丸の内に移転した静嘉堂文庫に行ってきた。妻と母と三人。世田谷にも行ったことがないので初めての訪問。
ひな人形は衣装が豪華な造りな一方で、顔は童子のようでかわいらしい。這い這い人形もかわいい。
国宝の曜変天目茶碗を初めて見た。怪しい反射をしていて確かに不思議な魅力があった。
戦前の大富豪の暮らしぶりの一端を垣間見た。
ショップにある一連の窯変天目茶碗グッズに思わず苦笑した。さすがは商人、岩崎家。
丸の内は、母がOLをしていた場所。60年以上前の話。当時働いていたビルは、入社時にはまだ接収されていたというくらい昔の話。ビルの前で記念写真を撮った。
役員のクルマは皆まだ輸入車だったとか、英語とタイプができる素敵な秘書がいたとか、ロシア料理店でランチを食べながら、当時の思い出に耳を傾けた。
新聞か、Twitterで見かけた本。『文にあたる』(牟田都子)で知ったのかもしれない。
あらためて一冊の本が書店に並ぶまでには多くの人が関わっていることを知る。本を出すということは簡単なことではない。
それでも自分の納得のいく本づくりがしたいと考えて、ひとり出版社を起こす人もいる。
20年間、ここに書いてきたことを一冊の本にまとめたい。そういう夢がある。紙やフォントの選択から装丁まで、自分が納得のいくものを作ってみたい。
先日訪れた新宿歴史博物館に、島崎藤村が自ら起こした出版社、緑陰叢書から出版した『破戒』が展示されていた。著作から出版まで一人でこなした情熱には驚くほかない。
でも、本を作る難しさを詳しく伝える本書を読み終えてみると、作家でも研究者でもない私ごとき人間が本を出版するなどまったくの分不相応であるし、ひとりでこれだけの作業をこなすこともとてもできそうにない気がしてくる。
そもそもネットで公開している文章をあらためて本にすることに意味があるだろうか。そういう疑問も拭えない。
自費出版するだけの経済的な余力はない。そうかといって、誰かがここを見つけて、「本にしてみませんか」と言ってくれるようなこともありそうにない。
あきらめるしかないか。あきらめずに夢を追いかけるべきか。毎日、逡巡している。
いま、決める必要もない。とも思う。何にしろ、書くことが好きなのだから書き続ける。それしかない。本をつくるかどうか、つくれるかどうか。答えは自ずと見えてくるだろう。
さくいん:島崎藤村
初孫だった娘の初節句にいただいた立派な段飾りのひな人形とは別に娘と息子が幼稚園で作った手製のひな人形も毎年飾っている。
もう20年近く、毎年飾っていることになる。
我が家にはひな人形が多い。数えてみると10組あった。
昨春、息子が独立し、もうすぐ娘が巣立つので、4月からは25年ぶりに二人暮らしに戻る。それでも、来年もお手製の人形を飾るだろう。
卒業旅行に行っていた娘が帰宅したので、今夜は手巻き寿司でひな祭り。お祝いの日なので好きなだけ呑んでいいことにした。
思いがけず、我が家のひな人形の写真にTwitterで相互フォローの方々から反響があった。こんなにTwitterをありがたいと思った日もない。
ということで、ビール、ワイン、ジンを呑んでほろ酔いで床につく幸せな夜になった。
さくいん:HOME(家族)、マティーニ(ジン)
書名通り、ジンに関する情報を網羅した図鑑。歴史、製造法、世界各地の代表的な銘柄をまとめている。
私がふだん呑んでいるBeefeaterやBombay Saphireのほか、大 好きなTHE BOTANISTも紹介されている。以下はTHE BOTANISTの解説から。
ボタニカルの繊細な香りが活きた奥行きのある仕上がりで、柑橘やミントのフレッシュな香りが広がり、リッチ&スパイシーな味わいで心を満たしてくれる。
いわゆる食リポは苦手。酒の味も、うまいかまずいか以上にうまく説明できない。上手に書いてある解説を頼りに呑んでみると味わいも深くなる。
ジンに等級があることを初めて知った。最高峰のロンドン・ドライ・ジンは着香、着色、食品添加物が許されておらず、極めて純度が高い。
ビール、日本酒と同様に、酒は混じりけのないものがいい。
さくいん:マティーニ(ジン)
昨日は何の予定もなかったけれどとても天気がよかったので、ともかく外へ出た。最初に思いついた行先は隣町の大きな図書館。来るのはずいぶん久しぶり。
ここへ来ると雑誌をまとめ読みする。いつも読むのは『monoマガジン』『世界の艦船』『ENGINE』『東京カレンダー』『Pen』『Brutas Casa』など。
私にはこれといった趣味がない。あえて言うならば、こうしていろんな分野の雑誌を眺めること、と言えるかもしれない。雑誌を読んでいると気分だけは多趣味になれる。
図書館を出て、駅へ向かって歩き出した。おなかが空いてきたので、これもまた久しぶりに以前よく来ていただラーメン屋に入った。ビールを呑み大ぶりの餃子を食べ、ネギラーメンをすすった。昼から生ビールを呑んでご機嫌なほろ酔いになった。
駅に着くとちょうど隣の駅へ行く100円のコミュニティバスが停まっていたので乗車した。隣駅で降りて別の図書館へ。図鑑を眺めて、近所の図書館にはない『復元イラストでみる!人類の進化と旧石器・縄文人のくらし』を借りた。やはり図鑑を眺めることは趣味の一つ。
すでに6000歩歩いていたのでバスで帰宅。バス停からの帰り、カンヒザクラに出会った。
今日、外は暑いくらいだったので、夜に呑むつもりで朝、冷蔵庫に入れておいた缶ビールを開けた。それから、ちょっと昼寝した。
近所に住んでいる旧友とそば屋でランチ。そのあと、二軒隣りにある昭和レトロな喫茶店でコーヒーを呑んだ。
多忙な人で近くに住んでいてもなかなか会えずにいた。でも、会えば何の気兼ねもなく話ができるのがうれしい。
家族のこと、読んだ本のこと、『徴候・記憶・外傷』(中井久夫)のこと、80年代の学校風景など、脈絡のない雑談が楽しい。リアルな世界で中井久夫について語り合える、たぶん唯一の友人。
読まず嫌いの作家で意見が合ったのがうれしかった。異常な頻度で本を出している人は、「早わかり」していて考えに深みがないのではないか、という話に落ち着いた。
喫茶店を出てから、商店街の古いおもちゃ屋をのぞいた。テレビでも希少価値の高い古いミニカーの在庫がある店と紹介されていた店。珍しい製品が結構いい値段で並んでいた。
「カウンタックの誕生50周年記念モデル、LP800が出たらしいよ」と話したら、「初期のモデルはLP400だったよね」と返してくれた。こんな風に何でもない会話がかみ合うのは、育った環境が似ているせいだろう。彼と雑談をしているといつもそれを感じる。
建築中の教会の聖堂を眺めながら帰宅した。
さくいん:中井久夫、80年代
これまで観てきたイーストウッド監督作品、『アメリカン・スナイパー』や『ハドソン川の奇跡』と共通するメッセージを感じた。
英雄は特別な存在ではない。英雄はどこにでもいる。どこでもいる人を英雄に変えるのは何か。それは勇気と行動。
イーストウッドのなかには"American Hero"という理想像があるのかもしれない。
長すぎると感じるほどの前半が助走になって一気にクライマックスへ飛躍した。あの前半がなければ、アクションだけの作品になっていただろう。
『ハドソン川の奇跡』では英雄になったことへの戸惑いや苦悩も描かれていたけど、本作にはそこまで深い内面描写はない。その分、人物造形がやや平板に感じる。
エンドロールで流れる音楽がとてもよかった。作曲はクリスチャン・ジェイコブ。
「勇気ある行動」というものを私はしたことがない。とりわけ、中学時代には悪に満ちた世界にいたのに、それを糾そうとするどころか、体制に服従して自分の居場所と進路を確保した。
私には彼らを称賛する資格すらない。
さくいん:クリント・イーストウッド
都内にある風変わりなデザインのビルの写真集。都内に住んでいても知らない建物も多い。
古くなった建物を再開発するときに、低層は古いデザインをそ残し、その上に高層ビルを建てるデザインがよくある。建築家やデザイナーのあいだでは不人気らしい。歩行者の目には昔の風景が残るので私は嫌いではない。本書でも丸ビルや歌舞伎座、中央郵便局などが掲載されている。
私が通っていた大学も、同じ手法で古いデザインを低層に残して高層化した。内部には私の学生時代にはなかった自習や休憩ができる広いスペースがある。悪くないと思う。
知っているビルのなかで気に入ったもの。
- 銀座和光ビル(銀座のランドマーク)
- 千駄ヶ谷インテス(就活の面接で行ったことがある)
- 元麻布ヒルズフォレストタワー(都立図書館へ行ったとき不思議に思った)
- 新宿NSビル(とにかく広いアトリウム)
- 新有楽町ビル(山手線から見えるレトロビル)
掲載されていない建物で好きなもの。
- 日本橋三越(ザ・百貨店)
- 国際基督教大学本館(堂々とした旧中島飛行機研究所)
- 吉祥寺葡萄屋ビル(今はもうない、蔦のからまる風情あるビル)
東京ではないけれど、横浜の天理ビルもいい。30階程度の高さでも、私の子ども時代には横浜で一番高いビルだった。ネオンライトのようなエレベーターの階数表示がどこか未来を感じさせた。最近は行っていない。内装は変わっているだろうか。
さくいん:東京、中島飛行機、横浜
悔しい「あるある」
株取引の話。前回、大きな含み損になっていると書いた銘柄。
先週、思い切って損切りしたところ、今週になって急騰した。少しずつ上がりはじめていたから、もっと待てばよかった。と言っても、それは後知恵。
その時には、被害を最小限に抑えるためには、いま売るしかない、と思っていた。
「今度こそ待つ」と宣言しておきながら、宣言通りに待てなかった。情けない。
株取引はほんとうにむずかしい。「上昇中は売るな」。今回得た教訓。
売った途端に上がる、買った途端に下がる。これは株取引の世界ではよくあること、いわゆる「あるある」らしい。
つまり、誰もが経験している失敗ということ。いちいち後悔せずに、気持ちを切り替え、次の手を考える方が建設的だろう。
次の手は打った。今回は軽々しく売らない。「今度こそ待つ」。もう一度、宣言しておく。
英語ニュースで聴いてると、英語では在宅勤務を"work from home"と言う。直訳すると「家から働いている」になる。
「家で働いている」のだから、"work at home"でもよさそうなものなのに。なぜだろう。
"At home"では寛いでいるというニュアンスが出てしまうからだろうか。
こうツィートしたところ「家から業務に参加する」というニュアンスではないかと返答をもらった。
なるほど。そう考えるとfromでも無理はない。
Twitterのおかげで一つ勉強になった。なくならないでほしい。
さくいん:英語
みんなが2011年3月11日を忘れないように、私は1981年2月6日を忘れない。
ほかのみんなが忘れても、いや、そもそもその日がどんな日か誰も知らなくても、私は、忘れない。
忘れない日は、人それぞれにあることを知ってほしい。
『東京に生きた縄文人』を読み終えた頃、大型書店で見かけた。近所の図書館になかったので、先日散歩がてら所蔵している隣町の図書館まで行って借りてきた。
確かにイラストで見るとよくわかる。しかも、狩猟や料理、葬儀まで、これまでにあまり見たことのない縄文人の暮らしぶりを見ることができてとても面白い。
イラストは、イラストレイターが勝手に想像して描いているのではない。考古学の専門家と協力しあい、遺跡からの出土品を元に、つまり時代考証を得て描いている。だからイラストとはいえ、信憑性がかなり高い。
ところで、人類の進化のなかで一つ疑問がある。ヒトはいつ腰の周りを隠すようになったのだろう。いつ、羞恥心を覚えたのか。興味がある。
この本の主役はイラスト。
内容はもちろんのこと、編著者たちのコラムや対談がとても面白い。
博物館の企画展の開催までの裏話。考証に基づいてイラストを描く苦労話。人から人へとつながりが広がり、新しく生まれる仕事。
企画展はまさしく人類の知恵の結晶ということがよくわかる。
ハマスホイを初めて見た。佐藤翠と守山友一郎、W. ティルマンスに出会えた。常設展では大好きな「グランカンの干潟」(スーラ)、「生命体の集合」(難波田龍起)にも会えた。
難波田の作品はいつも新しい色を教えてくれる。
ポーラ美術館は、広々とした空間が素晴らしい。美術館じたいが一つのアート空間になっている。
この美術館のもう一つ、いいところ。作品の題名や解説が作品のすぐ横ではなく、離れた壁に掲示してある。このおかげで、作品におおいかぶさるように見る人がいない。
晴れていたので天窓からの日差しがとてもきれいだった。
レストランのランチも、カフェのケーキも美味しかった。
帰りがけに、出口のところで、来たときには気づかなかったブロンズ像に目が止まった。舟越保武の作品のように見えたけど、調べてみると佐藤忠良の作品だった。
お迎え、お見送りのあいさつをしてくれる、素敵な作品だった。
さくいん:ジョルジュ・スーラ、難波田龍起、佐藤忠良
フランス語のテキストにあった一文。いまの気持ちそのもの。
楽しかった家族旅行が終わり、息子とは昨日、新宿駅で別れた。妻は朝、出勤し、最後の春休みを過ごしている娘もどこかへ出かけて行った。在宅勤務の私は一人、家に残った。
今週は上長が海外出張なので業務連絡の電話会議もない。今日はメールも少なく、誰とも会話しないまま1日が終わった。
一人で過ごすことに慣れていたつもりだった。でも、家族で過ごした休暇後に一人きりになるのはさすがにさみしい。Twitterには馴染みの顔ぶれの言葉が流れてくるけれど、交流という関係ではない。
最近、一つの企みが失敗に終わった。そのことも落ち込んだ気持ちに誘い込んでいる。
箱根の大涌谷を渡るロープウェイを乗っていたとき、大雨に吹き付けられて、窓の外は何も見えなくなった。急に不安な気持ちに襲われ、これからの暮らしが心細くなった。悪天候は気分を落ち込ませる。
たいしたことではない、と自分に言い聞かせる。企みは作戦を開始したばかり。まだまだ勝負はこれから。
こういうときは酒に溺れないように気を付けないといけない。
今日は、桜が開花と聞いて、久しぶりに夕方、外へ出た。
確かに大通りでも公園でも、咲きはじめていた。夕暮れだったので写真は撮らなかった。代わりにまだ散っていないムラサキコブシとモクレンを撮影した。
休暇から帰ってきて4日目。
フランス語も筋トレも、まだ本格的に再開していない。それどころか、妙に眠くて9時半に寝て6時半に起きている。
何だか眠いと思ったら、桜の開花宣言。眠いのは春が来たせいか。
筋トレは旅行前から控えていた。ダンベルを持った右手をひねってしまい、腕が痛いため。
帰宅後の睡眠は長いだけでなく、質も悪くない。夜中に起きないし、目覚めも心地よい。
旅もいいけど、自宅もいい。自室はなおいい。自分の布団はさらにいい。
帰宅したら、旅先よりもよく眠れている。
今週いっぱいは無理せずにやり過ごす。
昨日書いた悪天候のほかにも、休暇明けも、うつに落ち込みやすい。
張り合いを持って、「静かに緊張した、謙虚に充実した日常生活」(吉田満)を送ることは簡単ではない。
さくいん:うつ・うつ病、日常、吉田満
一昨日は出かけたのが遅かったので桜の写真は撮れなかった。
昨日、昼休みに近所の桜の開花状況を調べてまわった。
確かにところどころ咲きはじめてはいるものの、樹木全体が桜に包まれているような感じではなかった。
そこで全体ではなく、咲いている花に近づいて撮影した。
1月29日以来の出社。いつもの通り、何のコミュニケーションもない一日だった。
いや、一日もいない。話し相手もおらず、たいした業務もない退屈な時間に飽きて、10時から3時までの最短勤務時間で退社してきた。
確かに用事があって出社したのだけど、文書に事業部印を押して社内便で別の事業所へ送付するだけなので、30分もかからずに頼まれた仕事は終わってしまった。
正社員の人たちは楽しそうに談笑しながら仕事をしている。黙々と業務に集中している人もいる。私は、そのどちらでもない。昼は一人でイカ天そばを食べた。
15時に退社して最寄駅で大型書店に立ち寄った。予約してあった文庫本を受け取り、帰宅した。金曜日なので駅前の肉屋で串カツを買い、帰宅してビールのお供にした。
今日は曇り空で富士山も見えなかった。富士山が見えるだけでも、少しは出社した甲斐があるのに。
この先、出社を強制されると困る。何とかして在宅オンリーの勤務にしたい。
さくいん:労働
『文にあたる』(牟田都子)で紹介されていた本。
編集、校正、装丁、印刷、製本、取次、書店。本が、著者が書いてから店頭に並ぶまでの過程を、それぞれの職業の人たちが語る。すでに知っていた表の話もあれば、これまで知らなかった裏の話もある。
一冊の本はたくさんの人が関わり、多くの過程を通じて読者の手に届く。
ならば、その本が出版されるまでに関わった人たちは、皆もっと脚光を浴びていいのではないか。映画ではエンドロールでさまざまな役割を担った人たちの名前が表示される。本書でも、印刷所や製本所の人たちの名前が巻末に記されている。
ほかの本も皆、そういう体裁になるといい。
本の世界に、どこか閉じたところを感じることがある。表に出るのは著者だけで、編集者すら表示されないこともある。言及されるのは「あとがき」で著者からの謝辞で表記されるくらい。編集者も、本来、本の送り手にいるのだから、本のなかで謝辞を送られることに、ちょっと違和感を抱くことがある。
少し意地悪な書き方をすれば、世の中は「本を贈る」側の人と「本を受け取る」側の人に分かれている。「受け取る」側は本を通じてしか、「贈る」側を知ることがない。だから、印刷や製本の苦労を知らないままでいる。
本にはびこる「著者中心主義」が解体されて、「受け取る」側でも、もっと「贈る」側のことを広く知るようになればいいと思う。
そうなることで「本のありがたみ」が読み手に伝わるだろうし、それぞれの過程の責任も明確になる。
金曜日の夜、何をする気も起きないので9時半に床についた。あまりに早すぎるので、ふと思いついてYouTubeで『銀河鉄道の夜』の朗読を聴きながら目を閉じた。
『銀河鉄道の夜』は何度か読み返している。藤城清治の影絵劇も見たことがある。途中はおぼろげながら、最初と最後はよく覚えている。
途中、ウトウトしながらも、結局、最後まで聴いていた。時計は11時半をまわっていた。
最後の場面、ジョバンニは「もういろいろなことで胸がいっぱい」になる。
喪失体験の直後には一切の言葉を失う。言葉では表しきれない感情が全身を包む。
ということは、言葉を取り戻すことが、喪失体験と、そこから生じる悲嘆に対するケアになると言えるだろう。
ジョバンニはこれから先、どのようにして言葉を取り戻し、悲嘆を緩和するグリーフケアをしていくのだろう。カムパネルラと旅した記憶を言葉にすることが最良かもしれない。セルフケアにもなるし、カムパネルラの供養にもなる。
喪失体験は一切の言葉を失わせる。過酷なシベリア抑留から辛うじて帰国した石原吉郎もそうだった。突然、自死で姉を失くした私もそうだった。
言葉を失っていることに気づくまでに私は20年かかった。それから喪失体験を言葉にするまでなお長い時間が必要だった。
もう一つ、気になったこと。物語の終盤、つまり旅の終わりが近づくころ、「ほんとうのさいわい」という言葉がジョバンニとカムパネルラのあいだで交わされる。
物語では自己犠牲が「ほんとうのさいわい」であることを示唆しているように見える。『グスコーブドリの伝記』でもそうだった。
自己犠牲は尊い。それが「ほんとうのさいわい」の一つであることは認める。ではそれがすべてだろうか。自己犠牲以外の「ほんとうのさいわい」はないのだろうか。
星空のような深い眠りに落ちながら、私なりの「ほんとうのさいわい」を探していた。
さくいん:宮澤賢治、藤城清治、悲嘆、石原吉郎
先週の土曜日、月一の診察日だった。S先生に伝えたことは最近変わらない。
日常生活は平穏。仕事では疎外感、緊張感、焦燥感が消えない。前の会社にいた年月と同じ時間が今の会社で過ぎているのに、いまだに前の仕事の辛かったことを思い出す。
S先生からは、「それだけ辛い仕事をよくがんばったということ。いまは違う環境にいる。ゆっくりやっていきましょう」という慰めの言葉を受けた。
ハンバーガーは先月で終わりにしたので、イカ天そばを手早く食べて、午後は横浜の実家へ移動した。実家には紅梅のほかに樹齢40年近いソメイヨシノもある。期待していたけれど、まだ一分咲きだった。
日曜日、満開の桜を求めて富岡総合公園まで行ってみたけど、まだつぼみの方が多かった。その代わり、まだ散っていない杏の花を見ることができた。
金沢八景まで戻り、いつものワイン・ビストロへ。この店は、ロワール地方の小さなワイナリーから直接仕入れている。ロワール地方の小さなワイナリーを紹介する写真集を見せてもらった。
この日はオレンジ・ワインを初めて呑んだ。オレンジで香りづけしているのかと思ったら、赤白ロゼでもないオレンジ色だからということだった。味も確かにぶどうの味だった。
さくいん:S先生
京急の金沢八景駅の裏側に茅葺き屋根の古い民家があることは知っていた。どんな由来があるのかは知らなかった。最近、権現山公園として整備されたので行ってみた。
驚いた。ここには江戸時代、東照宮があったという。さらに驚いたのは、そもそもは徳川家康が駿府から江戸へ帰る途中に逗留していた場所だったという。この地が鎌倉幕府と縁があることは知られているけど、江戸幕府ともつながりがあったとはまったく知らなかった。
東照宮は遺構しか残っていない。いま、残っているのは江戸後期に普請された円通寺の客殿だった建物。東照宮に参拝した人の休憩所だったらしい。
客殿の前には一本、大きな桜の木が立っている。この桜はほぼ満開だった。
公園は整備中のところもあり、完成すると小高い丘の公園になるという。再訪したい。
さくいん:横浜
月曜日のこと。会社を休んで母と過ごした。
横浜そごうまで出かけた。最近、メガネのレンズに傷がついたので交換レンズの注文。中華料理のランチを食べてから補聴器の調整。高齢者もなかなか忙しい。
メガネ店で喫茶券をくれたので、資生堂パーラーへ。久しぶりにパフェを食べた。
一番上にはあまおう。次はホイップクリーム。その次は、バニラ・アイスクリーム、いちごジャム、ゼリーが重なっている。底の方にもう一つアイスクリームがあった。
ふと、父が銀座の資生堂パーラーで大きないちごパフェを食べたことを思い出した。確か写真を撮ったはずなのに、探しても見つからなかった。でも、子どもみたいにうれしそうにいちごを頬張っていた顔は覚えている。
父はいちごとびわが好きだった。思えば、お彼岸。なつかしい人を思い出す日だった。
春の高校野球の季節。ニュースで選手宣誓を聞いて驚いた。高校生が「感動を届けたい」と言っている。
感動とは、意識して届けられるものなのか。そうではないだろう。
何かに情熱を込めて取り組んでいる姿を見て、こちらが"勝手に"感動するものではないか。
感動するかどうかは受け手が決めるもの。
例えば、最近のWBC。いいプレーが出て、いい試合だから、見ている観客が感動する。
感動させるプレイを選手がしているからではないだろう。
感動の押し売りは結構。感動したいときには、観ている者が勝手に、自由に感動する。
今週はダメな一週間だった。仕事も読書も語学も筋トレも株取引も。
仕事のミスがトラブルになり、まだ解決していない。そのことが頭から離れなくて、読書も語学も筋トレにも身が入らなかった。
そのうえ、憂さ晴らしに平日から呑んでしまったし、もうやることなすことすべてダメ。
「もう、何もかもウンザリ」。あの気持ち。何もかも投げ出したい。
前職での失敗や叱責も思い出す。ますます苦しい気持ちになる。
昨日は公私ともにトラブルが多発して、パニックを起こしてしまった。
こういうとき、自己嫌悪感で胸がいっぱいになり、Twitterも『庭』もやめたくなる。あやうくアプリやデータを削除するところだった。
今日も何をする気にもなれず、雨のせいにして午前も午後も寝ている。
これが病気ということなのだろうか。そうであるなら寛解はまだ遠い。
さくいん:うつ病
金曜日の夜。妻が友人と出かけたので、娘と二人で「回らない」寿司屋へ行った。
5時半から7時半まで2時間待った。
娘は来週から一人暮らしを始める。卒業祝いと歓送会を兼ねた夕食。前日には二日かけて作ったカレーをご馳走した。
特別な話は何もしなかった。こちらから特別な話をする気もない。他愛ないおしゃべりを楽しんだ。
これで、子どもは二人とも独立する。まだその実感はない。独立といって二人とも住まいは首都圏だから盆暮にしか会えないという距離ではない。
カリフォルニアロールを食べて、頻繁にシリコンバレーや南カリフォルニアに出張していた「あの頃」を思い出した。ちょうど娘が幼かった頃に重なる。
接待でも自腹でも、よく寿司を食べた。向こうで食べた寿司の味は思い出しても、向こうでした仕事のことは何一つ思い出さなかった。つくづく私にはビジネスの才覚がない。
昼間はずっと落ち込んでいたけど、楽しい時間を過ごして落ち着いた気持ちを取り戻した。
おいしいひとときを過ごした。
さくいん:HOME(家族)、シリコンバレー
日曜日、雨のなか娘の卒業式があった。式の前に三人で記念写真を撮った。
4年間プラス2年間。Master of Engineering。最後の卒業式。来月には、被扶養者からも卒業する。私たちも扶養者から卒業する。
長かった。楽しいことも多かったものの、子育てはけっして楽なものではなかった。学校でのトラブルや、大きな病気や怪我もなく学業を終えられことは幸いだった。これから働く職場でもトラブルがないことを願う。
さくいん:HOME(家族)
娘の卒業式の話の続き。雨のなか、キャンパスのあちこちでたくさん写真を撮った。
式典には参列せず、街まで出て、少し贅沢なランチで子と親の二重の卒業を祝った。食べたのは大人向け「お子様ランチ」。コロッケ、エビフライ、ハンバーグにオムライス。それから百貨店を一回りしてから前に来たことのあるちょっと風変わりな喫茶店で休んだ。
「ホットカフェノチェロ」というカクテルがメニューにあったので頼んでみた。ノチェロにコーヒーを注ぎ、その上にホイップクリームがのっている。
甘い。美味しい。珍しいものを飲んで、いい記念になった。
明日で第一四半期が終わる。
旅行から帰ってきてから、仕事のトラブルがあったりして、すっかり生活サイクルが乱れてしまった。
夜、よく眠れる日があったかと思えば、夜中に目が覚めてしまったり。
娘が巣立ち一区切りついた。仕事はヒマで家で手持ち無沙汰。覇気もなくやる気もない。
時間と気持ちに隙間ができる。酒に手を出す。
こういう風に人はダメになっていく。
来月から気持ちを入れ替えて、読書と語学と筋トレを再度、生活に組み入れる。
だから明日までは、だらけた暮らしを続ける。
所属しているグループに中途社員が入社してくるらしい。
私はいまでも業務の負担は軽く、手が空いている時間も長い。上長もよく知っているはず。
それでも増員するということは、戦力として私をまったくあてにしていないということなのだろう。
いまや会社にとって私の存在は「障害者雇用」の頭数一人分でしかない。
契約社員ではあっても無期雇用の契約になったから、簡単に辞めさせられることはない。
窓際族という言葉を最近はあまり聞かなくなった。文字通り、私は自室の窓際に一日中、黙って座っている。
こんな暮らしが65歳まで続くのだろうか。私の方は、それはそれで構わない。
さくいん:労働