シオランの著書を2冊、『絶望のきわみで』と『生誕の災厄』を読んだ。言葉が正しくないかもしれないが、非常に面白いと思った。同時に、読後感に何かスッキリしない、モヤモヤするところがあった。そこで、日本文学において代表的なペシミストと私が思う石原吉郎と比較をしてみた。シオランはうつ病的で、石原は心的外傷的、と分類してみた。それでもまだスッキリした感じはしなかった。
図書館で検索をして本書を見つけた。面白いので一気に読み終えた。そして、2冊の読後に残ったモヤモヤがすっかり消えた。本書は深淵で複雑に見えるシオランの思想の輪郭と限界、そして何よりもその魅力がとてもわかりやすい文章で書かれている。言葉を換えると、本書はシオランへの愛に溢れている。著者が心からシオランに惚れ込んでいることが伝わってきた。単なる紹介や概説書以上に、一冊の本として魅力がある。
ペシミストとは何か。社会の成員であることを拒絶し、働くことを嫌悪し、果ては生きることさえ否定する。シオランはペシミストであると自認していたたけど、ペシミストとしては失敗した、挫折したと著者は見る。なぜなら、シオランは自殺をしなかったし、本を書いて金を稼いだし、パートナーもいた。厭世的どころか、ある意味、幸福な人生を送ったから。言行不一致とも言える。
そこに矛盾を見ると同時に著者はシオランの魅力を感じている。たとえば、自殺に対する考え方が興味深い。「死にたい、自殺をしたい、その気になれば、いつでもできる、だから今日はしない、生きてみる」。こういう論理は論理としては破綻しているかもしれないけど、きわめて人間的で、ユニークな生の肯定になっている。実際、私にも経験がある。
うつ病で会社を辞め、一年間の静養中、いろいろな支援者に会った。そのなかの何人かが「死ぬのは簡単。いつでもできる。だから、とりあえず今は止めておいたら?」という奇妙な励ましをしてくれた。この言葉に救われた気持ちがしたことをよく覚えている。
究極のペシミスト、すなわち厭世観を突き詰めたところには、究極の生の肯定(positive thinking)がある。それを矛盾というのであれば、生そのものが矛盾だからと返したい。
人は生まれてくることを選べない。気づいたときににはすでに私は私であることを認識し、私として生きていた。それを生の矛盾と言わずして何と言おう。その矛盾に抗いながら生きること、それがペシミズムではないだろうか。
否定すること、疑うことは悪いことではない。世の中には間違ったことがたくさんある。にもかかわらず、それを丸呑みにせよ、という声も大きい。長時間労働、パワハラ、いじめ、格差。間違っていることは山ほどあるのに、「世間とはそういうもの」と受け入れることを強いる人たちは少なくない。いや、むしろ、そんな人ばかり。
シオランも、社会をそのような状態と見ている。
不正がこの社会には満ち溢れている、といってもとても言い足りはしますまい。この社会は、じつのところ、不正の精華とでもいうべきものなのです。(第一部 第3章 憎悪と衰弱)
ペシミストは、そんな現実に「否」と言明する。間違ったことがはびこる世の中に生きて何になろう。悪を受け入れて生きる人生に意味はあるのか。ペシミストは問い続ける。問い続ける負のエネルギーがペシミストがあえて「生き続ける」糧となっている。
よくないのは、エネルギーがゼロのとき。誕生を呪詛することもできず、人生にYesもNoも突きつけられず、ただただ消耗しているとき。こういうときは本当に危ない。死の淵に片足で立っていることにさえ気づいていないから。
シオランはそういう風に問い続け、問い続けることで生き続けた。本書を通してシオランという人物に対してそういう感想を持った。
著者が引用しているシオランの言葉を借りれば、ペシミズムは「生きる知恵」。
いわゆる<ペシミズム>とは、存在する一才のものの苦しみを味わうすべ、つまり<生きる知恵>にほかならない(第二部 シオランの失敗と「再生」)
矛盾に満ちた世の中で、望んで受けたわけではない生を生きる。そういう絶望的なの境遇を生きるためには、人生を礼賛する生半可な言葉よりも、人生を呪う負のエネルギーがときに生きる力を与えてくれる。ペシミズムを私はそう理解した。
余談。いわゆるJ-POPの歌詞には、「疑うよりも信じる方がいい」という物言いが少なくない。気に入らない。疑わずに容易に信じてしまうから、詐欺に遭ったり、おかしな宗教に寄付をしたりすることになる。大切なことは信じる前に疑うこと。そして、間違っていることには「否」と突きつけることではないだろうか。
閑話休題。
はじめに書いたように、本書はシオランの思想の概説書ではない。一人の絶望した人間がシオランに魅了され、シオランを通じて考えた一編の人生論。私はそう受け止めた。
「生まれてきたことが苦しい」とは私は思っていない。でも、この世の中には間違ったことばかりがあり、そのせいで自分は不遇な人生を送っているという捻じ曲がったひがみが強い。それでいて私は、恵まれた環境で、家族や友人にも恵まれて、幸福な人生を送っている。その意味では、私も中途半端なペシミストかもしれない。
だから、本書を読み終えて思った。ペシミスティックでいい。中途半端でもいい。そんな生き方もある。本書は「生きづらい」と嘆いている人にエールを贈る。