読書とは「出会い」、つくづくそう思う。何か具体的な知識や思索のきっかけを求めて読む本もある。そうではなく、偶然出会あったり、本のなかで紹介されている本に促されて出会うこともある。私の場合、そんな「つながり」で出会った本に強く影響されてきた。
自分では意識して探しているつもりはなくても、「取って読め」(アウグスティヌス)とささやく声を聞いた経験がある。
森有正、山形孝夫、森山啓、石原吉郎とは、そういう、ほとんど偶然のようなつながりで出会った。
例えば、森有正の場合。小学三年生のときに出会った八木重吉を起点にしている。
八木重吉→吉野秀雄→山口瞳→開高健→辻邦生→森有正
この流れは、「やわらかな心」(吉野秀雄)の感想に書いた。「やわらかな心」は『小林秀雄全集』にあった書評で知った。
森有正からは、バッハ、遠藤周作、西田幾多郎へとさらに出会いが広がっていった。
さくいん:アウグスティヌス、森有正、山形孝夫、森山啓、石原吉郎、八木重吉、山口瞳、辻邦生、バッハ、遠藤周作、西田幾多郎
大河ドラマ『光る君へ』を毎週楽しく見ている。内容は面白いのだが、登場人物が多く、また和歌や史実と創作が入り混じっていてなかなかわかりにくい。そこでドラマの予習として紫式部の最新の評伝を図書館で借りてきた。
前に読んだ『私が源氏物語を書いたわけ』(山本淳子)は、想像を込めて、紫式部が物語を書いた目的を、悲嘆の緩和と「女子供のための玩具」でない女性視点の物語の創作にあるとしていた。
本書は、紫式部の生涯を各種史料を頼りにたどりながら、そもそもは取り立てて大それた目的もなく書いた物語が貴族社会で好評を博し、ついには天皇に献呈される過過程をできるだけ客観的に描き出している。本書は『書いたわけ』が主観的な立場で書いた二つの理由を積極的には採用していない。むしろ、道長や大斎院選子に促されて書き進めていったとする。
また本書は、『源氏物語』が同時代に急速に広まったことが特異な点として指摘する。
森有正は、紫式部は無償で作品を書いたと推測していたけど、そうとは言えない。現代の小説のように「商品」として書かれたわけではないけれど、自分の慰めのためだけに書いたわけでもない。そこには、公家社会における社会的な理由があったらしい。こっそりと書いていたものが後に世に出たわけではない。そして、紫式部は世間での評判や、異例の厚遇に困惑していたという。
本書は、紫式部の内向的、内省的な性格も詳しく伝えている。中宮から促されているのに何ヶ月も出仕しないで家にこもっている様子は、読んでいて切ない気持ちになる。
道長が、作品の完成や献呈に深く関わっていたという指摘も興味深い。大河ドラマで、このあたりがどのように描かれるのか、楽しみにしている。
紫式部の実像を描く史料は多くない。少ないなかでも藤原実資が書いた日記、『小右記』がたびたび参照されている。そのたびにドラマで好演している秋山竜次の顔が浮かんでしまい、笑いをこらえきれなかった。
さくいん:NHK(テレビ)、紫式部、『源氏物語』、森有正
週末、実家に母の様子を見に行った。帰りに横須賀美術館へ一人で行った。
この日は、「ジブリと鈴木敏夫」も同時開催していて大混雑。バスも増発されていた。鈴木敏夫には関心どころか反感しかないのでそちらは見なかった。「ロボット群像」展だけでも、十分楽しめた。
個人的に血がさわいだのは、70年代のマジンガーZ、ゲッターロボ、ライディーン、コン・バトラーV、80年代初めのファースト・ガンダム。このときが小学六年生。そのあと徐々に、ロボットアニメからは離れていった。
ところで「ライディーン」について一言。ライディーンは厳密に言えばロボットではないのではないか。生きている彫像。傷を負っても格納庫(金の彫像)に戻れば回復するし、口を開いたりもする。機械とは思えない。
展示は趣向を凝らしていて面白かった。コン・バトラーVの合体の過程やガンダムのパーツごとのエピソードなどが巨大画で展示されていた。
今回は図録を買った。図像豊富でとても面白い。日本でロボットアニメが隆盛した理由の一つに甲冑文化があったことや、自家用車の普及とロボットの「格納庫」が重視された関連などの指摘も興味深い。
時間旅行が忙しい週末だった。昭和後期から令和にタイムスリップするドラマ『不適切にもほどがある』、昭和のロボットアニメ展、日曜日の夜に平安時代が舞台の『光る君へ』、古代エジプトのピラミッドのドキュメンタリー。さすがに目がまわった。
さくいん:横須賀美術館、70年代、80年代、『機動戦士ガンダム』
ポール・サイモンの楽曲のなかで一番好きな曲。第六部のエピグラフにも使っている。引用した歌い出しの歌詞は、自分の心持ちを言い当てているように今でも思う。
初めて聴いたのは中学生のとき。"Central Park Concert"をテレビで見て、それからアルバムを買った。もちろん、当時買ったのはアナログ・LPレコード。二人で歌っているのでSimon & Garfunkel名義の曲と思っていた。あとでポールのソロ曲と知った。
当時、楽譜集を買って練習してみたものの弾きこなすことができなかった。コードが頻繁に変わるのでむずかしい。
最近、ギターの練習を再開してこの曲にも再挑戦している。動画で見ると楽譜と指づかいが違う。途中で高いフレットまで指が動いている。
YouTubeには、チュートリアルの動画がたくさんある。そのおかげでポール・サイモンが弾いているとおりの指づかいもわかった。
まだ弾きこなせてはいないけれど、ポール・サイモンと同じ伴奏で歌えることにとても満足している。うれしいので、最近は本も読まずに(仕事もせずに)、この曲ばかり弾いている。
ところで、この曲はオバマ大統領の選挙キャンペーンで使用されて、「第2の国歌」とも言われているらしい。
歌詞を見ると祖国を称える歌では全然ない。むしろ、その先行きを憂いている。
Stil, when I think of the road we're traveling on
I wonder what's gone wrong
I cannot help but I wonder what's gone wrong
こんな憂国の歌は日本には、少なくとも私の知るかぎりはないように思える。
「生まれ来る子供たちのために」(オフコース、小田和正作詞、1980)に、「多くの過ちを/僕もしたように/愛するこの国も/もう戻れない/もう戻れない」と"American Tune"の一節に似たフレーズがある。とはいえ、曲全体に強い「憂国」のメッセージがあるわけではない。
そんな歌が日本にもあっていいと思う。
さくいん:ポール・サイモン、オフコース
"American Tune"について(続き)
昨日に続いてポール・サイモンの"American Tune"について。
もう一つ、気になること。ポール・サイモンは"often"を"t"をつけて「オフトゥン」と発音している。確か中学校では米語では"t"は発音しないと習った。最近、"t"を発音するケースを米国のニュース番組でも見かけたので、現代の傾向と思っていたけど、70年代からそういう傾向があったことになる。では学校で習った「鉄則」は何だったのか。
動画をあさってみると、"t"を発音したりしなかったりしている。「やはり」と「やっぱり」程度の違いなのか。いまではネイティブ・スピーカーとの付き合いもなくなったので、尋ねる相手もいない。
さらにもう一つ。ポール・サイモンという名前も気になる。名前がパウロで苗字がシモン、すなわちペテロ、ということになる。
ポールはユダヤ系ということは聞いたことがある。そういう点では、ありふれた組み合わせなのだろうか。私は、ユダヤ教よりもキリスト教に関心があるので、パウロとペテロという組み合わせは、最強の名前に思える。
さらにもう一つ。
"American Tune"のメロディがバッハの「マタイ受難曲」からの引用という指摘を読んでとても驚いている。
好きなメロディには何か共通するものがあるらしい。
さくいん:ポール・サイモン、パウロ、ペテロ、名前、バッハ
X(旧Twitter)のタグから
ほかの人たちは動画付きのポストを投稿している。見ていて思い出すことが多い。
映画はたくさん見る方ではない。十代の頃はテレビで映画をよく放映していた。『ローマの休日』や『ベンハー』など、いわゆる名画はその頃にいくつか見た。最近は、一年に劇場で一本、テレビで数本、配信でまた数本程度。映画好きとは言えない。
見た本数が多くないので、結末が秀逸というくくりにしても、前に作った「#名刺代わりの映画」と重なる。
さくいん:『太陽を盗んだ男』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『銀鉄道999』
1-3月期はめずらしくテレビドラマをいくつも見た。NHKでは、大河ドラマ『光る君へ』に加えて、『舟を編む』、朝ドラ『まんぷく』の再放送、民放では、話題になっていると聞いて、『不適切にもほどがある』を途中から見はじめた。
昭和から令和にタイムスリップするという『不適切』は面白いドラマだった。
面白い以上の感想はなかったので、何も書き残すことはないと見終えた時には思っていた。ところが、録画した最終回が気になって何度も見返して、何か書き残すことがあるような気がしはじめた。
何度でも見返してしまうのは、純子が年上の渚に「渚」と呼びかける場面。昭和生まれの純子は平成生まれの渚の母親。不覚にも涙してしまう。
なぜか。ふと気づいた。このとき、渚は死者と会話している。令和になる前に亡くなるとわかっている母親と時を越えて向き合っている。
「悲しみを求める心」(尾崎翠)を思い出した。「母の心と私の心とはその時真に接触してゐた」という一文。死者との会話が生み出す「真のかなしみ」。
無理なことは承知で、そういう魂の交流を私も欲している。
物語の最後。どこの時代へも行けるタイムトンネルを通って小川はどの時代へ行ったのか。1995年1月の前に行って、純子と自分を助け出す。私はそんな想像をした。
主題歌「二度寝」(Creepy Nuts)は物語に沿った歌詞なので購入して聴き返している。
さくいん:尾崎翠
先週末の土曜日。まず、病院で診察を受けてから、妻と合流して武蔵小金井へ。テレビや雑誌によく出るカレー店、プーさんでレギュラーでも大盛りのカレーを食べてからバスで小金井公園へ行った。花ぐもりだったものの、満開の桜を楽しんだ。
相変わらずのたくさんの人が花見を楽しんでいる。酒の匂いまで漂ってくるよう。
この公演は30年近く前、大学院を終えて、心機一転を決意し、暮らしはじめた場所。この街で娘が生まれた。ここから私の家族は始まった。私にとって、横浜の次の第二のふるさとと呼びたい場所。
娘はここで毎日ベビーカーで外気浴をして、やがて歩く練習をした。思い出は尽きない。
カレーでおなかが一杯で、公園では何も飲み食いできなかった。
さくいん:小金井公園、HOME(家族)
娘がチケットに当選したとバスケットボールの試合に誘ってくれた。土曜日の午後、小金井公園でお花見をしたあと、立川から南武線に乗り換え、武蔵中原まで行った。
プロ・スポーツを観るのは昨年のプロ野球以来。バスケットボールは2011年にLAでNBAの試合を観て以来。
NBAに比べるとアリーナは小規模で選手の動きがよく見えた。花火や炎の演出、満腹の腹まで響く音楽、チアリーダーのダンス、フードコートにビールの売り子、そして、もちろん、大柄の選手が走りまわる白熱した試合。素晴らしいエンターテインメントだった。
ホームの川崎ブレイブサンダースは前半こそ接戦で広島に迫っていたけど、後半には続けて3ポイントを決められ大差で負けた。
音楽でもスポーツでも、"Live"を目の前で見るのは楽しい体験。先日聴いたクラシック・ギターのコンサートでも思った。ライブハウスも同じ。大きな声を出して応援し、素晴らしいパフォーマンスを観て高揚する。限られた可処分所得から、上手にエンターテインメントに支出して日常を豊かにしたい。
この日、印象に残ったのは川崎のマスコット・キャラクターのロウル。デザインも仕草も愛らしい。チーム成績は今ひとつの中、マスコットの人気投票では全体の3位につけている。その理由がわかった気がした。
さくいん:NBA、ロサンゼルス
日曜日。ようやく晴れた日に花見ができた。家の近くの通りを写真を撮りながら歩いた。
土曜日は朝から出かけて夜遅く帰宅した。グータラな私たち夫婦にしては、超アクティブな週末だった。その代わり、日曜日はいつもより遅くまで寝ていた。
開花日から雨が続き、このまま快晴の日に桜は見られないのではないかと心配していた。
地元で、週末に、満開の桜を楽しむことができて満足した。近所をひと回りして、中華料理店でタンメンを食べて帰宅した。そのあと、1時間、昼寝した。
目が覚めて、ベランダに出ると隣りの駐車場の桜も満開だった。
桜の季節が過ぎれば、新緑の季節。娘が生まれた季節。そして私の誕生日も近づいてくる。
「一番好きな季節」(荒井由実「ベルベット・イースター」)。
さくいん:荒井(松任谷)由実
「明けない夜はない」と励ます人がいる。その言葉に励まされる人もいるだろう。
でも、「このまま夜が明けないでほしい」とねがう気持ちのときもある。うつ状態が深刻なときに、私もそういう気持ちでいた。
「夜が明けないてほしい」とは「明日になってほしくない」ということ。今日の苦痛が続くなら、いっそ夜が明けないでいてほしい。そういう気持ち。
ビリー・ジョエルの初期の作品に、"Tomorrow Is Today"という歌がある。この歌は、「明日は来なければいい」という心情をうまく伝えている。
I don't care to know the hour
'Cause it's passing anyway
I don't have to see tomorrow
'Cause I saw it yesterday
明日なんて来なくていい。昨日と同じなのだから。同じ苦痛が明日も続くなら、明日なんて来なくていい。この曲が入っているアルバム"Cold Spring Harbor"(1971)には陰うつな歌詞の曲が多い。当時の彼の心境を反映しているのかもしれない。
ありがたいことに、最近では私はそんな気持ちになることはない。
でも、そんな気持ちになっていたことは、ずっと覚えている。そして、この曲を聴くたび、夜が明けないことを願った、あの暗い夜のことを思い出す。
写真は、夜の公園の桜。こんな静かな夜ならずっと続いてもかまわない。
さくいん:うつ、ビリー・ジョエル
X(旧Twitter)で、本を読むことは、「文字を通して「見知らぬわが友」に出会うこと」と説くポストを見た。
なるほどと膝を打った。縁もゆかりもない、顔も知らない人の書いた言葉に慰められたり励まされたりする。それが読書の魅力であり、醍醐味だろう。
職業作家でも研究者でもない私が、毎日何か書いて、自主制作本まで作ったのは、誰かの「見知らぬわが友」になりたいから。
読書を通じて、たくさんの「見知らぬわが友」を見つけられたことへの私なりの恩返しと言えるかもしれない。
いや、正確に言えば、友を求めているのは私の方。私が読み手を求めている。
『烏兎の庭』の表紙に書きはじめたときの思いは今も変わらない。「秋の瞳」の冒頭に八木重吉が書いた気持ちとまったく同じ。
私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。
この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、あなたの友にしてください。(改行あり)
現実に話を戻すと電子版は少しずつ読者を得ている。心血を注いで編集したPOD阪の販売実績は乏しい。さびしいのは、まだ誰からも感想を聞くことができていないこと。
本を出したことに何か意味はあったのか。まったくの独りよがりだったのだろうか。
さくいん:八木重吉
ギター練習の効用
いま、ギターの練習が楽しい。毎日、弾いている。タスクがないときは、勤務中でも弾くことがある。
座りっぱなしは身体によくないと聞いたので、立って弾けるようにストラップを買った。
装着してみると、ギターが斜めになって表面が見えている。なぜか、すぐにわかった。
おなかが出ているから。それから演奏するときにはギターが床に対して垂直になるように腹筋に力を入れて演奏するようにしている。
便利な時代になった。検索すれば、弾きたい曲のコードやタブ譜が簡単に探し出せる。
練習の効用はほかにもある。チュートリアルの動画を日本語以外に英語でも見ている。関心のあることなので、じっくり聴いてリスニングの練習になっている。先日は、英語と何語かわからない言葉のミックスで練習動画を聴いた。こんなところにも言葉の世界の旅を楽しむエクソフォニーがあった。
最近、練習しているのは、松山千春の「旅立ち」と「銀の雨」。スリーフィンガーの練習にちょうどいい。原曲の模範演奏は好きなギタリストの一人、石川鷹彦。
もう一曲、集中して練習しているのが、Christopher Cross, "Think of Laura"(1983)。中学生の頃に聴いてから、ずっと弾きたいと思っていた曲。事故で亡くなった友人を想う歌と動画の紹介文に書いてある。歌詞が心に刺さる。
Think of Laura, but laugh and don't cry
I know she'd want it that way
この曲を弾きながら歌うと、私にとってはセルフ・グリーフケアになる。
さくいん:松山千春、石川鷹彦、悲嘆(グリーフ)
首都圏以外の人に自己紹介をするときは、東京生まれで湘南育ち、高校は本牧、と言う。これを大阪のバーでやって、マスターに「似非湘南ボーイやな」とあだ名をもらった。確かにサーフィンもしないし私は「エセ」と言われても仕方ない。実際、実家があるのは湘南からは山を一つ越えた横浜市の南端。いまは金沢文庫や八景島の近くと言った方が通じるかもしれない。
私にとって「湘南」とは東は長者ヶ崎から葉山、逗子、鎌倉、七里ヶ浜を越えて西は江ノ島まで。茅ヶ崎や平塚のことはほとんど知らない。
本誌では、さまざまな人が湘南の名所やレストランを紹介している。これまで知らなかったお店の情報を仕入れることができた。
私の「Best of 湘南」も挙げておく。
長者ヶ崎は夕景の名所。富士山と江ノ島が一つの風景に入る絶景の地。父と夕日を眺めたこともいい思い出。
葉山美術館は定期的に通う美術館。どの企画展も楽しい。潮騒が聞こえて眺望もよい。
稲村ヶ崎から七里ヶ浜は高校生の頃からときおり歩いている砂浜。最近は、砂浜が著しく狭くなり、殺風景なのであまり行っていない。ここからも江ノ島と富士山が見えるので好きな風景。
ラ・ベルデはなじみのイタリア料理店。古川はカツカレーが美味しい洋食店。
次点は江ノ電、鎌倉高校前駅。すでに有名なのであえて挙げることもないだろう。
さくいん:大阪、鎌倉、逗子、葉山、江ノ電・江ノ島
先週の金曜日。実家へ帰る途中で、京急の窓から大岡川沿いの桜が見えた。まだ完全には散っていなかったので、土曜日に母を連れて出かけた。
まだ咲いている花もかなり残っていたので、南太田駅から黄金町を過ぎて日の出町駅まで、途中、一休みをしてビールも呑み、お花見散歩を楽しんだ。
満開が過ぎたという報道がされているせいか、人出は少なく、ゆっくり散歩ができた。
このあたりは私が子どもだった40年前には裏町という雰囲気で、用のない人は近づかないほうがいい場所だった。最近はアートギャラリーなどもできて明るくなった。
それから母の補聴器の点検があったので、横浜駅へ移動した。私にしては珍しいことに、チーズケーキとコーヒーで一息ついた。
実家へ帰ると、我が家の桜はすでに散っていて葉桜になっていた。
さくいん:横浜
昨日、Twitter(現X)を始めてから13年経ったという通知を受けた。
2011年4月23日に「最近、Twitterを始めた」と買いている。
最初は、自分にしかわからない文章の校正や推敲をメモ書きしていた。
13年間のあいだにTwitterを辞めたくなって、アプリを消したことが何度もある。最近は、気持ちが落ち着いていて、そういう衝動はなくなった。
13年やっていてもフォロワーは増えないし、気の利いたことも発信できない。私にとってTwitterは発信の場ではなく、情報収集のツール。本や映画、展覧会、テレビやラジオの番組などの情報を仕入れる場所になっている。
Twitterで発信して一人でも「いいね」をもらえたときには、加筆・遂行を施して、ここに転載するようにしている。Twitterは『庭』の出店のようなもの。
本店であるここも、20年以上続けていても読者は増えていない。「隠れて生きよ」を座右の銘にしているのだから、これでいい。多くは望むまい。
ただ、自主制作した著書はもう少し多くの人に読んでもらいたい。
それにしても、この13年間にはいろいろなことがあった。有頂天からどん底までさまざま経験した。コロナ禍で在宅勤務が常態化して、ようやく身辺が落ち着いてきた。
YouTubeに完全版を発見したので削除される前に通して見た。初回放映時の1979年、小学五年生だった。初回時に見たかはっきりしたいけれど、その後、何回か見直している。
何度も見ているはずなのに、通してみると、思った以上に深刻な話だった。身体障害者にとっての交通、住居、性など、さまざまな問題に光をあてている。
ドラマとしては一件落着して、ゴダイゴの主題歌とともにカタルシスを得られる。しかし、見終えたあとで、取り上げられた問題は何一つ解決していないことに気づかされる。そして、自分は何をすべきかを問われている気がしてくる。よくできている。
人に迷惑をかけることを怖れるな
鶴田浩二の台詞がこの作品のキーメッセージだろう。この言葉は最近読んだ『ケアの倫理』(岡野八代)にもつながる。
その度合いは人それぞれに違うにしても、人間は互いにケアしながら生きている。そして、いつ何時、より多くケアを必要とする側になるかもわからない。「情けは人のためならず」。ドラマの台詞を借りれば、「人から頼られることを怖れるな」。
21世紀の今、少なくともドラマ放映時の1970年代に比べれたバリアフリーは進んでいる。ほとんどの駅にはエレベーターがあるし、広いトイレも増えた。もちろん、生き辛さを抱えている人はまだ多勢いる。
それだけではない。経済格差が広がり、弱者が切り捨てられる傾向も現代社会にはある。社会的弱者が「迷惑をかけること」を恐れずに暮らせる社会には、いまだになっていない。
このドラマには、昭和時代には普通だった、性風俗店をある国の名前で呼ぶ場面がある。再放送されない理由の一つだろう。
「現在の視点では不適切な表現もあります」という但し書きをつけて放映することも無理なのだろうか。
さくいん:山田太一、鶴田浩二、斉藤とも子、ゴダイゴ、岡野八代、70年代
先だって、コンサートを聴いた山下愛陽のインタビューを読むために、図書館で専門雑誌『現代ギター』を借りてきた。
父がギタリスト、母が作曲家という家庭で生まれ育ったら音楽に触れることは自然だっただろう。とはいえ、それだけで一流の演奏家になれるわけではない。むしろ、初めから道が見えている人生はリスクも高く、苦労も多いだろう。
今号にシャコンヌの楽譜が掲載されていた。眺めながら彼女の演奏を聴いた。これが同じ人間、同じ手、同じ指なのか。激しい指遣いにあらためてこの曲の難度がわかった。彼女の弛まぬ修練も想像ができる。
私の場合、道はなかった。高校時代には、退学しようかと思うくらい落ちこぼれていた。大学卒業後、海外駐在を夢見て入社したはずの会社は、一年足らずで会社を辞め、大学院に入ったものの、その先に進学も留学もできなかった。
その後は行き当たりばったり。見つけた仕事、誘われた転職、倒産やレイオフによる強制的な退社、藁をもすがる思いでつかんだスタートアップへの転職。激務と病気と退職勧告。
最近、ようやく道が見えてきたような気がする。輝かしい道ではないけど、自分らしいと感じている。書くこと、読むこと、ギター、適度なお酒。そしてそういうことに専心できる時間の余裕。それさえあれば十分幸せな人生。
バッハを弾いてみたいので、一番にやさしそうな「メヌエット、BWV Anh 114」の練習を始めた。
Earl Klughも弾いてみたいので、そのうちナイロン弦のクラシックギターを買いたい。
さくいん:山下愛陽、バッハ、アール・クルー
2009年にiPhoneを入手してから、私の生活は急速にデジタル化が進んだ。
メール、LINE、日記鯖、YouTube、ブログ、Twitter、さらには自作のウェブサイト……。
ネットは自分の関心がある世界の情報しか得られない、「偶然の出会い」が減少した、という批判を読んだ。"Daily Me"という揶揄も聞いたことがある。
確かにそういう一面はある。でも、反対の感覚もある。Twitterを通じて知った本や美術展、催し物は数えきれない。SNSのおかげで私の暮らしはとても豊かになったと思う。
フォローする人自分で選んでいるのだから、その中から得られる情報は、確かに"Daily Me"の一部分かもしれない。書店や図書館で棚のあいだを歩きながら面白い本に出会う方がSNSよりもずっと「偶然性」は高い。
結局のところ、SNSは道具の一つでしかない。それが、"Daily Me"で終わるかどうかは、道具を使いこなすか、道具に使われるか、という違いではないだろうか。
出発点は自分の関心事だけであっても、それをどこまでも掘り下げることで世界は広がっていく。広がらないようなら、まだ掘り下げが足りない。そうしてたどり着く深く広い世界を丸山圭三郎は「知のマグマ」と呼んでいた。
さくいん:Apple、丸山圭三郎
会社支給のポロシャツ
気温が上がってきて、早くも夏日のような日もある。ラグビージャージやネルシャツを着る季節から、ポロシャツやTシャツの季節に変わっていく。
誕生日が5月なので、毎年5月にポロシャツやTシャツを買い足す。今年は買う予定はない。
ビリー・ジョエルの東京ドーム公演のときにTシャツを買ったし、会社からもポロシャツが支給されたから。
会社そのものは100年以上の歴史があるが、私が所属する事業部は新規事業で今年が10年目。その記念に、所属社員にポロシャツが配られた。
表はコーポレートカラーの青地の胸に白いロゴ。左肩に"10th Anniversary"と刺繍がしてある。在宅勤務なのでロゴありでも問題ない。平日の勤務日の着る。
何度も転職したので、それぞれの会社のTシャツやポロシャツが残っている。一番古いのは2001年に支給されたシャツ。パジャマに格下げになったものもあるけれど、平日、部屋着としてまだ活躍しているシャツもある。
ポロシャツとTシャツを合わせると、たぶん20枚くらい持っている。今年の夏はこれで乗り越えられるだろう。
誕生日には自分から自分へ美味しいお酒を贈ろうと思う。
理数系科目は赤点ギリギリなくらい苦手だったのに、「科学」という言葉に興味はある。「科学」という言葉に弱い、と言った方が正確か。苦手だから余計そうなのかもしれない。
本書を開いてもわからないことの方が多かった。原子とか遺伝子とか言われても基本的な知識に欠けているから図解で示されたところで理解が深まるわけではない。
それでも、地球の気候変動を表したグラフだけはわかった。明らかに、この100年間で平均気温が上昇している。この傾向が止まらずに推移したらどうなるか。想像するだけで怖い。
その一方で、人類が滅亡するのならば、それはそれで仕方ないという風にも思う。
恐竜も類人猿も、古代文明も永遠には続かなかった。産業革命以後の発展した現代文明も永遠に続くとは限らない。
投げやりになるつもりはない。ただ、現代人の世界が未来永劫続いていくことを自明とは思わないだけ。
だからこそ、持続させるためには自覚的な努力がいる。何も手を打たなければ、いまでは地下深く眠っている古代文明と同じ道を歩むほかないだろう。
土曜日の朝、つつじを見に神代植物公園へ出かけた。つつじは満開でちょうど見頃。人も多かった。ほかにも牡丹や藤も咲いていた。
新緑も美しく、快い森林浴ができた。
平日、家にこもっているので、週末にはこういう時間が必要。
気楽に植物園に来られるのは障害者手帳のおかげ。いろいろあったけど、これでよかった。木漏れ日の下でそう思った。
さくいん:神代植物公園
土曜日の神代植物公園。大温室でも長い時間を過ごした。ラン室とベゴニア室を見てから熱帯スイレン室へ。
ここへ来て、水の上に咲いているスイレンを眺めているととても心が落ち着く。まさに心のオアシス。
左上からムラサキシキブ、スター・オブ・サイアム、ムーン・ビーム、マイアミ・ローズ。
植物園のあとはいつもの深大寺そば、多聞へ。多聞の隣りにある水生植物園も覗いてみたけれど、菖蒲にはまだ早かった。
ビールを呑み、冷やしたぬき中盛りと野菜かき揚げを食べ、食後にわらび餅もいただいた。ちょっと贅沢なそば屋のフルコース。
せっかく植物園を歩きまわったのに、運動が帳消しになるような食べ方をしてしまった。反省して、帰りは家まで歩いた。歩数は2万歩を越えていた。
毎日とまではいかなくても、せめて週末は1万5千歩以上は歩いたほうがいいだろう。
さくいん:神代植物公園
楽天マガジンで拾い読み。おなかポッコリと内臓脂肪(脂肪肝)は一番に心配していることなので興味を持って読んだ。
以下、本書が提案する7つの習慣。表紙にも書いてある。
- 1. とにかく坐骨で座る
- 2. 肩甲骨を立てて寄せる
- 3. "そのまま食材"を食べる
- 4. 食事時間をカウントする(ゆっくり食べる)
- 5. 1日10分間しゃがむ
- 6. グッと力んでから寝る
- 7. 休日は必ず予定を入れる
とくに出来ていないのがゆっくり食事をすること。誰と食事をしても、いつも最初に終えてしまう。習慣になってしまっているのでなかなか矯正できない。
糖質制限と良質なタンパク質の補給はできている。ランチは納豆とゆでたまご。おやつはミックスナッツ。ジュースや缶コーヒーは長いこと飲んでいない。それでも痩せない。
平日、在宅勤務で終日外へ出ない日もあるので、休日はなるべく出かけている。植物園、美術館、カラオケ、海辺。これもできている方だろう。
足踏み20分にヨガと筋トレを合わせて40分くらい、毎日している。それでも、トータルの運動量がまだまだ足りないのだろう。今年の健康診断までに、もう少し減量したい。
『自死遺族であるということ』(Kindle版)を刊行して1年が経った。
これまでの販売数は14冊。Kindle Unlimitedでの購読ページは約20冊分。合わせて34冊程度、読まれたことになる。
多い数字ではないけれど、読者を得られたことはうれしい。Amazonのページには星は2個ついているけど、感想は投稿されていない。読者がどう感じたか、わからないことが残念。
去年の今頃は自由な時間のほとんどを編集と校正に費やしていた。昨秋、紙の本を制作してから2冊目にとりかかってはみたものの、あの頃にような熱量で作業はできず、編集は滞っている。
本を作ったことはよかったと思っている。心の整理がだいぶついた。
悲しみを言葉にすること。そして、それを形にすること。その作業はグリーフケアに大いに役立った。
さくいん:自死遺族、悲しみ(悲嘆)
全10話は長く感じなかった。この先もずっと彼らの仕事を見ていたかった。それくらい、よかった。
原作もよかった。映画もよかった。今さらドラマ?という不安は幸いにも裏切られた。
言葉をめぐるドラマは、涙あり、笑いあり、そして喜びがあった。「なんて」ではじまり「なんて」で終わる構成も見事だった。
ほかには新元号「令和」やパンデミックを織り込むなど、リアルタイムな設定も功を奏していたように思う。
私は言葉で考え、そして言葉で表現する。それが特別であることを文章を書くようになって知った。世の中には、音楽で考えたり、絵画や彫刻で考える人もいる。表現の道具も人それぞれ。私は言葉を思索と表現の道具としているので、このドラマは心に響いた。言葉で伝える難しさや喜びを存分に感じられるドラマだった。
言葉は、距離も時も越えて、死者とも、これから生まれくる命ともつながることができる
最終回。松本先生(柴田恭兵)の言葉に強く心を揺さぶられた。
その一方で、職業で敗北と挫折をした者としては、「うまくいく」職業ドラマは見ていて、うらやましさと辛さが混じり合い、複雑な気持ちにもなる。仲間にも上司にも、やりがいのある仕事にも、私は恵まれなかった。会社の瑕疵を私個人のミスに押し付けられたことさえあった。倒産、整理解雇、退職勧告。仕事にいい思い出はあまりない。
やりがいを見つけてどんどん仕事にのめり込んでいく主人公の姿には羨望しかない。
この録画は残しておく。言葉に不安を感じたときに薬を服用するように見返すだろう。
最後に一言。映画『君の膵臓をたべたい』でガム君を演じていた矢本悠馬が、感じのいい脇役を演じていてうれしくなった。
さくいん:三浦しをん、NHK(テレビ)、労働(職業)、『君の膵臓をたべたい』
朝、妻が出勤してからはずっと一人。電話会議が週に一度あっても業務の相談だけで雑談はない。一日、一人でパソコンに向き合って時間が過ぎていく。
同僚との雑談もないし、帰りに一杯引っかけることもない。そんな暮らしを虚しいと思うこともないわけではない。でも、大半の時間は一人で充足した時間を過ごしている。
正社員の人たちにはベースアップがあるらしい。物価が上がった分くらい、昇給を交渉してみようか。そう思ってみたけれど止めた。
以前、派遣社員が雇い止めになって二人分の仕事を半年間したことがあった。そのとき、上司が「ボーナスで報いる」と言ってくれたけど、結果は、月給の1%が1回多くなっただけだった。交渉したところで、よくてそんなものだろう。
昇給と引き換えに業務や出社回数を増やされる方がいまは嫌。向こうが業務負担を増やしてきたら昇給を要求することにする。いまは黙っている。
こういうことは今までに何度も書いてきた。何度も何度も考える。
でも、戻るところは同じ。このままでいい。
さくいん:労働
ふとつぶやいた引用ポストに予想外の注目が集まり驚いている。
バズるというには程遠いけど、私のタイムラインとしては非常に珍しい。
朝、起きたら20万以上のインプレッション。数字はさらに増えて、最終的には38万以上のインプレッション、3,900以上のいいね、1,200以上のリポストとなった。プロフィールへのアクセスもたくさんある。
さて、どうするか。宣伝するには絶好の機会。
これを機会に著書の紹介をしようか。そう考えてから思いとどまった。
多くの人に見てもらいたい本ではない。
いまでも、匿名であっても、まだ秘密にしておきたい出来事だから。
考えた末に、書名は出さず、著書へのリンクだけをプロフィール欄に追記した。
「秘密にしておきたい」と書いたけど、それは正確ではない。
正しくは、「あえて積極的に公開するほどのことではない」と言うべきだろう。
中井久夫は、トラウマが治癒すると事件は退屈なエピソードになると書いていた。(「トラウマとその治療経験——外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』)
姉がいたことは私にとって重要なことだけれど、彼女がどんな亡くなり方をしたかはもはや重要なことではない。彼女が生きていた事実のほうがずっと重要なこと。
これまで20年余り、気の向くままに書いてきた文章を一冊の本にまとめたおかげでそれに気づいた。ようやく、そういう境地に立てた、と言った方がいいかもしれない。
さくいん:中井久夫、秘密、自死遺族
久しぶりの診察&ハンバーガー。病院では最近不安に思っていることをこぼした。
S先生は「季節の変わり目は気持ちが動揺しやすいから、あまりネガティブになりすぎないように」と諭してくれた。
昼は四谷に出て未開拓のハンバーガー店、Cruz Burgersへ行ってみた。
セットからポテトを抜けるのがうれしい。代わりに頼んだオニオンリングが大きい。カリカリでおいしかった。
おすすめのベーコンチーズバーガーを頼んでみた。ベーコンの塩味で全体にコクが出ている感じ。バンズがやわらかい。いつもの通り、おいしい以上の感想はない。
手帳で半額になるので、四ツ谷駅前から銀座四丁目まで都営バスに乗った。バスは麹町、半蔵門、桜田門、日比谷を通った。思ったよりもずっと早く着いた。こんなことなら、イグナチオ教会やサンパウロ書店をゆっくり見ておけばよかった。
銀座ではいつものコース。百貨店を一回りしてから教文堂で一休み。店内を一周。気になる本をすぐには買わず、ブクログに登録。あとで図書館にあるかカーリルで調べる。
『旧約聖書がわかる本 』(並木浩一・奥泉光)がまだ読み途中なので、キリスト教関連本を読むのはそちらを読み終えてから。
銀座三越の休憩所から和光の時計と四丁目交差点がよく見えた。銀座にブランドを再出発させて開店したOld Englandを覗いてから、約束の場所へ向かった。
さくいん:S先生、東京、都営交通
大河ドラマをより楽しく味わうための副読本。『源氏物語の時代』は前に読んだ『私が源氏物語を書いたわけ』と同じ著者。図書館で借りた。『歴史ハンドブック』の方はドラマの公式副読本。こちらは購入して読んだ。
本書は『書いたわけ』や『紫式部の実像』と異なり、一条天皇を中心にして話を進める。それぞれ視点や人物への重点の置き方が違っていて面白い。本書では、紫式部は彰子に仕える女房のうちの一人で、『源氏物語』も当時としてはサブカルチャーの扱いだったという立場をとる。
藤原時代の摂政関白は独裁ではなく合議制だったことや、一条天皇が積極的に政治に取り組んだことなど、新しく知ったことも多い。定子への思いの深さも本書は強調している。
いずれの本も、紫式部と藤原道長のあいだに何らかの接点があったことを指摘している。『源氏物語』を書き上げて彰子から一条天皇へ献上されたことや、内裏の様子を詳細に記録した「紫式部日記」を書いたことに道長の後ろ盾があったことに異論はなさそう。
とすれば、ドラマが描いている二人のあいだのただならぬ関係も、荒唐無稽な想像の飛躍とも言えないのかもしれない。少なくとも視聴者に「そうだったかもしれない」と想像力をかきたてるドラマの展開は十分に面白い。
天皇という立場は実に大変な難しい。政治権力の中核でもあり、文化の庇護者でもあり、宗教的な象徴でもあり、世継ぎを産ませる責任があり、プライバシーはほとんどないような暮らしを送っている。相当な重圧のかかる立場であることは間違いない。中国王朝の皇帝についても同じことが言える。
とくに一条天皇は政治力があり、知的で文芸にも秀でていた。『源氏物語』や『枕草子』が彼の時代に生まれたことには当然の理由があった。これまで平安時代の貴族社会はドラマになりにくかったと『歴史ハンドブック』は指摘している。いやいや、登場人物の個性も時代の動静も、とても劇的であることが何冊かの本を読んでわかってきた。
ドラマの先行きが俄然、楽しみになってきた。
さくいん:『源氏物語』、紫式部