最近見かけた任天堂のテレビCM。3世代が集まりゲームに興じるという設定。孫が祖父にマリオを教えている。ちょっと違和感というか、不思議な気がした。教える側と教えられる側が反対ではないか。
ファミコンが発売されたのは1983年。そのときに20歳なら、現在61歳。孫がいてもおかしくはない。また、もっと年上の人でも1983年にファミコンで遊んでいた人も少なくないのではないか。そういう人は、孫が驚くくらいマリオを上手にプレイするのではないか。
1979年にはすでにゲームウォッチがあった。今の60代が、孫に教えてもらうほどデジタルゲームに疎いとは思えない。
だから、件のCMの設定が一概に間違っているとは言えないけど、高齢者がビデオゲームに疎いという先入観は間違っていると思う。
もっとも、いまの60代、70代は、人によってデジタル製品への親和性に大きな差がある。喫茶店でインベーダーゲームを遊んでいた人もいれば、家で禁止されてファミコンに触れずに大人になった人もいる。
これが親子のあいだになると逆になるケースが多いのではないか。少なくとも我が家では、ビデオゲームは私が子どもに教えた。アクションゲームが苦手なのでマリオはすぐに子どもの方が上手になったけれど、ドラゴンクエストはヒントを教えたり、レベルアップを手伝ったりしてやった。
私は父から奈良京都の古寺名刹を教わった一方、ゲームを一緒に遊んだ記憶はない。我が家では、ドラえもんも未来少年コナンも、BTTFもNBAも、みんな私が子どもに教えた。そういえば、「父子消費」という言葉もあった。そういう意味で子どもたちは、親に先回りされているような気持ちになったのではないかと少々案じている。
親が先に知っていることが多いことは事実としても、それだけで親が子から尊敬に値sうる存在とみなされれるかというと、それはまた別の問題だろう。
1975年(昭和50年)、8月2日。我が家は父は念願の戸建てを購入し、家族は横浜市西区のボロアパートから横浜市金沢区の造成地に立てられた戸建てに転居した。このことは前にも書いた。
山を切り崩した造成地に戸建てがたくさん並ぶ新興住宅地だった。幼稚園と小学校が一つずつ、バス停は二つ、公園が4つある。高度成長期にモーレツに働いた人たちが夢に見たマイホームが立ち並んでいた。
私は東京都大田区で生まれた。父の転勤に伴い、2歳で兵庫県西宮市に転居し、そこで幼稚園に入園した。幼稚園の年中で今度は横浜市西区にやはり父の転勤に伴い転居した。ここで小学校に入学した。最後の転居は小学一年生の夏休み。入学した学校には、一学期しかいなかった。朝顔の鉢植えを持って移動したことを覚えている。
この家には結婚するまで16年間住んだ。小学校、中学校、高校、大学、とずっと自宅から通った。
せっかく新居を購入したのに、父はまた関西に転勤となり、今度は単身赴任となった。1975年からおよそ10年、単身赴任は続いた。
そのあいだ、長期休みのたびに父の住まいを利用して関西旅行をした。中高時代、各地の古寺名刹を見て回った。父とは、少なくとも私は、険悪な関係ではなかった、
父が不在だったことが、姉の成長や彼女の苦悩に影響を与えたのかどうかはわからない。私自身も、父がいなかったことが私の思春期にどんな影響を与えたのかはよくわからない。自分が転勤のない暮らしをしてきたので、思い返すとやはり普通ではなかったと思う。
父がずっと家にいたら、もし転居がもう少し遅く、姉が高校に入ってからだったら、彼女の人生も、私たち家族のその後も違ったものになっていただろう。高校受験の成否がほとんど内申書で決まっていた時代、中学の途中で転校したことは姉にとって非常に不利に働いた。
そういうことを考えてしまうから、いつまでもこの日が引越しの日だったことを忘れられない。
さくいん:自死遺族、HOME(家族)、70年代
資金繰り
資金繰りが上手くいっていない。具体的には株取引で儲けられていない。
非正規雇用になって収入が激減した。副業をするわけにもいかず、またそういう気力もないので、株取引で収入を増やそうと考えた。3年前の秋のこと。
それ以来、収入減を補う儲けは出せていない。むしろ、やや負け気味。
安く買って高く売る。それだけのことが、なかなか上手にできない。
株取引に必要なのは精神力と判断力と思っている。いまは、業績のよい企業や将来有望な企業についての情報はインターネット上にあふれている。業績分析は昔よりもはるかに簡単になっている。
問題は、有望な株をいつ買っていつ売るか。有望株でも、地合いが悪くて低迷することもあれば、一時的に業績不振で株価が下落することもある。安いタイミングを見つけることがむずかしい。そして、利益を最大限に伸ばすこともむずかしい。実損があるので、どうしてもすぐ利確して穴を埋めようとしてしまう。
デイトレーダーを気取るつもりはないけれど、毎日つい、あれこれしてしまう。これが余計なのかもしれない。実際、放置しているiDeCoの方が私の取引より成績がいい。
一つの銘柄を決めて、じっくり上昇を待つ。そういう方針に切り替えてみる。
株価は大暴落しているけれど、うろたえずに、いわゆるガチホをして我慢できている。
当面必要な資金は手元にある。株価はいずれ戻る。何も心配することはない。
Yogiboの抱き枕を買った。目的はいびきの防止と睡眠中の呼吸の改善。
以前、睡眠時無呼吸症候群の検査を受けたとき、ギリギリで治療や酸素吸入装置の必要はないという診断だった。
それでも、睡眠監視アプリ、Sleep Cycleではいびきが多く、無呼吸の時間が長いと毎朝、指摘されている。
いびきを減らすためには横向きで寝るとよい。これはテレビの健康番組でも言っている。私は仰向けで寝入ることが多く、それがいびきの原因の一つになっている。
横向きで寝るために抱き枕を使うとよい。これも、健康番組でよく言っている。そこで抱き枕を購入することにした。
実際に使ってみた感想。粒ビーズが詰まっているので抱き心地はとてもよい。重くないので寝返りも打てる。確かにこれを抱いていると左右どちらかに向くので仰向けにはなりにくい。
肝心のいびき防止効果について。Slee@ Cycleが記録したデータを見るといびきの時間が減っている。これまで「高」や「中」ばかりだった呼吸障害も「低」と表示される日が出てきた。何かしらの効果はあると信じたい。
先週金曜日は用事を頼まれて出社した。用事はすぐに済んで、会社に長くいても気疲れするだけなので午後は休みにした。
日比谷にある出光美術館に行くつもりで都営三田線に乗ってから、芝公園に未踏のハンバーガー店があることを思い出した。店名はMunch's Burger Shack
往きは場所がよくわからず遠回りしてしまい、酷暑のなか汗だくになってしまった。幸い、店ではすぐに席につけた。外で待たされたら熱中症になりそうな暑さだった。
ベーコンが自家製と店のHPにあったのでベーコンチーズバーガーを頼んだ。ビールはハートランド。
そのベーコンがおいしい。分厚くて塩味が効いている。ベーコンのおかげか、ハンバーガー自体もこれまでに食べたなかで一番背が高かったように思う。食べている最中にも形が崩れにくいビルドにも感心した。
サイドディッシュにコールスローを選べるところもうれしい。今回はランチセットの小さいサイズだったけど、次回は大きいサイズで食べたい。
ちょっと値が張る店ではあるけど再訪の価値あり。
芝公園でハンバーガーを食べてから日比谷へ向かった。出光美術館は、間借りしている帝国劇場が改築されるためもうすぐ一時閉館となる。締めくくりに4期に分けてコレクションを大公開している。今回は第3期。第2期では板谷波山を堪能した。
今回の展示でよかったのはチラシにもある青花龍文壺。色も龍の彩色も素晴らしい。
ほかによかったのは、大きな縄文火焔土器、薄く文様が描かれている北宋の白磁、青磁の大皿。日本の古伊万里にも惹かれた。
陶磁器を好んで見るようになったのは、いつからだろうか。最初に出光美術館へ来たのはルオーを見るためだった。そのとき、陶磁器の展覧会の予告を見たのかもしれない。今回もルオー展示室で「受難」シリーズが多数見られた。絵はがきも持っている「93 聖心と三つの十字架」に再会できた。今ではルオーと同じくらい陶磁器を見ることが好きになっている。
さくいん:出光美術館、板谷波山、ルオー
先週の金曜日。約1ヶ月ぶりの出社だった。忘れ物はないと妻に告げて家を出たのに、家のカギを、前日にプールに持って行ったカバンに入れてあることをバスに乗ってから気づいた。
午後を休みにして早く帰宅し、生協の宅配を取り込み、冷やし中華を作るつもりだった。
出勤日の妻が帰ってくるまで家に入れないので、夕方、吉祥寺駅で妻と待ち合わせて夕飯を外で食べることにした。
生協の冷凍食品を酷暑の玄関先に置いたままなので、手早く食べられるものを、と考えて、南口を出てすぐあるつけ麺、えん寺へ行った。
「野菜不足になるから」と、ふだん外食をしたがらない妻にしては珍しく、この店は気に入っている。野菜たっぷりのベジポタと呼ばれるつけ汁を気に入っているらしい。
確かにトロみの強いつけ汁は他の店では味わえない。病みつきになるのもわかる。
昼はハンバーガー、夜はつけ麺。これを続けては野菜不足になる。家に帰ると妻が生協に注文しておいた野菜がたくさん届いていた。
家族で暑気払い with スペシャルゲスト
毎夏、家族で楽しんでいたブルーベリー狩り。今年は記録的猛暑のために不作で農園を開放できないと連絡があった。
せっかく皆、予定を空けていたので家蔵で集まり暑気払いをすることにした。そこへ娘がかねてお付き合いしている男性を連れてくるという宣言があった。
日時は日曜日の正午。場所は毎年、ブルーベリー刈りの打ち上げをしているそば屋。
「娘の彼氏」という人に初めて会った。これまで誰かを家に連れてきたこともなかった。初めてのことなので、えらく緊張した。
果たして登場した男性はフルマラソンもこなすという、さわやかな好青年だった。
こちらも緊張していたのと同じくらい、あちらもきっと緊張していただろう。
お互い緊張しながらも、楽しい時間を過ごすことができた。
娘の未来に幸あれと願う。
さくいん:HOME(家族)
アマニ油
最近、アマニ油を積極的に摂取している。
きっかけはNHKテレビ「トリセツ」。アマニ油がコレステロールの低減に効果があると紹介していた。とくに朝、摂取するといいらしい。
そこで、毎朝食べている刻んだバナナにヨーグルトをかけて、さらにアマニ油を小さじ1杯程度かけて食べている。
始めたばかりの習慣なので、今回の健康診断では効果は出ないだろう。地道に継続すればいいことがあるはず。
ほかに食生活で気をつけていること。
運動も激しいことはしてはいないけど、全然していないわけではない。
これでもまだ体重は標準体重を上回っている。ダイエットの道は険しい。
さくいん:NHK(テレビ)
先週土曜日にAmazon Primeで見た。アクションと第一次大戦勃発の陰謀論という設定は面白かった。ただ、その動機をスコットランド独立運動と関連させたのはちょっと意地悪が過ぎる気がした。
『キングスマン』のシリーズ作品という建前だけど、第一作とも第二作とも雰囲気が違い、まったく別の作品と言っていい。その点、『ミッション・インポッシブル』はシリーズを通じ雰囲気が一貫している。それは言うまでもなく、すべてで主演を演じているトム・クルーズに負うところが大きい。
第一作は英国紳士の伝統と最新のスパイ技術というギャップに面白さがあった。陰謀論+アクションに追加する本作ならではのテイストに今一つ欠けているように思う。
あえて特筆すべき点を挙げるなら、ポリー(ジェマ・アータートン)の女傑ぶりだろうか。メイド兼教育係、暗号解読者、スパイ網のコーディネーター、銃の名手。彼女の八面六臂の活躍には目をみはるものがあった。
歯医者(治療終了)
3月にはじまった歯の治療がほとんど半年かかってようやく一段落した。神経を抜いてある歯の根が汚れて膿んでいるので被せ物をはずして中を掃除して、あらためて被せ物をした。
神経がすでにないので治療中に痛みを感じることはなかった。心配していたのは、新しい被せ物の値段。
歯科医からはとくに相談されることもなく、白い被せ物が着けられた。その日の会計でも保険内の治療代だけ払った。気になったので次の診察日に何を被せたのか、訊いてみた。
医師の返答は「セラミックとレジンの混合物」ということだった。帰宅して早速ネットで調べてみた。確かにコンポジットレジンという材料がある。色は白くて費用は保険適用。
デメリットとして耐久性がそれほどないことが挙げられる。保険内の被せ物といえば、銀歯しか思いつかなかった。歯科の世界も進歩している。
通院していた歯医者では、通常なら定期検診とクリーニングを4ヶ月後に行う。私の場合、歯周病になりかけているところがあるので、定期検診は2ヶ月後をすすめられた。
10月にまた歯医者への通院が始まるのは気が滅入る。それでも今回、高額治療費を恐れていたので、すべて健康保険内で済んだので、ひとまず安堵した。
先週の金曜日を有給休暇にして、一足早く夏休みに入った。金曜を休みにしたのは、母を連れて銀行と区役所へ行くため。
まず銀行で通帳の再発行。「通帳を失くした」というので再発行をしたのに、あとから見つかった古い通帳をATMで記帳しようとしたために印字ができなかった。私はてっきり通帳の磁気の不調と思っていたけど違っていた。毎度の通り、銀行での手続きは時間がかかる。
次はバスに乗り区役所へ。区役所ではマイナンバーカードの電子署名の更新手続きをした。
銀行も区役所も一ヶ所にないので、猛暑のなか移動するだけで疲れた。
89歳の母は認知力の衰えが最近加速しているように見える。一つの情報をインプットして10分も記憶されていないで、同じことを何度も訊き返す。
自分からのアウトプットも新しいことは何もない。何度も聞いたことのある話しかしない。これを傾聴するのがなかなかに辛い。聞き飽きた話ばかりなので、もはや頷いたり、驚いた振りをしたりすることもできなくなってしまった。
一人暮らしで他人と関わる時間がほとんどないのがよくないのだろう。身の回りのことは自力でできているから介護は必要ないけど、傾聴など認知症の支援は必要。
ちょうど区役所から認知症高齢者へのサポートのチラシが入っていたので、今週、相談してみる。
日曜日、実家からの帰り道に立ち寄った。夏休み中なので子連れ客で混雑していた。
どこにでもある、ありふれた品物を別の何かに「見立て」、人形と組み合わせると不思議なジオラマが出来上がる。笛の穴が厨房のコンロになったり、ドーナツがCTスキャンの機械になったり。
作者は、日頃から身の回りにあるものを違った角度から見ているのだろう。その発想には驚くばかり。作品のタイトルも気の利いた洒落になっていてとても面白い。ドーナツの作品は「当分は糖分を控えましょう」だった。
物販コーナーも大盛況だった。私は何も買わずに帰ってきた。
しばらく前にTwitter(現X)で『未来少年コナン』に登場する帆船バラクーダ号の精巧な模型を見た。個人で『コナン』の模型やジオラマを作っている人が多勢いるらしい。
今回もジオラマや模型を期待していったけど、展示のほとんどはトリビュート・イラスト。会場では『コナン』のサントラが流れていて、作品世界に没入できた。
『未来少年コナン』は、初回放映からすでに40年以上経っている。こうしてイラスト展が開かれているということは、それだけ多くの人に愛されている証拠としみじみ思う。いまでも色褪せない魅力がたくさん詰まっている。
コナンやラナを描いた作品がもちろん多い。根強い人気を示していたのが、モンスリー。青木光恵の作品脇に書かれた「元祖ツンデレ」というキャプションに深く納得した。
イラストは左上から青木光恵、ノウミソアキラ、姫川明輝、谷川史子、ヨコタマモル。
今回は妻と帰省中の娘と3人で行った。ギャラリーのあとは、スープカレーのSAMURAIで夕飯を食べて帰宅した。
さくいん:『未来少年コナン』
一昨日、帰省している娘と吉祥寺へ出てランチを共にした。
仕事観、結婚観、家族観、戸建派かマンション派か、など、将来の話をいろいろした。
いい相手も見つかって将来のことを真面目に考え出している。頼もしい。
年内に「お試し同棲」を始めるとのこと。いまはいきなり結婚するのではなく、生活観のすり合わせをしてから結婚する人が多いらしい。反対する理由もないし、もう大人なので、当人たちに任せる。
私がすることは、うまく行けばいいと願うこと。そして、話したいときに話を聴いてあげるだけ。
娘と別れてから何をしようか、考えた。今週、妻はカレンダー通りに出勤しているので娘が帰省しているくらいで、大きな予定はない。でも、家に帰ってしまうといつもの平日と同じになってしまう。
そうして涼しいところを探してカラオケに行きついた。思い出すと去年の夏はコロナ陽性でずっと自室にいた。今年は有意義な夏休みにしたい。
カラオケは3時間歌った。いつもの歌をいつもの通り歌った。
カラオケは私にとって最高のストレス・コーピングであり、極端な言い方をすれば、歌唱に集中することはマインドフルネスの効果もある。いつもカラオケ店を出るときにはスッキリした気持ちになっている。
帰宅すると娘が夕飯の支度を始めていた。
さくいん:HOME(家族)
夏休み終了
昨日で7連休の夏休みは終わった。去年はコロナ陽性になってしまい自室待機で終わった。今年も大きな予定はなく、家で過ごす時間が長かった。
医療系の仕事をしている妻は毎日出勤しているので、それもあって休暇気分ではなかった。
代わりに、メーカー勤務で一斉休みだった娘が帰省していたので、ゆっくり話をする時間を持てたことはよかった。
昨日は家にいた。娘にすすめられて映画『名探偵コナン:ハロウィンの花嫁』(2022)を見た。子どもたちが小さい頃は家族で映画館で観ていた。最近の作品はテレビ放映でも見ていない。相変わらずの大げさなストーリーと派手な爆破シーンを楽しんだ。
今日は台風接近で大雨なので、おとなしく自室で仕事をした。
混雑するお盆の時期を避けて9月に小旅行を計画しているので、それを楽しみにしている。
大原美術館の名誉館長による美術エッセイ。元は雑誌連載で、各章が短く読みやすい。
印象派という美術運動について、また、それをになった画家たちについて、これまで知らなかったことをいろいろ教えてくれた。
では、こうして得た知識が今後の美術鑑賞に役立つかというと、そうとも思えない。
画家の伝記を私はほとんど読まない。作家や思想家については興味を持つと、伝記やその人の生きた時代背景を知りたくなるのとは正反対の傾向がある。
一言で言えば、私は美術作品を「快・不快」の程度ででしか見ていないのかもしれない。とりわけ、印象派の作品についてはその傾向が強い。「きれいな絵」とは思っても、何がどうきれいに思わせているのか、画家は鑑賞者にそう思わせるためにどんな工夫をしているのか、その作品に画家はどんな思いを込めたのか、そういうことをあまり考えない。
一番好きなジョルジュ・スーラについても、伝記的な知識はまったく持っていない。
要するに印象派について言えば、私はその辺にいる「素人鑑賞者」に過ぎない。
能動的に絵画を味わうためにはもっと勉強しなければならない。技法や伝記的知識や時代背景を知れば、もっと鑑賞は豊かな体験になるだろう。その一方で、見るのが楽しいだけの鑑賞者でもいいようにも思う。
私が美術作品、いや、美術館や博物館に求めているのは、作品の鑑賞だけではない。その場所で一人静かに過ごす時間、それをもたらしてくれる作品を好む。それで十分な気がする。
もちろん、知りたくなったら本を読んで学べばいい。長谷川潔や松本竣介のように美術家でも伝記を読んだり、著書を読んだ人もいないわけではない。
印象派についても、もっと知りたくなる時が来るかもしれない。
さくいん:スーラ、長谷川潔、松本竣介
博物館や美術館が好きで、休日によく訪れる。都内の美術館でもまだすべて行けたわけではない。まして全国となると、行ったことのない、でもすぐにでも行きたくなるような博物館がたくさんある。
本書で紹介されている博物館はすべて行ってみたい。なかでもとくに行ってみたいところをメモしておく。
そのほか、紹介されている博物館には災害や公害、表の歴史からは忘れられがちな事件や人物を紹介するところが多い。
個人運営の博物館は経営に苦労が多そう。それでも、博物館を建て、運営を続けるのは、「残したい」「伝えたい」という強い動機があるからだろう。辛い体験を形にする勇気に頭が下がる。
さくいん:『八甲田山』
月一の診察日。S医院は休み明けで混んでいた。この4週間は調子がよかった。そこでエアコンをつけても寝苦しいことと休み明けにメールを見るのが怖いこと以外に、深刻な相談はしなかった。
診察後のランチにハンバーガーを食べる習慣をつけたら、診察が終わると、ハンバーガーが自然と食べたくなるような条件反射が身についた。
今回行ったのは、新宿三丁目のBrooklyn Parlor。バーのような薄明かりの店内がお洒落。夜に来てもいいかも。
ハンバーガーは直火焼なのか、スモーキーな味わい。肉汁がしみ出るというよりはじっくり焼いてあって歯応えのある食感。何重にも折りたたんであるレタスも厚い。ビールをセットにつけられるのもうれしい。
店の雰囲気、味、サービス、どれもいい。再訪したい。
さくいん:S医院
『SLAM DUNK』。息子がバスケットボールをはじめたきっかけの一つ(他には私が見せたNBAの試合)なのに、コミックもアニメも通して読んだり見たりしていない。何となく、筋書きは知っていた。
あちこちでいい評判を聞いていたので、復活上映を見た。場所は新宿三丁目。ちょうど、ハンバーガーを食べたBrooklyn Parlorと同じビルだった。
1試合だけの展開にチームメンバーそれぞれの思いを挿入する構成。とにかく動きが速くて迫力がある。ほんものの試合では、ここまでアップにはできないだろう。静止している場面がほとんどない。コートを俯瞰している場面でも選手全員が動いている。アニメーション技術に驚いた。
音響もドルビー(+600円)だったので、爆音だった。
この作品を見てから昨秋のワールドカップ、フィンランド戦を見た人は、さぞかし興奮したことだろう。アニメの展開そのままに大逆転したのだから。
劇場で観てよかった。
毎週日曜日、大河ドラマ『光る君へ』を夫婦で楽しみに見ている。先週はついにまひろ(吉高由里子)が『源氏物語』を書きはじめた。
物語を書くきっかけは何か。どんな動機で書きはじめたのか。ドラマではどう描くのか、楽しみにしていた。その興味を深めるために、専門書も何冊か読んだ。
結論から書けば、ドラマでの描写は拍子抜けしたものだった。
ドラマでは、道長(柄本佑)からの依頼がきっかけだった。目的は、帝を喜ばせること。もっと具体的には、帝の心を『枕草子』から引き離すこと。まひろにとっては道長の力になりたいという願いもあっただろう。いずれにしても、依頼があって書いたもので、自発的に書きはじめたものではなかった。
もっとまひろの中にある何かが書くことを促す展開を期待していた。それはなかった。
ふと考え直した。平安貴族に近代的自我やかけがえのない自分という意味での「個人」という意識はおそらくなかった。何冊か読んだ専門書では、夫を亡くした悲しみを癒すために書きはじめたと解釈している人もいた。そういう見方は、現代の感覚を持ち込みすぎているかもしれない。
そう考えてみると、あえて女性を装い、娘を失った悲しみを身近な言葉で書き表した『土佐日記』は、書かれた時代を考えると、極めて独創的で、「個人」的な作品と思われてくる。
森有正は『源氏物語』を無償の作品と考えていた。現代のように商業的に流通して読まれることを企図していなかったという意味だろう。そうではなかった。『源氏物語』には依頼人と明確な目的があった。
ドラマの解釈は少し興醒めするものだった。ほんとうのところはどうだったのだろう。
さくいん:NHKテレビ、『源氏物語』、紀貫之、森有正
エアコンの使用時間をできるだけ短くしている。理由は節電と夏の暑さを適度に感じたいから。
在宅勤務だけど光熱費の補助はない。熱中症の入院費の方が高くつくと知ってはいるけど、給料が安いので少しでも節約はしたい。
夜は窓を閉め切っているので、一晩中つけている。設定温度は28℃から30℃のあいだ。
午前中はつけていない。日差しも直接入ってこないし、窓を開けておけば風が入ってくる。
昼ごはんを食べたあと、直射日光が部屋に入ってくるので窓を閉め、エアコンをつける。
午後3時、洗濯物を取り込むと同時にエアコンを止める。窓を開ければ、ほどほどの暑さを感じる。夏は暑いものだから、適度に暑さを感じたい。
夕方、夕立が降れば窓を閉めてエアコンをつける。雨が降っていなければ、窓を開けたまま夕涼み。
夜、リビングで過ごすときは雨戸を閉めているのでエアコンをつける。
夜10時過ぎ。寝るときは窓を閉めてエアコンをつける。涼しくしているのに、このところ寝心地がよくない。Sleep Cycleの分析でも快眠度は60%を越えない日が続いている。
やはり、気温は自然な状態で25℃程度が身体には都合がいいのだろう。秋が待ち遠しい。
8月29日追記
自然な状態、と書いて思いついたのが、エアコンの騒音。涼しくはしてくれるけど、同時に安眠を妨げてはいないか。この2日間、気温が少し低い(といっても熱帯夜)のでエアコンをつけずに寝たところ、意外なことによく眠れた。
この家に転居してから15年使っているから、モノも古いし、音もうるさい。そろそろ買い替えどきか。
7月に行った健康診断の結果が届いた。
結果は心拍数が基準値(45-85)より高い(110)ので、要再検査。ただし、心電図は異常なし。そのほかの項目で去年より目立って悪化した数値はない。
相変わらず、腹囲の値が悪い。体重が基準値よりも低いおかげでメタボと診断されていないものの、腹囲だけをみればメタボ。腹筋運動が足りないということか。
肝機能もまずまず。それぞれの数値も、営業職をしていた頃よりもずっといいし、肝機能の係数、FIB-4 indexの値も悪くない。ただし、腹部エコー検査では、例年通り、脂肪肝を指摘されている。コンビニでの揚げ物の買い食いがよくないか。
実際、営業職をしていた頃は、出張、接待、「帰りにちょいと一杯」など、外で食事をする機会が多かった。そういうときはたいてい呑み過ぎ、食べ過ぎになっていた。いまの食生活はとても健康的。それでもメタボ予備軍から外れられない。
炭水化物、酒、塩など、減らせるものは減らしている。運動が足りていないのは明白。
いずれ健保組合から再検査の呼び出しがあるだろう。今後のことはそれから考える。
Twitter(現在X)でフォローしている社会学者の新著。歯切れのよい社会時評。夏休みの一日、じっくり読んだ。
政治の腐敗、教育格差、さまざまな社会の闇。日本社会が急速に「崩壊」している姿を淡々と描写する。まな板にのるテーマは「モリ・カケ・サクラ」から冷笑系論客、ジャニーズ性加害問題や東京オリンピックまで幅広い。戦後社会の俯瞰もしているので、政治経済を網羅した社会史としても読める。
丸山眞男の小論「『である』ことと『すること』」(『日本の思想』)を軸に議論を広げていく展開が新鮮に感じられる。
「である」ことと「すること」が、それぞれあるべき場所になく、政治の世界のように、本来「すること」の論理が優先されるべき場所で(親が政治家)「である」論理が優先されており、弱者を排除する格差の強化や優生思想など、一人の人「であること」が最優先されるべきところで「すること」(自己責任論)が刷り込まれているという著者の分析は鋭い。
中井久夫は日本の第二次世界大戦での敗北の原因は、日清・日露の両戦争での成功体験があると書いていた。同じように、バブル以後の日本経済の失敗は高度成長期の成功体験から抜け出せなかったところにあると著者は見る。
あまりに悲観的で、本書には希望も処方箋も書かれていない。著者も日本社会の先行きに半ばあきらめているように見える。
私自身にも、楽観的な展望はない。自分が置かれた奇妙な境遇を生き延びるだけで精一杯だから。
客観的にみれば、私は格差社会の上流にいると思われても仕方がない。主観的に言えば、倒産、解雇、病気退職を経て非正規雇用となった現在の境遇には敗北感しかない。
それは上流志向の裏返しかもしれない。もっと稼ぎたかった。もっと華やかな場所にいたかった。それがかなわなかったからいじけている。「無能と失敗」の半生を認めたくないだけかもしれない。
巨視的に社会を眺める本を読んでも、つい自分の置かれた境遇について考えてしまう。
さくいん:小谷敏、丸山眞男、中井久夫
企業が公開している施設や運営しているミュージアムを紹介するムック。
ブランドイメージ向上のために、最近はこうした工場公開やミュージアムの運営が流行している。私がこれまでに行ったことがあるところは、鉄道博物館、日産本社ギャラリーと京急ミュージアム。ずっと前にどこかのビール工場も見学したことがある。小学校の社会科見学で明治チョコレートの工場を見た記憶もある。
崎陽軒の工場とカップヌードル・ミュージアムは横浜みなとみらいにあるけど行ったことはない。思い出してみると、子どもを連れてこうした施設に行った記憶もほとんどない。もっと一緒に行っておけばよかった。
以下、主に比較的近くて行けそうなところで行きたいところをメモしておく。
ウィスキーの蒸溜所は行ったことがないので、いつか行ってみたい。
どこもウェブサイトがよくできているので、行く前でもかなり「見た」気になれる。
先週の土曜日。3ヶ月前に受けてから、緑内障の再検査をした。
行ったのは視野の広さを見る検査。正面を向いたまま、あちこちに点滅する光が見えたら手元のボタンを押す。前回は右下の光が見えていなかった。
診断結果は、前回、疑っていたほど深刻な状況ではないとのこと。安心した。
今後も4ヶ月に一度、検査を受けるよう指示された。
老化がはじまっていることを痛感する。
緑内障の検査は、西武新宿線沿線にある眼科で受けた。そのあと新宿線に乗り高田馬場へ出た。目的はハンバーガー・ショップ、Homeys。
学生街らしく、気軽に入れる店構え。店内は先日行ったBrooklyn Parlorに比べるとかなり小さい。街のバーガーショップという感じがよく出ている。
ベーコンチーズバーガーを頼んだ。お供にハートランドビールも。
サイドのポテトをコールスローに変えられるところがいい。フライドポテトはあまり好きではないので。ポテトならマッシュポテトが好き。
ベーコンが噛みきれずスルッと抜けてしまい、一口かじっただけで普通のチーズバーガーになってしまった。ベーコンを上手に食べるのはなかなかむずかしい。
高田馬場に来ることは滅多にない。ほかにもおいしい店がたくさんあるので、次回、いつ再訪できるかはちょっとわからない。
特別食堂、日本橋高島屋
日曜日。一人で見た田中達也のミニチュア展が面白かったので、母を連れて日本橋高島屋まで出かけた。前夜、テレビ番組が紹介されたので混雑すると思い、開店前に並ぶつもりで早めに家を出た。案の定、地下の玄関前にはすでに多勢の人が並んでいた。開店と同時に皆、エレベーター前に群がる。やはり、たいへんな人気ぶり。
展覧会の入口前で妻と合流した。
会場内は上手に人をさばいていて、フォトスポット以外はゆっくり見られた。わかりやすい展覧会だったので、母も妻も楽しめたようでよかった。展覧会を見終えたのは開店から1時間後の11時半。会場を出ると、長い列が階段の下まで続いていた。
ランチを食べようと同じ階にある特別食堂へ行くと、1時間待ちと言われた。ほかに用事もないので、待合室でおしゃべりをしながら時間をつぶした。
特別食堂の洋食は帝国ホテルが担当している。いくつかあるセットのなかからナポリタン・セットを頼んでみた。サーモンとパンケーキの前菜、コーン・スープ、デザートにプリン・ア・ラ・モードまでついていた。
ふだん、喫茶店でランチを食べることがあっても、ナポリタンをすすんで頼むことはない。滅多に食べないものなのでとてもおいしく感じた。
妻と母は良好な関係なのでありがたい。終始、二人でおしゃべりを楽しんでいた。
昨日は用事を頼まれて出社した。用事はすぐ済んだ。雑談する相手もいない事務所に長くいても苦痛が増すだけなので午後は休みにした。
会社の近くで簡単にランチを済ませ、家の近くまで戻り、駅前のコンビニで缶ビールを買いのどを潤した。それからカラオケ店で2時間半、歌った。
昨日は女性ボーカルの歌をキーを自分用に調節してたくさん歌った。
「思い出のスクリーン」「思い出は美しすぎて」(八神純子)、「SUNSET BEACH」「Only My Love」「ガラスの林檎」(松田聖子)、「白いページの中に」(柴田まゆみ)、「ガーネット」(奥華子)。
どれもよく聴いている好きな曲なので、歌詞を見なくても歌える。昼まで会社にいたことを忘れるくらい、歌唱に集中した。毒を吐き出したような爽快な気分で帰宅した。
さくいん:八神純子、松田聖子、奥華子
新しいスニーカー
完全在宅勤務になってから革靴を履く機会がなくなった。スーツも長袖のシャツも着ない。出勤するときはノーネクタイのビジネスカジュアルだから、ネクタイを締めることもない。
代わりに必要性が高くなったのがスニーカー。手持ちが少ないので買い足すことにした。
Skechersというブランドが軽くて履き心地がいいと聞いたので、店で何足か試してみた。
確かに軽い。紐なしでスッと足が入るところ(ステップインというらしい)もいい。
実店舗で試して、品番をメモして、ネット通販のポイント倍増日に購入する。これが最近の買い物の仕方。それでも、本だけは書店減少に歯止めをかける一助になるように書店で買うようにしている。もっとも、本は図書館で借りて読むことが多いので滅多に買わない。
新しいスニーカー。白と黒は持っているので色は紺色にした。土曜日の夕方に届いたので、日曜日、早速、床屋まで30分ほど歩いた。
履き心地も悪くない。手持ちの服装とも相性はよさそう。履かなくなった革靴は古いものから処分していく。
中井久夫と鷲田清一は親しい間柄だった。二人の対談はあったか、と疑問をツィートしたところ、この対談を教えられた。購入して読み返している本なのに忘れていた。身体論というテーマが私の興味の範囲からは少し遠かったのかもしれない。
対談のテーマになっている「身体の多様性」もよくわからなかったし、対談にもピンと来るものは感じなかった。ただ、中井久夫が思春期の男性について語った言葉にはちょっと引っ掛かりがあった。
やっぱりあの時期に男性の身体というのはウォリアー、戦士として再編成されますよね。それは平和な時代であろうがなんだろうが、戦士に近づくんですよね、身体が。
この感覚はわかる。十代の頃、背丈は格別伸びなかったものの、筋肉質でだんだんたくましくなっていく自分の身体は嫌いではなかった。むしろ、中背で筋肉質で体重も少ない自分の肉体は好きだった。
その反動が中年になって襲ってきている。筋肉は落ち、体重は増え、おなかはポッコリふくらんでいる。いま、自分の肉体はまったく好きでない。
中年になって、身体が思い通りに動かない不自由さも感じるようになった。とくに水泳。
水泳教室に通っていた小学生の頃には、泳ぐたびに速くなれるような気がしていた。周りに自分より速い人はもちろんたくさんいた。自分自身のベストタイムの更新、という意味では肉体は成長し続けていた。
ところが、いまプールに行くと身体がまったく言うことを聞かない。かいてもかいても前に進まない。それでいて、息が苦しい。心臓は高鳴る。十代の頃の速く泳いでいた自分を覚えているだけに動きが鈍い自分にいっそういらだつ。
これから身体の自由はもっときかなくなっていくだろう。ますます自分の所有物とは思えなくなってくるはず。
歳を重ねるごとにこの文章と対談を読むと、感じ方も変わってくるかもしれない。
さくいん:中井久夫、鷲田清一