。上に挙げたいずれの本も情報量も写真や図も豊富で、とても読み応えのある図鑑だった。
図書館のそばに住んでいてよかったと思う。読み返したくなったら、また借りればいい。
コンビニを自宅の冷蔵庫の延長という人がいる。私にとって図書館は我が家の書棚の延長。
ブクログ:図鑑
年始に予定していた展覧会へは、ほとんど行けなかった。大混雑を恐れたり、遠出を面倒がったり。大規模な展覧会からは足が遠のいている。美術品は静かに見たい。
代わりに小さな展覧会にいくつも行った。工芸品の魅力に気づいたのは今年の収穫。あちこちで超絶技巧に見惚れた。
今年は江口寿史の年でもあった。「彼女」展のあと、吉祥寺のギャラリーで御大その人に遭遇し、世田谷美術館では往年の漫画を原画で見ることができた。
さくいん:江口寿史
今年の映像作品
『スキップとローファー』は気に入ったので原作コミックも買い、最新巻まで追いついた。アニメの第2シーズンが今から楽しみ。
『きのう何たべた?』は妻が気に入って、誘われて私はあとから好きになった。ドキドキやイライラのない、気楽に見られてほのぼのした気持ちになる作品。
本では深刻な話や難しい本にも挑戦するけれど、映像作品ではあまり深刻な話は見ない。
詳しい感想は残していないけど、記憶に残っているのはコメディやアクションの娯楽作品。『コンフィデンスマンJP』はGWに、『オーシャンズ8』はコロナで隔離中に見た。
映像作品は私にとって、気晴らし以上のものではないのかもしれない。
劇場で見たのは『ミッション・インポシブル』だけ。コロナで隔離中にAmazon Primdeで何本か見たけど、年末に思い返すほど記憶には残っていない。
本と映像作品とは、私のなかでは位置付けが違う。どう違うのか、なぜ違うのか、うまく説明はできない。
映像作品以上に手をつけなかったのが音楽。『スキップとローファー』の主題歌「メロウ」(須田景凪)以外、新しい音楽は聴いていない。音楽番組を見ても知らない人ばかり。紅白歌合戦を見るときには、若い人たちに解説をしてもらわなければならない。
さくいん:高松美咲、紅白歌合戦
ブクログ:映像
去年と同じように一年を振り返る。4つの質問を自分に問いかける。
自問するポイントは次の4つ。
- 1. 褒めるべきことは何か?
- 2. どんなことに驚いたか?
- 3. 一年を象徴する感情・体験は何だったか?
- 4. 「羨ましい」と思った人は誰か?
私の回答
- 1. 長年の夢だった「本をつくる」ことを実現できたこと
- 2. 88歳になった母の旺盛な食欲と徐々に進む衰え
- 3. 自作本を出版した達成感
- 4. 編集・校正・装丁を専門家に依頼して大手出版社から本を出せる人
今年は本を作る以外はほとんど何もしなかった。
年頭に掲げた目標、『永遠の都』全7巻(加賀乙彦)は読了できず、フランス語学習も投げ出し、手書きの文章もほとんど書かずじまい。ピアノにいたっては、一度もカバーを開けてもいない。そう考えるとダメな一年だった。
でも、紙の本を上梓できたことは、それと引き換えにしても余りある実績だった。かなうことのない夢と思っていたから。
来年は、少しハードルを下げて、できそうな目標を立てる。
さくいん:加賀乙彦
本をつくった。今年はこれに尽きる。
- 紙の本を上梓した(購入者は著者だけ)
- 電子書籍を出版した(こちらは読者を得た)
- 年始に計画したものが何一つできなかった
- コロナに感染した
- 家族で箱根に旅行した
- 娘が就職して一人暮らしを始めた
- 8年ぶりに挫折した街を訪ねた
- リビングのフローリングを修繕した
- 母の米寿を祝った
- ブレザーとトートバッグを新調した