台湾の少年 全4巻

台湾へは2000年から2014年のあいだに仕事で何度も出張した。そのときは新竹にばかり行っていたので台北のことは知らなかった。

2019年の秋に家族で台北へ旅行をした。このときは台北だけを観光した。

台湾の歴史を勉強してから行くつもりがきちんとできず、台北に行ってからも博物館や夜市など観光地ばかり見て、歴史的な場所は見なかった。

台湾のことをもっと知りたいと思いつつ、なかなかできずにいたところ本書に出会った。最初にどこで知ったのか、よく覚えていない。岩波書店がマンガを発行するとは珍しい、という第一印象を持ったことは覚えている。

本書は、日本統治下で生まれた蔡焜霖という一人の男性の自伝を元にしている。

全4巻の副題は次の通り。

  1. 1. 統治時代生まれ
  2. 2. 収容所島の十年
  3. 3. 戒厳令下の編集者
  4. 4. 民主化の時代へ

第1巻を読みはじめてすぐに「知らないことばかり」ということに気づいた。台湾の歴史について、私は何も知らなかった。日清戦争のあと、日中戦争終結まで日本の植民地だったということしか知らなかった。台湾には戦後、暗く重い歴史があったことを初めて知った。

しかも、国民党による思想統制、白色テロで弾圧された人々の名誉が回復されたのはごく最近という。観光とハイテクで成長している明るい国という私が抱いていた台湾のイメージは大きく変わった。

本書を読んで衝撃を受けるのは、まず白色テロの恐怖だろう。英語や日本語の本の読書会をしただけで思想犯とでっちあげられて、そのまま逮捕。一方的な裁判で収容所送り。長期の懲役刑か突然の処刑。どれも恐ろしい。ナチスやソ連での思想弾圧は知っていたけど、隣国で同じことが起きていたことに本当に驚いた。

次に驚いたことは、経済成長期のモーレツな働きぶり。彼に商才があったからこその事態なのか。それともほかの人たちも同じだったのか。身重の妻をも顧みず、仕事だけに打ち込む姿は少し異常に思えた。私がモーレツに働けずに壊れてしまったから、なおさらそう感じるのだろう。

言葉も本書の重要なテーマ。地元の言葉である台湾語、植民地宗主国の言葉である日本語、戦後、国民党に強制された北京語。主人公は三つの言葉のはざまで生きている。とくに日本語は彼の商才を活かすために役立った。でも、それは日本が台湾を植民地としていた「おかげ」ではない。訳者もそのような誤解をしないように解説で戒めている。

台湾で日本語俳句を続けている黄霊芝は次のように述べている

  よく聞かれる。言葉を奪われたことをどう思うか、と。だが、世界の歴史を繙けば、ある国が他の国を侵略し、ある民族が他民族の言語を奪うことなど、当たり前に繰り返されてきたことだ。弱者が強者に逆らえるはずもない。今さら何を言うつもりもない。
  私は日本語で考え、学び、創作してきた。妻は私に台湾語で小言を言い、それを息子が北京語でなだめる。何の不自由もない。私は多分、今後も日本語での創作を続けるだろう。誰のためでもなく、ただ自分のためだけに。

蔡焜霖の日本語に対する姿勢も、おそらくは似たようものではないだろうか。身につけたもので生きていくしかない。言葉は意識して身につけられるものでもない一方で、強制されたりすれば身についてしまうものでもある。強制されて、身についてしまった日本語を捨てるのではなく、逆手にとって生活の糧にした姿勢はとても勇気のある生き方だったと思う。

過去を回顧すること、それを語り継ぐこと。これも本書の重要なテーマの一つ。第4巻では書き手の遊珮芸が蔡焜霖にインタビューする場面が多い。物語として描かれている第3巻までとは構成が異なる。遊珮芸も、白色テロ時代のことはよく知らないことが書かれていて、隠蔽された暗黒時代だったことがよく伝わってくる。当事者が進んで語らなければ忘れられていくことだったろう。

過去を顧みること、語り継ぐことについて、私は常々迷っている。罵声と暴力に支配された中学校で優等生だった自分をどう回顧すればいいか。若くして自死した姉について、子どもにどう伝えるべきか。結論は出ていない。

本書を読むと、過去を直視することと負の歴史を語り継ぐことの大切さが鋭く深く伝わってくる。よく伝わってくるけど、私はまだ判断をつけかねている。

本書は、『この世界の片隅で』(こうの史代)の影響を受けているという。彼女は出版社の特設サイトにメッセージも寄せている。確かに、庶民の暮らしに焦点を当てながら、背後に大きな歴史を浮かび上がらせる語りかたにその影響があるように思える。

本書を読んでいる途中、蔡焜霖の訃報に接した。謹んでご冥福を祈る。


さくいん:台湾自死遺族体罰こうの史代