客船、飛鳥Ⅱに乗って伊東の花火大会を観に行った。
今回、台風のせいで船が帰港が遅れ、二泊三日の旅はワンナイトクルーズになった。このクルーズに乗船していた人たちはかなり幸運だった。青森のねぷた祭を観光した船は台風が北上する太平洋沿岸には出られないため、日本海から関門海峡、豊後水道から太平洋を周り母港横浜へ戻ってきた。
一方、出発が延期になった私たちは旅支度はもうできていたので、急いでみなとみらいのホテルに予約を入れ、一族9人が集まった。
夜は父が好きだった中華料理店。喜寿のお祝いのときだっただろうか。木の枝にさがった桃饅頭がサービスされたのでよく覚えている。
食事が始まると、母が父の写真を取り出して皆の見えるところに置いたので少し驚いた。母がそういうことをする人ではないと思っていた。ふだんは、ろうそくも線香もつけず、毎朝手を合わせるわけでもない。
今回の旅行は母にとっても「父と行きたかった」特別な旅行だったのだろう。
左:10日早朝、大桟橋へ入港する飛鳥Ⅱ。地上70階から撮影。
右:飛鳥Ⅱの側面
父は船旅が好きだった。子と孫を連れて船に乗るのは父の夢だったのかもしれない。
そう思う人は多いようで、実際、大人数の家族連れがたくさん乗船していた。
数年前に「ぱしふぃっくびいなす」でワンナイトクルーズへ一緒に行ったときは船がかなり揺れたので楽しむどころではなかった。
今回は波も静かで船旅を満喫できた。父がいないことが返す返す残念でならない。
一族で船旅とは贅沢なことに違いない。ただ、金があればできるものでもない。
40年前の我が家では、家族全員が食卓に集まることも滅多になく、家の中は常に緊張した空気に包まれていて、とても家族旅行どころではなかった。
そして、私の家族は、1981年から後、さらに重苦しい空気のなかで過ごすことになった。
大学生の孫までも参じて皆で旅行に行けるとは、母にとって、また私にとっても夢のような出来事だった。
柳原良平の描いた客船の数々。今回申し込んだ旅行代理店のブースにて。
飛鳥Ⅱは長さが241メートル、排水量が54,000トンを超えると大型の客船。大きさは戦艦大和にこそ及ばないものの、長さではやや短いが排水量では最新の護衛艦いずもを上回る
船内は豪華で大きなテーマパークへ行ったように「日常」をすっかり忘れさせてくれる。
飛鳥Ⅱの船首部分。
出港とともに遠ざかる大桟橋
客船に乗って気づいたこと。船は高齢者と障害者にやさしい。列車のようにずっと座っていなければならいわけではないし、飛行機のように離着陸時のストレスもない。
今回のクルーズでも、車椅子を押されている人やかなり高齢に見える人を大勢見た。皆、おしゃれをして「非日常」を楽しんでいるようだった。
左:横浜ベイブリッジ
右:ベイブリッジをくぐるときに見える橋梁の下面。
砂浜で海を眺めることを 『潮風療法」と名付けたことがある。
船旅は「潮風療法」の短期入院のようなものかもしれない。
海風を浴びて、波以外に何もない昼の海を眺めたり、空と海の分かれ目がようやくわかる夜の海を眺めたり。文字通り「心が洗われる」ような清々しい気持ちになる。
船に乗ると「酔うからよせ」と言われるのについ、艦尾へ行って 航跡を見る。進んでいく前よりも、過ぎ去っていく船の後ろを見たくない。
この日は台風が去ったあとなので天候が穏やかで「航跡」がきれいに見えた。
左:船首からの眺望。プールは乗組員用。乗組員用喫煙場所もここに。
右:船尾から眺める航跡。
今回の旅の目的は花火。思い返すと花火を間近で見るのは片山津温泉への旅行以来、実に14年ぶり。子どもはぼんやりした記憶しかないと言う。
10,000発の花火に一族9人で酔いしれた。
伊東花火大会。
朝、4時半に目が覚めたのでデッキに登り朝日を見た。朝日は房総半島の方角から昇る。
MarineTrafficで位置を確かめると房総半島の先端をかすめて東京湾に入るところだった。
ペリーはどんな気持ちでこの風景を眺めていたのだろう。
そんなことをぼんやり夢想していると左手に三浦半島も見え、観音埼灯台も見えてきた。
船の右を小さなLPGタンカーがすれ違って行った。LPGの技師だった父がこの旅を見守ってくれているような気がした。ふだんは、そういう考えはほとんど持たないし、意識的に持たないようにもしている。
船旅には心の持ち方まで変えてしまう。
左上:午前4時39分にいた位置。船舶追跡アプリ"MarineTraffic"の画面。
右上:房総半島に昇る朝日。
中:朝焼けと太陽の道
左下:観音埼灯台。
右下:浦賀水道を下るLPGタンカー。
さくいん:横浜