1/1/2016/SAT
寝たまま年越し
昨夜は、『紅白歌合戦』を見ていたはずだが、ほとんど何も覚えていない。
老いた父と育ち盛りの幼児がぶつかるのではないかという心配は、杞憂だった。
昨夜は、『紅白歌合戦』を見ていたはずだが、ほとんど何も覚えていない。
老いた父と育ち盛りの幼児がぶつかるのではないかという心配は、杞憂だった。
亡くなった人の声や口癖を覚えさせて遺族を癒すロボットの実現に目処が立ったというニュースを聞いた。
このロボットは永続的に存在するのではなく、一定の期間だけ故人の身代わりとなり、別れの悲しみを癒すことが目的という。
ロボットは悲しみを和らげる、悲嘆の作法(Grief Process)に貢献するだろうか。
私はあまり肯定的になれない。機械は機械に過ぎず、うまく機能するのかどうかは扱う人間次第、なのだろうけど。
もう機械にできないことはないと思った方がいい。
これからは、「機械ができることは機械にさせる」ことよりも、「人間がすべきことを人間がする」時代になるのではないか。言葉を換えれば「人間がすべきことを機械にさせないこと」。
では、「機械にやらせてはいけない、人間がすべきこと」は何か?
今年の宿題。
写真は、薄暮の七里ガ浜。先月29日に撮影。
笑う門には福来たる
笑えば嫌なことも忘れられる
昔から言われていることだから、きっと正しいのだろう。
異論はない。だから、年末年始はテレビのお笑い番組をたくさん見た。確かにたくさん笑った。
でも笑うことを止めた途端に、忘れたかったことが、忘れていた間の利息を上乗せして舞い戻ってくるような気が何度もした。
声たてて笑ったあとに
遠くをみつめる癖
松任谷由実「コンパートメント」(『時のないホテル』)の一節。
ときどき、こんな風になった。大切なことも忘れて笑っていた自分が愚かに思える。
思い出したくないことを忘れたままでいるためには、「笑い続けるだけ」。これは中島みゆき「かなしみ笑い」にある言葉(『THE BEST』)。そういえば、「あほう鳥」も「ばか笑い」をつづける(『愛していると云ってくれ』)。
そういう奴は、漫画の中の「笑いおじさん」か、どこかおかしい、「き印」と呼ばれる人間だけ。そう呼ばれても、笑い続けることができるなら、そうしたい。
笑い続けることもできず、ぼんやり遠くをみつめる。じわじわと暗黒が心に染み込んでくる。
一年の初めから、こんな調子ではいけない。
明日から、新しい日常がはじまる。前向きとは言わないまでも、積極的とは言わないまでも、新しい生活が「普通」になるようにしたい。
写真は、夜のバス停。
就労移行支援施設への通所をはじめた。
新入部員が来たので、全員が自己紹介をした。スタッフが4名。通所者が8人。
スタッフの名前も一度に全員は覚えられなかった。通所者については、名前も聞き取れなかった。
年齢も、家族構成も、前職も、どういう経緯でここへ来たのかも、誰も話さない。私も話さない。
この場所に、私は「ただの人間」として放り込まれた。
自分で言うのもおかしいけど、どんな風に見知らぬ人と関わっていくのか、楽しみでもある。
自己紹介に加えて、「今年の目標」を訊かれた。「再就職することです」と答えたら、「それは皆そうです」とスタッフに返され、ひととき笑い声が響いた。
社会復帰プログラムのコーディネーターに、先方が立てた計画を見せてもらった。
12月の面談を踏まえて、コーディネーターは私の現状を以下のようにまとめていた。
三点とも、もっともな指摘で、こちらから追加することはなかった。
具体的な訓練としては、アサーティブ・コミュニケーションの練習、通所者との交流、適性検査や会社訪問などをしていくことになる。
見学した他の施設では、重度の障害者が正規の職業に就けるように、パソコンの入力や手紙の仕分けなどの軽作業を訓練しているところが多い。
ここでは、ワークショップやグループ討論などが多く、ストレス耐性を高めることや、コミュニケーション・スキルを向上することに重きを置いている。
ここなら、「また何かできるかもしれない」という気持ちになり、「そんな望みを感じながら」(オフコース「水曜日の午後」)家路に着いた。
写真は、冬の朝のけやき並木。木枯らしは吹いていない。
就労移行支援施設には、当面のあいだ、月、木、金の午前中だけ通所する。
月曜と金曜に行くのは一週間の生活リズムをつくるため。週末にイベントがあっても、月曜の朝にきちんと起きて出かけられるようにしたい。
木曜と金曜に行くのは、連続して「出勤」する練習をするため。
施設までは、駅まで徒歩で30分、電車でまた30分、下車してから徒歩10分。できれば早起きして、一駅前から歩きたい。
自宅の最寄駅まで往復歩き、施設までも一駅分往復歩けば、それなりの運動になる。
最近、Wii Fitのヨガの点数がよくなってきた。最初は片足立ちもできなかった。最近では「いい姿勢です」と画面のなかのトレーナーに褒められて喜んでいる。
就労移行支援施設に通所するようになり、社会復帰の訓練のほかに特典がある。
一つは、通える図書館が増えたこと。施設の近くに図書館がある。うれしいことに在宅在勤でなくても、貸出することができる。
CDは一回、3枚ずつ。これまで探していて見つからなかったアルバムや、知らなかったコンピレーション・アルバムもある。
初回の貸出は以下の3点。
図書館によって資料購入の重点は異なる。新作についてはレンタル店もあることから、最新の音楽を多数揃える図書館は多くない。昨日はある図書館で、2015年発売のJeff Lorber & Chuck Loeb, “BOP”を見つけて驚いた。
これで図書館を利用できるは自治体は5つになった。これまで、都内で多くの図書館を利用した。私の知る限り、視聴覚資料が充実しているのは目黒区と府中市。
府中市ではDVDや古いVHSも貸出できる。以前は大国魂神社の境内のなかにあった。府中で働いているとき、、本や音楽を借りる図書館通いが始まった。そのあと、転職して勤務地も変わってしまったので、移転した新築図書館へはまだ行ったことがない。
就労移行支援施設に通う、もう一つの特典。東京の、これまで行ったことのない名所が周囲に点在すること。当面は午前の部だけに出席するので、午後は図書館か、観光名所を訪ねてみるつもり。
今日は最近入所した、私を含めて3人の男性と男性スタッフ一人で、「散歩しながら、自己紹介をして雑談を広げる」とういプログラムを行った。
何の手がかりもない人と会話をはじめるのは難しい。しかも、それぞれに何かの問題を抱えて、ここへ来ているわけだが、それを直截に訊くわけにもいかない。
住んでいる場所や、これまでにしてきた仕事など、当たり障りのない話題から始まり、どうやら年齢が近いことがわかってきた。
私以外の二人のうち、一人は無口な人で水を向けると話し出すが、ぽつぽつとして続かない。沈黙に耐えられず、喋りはじめ、余計なことまで話すのが私の悪い癖。
同行したスタッフに「気分が高揚したときの調節が課題ですね」と言われた。「やってしまった」という後悔が半分、ここは性格を変えていくところなのだから、欠点を早くに見せてしまったことも悪くなかったかもという思いが半分。
無口な人は、「自分からも話を広げるように心がけてください」と助言されていた。
写真は、旧江戸城、清水門。最近、近くを歩く機会があった。
通所開始から一週間。
これまで通り、金曜日と土曜日の夜は"適量"の飲酒をしてもよいことにする。"適量"の定義はここではしない。
昨日、トレーナーからもらった助言にお礼を伝えたところ、喋りすぎたり暴走していたとは思わなかった、と返された。
昨夜書いた後悔と失望と安堵は、私の別の悪い癖——些細な言葉を自分の欠点の核心を突き刺したものと思い、自信を喪失して落ち込む——だった。
いちいち反応が過敏で過剰になるのはいいことではない。よく知らない人と交流すると素の自分がわかってくるような気がする。
一週間、三回参加して不満はない。むしろ思った以上に楽しい。この調子で社会復帰に近づきたい。
2016年12月18日追記。
就職が決まり、就労移行支援所を卒業するとき、何人かの人に「第一印象は過剰にお喋りな人だった」と言われた。
私の心配は杞憂ではなかった。トレーナーが気を利かせて不安のないようにしてくれたのだろう。
土曜日、今年初めて餃子を作った。だいたい月に一度、週末に作る。以前は娘と息子が手伝ってくれていたけど、最近は二人とも忙しそうで出来上がった頃にリビングに下りてくる。
散歩がてら図書館へ行くと、ちょうど餃子を特集した雑誌を見つけた。『dancyu』はよく読む。作れる料理を増やしたいのだけど、ついつい餃子に落ち着いてしまう。家族も餃子には合格点をくれるので、なかなか他の料理に挑戦できない。
特集記事を読んで作り方を少し変えてみた。と言っても、キャベツを蒸してからみじん切りにして、水分を絞り出しただけ。
蒸してからのほうが切りやすい。これまでは生のキャベツをザクザク切っていた。
私の餃子は野菜が多い。ニラ、キャベツ、ネギの野菜と豚挽肉の割合は3:1くらい。
ビールを呑みながら餃子を包んでいると、すこし悲しく、でも、懐かしくて、穏やかな気分になる。流れている音楽は、Billy Joel, “The Stranger.”
さくいん:ビリー・ジョエル
就労移行支援施設へ、先週3回だけ通い、昨日は4回目。一週目は緊張もあり、また少々張り切っていたこともあり、疲れを感じる暇もなかった。
昨日は自分の性格を客観的に観察するプログラム。心がとても疲れた。凝視したくない自分を見て、言葉で表現するのは辛い。
それぞれ、箇条書きにして書き出してみる。
数え切れないほど「トリガー」が見つかる。書きながらこれまでに「引き金」を引いた具体的な場面が思い出され、気持ちが重くなりはじめた。帰宅したときには、気分はすっかり低空飛行モードになっていた。
さらに気落ちさせたのは「落ち込んだ気持ちを癒す、元気を取り戻す方法」が思いつかなかったこと。これまでは医師の助言もあって、辛いときにはすぐ寝ることにしてきた。幸い、入眠に困ることはない。
一晩よく眠ると、翌朝気分はリセットされる。でも、リセットする方法が「寝る」しかない。日中、気分が沈んでしまった時に対処する方法がまだ見つけられない。
現在の状態を「心の不自由な人」と前に書いた。同じような喩えで、「心の運動神経が鈍い」とも言える。
柔軟性も敏捷性も持久力もない。だから、すぐに疲れて、転んで、ケガをする。かすり傷やらカサブタやらが、身体中、いや、心の中、いたるところにある。
今日は雨降りだったけれど、家にいても煩悶するか、家族に愚痴をこぼすだけなので、一日、外を歩いた。帰宅して歩数計をみると、19,108歩だった。
考えてみれば一年もひきこもっていたのだから、見知らぬ人と会話するだけでも疲れるのは当然かもしれない。二日間、一人きりになれば出かける気持ちが戻るか。
写真は、落ち葉に映る木の幹の影。
忘れ物が多い。家を出てしばらく歩いてから、忘れ物に気づき戻ることが頻繁にある。会社で働いていた時も「ほら、戻ってきた、何忘れたの?」とよくからかわれた。
忘れ物を減らす方法を一つ、思いついた。それはカバンを変えないこと。
カバンを変えると、何かを移し忘れる。いつもおなじカバンを使っていれば、そういう忘れ物は減らせる。財布、メモ帳、ICカード、筆記具、図書館のカード。必要なものを入れたまま、ほかに荷物があろうがなかろうが、同じカバンを持って出かける。
いま使っているカバンは2年くらい前に買った、"3-way"。手提げにも肩掛けにもなりリュックサックにもなる。リュックサックは、散歩する時に片方の手だけ重くなることがないので都合がいい。ただ、電車で迷惑がられるので、これまで使っていなかった。
このカバンには、リュックサックとして使うとき、つまり、縦にして使うときにつかむ持ち手がある。これが便利。混んだ電車では縦長のカバンとしてぶら下げられる。
失くしものも多い。財布や傘は何度失くしたのか、わからない。iPad miniもどこかで失くした。
物忘れも多い。自分では初めて話したつもりのことを「もう何度も聞いてる」と家族に指摘される。独り言も多いと言われている。これも、自分では気づいていなかった。
やはり私は、どこかが、いや、すべてがおかしい。
写真は、公園で見つけた蝋梅。ほんのり甘い匂いがした。
忘れるのは物ばかりではない。すること、To Doもよく忘れる。
この「すること」を忘れる失態を減らすためにiPhoneの標準アプリのリマインダーが重宝している。
項目ごとに通知を場所と時間で指定できる。例えば、帰宅途中、家に帰ってすぐにすることがあれば、することを入力し、通知場所を自宅にする。すると、自宅に着いたときにメッセージが画面に表示される。
図書館の返却日や展覧会の会期など、忘れやすい日付を設定している。
変わった使い方は、ビールの冷蔵。
安い時にまとめ買いするのだが、あるとあるだけ呑んでしまうので、金曜の朝にその晩、呑む分だけ冷蔵庫に入れる。
そこで、金曜朝を指定して「ビール冷蔵庫に」と入力しておく。
これを忘れると生ぬるいビールを呑むことになる。いまは寒い季節なので、部屋に置き忘れていても、ほどほど冷えてはいる。
写真は、春を待つ桜木。
昨日は、大人の塗り絵をした。絵葉書を一枚、見本にして色鉛筆で色を塗る。
正直、これが「就労移行支援」の課題になるのか、疑問に思いながらはじめたところ、意外なことに面白かった。
塗り絵など、何十年ぶりにした。と思ったたら、10年くらい前、子どもが小さい頃にせがまれて、ウルトラマンや仮面ライダーの絵を色付きで描いたことがあった。
2時間かけて、何とか一枚仕上げた。上手にはできなかったけれど、出来上がった満足感はあった。加えて、ある時間、一つのことに没頭できたことで月曜夕方からのモヤモヤした気持ちがだいぶ払拭できた。
プログラムの最後にトレーナーと面談があった。2点、指摘された。
1. 一つのことに没頭することができる。あるいは、そういう作業を好む傾向がある。最初に2時間で2枚やりましょう、と言われるので、たいていの人は1枚を完成させることより、何とか2枚仕上げることを優先するらしい。
2. 2時間をまるまる一枚に費やしたことは、隅々まで、あるいは完成するまでやりきらないと気が済まない性格を表しているという。あるいは、完成するまでやりきる集中力を潜在的にもっている、という解釈もできる。
部屋はいつも散らかっているのに、変に几帳面なところが私にはある。
例えば、iTunes。図書館で借りてきたCDを録音するとき、アートワークが自動で付かないときにはネットで探す。作曲者の名前も調べて入力する。
iPhoneに同期させたとき、アートワークが同期できず、画面が“No Image”となるのが嫌で、すべてのアートワークが同期するまで繰り返す。
以前のバージョンで、横持ちするとアートワークがタイル状に並ぶ機能が好きだった。
考えてみれば、『庭』で、行末を文節か音節で区切るように書いていることも、奇妙な几帳面さゆえだろう。
もちろん、塗り絵だけで性格のすべてがわかるわけではない。ましてや、どんな職種が向いているかどうか、わかりはしない。それでも、多くの人を観察してきたトレーナーは経験に基づいて性格の傾向がわかるらしい。
指摘された二点は同意できることだった。一見、遊びやゲームにみえることからでも、性格の傾向が観察できたり、集中力や注意力を養うことができたりすることがわかった。
写真は、雲ひとつない青空。八木重吉は「くもの ない日 / そらは さびしい」(「雲」)と詠んだ。
空がさびしく見えたときが私にもあった。冬中、空が鉛色に見えた。冬の空を清々しく感じるのは、心持ちが好転している兆しと思いたい。
PTG(Posttraumatic Growth:心的外傷後成長)について再び。
前置きとして、これまでに何度か引用した中井久夫の言葉を掲げる。
このことと関係して重要なのは、現代が要求する人間の「性能」の厳しさのために、かなりのパーセントの人間が意義のある仕事に参加できなくなりつつあることである。たとえば、精神病の治療は今日非常に進歩し、多くの精神病が事実上治るようになった。しかし問題なのは、現代社会のさまざまな非人間的な側面にも耐えられるようにまで「治ら」ねばならないことである。社会復帰は、社会の方の壁が高くなってゆくために、ますます困難となりつつある。(「現代社会に生きること」『関与と観察』、みすず書房、2005)
PTGという概念は、中井が批判的に言及している、「現代社会のさまざまな非人間的な側面に耐えられるように」なることと誤解されないか。
たとえば、長時間労働からうつ病を発症した人が休職した場合。大企業であれば、しばらくの完全休養のあと、産業医が指定する復帰訓練施設に通う。
その時、企業は「PTGを得て病気になる前より強い人間になって戻ってきてほしい」と期待していないか。「PTG」の獲得を、復職を認める目標や基準として公然と当該社員や支援施設に要求することにならないだろうか。
具体的には、病気になる前と同じではなく、より多くの、より負荷の高い仕事ができるようになることを期待してないか。PTGという概念には、そういう誤解を生む一面があるような気がしてならない。
良心的な医師は、病気になる前よりも強くなれと強迫したりしない。「せっかく病気になったのだから生き方を少しひろやか(のびやか)にされては?」と助言する。
ハーマン『心的外傷と回復』の結びには、次の言葉が掲げられている。
ここにその人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる。
トラウマにしろ、うつにしろ、統合失調症にしろ、精神疾患の治療の目的は、その人の「生活を取り戻す」ことであり、人間を、どんなハラスメントにも耐えることができて、どんな過剰労働も苦にしない「労働機械」に改造することではないだろう。
「労働機械」にせず「人間」を取り戻す、それが「治療」のあるべき姿だろう。治療は患者のためにするものであり、生産効率の向上や、まして弱い社員をふるい落とすためにするものではないはず。
いろいろな性格の人がいる。誰もが勝負や競争が好きなわけではない。さみしがりやもいれば、のんびりな人もいる。感傷的な気持ちを時折楽しむ人もいるだろう。
その人の生命と社会生活に脅かすことがない限り、どんな心持ちで生活しようと自由であってほしい。
写真は、快晴だった昨日の太陽。晴れた日の太陽は、真っ赤に燃えるのではなく、白く輝いている。
デジカメは、光学的に被写体を見ているわけではないので、レンズを太陽に向けられる。そのおかげで、こういう写真が撮れる。
さくいん:中井久夫
特攻を考案した大西瀧治郎中将は、特攻のような異常な作戦を提案すれば、「万世一系仁慈を似て統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろと仰せられるであろう」と考えていたという。
昭和天皇は、反撃を加えてからできるだけ有利な条件で戦争を終わらせる、いわゆる「一撃講話」の考えをもっていた。それゆえ、特攻については「「命を国家に捧げて克くやつて呉れた」と話したと言われている。
大西の述懐は容易に信じがたい逸話であるが、後の創作であったにしても、特攻というものは、発案者でさえ尋常ではないことを十分承知していたことは推測できる。
また、ここにも日本軍の無責任体系を見てとれる。
悪化する戦況下、起死回生の作戦を立てなければならない。講話受諾とは口が裂けても言えない。そこで誰かが止めるだろうと高を括り、自分でも現実的でないとわかっている作戦を提案する。
ところが、誰も反対しない。それどころか、反対して臆病者と言われることを恐れて、皆、大いに賛同する。
「天皇が止めてくれるだろう」という考えも、統帥権は天皇にあったと理解されていたにしても、実際に作戦を立てる軍上層部の発想としては、他人任せでしかない。そして、組織の頂点にいる人が「よくやった」と言ってしまうと、もう誰も中止も否定もできなくなる。
余談。こうした無責任な発案と無責任な指示は、最近明らかになった東芝の不正会計で既視感がある。日本の組織にありがちな性質なのかもしれない。
部下に特攻を命じて「俺も後から行く」と言っておきながら逃げた人を紹介している。同じ話は水木しげる『総員玉砕せよ』にもある。
特攻の命令に受けても、「生還の見込みのない作戦に部下は出せない」と抵抗した人もいた。こういう逸話はもっと知られてほしい。
書くことが楽しくない。義務感が強くなっている。
しばらく書くことはやめて、休むことにする。
いま、大切なことは回復と再就職。それ以外のことは後回しでいい。
こういうときは、新しい文章を書くよりも古い文章の枝葉を剪定することが気晴らしになる。
写真は、木の影。生き物の影絵のようにも見える。
ツィート、一件。
ナンシー関はもういない。でも大本営発表のテレビや新聞とは違う、さまざまな情報や意見が流れているTwitterを見ていると、彼女に学んだ人は少なくないことがわかる。
ナンシーはいなくなっても、彼女に学んだ人が「ナンシー関だったらこんな風に考えただろう」、と思いをめぐらせ、発信している。
ナンシー関は、マスメディア・リテラシーの啓蒙思想家だった。
写真は雪の朝。日曜夜の雪で、月曜は首都圏の交通が大混乱に陥った。
さくいん:ナンシー関
ツィート、一件。
中学時代、何かで機嫌を損ねた部活動の顧問が、「休部だ、廃部だ」と騒ぎ出した。
「じゃあ、辞める」と言って去った者もいた。結局、残った者で話し合い、部長が代表して職員室に行き「すみませんでした。もう一度、指導してください」と頭を下げた。
すると、顧問の教員は「仕方ないな、やってやるか」という顔つきで謝罪を受け入れ、練習が再開された。
このパターンは、部活動以外でも、合唱コンクールの練習や騒がしい自習時間などで、何度か経験した。
あれは自分より下にいる者を、意のままに動かせるようにする「洗脳」のテクニックの一つだった。ずっと後になって、そう気づいた。
今でも、思い出すだけで気分が悪くなる。
書くのは止めた、と書いておきながら、また書いている。行動の記録や、ふと思いついて「つぶやいた」程度のことなら書ける。問題は、本の感想文。
何冊か、感想を残しておきたい本がある。ところが、筆が進まない、指も動かない。
もう一度、読み直してから挑戦する。書けなければ、待つしかない。
それもいいだろう。締め切りがないのが、「モグリ」のいいところなのだから。
手書きは増えている。日記や、じっくり考えたことは書けていないけれど、散歩途中に思いついた推敲のアイデアは、手帳にボールペンで書き込んでいる。
推敲のアイデアは歩いていたり、電車で自分の文章を読みなおしている時に思いつく。思いついたことをどこに書くか。これまでに何度か、変わっている。
最初は、手書きだった。その頃は、メモ帳を差し込める札入れを使っていた。次にEverNote。それから、Twitter。MacとiPhoneとでメモ帳が同期できるようになってからは、しばらく、iOSの標準アプリを使っていた。
手帳に書き込むことを思いついたのは、『刑事コロンボ』を見ているとき。ピーター・フォークが縦にめくるメモ帳を使っている。聞き取った情報を書き込んだり、相手を揺さぶる情報をさも苦労して探してきたかのように読み上げたりしている。
この仕草を真似したい。
横開きの手帳カバーがあったので、今はそれを使っている。文具店へ行くと縦めくりの手帳カバーを探している。
写真は、逆光の木の枝。この構図は、何度も撮っている。
学校は登校、会社は出勤、もしくは出社。役所は登庁。では、就労移行支援施設に行くときは何と言う?
出所では刑務所から出てくるようでおかしい。通所という言葉は、継続して通っている状態を指す。朝、施設に向かうときに使うと、やはりおかしい。
施設の人は来所と言う。これは迎える側が使う言葉。
まだ、いい言葉が見つからない。
写真は、畑に沈む夕陽。
エゴグラムと呼ばれる性格診断をした。結果は「タイプ分類外」。
クラス分けできるほど、はっきりした傾向が見られないということらしい。出現率も0.078%と低い。1万人のうち8人いるかいないかという希少な傾向。
定常的な性格というよりは、現時点の心理状態が反映されていると思ったほうがいい。トレーナーにそう慰められた。
確かに「組織としてはこの人物を雇用するメリットはほとんど無いでしょう。」と診断されては、「とにもかくにも、20年間働いてきたのに」と反論したくなる。
対人営業性、リーダー適性、マネジメント適性、組織従属性、すべての面でCランクと評価されているのは、会社を辞めざるを得なくなった状態を如実に表している。そう思いたい。
就労移行支援施設のトレーナーは、さらに励ます。集中力を高めて、ストレスを自分で受け流したり、休憩するタイミングを覚えたり、感情を自分で制御できるようになれば、適職のための診断は確実に向上する、と。
そうあってほしい。
復職プログラムをはじめてまだ3週目。焦らないことも、課題の一つ。
木のあいだに沈む夕陽、中学校のグランドで。
こういう仕事はないものか。
上記の条件は、客観的にみて特別なものではない。でも、現実にこの条件に見合う仕事などほとんどないことは察しがつく。
特別ではないはずのことが、現実とは、どこかで乖離している。
それは、つまり、現実が間違っている、ということ。
それを言っただけでは、現実は変わらない。さて、どうするか。焦らず急がず。昨日も書いた。それだけ胸のなかでは慌てている。
写真は、跨線橋から遠くに見えた富士山夕景。
「体罰と管理を生き残ったおぞましい己に対する自己批判」から離れて、もう少し遠くから見渡してみる。
石原吉郎の言う「加害者」という言葉は、「原罪」と言い換えることができるかもしれない。宗教的な響きを避けるなら「生命の矛盾」とも言い換えられる。
生命はほかの生命を殺しながら生きていく。人間の場合、他の人間を食うわけではないけれど、ほかの人間を押しのけて生きて行くことが避けられない。学校や会社での試験や競争だけではない。東京に電気を送るために福島につくられた発電所が事故を起こして、多くの人が故郷に住めなくなっている。
「加害者」の立場を自覚する。並大抵のことではない。
結局、問いは同じところに戻る。
写真は、きれいに三角に揃ったメタセコイア。
さくいん:体罰
『うつのせかいにさよならする100冊の本』は、写真集からスピリチュアルまで、いろいろな本を紹介している。著者も言っているようにすべて読むつもりにはならず、自分の好みや、聞いたことのある本から手に取るといい。
『もうひとつの場所』は、『100冊の本』で紹介されていた一冊。
静かな音楽を聴きながら、不思議な形をした空想の建築を眺めていると、知らない所を旅しているような気持ちになり、ひととき「この世界」にいることを忘れさせてくれる。
とてもわかりやすい。章立てと小見出しの付け方が適切で、読みやすく、また気になるところを簡単にメモすることもしやすい。
これまで疑問に思っていたことも解けた。
認知行動療法とは現実を受け入れる「言い訳」に納得する「合理化」の手段に過ぎないのではないかと思っていた。そうでなければ、何でも“ポジティブ”に考える単純思考か。
著者は、認知行動療法が、「単に「個人の認知と行動が変わりさえすればよい」と想定しているわけではありません」と明記したうえで、「認知行動療法の適応と限界、および実施にあたっての注意点」として次のように書いている。
環境的要因があまりにも重大なときには、認知行動療法を悠長にやっている場合ではなく、できるだけ直接的にその環境的要因にアプローチする必要があるのは当然のことです。(第2章 アセスメントしてみましょう)
環境的要因の例として、職場でのパワハラや家庭でのDVが挙げられている。こうした問題は、認知と行動で対処できるものではなく、環境的要因の方(パワハラとDV)を解決しなければならない。
では、いま私が抱えている問題は、「対処できない環境的要因」だろうか。それとも、認知と行動を変えることによって軽減されるストレスだろうか。
歴史学は、過去の事実を究明するために証拠を集め、分析し、理論化し、歴史の見方を創る。採用する証拠や分析方法、理論の見立てによって、過去の見方は違うものになる。
これは自分史にもあてはまる。
過去は、そのときどきの「今の自分」の見方によって違ったものになる。歴史学と同じように、思い込みが解けたり、気づいてなかった事実を見つけたりすると、過去の見方も変わる。最近、そういう経験をした。
見方を変えれば、過去は変わる。それはわかる。では、どう変えればよいのか。わからない。
私が抱えている問題は、環境的な要素と認知的な要素の両面をもっているように思う。言葉を換えれば、客観的な面と主観的な面がある。
今、私が向き合うべき優先事項はそれではない。今の課題は、職業を見つけ、働いて、収入を得て、生活を立て直すこと。
今は遠い過去の見方を究明するときではない。医師からも助言されているし、自分にも言い聞かせている。それでも、悲嘆と憎悪で苦しくなることがある。
「この世界」と「和解」することも、「片想い」になることさえ、私にはできないかもしれない。
写真は、春を待つ立木。
70年代のフュージョンから、最近ではスムース・ジャズと呼ばれる音楽を好んで聴いている。
図書館のおかげでライブラリは豊かになっている。気に入っているアーティストのアルバムに参加しているアーティストを借りてきたり、コンピレーション・アルバムで好きになった曲を演奏しているアーティストのアルバムを探したりしている。
本書は、海外と日本のアルバムのほか、フュージョンではないが、フュージョンのアーティストが参加しているアルバムや、フュージョン風のサウンドのアルバムまで多数紹介している。海外モノについては、誰もが認める名盤・傑作はジャケット写真を大きくしているので、入門者にわかりやすい。
名盤・傑作と呼ばれているアルバムでも、まだ聴いていないものがある。まずは、そうしたアルバムを図書館で探してみる。
写真は、冬の木の枝。