10/2/2015/FRI
増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録、町田暁雄、えのころ工房制作、宝島社、2013
改編期で面白いテレビ番組がないので、今週は夕食後、毎晩、『刑事コロンボ』を見ていた。
見たのは、「死者の身代金」「攻撃命令」「ビデオテープの証言」の三本。
『刑事コロンボ』を見るのは、我が家では定番の暇つぶし。
筋も台詞も覚えていて、「この台詞がいいね」「この犯人、ほんとうに酷いね」「この犯人は憎めない」など、各人言いたいことを言いながら見る。今回見た三本は、どれも犯人が冷酷非情で、事件が解決する結末で悪人を仕留めた爽快感が残る。
『コロンボ』を好む理由は、一話完結で、しかも一話が短いから。長くても90分。巷では海外の連続ドラマ、しかも何期も続くシリーズものが人気と聞く。その手のドラマはまったく見ない。
そもそも日本のテレビドラマも見ない。『泣くな! はらちゃん』は例外。
映画もめったにみない。『海街diary』は例外中の例外。
昔は、シチュエーション・コメディが好きでよく見た。『奥さまは魔女』『ファミリー・タイズ』『マーフィー・ブラウン』。米国に出張した時にはブルック・シールズが主演した"Suddenly Suzan"をホテルでよく見た。最近は、面白い作品が見つけられないでいる。
なぜ、筋書きもトリックも知り尽くした『刑事コロンボ』を何度も見るのか。自問してみると、「70年代、アメリカのセレブの世界」を見ることができるから、という答えが見つかった。
個室のオフィス。豪華な邸宅。ホームバー。いつも氷が入っているアイスペール。帰宅したらまずマティーニ。客人が来ても、まず一杯勧める。『奥さまは魔女』でもそうだった。現代の常識感覚ではちょっと理解できない。かつて九州で、客が来たらお茶よりも焼酎だったと聞いたことがあるから、場所というよりも時代の違いなのかもしれない。
セレブの暮らしのなかでも、とくに目を引くのはクルマ。70年代のアメ車。5m以上は裕にある長いボディ。角ばったデザイン。大げさなフロントグリルと回転式で格納されるヘッドライト。狭い駐車場では開くことさえできそうにない大きなドア。どこもかしこも大げさで、アメリカが「夢の国」だった頃の象徴といってもいいだろう。
小学一年生、まだ横浜の三ツ沢のアパートに住んでいた頃、近くのマンションに大きなリンカーン・コンチネンタルがあった。憧れの気持ちで胸を膨らませ、登下校時に眺めていた。
『コロンボ』に登場するクルマでは、「二枚のドガの絵」で、被害者の妻、エドナが運転していたクルマがいい。薄い青と緑のあいだ、碧色で、見るからにアメ車特有のふわふわした乗り心地が想像できる。小柄な女性が運転しているので、余計にクルマが大きく見える。
検索してみると『配役される車 ―「刑事コロンボ」の場合―』という題名で、ドラマに登場するクルマを紹介するサイトを見つけた。トヨタ博物館のサイトにあるこのページでは、犯人を含めて登場人物が乗っていたクルマを写真で紹介するのみならず、数秒しか映らない日本車まで紹介している。
このサイトを見て気づいたことがある。日本からみると同じ「外車」(ガイジンが差別語とされ、外国人と呼ばれるように、最近は「輸入車」と呼ばれる)であっても、アメリカにいれば、どんなに派手で大きくても、アメ車はあくまで「国産車」で、金持ちは欧州からの「輸入車」に乗っている。ベンツ、フェラーリ、ジャガー、そして、究極の高級車、ロールスロイス。
同好の士がいて、しかも博物館の学芸員として丹念に調べあげた研究をしている。とてもうれしい。
『二枚のドガの絵』は、解説書にもあるように、「最後のトリック」が素晴らしい。それだけで傑作なので、あえて蛇足を承知で二点、書いておく。
Musuemが「博物館」に訳されている。犯人は美術評論家だから、彼が会議で呼ばれているのは「美術館」のはず。
大きな遺産を社会全体に貢献させたいのであれば、個人に相続させるのではなく、まず、信託財団のようなものを作るのではないか。一時的にでも個人で相続したら、日本であれば相続税を課せられるのではないだろうか。
現実にはそうかもしれないが、このドラマでは、そこまで現実社会と整合性をとる必要もない、とも言える。
さくいん:刑事コロンボ