日曜日。武蔵野桜まつりへ出かけた。好天に恵まれ大盛況だった。市役所の隣の公園にはたくさんの露店が並んでいた。以前はここに設営されたステージは清掃工場前の広場に移っていた。恒例だった諸団体のパレードはなくなっていた。
コロナ禍で数年中止になっていて昨年再開されたという。昨年は小金井公園に行っていた。
公園の隣にある団地に住んでいたときは毎年欠かさず来ていた。子どもが幼い頃には戦隊ヒーローのショーも楽しみだった。マジレンジャーにサインをもらったのもいい思い出。
姉妹都市の出張露店も楽しみの一つ。南砺市の店で、私は地ビールを吞み、妻は椎茸の詰め放題に挑戦した。ランチには、メンチカツで有名な精肉店サトウがキッチンカーで来ていたのでメンチカツバーガーを食べた。
住んでいた団地のなかにも桜がたくさんあるので、ひとまわりした。ここに住んでいたのは2002年の夏から2009年の冬まで。ちょうど『庭』を始めた頃。当時は今とは真逆で私的なことは書かないようにしていたので、転居のことは書き残していない。
息子が自転車に乗れるようになったのも、娘が一輪車に乗れるようになったのも、ここに住んでいたときだった。子育ての季節をここで過ごした。
何もかも。皆、なつかしい
この沖田十三艦長の台詞が記憶に残る『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ放映50周年を記念した展覧会があった。行きたかったけれど、大混雑とネットに書かれていたのであきらめた。
悔しいのでプライムビデオでいくつかの名場面を選んで見た。
さくいん:『宇宙戦艦ヤマト』
3月は一度も出社しなかった。
これまでときどき用事を頼まれて出社していた。その用事の業務担当部署が変わった。
これで、よほどのことがないかぎり出社することはない。完全在宅勤務。
11年前に営業職の正社員を辞め(させられ)てから、1年間の休養、就労移行支援事業所への通所、障害者枠での就職活動、非正規雇用で採用、とさまざまなことがあった。
そして在宅勤務の開始と常態化。まったくの無職から米系ハイテク企業の営業職についた1996年(28歳)から今日までのあいだに、思いもよらないことが次々に起きた。
でも、病者の祈りにあるように、望んだものは何一つ手に入れられなかったけど、人生を幸福にするものはすべて手に入れた。時間、規則正しい健康的な生活、家族、精神生活。
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
大学を出て就職した会社にずっといる人にはこの経緯は想像もできないだろう。私自身も、何でこんなことになったのか、と自問することが頻繁にある。思っていた人生とはまったく違う道を歩いている。
いま、精神的にも肉体的にもストレスは非常に少ない。こういう暮らしが送れているうちにしっかりと今後の暮らしのプランを立てなければならない。
さくいん:労働
最近、何もしないでボンヤリしていることが多い。とくに5時に退勤してから夕飯を支度を始めるまでの1時間半。
本を読むでもなく、音楽もラジオも聴いてない。ゲームもしない。Twitter(現X)も見ていない。5時を過ぎるとデスクの横にあるベッドに寝転がり、何も考えず、天井をじっと見ている。夜、よく眠っているので、眠ってしまうことはない。
語学の勉強をしたり、ギターを弾いたりしていた時期もあった。今は何もしていない。
図書館から本は借りてきても、読まないで返すのが半分以上。
自分のQOLは自分で改善しなければならない。わかっているのに、何もしていない。
毎日の生活に張り合いがない。在宅勤務で通勤がないのは楽だけど、誰とも話すことなく一日過ごすのは辛い。もっとも、出社したところで雑談できる相手もいない。
友だちが少ないので、メールもほとんど来ない。平日も週末も一人でいる。
妻は平日忙しく、両親の介護の負担もあり、週末は家で休んでいることが多い。
子どもが独立したので、4月に節目という気もないけれど、どうにかして気分を換えたい。一人でいても充足できる何かが欲しい。
酒にだけはかろうじて手を出していない。節度ある飲酒を何とか守っている。
さくいん:日常、孤独
昨日、「節度ある飲酒」と書いた。それについて追記しておく。
ストレスの多い営業職をしていた40代に比べれば、酒量はだいぶ減った。
まず、呑む日が少ない。火曜日、金曜日、土曜日の3日間しか酒は呑んでいない。
次に量を減らした。ビールは一缶だけ。ワインはハーフボトルを買っている。
ハードリカーを呑む機会も減らしている。これについては時々誘惑に負けて、マティーニを自作して呑んでしまうけど。
それでも、10年前に比べれば、劇的と言いたくなるほど酒は減った。
外で呑むことも減った。誘う相手もいないし、誘ってくれる人もいないから。
会社の帰りに同僚と一杯、ということもないし、接待もない。自分のペースで呑んでいる。
お酒が好きなので、これだけは取り上げられたくない。だから節度ある飲酒を守っている。
さくいん:マティーニ
月曜の夜に実家に泊まった。火曜日、母のデイサービス通所の初回を見送り、出迎えた。日中は実家のリビングで仕事をした。
見学と契約のときにはかたくなに拒否していたので心配していたけど、帰宅した母は機嫌がよい。楽しかったらしい。一安心した。
施設の人に電話をするとパズルをしたり、ほかの通所者とおしゃべりもしたらしい。
「思っていたより充実していた」という言葉にはさすがに驚いた。もともと社交的だから、家に閉じこもっているよりも楽しく過ごせるだろう。
仕事と介護の両立は体力的にも時間的にも難しい。
今回、どこでも仕事ができる在宅勤務で、窓際族の非正規だから臨機応変に対応できた。もし、いま、フルタイムで営業職をしていたらこの状況に対処できなかっただろう。
多忙ななか両立している人たちには頭が下がる。
一つ残る心配は、母が通所の契約をしたことも、火曜日が初回だったことさえ忘れていたこと。デイサービスで頭と身体を活発にして何とか衰える速度を抑えたい。
シリコンバレーはかつて何度も出張した場所。なつかしい場所のガイドブックを図書館で見つけたので借りてきた。
営業職をしていた14年間に米系企業5社で働いた。そのうち4社はシリコンバレーに本社か支社があり、1997年から2013年のあいだに何度も出張した。
訪れた街は、サンノゼ、サンタクララ、マウンテンビュー、パロアルト、ロスガトスなど。一時期は土地勘もついて地図なしでドライブをしたこともある。私のメールアドレスは最後に働いた会社の住所を元に作った。
ガイドブックには泊まったホテルや食事をしたレストラン。空き時間に訪れたアウトレットモールなどが掲載されている。いい思い出がある場所もあれば、苦い記憶がよみがえる場所もある。
かつては海外出張を楽しみにしていた。いまはもうアメリカに行きたいとは思っていない。政情も不安定だし、治安の悪さも気になる。
仕事で行くことはないし、自ら旅先に選ぶこともないから、この先アメリカへ行くことはないだろう。
残念なことは、当時一緒に働いた人たちとのつながりはすべて切れたこと。日本の中にも友人がいないのに、海外で関係が深まるわけがないか。どこへ行ってもひとり。
さくいん:サンフランシスコ、シリコンバレー、アメリカ合衆国、孤独
先週はぐずついた天気が続き、土曜日にようやく晴れた。絶好の花見日和。
朝、家を出て、遠出はせずに近くの通りや公園で満開の桜を眺めた。
家の近所を一回りして5000歩。散歩としては十分ではないけれど、眼福としては十分。
気温も上がり、ようやく春本番。
今年の冬はすっかり冬眠していた。やる気もなくダラダラ過ごす時間が長かった。
気分を一新して充実した暮らしを送りたい。そんな気分にさせる散歩だった。
土曜日の午後、日曜に天気がくずれることがわかっていたので、妻と花見に出かけた。
石神井川沿いに桜があるのを覚えていたのでそこまで歩いて行った。すると、西武新宿線と桜の写真を撮ろうとする人が線路沿いにたくさんいた。
上の写真。左が下り、右が上りの電車。動画で撮って、ちょうどいいところを静止画で保存した。我ながら鉄道写真ぽいものが撮れたのでうれしい。
そば屋で妻は五目そば、私は鴨せいろを食べてから帰宅した。午前と合わせて13,000歩。これくらい歩くと少しは運動した感じがする。少し昼寝をした
夕飯はぶり、タコ、イワシの刺身に純米酒。最近、週末はこの献立が多い。
夜、再開した『ブラタモリ』を見た。15分短縮されて少し残念。
さくいん:『ブラタモリ』(タモリ)
日曜日。今年の桜の見納めに、くもり空のなか、修士課程の母校に桜並木を見に行った。
新学期でも日曜日なので人はまばら。学食も営業していなかった。
働きながら通ったので、満足のいく学生生活ではなかった。両立するための努力が足りなかったのは自分のせい。
あの頃はホンダ・プレリュードに乗っていた。学校へも仕事場へもクルマで移動していた。
結婚はしていたけれど子どもはいなかった。二人ともそれどころではないほど心身ともに疲れていた。子どもは卒業して仕事が見つかってから授かった。「子どもは生まれてくる時を知っている」と聞いたことがある。まったくその通りだった。
この学校へは修士課程の2年間、通った。アメリカ氏のS先生、政治思想氏のC先生、丸山眞男の精読を指導してくださったM先生。ここではいい先生に巡り会えた。
それなのに年賀状も出さず、近況も報告していない。まったく自分の薄情さにはあきれる。
この学校は姉が通っていた学校でもある。もっとも、入学してすぐに休学して翌年の2月に亡くなったので、満開の桜並木は見たことがなかっただろう。そう考えると、彼女がとても不憫に思える。
2枚目の写真は大学のチャペル。3枚目は本館。元中島飛行機研究所。1941年定礎だから築84年。キャンパスについて言えば、学部よりも修士で通った学校のほうが好き。
4枚目は今日、昼休みに外へ出たときに撮った近所の桜。快晴でいい写真が撮れた。電線が映り込んでいたので消去した。これでほんとうに見納めか。
さくいん:中島飛行機
先週の水曜日のこと。夜10時に布団に入ったのに2時過ぎまで眠れなかった。
この数年間、夜中に目が覚めることはあっても、寝入ることに苦労はなかったので、かなり困った。そして驚いた。
昼間の行動でいつもと違ったところはないか、暗闇のなかで考えた。たどり着いた結論は薬の飲み忘れだった。
月曜日に実家に行くという変則的な行動だったので、数日間、薬を飲み忘れていた。
かつてよりは減薬されたものの、まだ少量の抗うつ薬と安定剤を服用している。睡眠導入薬はもう服用していない。少量でも自然な眠気を起こす働きが効いているのかもしれない。
結局、3時間ほど眠ったところで朝になった。だるさが残り、昼休みに少し眠った。
まだ寛解には遠いことを思い知らされた。
さくいん:うつ病
横浜の山下公園前にある神奈川県民ホール。老朽化のために3月末に閉館した。
このホールには思い出が多い。
さだまさし、谷山浩子、中島みゆき、飯島真理、ディオンヌ・ワーイック。
N響の「悲愴」(チャイコフスキー)もここで聴いた。大桟橋から遠く眺めた光景も記憶に残る。
1980年秋、姉とさだまさしのフィルムコンサートを見たのもここ。
横浜に住んでいた十代の間は、買い物もエンターテインメントもほとんど横浜のなかで済ませていた。渋谷のジャンジャンや下北沢の本多劇場へも芝居を観に行ったことがあるけれど、とくに下北沢はとても遠く感じた。県民ホールは一番身近なライブ会場だった。
閉館前にお礼とお別れを伝えに行っておくべきだった。写真は県民ホールのツィートから。
さくいん:横浜、さだまさし、谷山浩子、中島みゆき、飯島真理
「世界を変えた」や「歴史を変えた」と名のついた図鑑をよく借りる。歴史好きではあるけれど、歴史小説はほとんど読まない。ヴィジュアルに訴え情報が豊富な図鑑を好んで読む。図鑑を読むのは博物館を見てまわることと似ている。
本書は、一つ一つの記事が簡潔で読みやすい。これまで知らなかった話題もたくさん掲載されていて面白かった。
いくつかメモしておく。
- 005 小プリニウスがタキトゥスにポンペイの噴火災害に関する詳細な情報を与える
- 012 マルティン・ルターが友人に「大胆に罪を犯しなさい」と告げる
- 014 デ・ラス・カサスが新大陸におけるスペインの残虐行為を告発する
- 019 ガリレオが望遠鏡で木製の衛星を見たことを報告する
- 023 アビゲイル・アダムズが夫ジョン・アダムズに手紙を書き「女性たちのことを忘れないでください」と訴える
- 026 レクイエムの作曲に悪戦苦闘するモーツァルトが妻に手紙を書く
- 034 初めて作られた郵便切手が郵便事業を変える
- 045 ジョージ・ワシントン・ウィリアムズはベルギー国王レオポルド2世に宛てた公開状で激しい怒りを表明する
さくいん:ベルギー、アフリカ
下巻は近現代史から世界を変えた手紙。
ウィキリークスや#Me Too運動まで取り上げているので、情報がとても新しい。
本書は欧米史に焦点を絞っていて、アジアや日本の手紙は収録されていない。
- 052 ジョン・ミューアがセオドア(テディ)・ローズベルト大統領にヨセミテ警告の自然破壊に関して善処を求める
- 054 スコット隊長は「私たちは南極点に達した。そして紳士らしく死ぬ」と書き残す
- 062 アルバート・アインシュタインとレオ・シラードがフランクリン・D・ローズベルト大統領に警告の手紙を送る
- 066 ヴァージニア・ウルフが夫レナードに遺書を書く
- 076 ジャッキー・ロビンソンがアイゼンハワー大統領に自分たちは待ちくたびれたと告げる
- 081 緊張が和らぐ兆しを見たケネディがフルシチョフの手紙に返信する
- 099 エンターテインメント業界で働く女性たちが変化を求める
しばらく前に、手元にあった手紙をほとんど捨てた。大学生までは友人に長い手紙を書いたりしていたけれど、就職してからはほとんど書かなくなり、Eメール時代になってからは、ますます書かなくなった。
私を変えた手紙はあるだろうか。新入社員時代、友人から亡くなる前に葉書をもらった。彼からのSOSだったことに気づけなかった。この手紙は会社を辞める遠因になった。
人生を変えたといえば、転職のたびに受け取ったオファー・レターだろう。本書も、ミハエル・シューマッハーの契約書を取り上げている。
28歳から41歳まで、5回転職して、転職のたびに前職よりも好条件を提示された。確実にキャリアアップしていたけど、46歳でそれも途絶えた。
採用条件は記録してあるけれど、5通のオファーレターは一通も残っていない。
さくいん:アメリカ、自死、J.F. ケネディ
金曜日と土曜日の夜は酒を呑んでもいい日。缶ビール一つとワインのハーフボトルを一本。たまにマティーニを作って呑むこともある。
最近は若い頃のようにガブガブ呑まない。外でも呑まない。自宅で寛いだ気分で呑むと、量は少なくても心地よく酔える。
酔うとそのまま寝てしまう。実際、酒を呑んだら風呂に入ると危ないと聞いたことがあるので理にかなっている。
酒を呑んだ翌朝は早く目が覚める。呑んだ翌朝の朝風呂が気持ちいい。
ヒゲを剃って髪も洗ってさっぱりする。週末に何かしようという気になる。
先週末は診察日だった。母がデイサービスに通所するようになり安心したことを伝えた。私自身については困ったことはないので、処方箋を作ってもらうだけで話はすぐに終わった。相談事がないのはいいこと。
さくいん:マティーニ、S医院
朝ドラ『あんぱん』のオープニングを見て見て、あらためて『虎に翼』を想う。
『あんぱん』では、今田美桜がずっと映っている。彼女だけにスポットライトがあたる。
『虎に翼』では、法科女子部のメンバーに加えて多くの職業の姿をした女性たちによる群舞だった。
一人の秀でた女性だけではなく、多くのひたむきな女性「たち」を描くドラマだった。
『あんぱん』も面白い。子役二人がとてもよかった。
今度の朝ドラで注目しているのは北村匠海。『君の膵臓をたべたい』を観てから気になり、出演作をいくつも観てきた。すこし影のある、内向的な青年を演じるときに魅力を感じる。『キミスイ』の春樹、『君は月夜に光り輝く』の拓也、『明け方の若者たち』の主人公も。
今回もやや内気な青年。今週から青年編。これから彼の演技とドラマの展開が楽しみ。
実は『アンパンマン』はよく知らない。子どもが小さい頃も、病院の待合室で読み聞かせした程度で、自分では買わなかった。アニメも見せなかった。だから、登場キャラクターも知らないし、声優についてはさらに知らない。朝ドラの楽しみが半減しているのは残念。
さくいん:NHK(テレビ)、『虎に翼』、北村匠海、『君の膵臓をたべたい』
島薗進のラジオ講座「死に向き合って生きる」で紹介されていた作品。ラジオで紹介されていたのは黒澤明監督のオリジナル版。アマプラに英国版リメイクがあり、評判もいいと聞いていたので、そちらを見てみた。脚本は『日の名残り』のカズオ・イシグロ。
美しい映画だった。舞台も役者も、もちろん物語も。
しばらく前にYouTubeで聴いた内村鑑三の「一日一生」という言葉を思い出した。今日が最後と思って悔いなく生きようとすること。言葉では理解できても実践は簡単ではない。
主人公は余命がないことを知って「一日一生」を生きはじめた。日常に流されている普通の人は、「今日できることは明日に延ばすな」ということわざとは反対に、「今日しなくていいことは足へ延ばす」。映画でも部下たちはそう。私もそう。
子どもを育てあげて自立させること、借金を返済すること、両親を看取ること。うつ病のどん底にいたとき、この三つを完了できたら、もう生きる意味はないと思っていた。いまはそう思ってはいない。でも、叶わぬ夢と思っていた「本を作ること」も叶えてしまったので、何を生きがいにしたらいいか、よくわからなくなっている。
生きる意味がわからないなら死んだ方がいいとはならない。生きる意味を見つけるために生きる。そういう生き方があってもいいだろう。
さくいん:島薗進、カズオ・イシグロ、死生観、内村鑑三、うつ病
また教員による生徒への暴力のニュースを耳にした。
報道は「体罰」と呼んで事態を矮小化している。実態は暴力以外の何ものでもない。
学校での体罰(教員による暴力)を容認する人は、そもそも教員による暴力を見たことがないのではないか。あるいは、せいぜい小突いたり胸ぐらをつかむくらいのことを想像しているのではないか。
鼻血が出たり、鼓膜が破れるまで殴ったり、倒れているのに蹴り続けるような暴力を目撃したらそうそう安易に容認はしないと思う。
実際に起きている教員の暴力事件のなかで、ほんとうに暴力に訴える必要がケースは、どれくらいあるだろう。
80年代初頭、私が通っていた中学校では、きっかけは些細なことでも教員は激しい暴力を生徒に加えていた。殴る蹴るは日常茶飯事。部活動の最中、生徒に向かってパイプ椅子を投げつけたところも目撃したことがある。
スマホがある現代であれば、ことごとく録画され、刑事罰に処されていただろう。
教員による暴力について書きはじめると、どうしても感情的になってしまう。抑えきれない怒りと悔しさで胸がいっぱいになる。何十年経っても冷静になれない。
さくいん:体罰、80年代
Facebookを止めたのは2011年の夏。アカウントごと削除したつもりでいたのに、なぜか残っていた。最近、「友だち」の更新がメールで届いて気づいた。
パスワードも忘れているのに、Facebookと入力したらアカウントを開くことができた。
Facebookでは、本来の趣旨どおり、リアルな友人しかつながっていない。なつかしい人の近況を知ることができたのはうれしい。しばらく開いたままにしてある。
でも、自分から近況を投稿はするつもりはない。理由は、止めたときに書いた。満遍なく見せられる顔が私にはない。
20年以上、自作ウェブサイトを続けているので、碧岡烏兎という名前にも、すでに人格というか、顔というか、ある性格が備わっている。でも、これは演出した姿であり、生身の私とはだいぶ違う。
この場所を知っているリアルな友人は少ない。定期的に見ている人はさらに少ない。だからそういう人に会ってもここで書いたことは話さない。話題にする人もいない。
そもそも今年に入ってから、家族以外の誰にも会っていない。ほんとうにソロ活の暮らしが続いている。これはこれでいい。当分、自分からは動かない。
飛鳥Ⅲのコンセプトブックが届いた。飛鳥Ⅱには3回乗船したことがある。伊東花火大会に2回、小豆島まで3泊4日を1回。
飛鳥Ⅲは明確に富裕層をターゲットにしている。乗客数は飛鳥Ⅱより少なくなり、豪華なスイートルームが増えている。実際、そういうニーズがあるのだろう。
先日、湯河原へ旅行したとき、飛鳥Ⅲの壁を飾る平松礼二の画を偶然目にした。妻はもう一人の飛鳥画家、田村能里子の個展も見ていて、二人の作品を見ることも楽しみにしている。
目下の財政状況ではすぐに乗船はできない。いつの日かかなえる夢にする。
実際、船旅は年齢を選ばない。前に乗船したときにも車椅子や足が不自由な人も多く見かけた。飛行機や鉄道よりもゆったりした旅が楽しめる。
飛鳥乗船を目標にして健康長寿になろう。つましい夕飯をはさんで二人で誓い合った。
思えば、将来の夢を持てるとは、うつ病で苦しんでいた10年前には思いもつかなかった。
さくいん:飛鳥Ⅱ、うつ病
『キリスト教講義』で興味を持ったので、若松英輔の代表作と言われるエッセイ集を読んでみた。長いあいだ、若松英輔は読まず嫌いな作家だった。
本書を読んでみて、残念ながら若松への印象は変わらなかった。ページをめくっても言葉が心のなかへ入ってくることはなかった。
なぜ波長が合わないのか。あれこれ考えてみて、彼の文章を読むときに感じる違和感が遠藤周作『深い河』の読後間に似ていることに気づいた。『深い河』の感想に私は次のように書き残している。
できすぎているような、均整がとれすぎているような、大工の仕事はすべて片付けられて出来上がった建築だけを見ているような感じがする。よくできた小説より荒削りの(そうみえる、あるいは、そうみせている)エッセイを好む性分のせいだろう。
若松の文章は小説でなくエッセイだけれど、きれいに片付いた感じはよく似ている。整い過ぎている。
私が好んで読む文章は、森有正にしろ石原吉郎にしろ、自問自答を繰り返す、思考の苦闘を表現したような文章が多い。若松の文体は明らかにそういう種類ではない。
これは好みの問題だろう。進まない読書を続ける必要はない。しばらくは離れていよう。また戻る日が来るかもしれない。対談の『キリスト教講義』は気持ちよく読めたのだから。
ネット上の評判を見ると若松の文体には人気がある。こういう文体が流行なのだろうか。とすれば、私の本が大人気とはならない理由もわかる気がする。
さくいん:若松英輔、エッセイ、遠藤周作、森有正、石原吉郎
先週の金曜日。夕方、実家でケアマネージャーと面談をするので、一日有給休暇にした。午前中に何をするか、上野駅まで行って考えた。サンディエゴ美術館展か、古代DNA展か、迷った末に川瀬巴水とキリシタン資料の企画展があるトーハクに行った。
半分くらいがインバウンド観光客で、博物館は混んでいた。それでも、目当てのキリシタン資料と川瀬巴水の展示室は空いていて、ゆっくり見ることができた。「親指のマリア」と再会できてうれしかった。
本館で初めて「白磁蝶耳瓶」を見た。耳が腸になっている独特な意匠。東洋館に移動して、陶磁器を中心に鑑賞。今回は「青磁千鳥香炉」をじっくり見た。
東洋館隣のレストランでビールとチャーハンのランチを済ませて法隆寺宝物館へ。「ドン・コルレオーネ菩薩」密かに名づけたふてぶてしい顔つきの菩薩像とも再会できた。
トーハクは定期的に展示替えをするので、いつ行っても発見がある。おき入りのお宝と再会できるのもうれしい。ここも、私にとってストレスコーピングの一つ、心のオアシスと言えるだろう。
さくいん:東京国立博物館、川瀬巴水、法隆寺
今年90歳になる母がデイサービスに通所をはじめて2週間。ケアマネージャーが様子を見に家に来た。
通所を始めるまでまったく乗り気でなかったのに、行きはじめたらとても楽しいらしい。どんなことをしたのか、詳しく話しはじめた。塗り絵に積み木にパズル。幼稚園のお遊戯のようなことはしたくないと言っていたのに、体操にも積極的に参加している様子。
時間をかけて丁寧に彩色したことがわかる塗り絵の作品も見せてくれた。
まさか、ここまで馴染むとは思っていなかった。うれしい誤算。心なしか、顔色も明るくなってきたような気がする。
ケアマネージャーも母がうれしそうにデイサービスについて話すので少し驚いていた。
「次の検査では要介護でなく要支援になるかもしれない」とも言われた。確かに暮らしに張り合いが出ているようだけれど、認知の衰えは止まってはいない。
週2回、誰かに見守りをしてもらっているというだけでも安心感がある。慣れてきたら、週3回通所してもらおうと思う。
土曜日。早めに昼食を済ませて母を連れてまず横浜へ。今使っているタオルケットが破れてしまったので、そごうで新しいものを買った。夏物の半袖も少し見た。それから横須賀線に乗り鎌倉へ。
江ノ電のホームはまさにオーバーツーリズム。あふれるほど人がいた。一本見送り、座って稲村ヶ崎まで。久しぶりに海を見た。
日が伸びたので、まだ太陽は高く、黄昏の風景は見られなかった。代わりに逆光で影絵のような江ノ島を撮影することができた。
カフェでビールを一杯呑み、鎌倉へ戻った。鎌倉行きも混んでいたけれど、親切な人が母に席を譲ってくれたので助かった。
もう一度、横須賀線に乗り、一駅、逗子まで乗車。いつものレストランで夕飯を食べて帰宅した。
さくいん:鎌倉、江ノ電
しばらく前にNHKBS4Kで「究極ガイド 2時間でまわる兵馬俑」という番組を録画しおいて見た。これが面白かった。タレントが現地を歩くのではなく、現地はカメラだけ。男女二人のナレーションが必見ポイントを効率よく紹介する。臨場感あふれる番組だった。
兵馬俑には行ったことがある。2008年6月のこと。当時働いていた米系半導体メーカーのアジアグループ全体の社員旅行。野外での豪華なパーティ、オリンピックの開会式を思い出させる太鼓の演奏や激しい舞踊。大盤振る舞いだった。
この旅行のあいだに兵馬俑を見た。とても感動したのだけれど、この旅行の終わりに納期遅延のトラブルが発生し、以後数週間かかりきりになったので、詳しい感想は残していない。このトラブルは半年後、整理解雇の対象になる遠因となった。
番組を見ていたら、当時の感動がまざまざとよみがえってきた。とにかく広くて、像の数が多い。圧倒された。番組でも解説していたとおり、一人一人、装束や顔つきが違うことにも驚いた。「なぜ、こんな壮大な墳墓を作ったのか」。皇帝の意図は凡人にはわかりかねた。
当時はまだスマホはなく、デジカメでたくさん写真を撮った。いま見返すと、番組で紹介されたポイントを押さえている。家族への土産にミニチュアの兵士像も買った。
番組を見るかぎり、15年前に比べると観光客も多く、施設もきれいに整備されているようだった。当時はまだホテル以外ではトイレに困るようなところもあった。この15年の中国の経済成長はめざましい。
米系企業は儲かっているときには昇給もするし、豪勢な社員旅行もする。それでいて業績が傾いた途端、レイオフを始める。西安旅行のあと金融危機を受けて会社はレイオフを始め、私も解雇された。
解雇されたおかげでシリコンバレーのスタートアップ企業に転職することができて、待遇もよくなり、貴重な経験をすることができた。人生、何が幸いするか、わからない。
さくいん:NHK(テレビ)、中国、シリコンバレー
電子書籍『自死遺族であると言うこと』を上梓したのはちょうど2年前のこと。
これまでの販売数とKindle Unlimitedで読まれたページ数を足すと、約40冊分、読まれている。初著作で、ほとんど広告ができなかった上でこの実績は上出来ではないか。
自分では、この結果にとても満足している。
Twitter(現X)に金を払って公式アカウントにして広告をすることも考えた。もともと、万人に向けて作った本ではないし、万人に受けるとも思えないので、それはやめた。
残念なのは、一件もレビューがないこと。読者が読んでどう感じたのか、知りたい。今後、レビューが投稿されることを願う。
新著の『過去相に生きる 森有正を読む』も少しずつ読まれはじめている。
こちらは前著よりもさらに読者が絞られるので、実績が出るには時間がかかるだろう。
2冊の本はいずれも、自分の気持ちを整理するために、まず自分のために作った。そういう本が誰かの役に立ったり、考えるヒントになったりすれば、なおうれしい。
さくいん:自死遺族