5月のアクセス解析
全体のアクセスは多くなかった。変わらないランキングの顔ぶれのなかで、当月の箱庭(ブログ)が入っているのはうれしい。私の文章は「シュヴァルの理想宮」と同じように自己満足だけが目的。いつもそう言ってはいるけれども、たとえわずかでも定期的に訪れてくれている人がいることは、励みにならないと言えば嘘になる。
圏外すぐに「1979年に見ていたテレビ番組」が入っている。同じような内容で、「テレビ三昧 - 1979と1980の10月」という文章を2017年に書いている。1979年に注目が集まっているのは、『黄金の6年 1978-1983 ~素晴らしきエンタメ青春時代』(指南役)の影響かもしれない。
『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(上原正三)にもアクセスがあったのは、テレビドラマ『ふたりのウルトラマン』のおかげだろう。
アクセスは少なくても、ふだん読まれていない文章が読まれることは素直にうれしい。
さくいん:フェルナン・シュヴァル、70年代、ウルトラマン、金城哲夫、上原正三
農耕具から身近な文房具、果ては携帯電話まで、人間が発明してきたさまざまな道具を、その最初期の形から最新型まで図版で紹介する。2018年発行なので、情報が新しいのもありがたい。iPhoneやWiiも取り上げられている。
大判で写真も大きい。解説のほか各ページのコラムにはトリビアも満載で、クイズ番組の問題を作るスタッフが読んでいそう。
今は便利な時代。図鑑で見つけた最新型の道具や乗り物をインターネットで検索すれば、すぐに詳しい情報が得られ、動画を見ることもできる。
おかげで、最速の電動バイク、Lightning LS21Bやマッハ7で飛行するX43Aなどは動画で細かく確認することができた。もちろん、そのWWWの発明についても本書はページを割いて詳しく紹介いる。
本書は数々の発明者も紹介している。エジソンやベルなどの有名人は割愛されていて、一般にはあまり知られていないニコラ・テスラや張衡などが紹介されている。
とにかく写真と図版と情報が豊富。
こういう図鑑は、一日中、読んでいても飽きない。図鑑は楽しい。
ブクログ:図鑑
スタイルは細部に宿る
Twitterである映画の評判を読んで、行く気をなくした。どうも私には我慢できない場面があるらしい。
一つの言葉、一つの場面のせいで、小説や映画作品全体が台無しになってしまう。そういうことはあり得る。
例えば、私の場合、「私の父、母」と言うべきところを「お父さん、お母さん」と言っているインタビュー記事を読むと、残りのすべて読みたくなくなってしまう。私が細かすぎるのだろうか。
先日見た映画『ドライブ・マイ・カー』で、どうしても好きになれない場面がかなり最初にあり、見るのを止めたくなるほどだったけれど、なんとか最後まで観ることができた。作品全体には好印象を持ったものの、その場面には引っかかりが残っている。
「神は細部に宿る」という言葉がある。文学、映像、音楽。どんな作品においても細部は重要。一つの要素で全体を壊してしまったり、好感度を落としてしまうことがある。
だからこそ、一貫したスタイル(文章であれば文体)が作品には求められる。
上手くできているか、自信はないけれど、『庭』において、私は一貫したスタイルを通しているつもり。
さくいん:スタイル
書名の通り、100冊の名著を紹介する。あらすじだけでなく、著者の生涯も簡潔にまとめている。
子どもの頃は図鑑ばかり見ていて物語は好きではなかった。だから紹介されている本には知らない本の方が多い。
絵本はたくさん読み聞かせてもらった。それが物語の本へつながらなかったのは、むしろ不自然。小学生の頃、図書館で借りていたのは、もっぱら、野球の記録とルール、世界の七不思議やクイズの本ばかり。小説を読むようになったのは中学生になってから。
どうして子どもの頃、物語の本を読まなかったのだろう。その傾向は今も続いていて、小説よりはエッセイを好んで読む。
本書に取り上げられている100冊のなかで、読んだことがある本は、わずかに15冊。強く印象に残っている作品は3冊。『げんきなマドレーヌ』(ルドウィッヒ・ベーメルマンス)、『おちゃのじかんにきたトラ』(ジュディス・カー)、それから『きょうはみんなでくまがりだ』(マイケル・ローゼン)。いずれも大人になってから、子どもに読み聞かせるために手に取った作品。
読み聞かせてもらった絵本で掲載されていたのは、『ちいさいうさこちゃん』(ディック・ブルーナ)、『くまのパディントン』(マイケル・ボンド)。本書にはないけど、『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン)と『ひとまねこざる』シリーズ(H・A・レイ)もよく読んでもらった。
読んでいて気づいたことが二つある。
一つは、優れた絵本や児童書には、作者の子ども時代がよく反映されているということ。それは幸福な記憶ばかりではない。戦争や家庭の不遇などもそのまま、あるいは裏返されて幸福なものとして投影されていることが少なくない。私たちは子ども時代の自分を切り離して大人になることはできない。
もう一つは、これだけ、数えきれないほど名作があるということは、どの本を読み聞かせするか、一人で読みはじめる本としてすすめるか、ということが、家庭の文化において重要な柱になっているだろうということ。
たくさんの名作絵本を読み聞かせてもらった私の子ども時代はとても幸せだった。
蛇足。
私も以前、「読み継ぎたい絵本10選」と題して選んだことがある。
さくいん:エッセイ、ルドウィッヒ・ベーメルマンス、バージニア・リー・バートン、H・A・レイ、HOME(家庭)
先週の土曜日、劇場で観た。どんな性格の人物にもなりきる怪優、松坂桃李を観たかったから。
期待どおり松坂桃李の演技は素晴らしかった。神経質で陰のある、誰にも言えない秘密を抱えた青年を、まるで生まれてからずっとそうだったかのような雰囲気をかもしだしていた。
広瀬すずも、負けず劣らず、他人には理解できない感情を抱えた人物を演じきっていた。『海街diary』のときの「かわいいすずちゃん」ではもうなかった。
劇場で観るとやはり迫力がある。とりわけ本作では演者のアップが多かった。視線や唇の動きまでよく見えた。それが主人公たちの「異形」をより際立たせていた。全体に緊張感のある映像だった。
もう一つ、気づいたことは、時系列が頻繁に往復すること。これは、主人公二人が、常に過去を振り返りながら注意深く世間を生き抜いてきたことを暗示しているように感じた。
設定は突拍子もないものだった。私はいつもの癖で、自分の関心に引き寄せて観ていた。「秘密」を抱えた人間は世間でどう生きていくのか、という視点で本作を観た。
他人に語ることのできない秘密を抱えている人は、同じように秘密を抱えた人のあいだでしか生きることができないのだろうか?
それとも、秘密を共有できる人と出会えたことを望外の幸せと考えるべきだろうか?
私は秘密を秘密として、つまり誰にも明かさずに生きてきた。だから、流浪することなく暮らしてこられた。だから、文と更紗の秘密を持つ苦しさはわかるつもり。だけど、秘密が露見した苦しみは想像するしかない。終幕を見るかぎり、それは私が想像できる以上に辛く苦しいものだろう。
更紗の秘密は二重。誘拐犯罪の被害者という公にされてしまっている秘密と、文への思慕という誰にも伝えていない秘密。文の場合、その秘密は物語の最後まで、更紗にさえ明かされなかった。それが本作の鍵でもある。
誰でもが秘密を抱えているわけではない。本作は、秘密を抱えて生きている人にはグサリと刺さる作品だろう。自分の場合はどうなのか。そう考えないわけにはいかない。
さくいん:松坂桃李、広瀬すず、『海街diary』、秘密
映画における性表現について
最近観た2本の映画作品、『ドライブ・マイ・カー』と『流浪の月』。いずれにも性行為の描写が、それもかなりしつこくあった。私は馴染めず、違和感が残った。ネットでも違和感を唱えるコメントは少なくない。
そういうことになると思わせる場面と、そんなことがあったと想像される場面が続けば、それで十分ではないだろうか。
そういう場面が見たい人は、そういう場面が豊富な作品を見ればいい。世の中にはいくらでもある。「一般的」な作品として映画を観ている人に対して、性行為の場面を魅せるのは、破壊的な暴力の場面を見せる以上に苦痛を与えるのではないか。
暴力に過剰に反応してしまう私は、できればDVや学校での暴力の場面は見たくない。
同じように、性行為の場面を見たくない人、それがあるだけで、作品全体に対して興味を失ってしまう人も少なくないのではないだろうか。
それが作品の重要な要素になっているからこそ、そういう場面がある、ということは頭ではわかっているつもり。でも、作品鑑賞への集中力や作品への愛着が薄れてしまうことも正直な気持ち。
問題は、作品よりも自分の性に対する考え方にあるのだろうか。
映画とはそういうもの、と言われれば、そういう作品はもう見ない、と返すしかない。
大桟橋、横浜市中区
久しぶりに大桟橋へ行った。天気はあいにくの曇り空だったけれど、ベイブリッジはよく見えた。山下公園で氷川丸に乗り、大桟橋で飛鳥Ⅱを見た。日本郵船の新旧旗艦を見られて満足した。飛鳥Ⅱにはまた乗りたい。次の航海を想像しながら写真を撮った。
カフェで、ベイブリッジを眺めながら横浜ペールエールを呑み、しばし休憩。大桟橋へ来てみると、横浜は"My Hometown"と思い返す。「どんなに離れていても」、私が育った街。
夕方、大桟橋そばにある北欧料理店で旧い友人と待ち合わせた。ここへ来るのは二度目。前回頼まなかった、いわゆるバイキングの元になった北欧料理のスモーガスボードを食べた。
これが想像以上に美味しかった。いろいろな料理を少しずつ食べられるので楽しい。とりわけ前菜が素晴らしい。サーモン、ニシン、エスカルゴ、デンマーク・キャビアなど、どれもとても美味しかった。メインディッシュには、ローストビーフ、ミートボールにカツ、海老。
友人は私と違い、活動的な人なので、ウインドサーフィンやスノーボードの話を聴いた。
横浜の、駅から離れたレストランは、東京の店に比べるとかなり割安。
6月らしい空の下、素敵な日曜日を過ごした。
さくいん:横浜、飛鳥Ⅱ
疎外感
ある日の夕方、事業部長から部員全体に電話会議の招集があった。
話は事業部長の下の部長、私から見れば2階級上にあたる人の異動の内示だった。
離任する人も昇格する人もうれしそうにあいさつをしている。
疎外感たっぷりのミーテイングだった。
内部化している、つまり職場に溶け込んでいる人たちは会話を楽しんでいる。
同僚でも名前しか知らない私に人事異動はまったくの他人事。
惜しくもないし、楽しくもない。何の感情もない。
加えて今度、仕事が生きがいのような苦手なタイプの人が上司の上司になった。先行きが少し心配。
ここでは私は壁のシミのような存在。ときどき目に入っても、それ以上注意深く見る人はいない。やはり、ここには居場所はない。
かといってほかに行き場もない。置かれた場所で枯れていくしかないか。
さくいん:労働
暴力事件を起こした教員に対して、「いい先生だった」「熱心だった」から罪を軽くするよう嘆願することがしばしばある。
私が通っていた中学校でも、暴力教員は熱心と評価されていた。それは「熱血であることが優秀」という思い込み、というよりも、洗脳が広がっていたせい。
暴力を用いず、言葉は少なくても、態度で指導するような教員は「熱心」と認められていなかった。それどころか「情熱」が足りないと思われていた節もある。
いま、思えば、物静かでも本業である授業に熱心な教員もいた。
そういう教員たちの方がよほど「情熱」にあふれ「熱心」な教育者だった。
何かというと暴言を吐き、暴力に訴えた「熱血」教員たち。あの人たちはいったいどんな心理で他人の子に暴力を振るっていたのだろう。学校の外では犯罪とみなされる行為を、どのように自分のなかで正当化していたのだろう。
学校全体に暴力を容認する雰囲気があったことは間違いない。洗脳とはそういうこと。
疑いを持つ人はほとんどいなかったし、疑問に思っても、声に出すことを憚られる空気があった。私自身も、苦痛に感じながらも、疑問に思わず、異常な空気に順応していた。
こういうことをツィートしてもほとんど反応がない。学校での暴力を体験した人はごく一部なのだろうか。そうならば、暴力を体験せずに学校生活を終えた人がとてもうらやましい。
追記。
後になってみると、本文の元になったツィートには、思いがけず多くの反応があった。
教員の暴力に関心を持っている人は意外に多いことがわかった。
さくいん:体罰
傑作とかねがね噂を聞いていたミステリー作品。ようやく読んだ。
「犯人見え見え」とタカを括って読んでいたら、最後に作者の術中に見事に落ちた。
ミステリを好んで読む方ではない。なので、偶然、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』を読んでから本書を手に取ったのは幸運だった。
クリスティの作品は古典なので、辻褄を合わせた、いわゆるツッコミどころも少なくない。本作はクリスティと同じ「孤島に集まった人たち」という設定に真っ向から挑戦し、先達の不備を埋めて、さらにオリジナリティがある。傑作を超えた傑作。
衝撃の一行はもちろんのこと、エピローグの締めくくりもいい。深い余韻を残している。
発表は1987年。『ノルウェイの森』や『サラダ記念日』と同じ頃。こんな凄い本なのに、当時、話題になっていた記憶はない。自分のアンテナの感度の悪さを恨む。
さくいん:アガサ・クリスティ、村上春樹
膵臓忌
今日は山内桜良の命日(『君の膵臓をたべたい』実写映画版の設定による)。
久しぶりに本編を見直した。久しぶりに、と言っても、先月も見ている。
初めてこの作品を見たとき、強い衝撃を受けた。それは桜良に突然訪れた死が、私の姉に突然訪れた死を思い出させたからだろう。あとから、そう気づいた。
私の姉も、不治の病ではないものの、死んでしまうかもしれない病にかかっていた。それは自己崩壊に至るかもしれない心の病だった。
いつか死んでしまうのではないか。私は密かに恐れていた。それなのに、春樹のように、「死なないよね」「僕は君を心配してるんだよ」と伝えることはできなかった。
幼くて、臆病で、そして愚かだった。
姉が遺した「共病文庫」は私の手元にある。父が亡くなった夜、洋服ダンスで見つけた。見つけたときは、繰り返して読んだ。最近では、もう読むことはない。
桜良がこっそり残したような秘密のメッセージを私は探していた。でも、そういうことは、何も書いていなかった。何かを書き残すような心の余裕はなかったかもしれない。姉自身も、あんなに突然、終わりが来るとは思ってもいなかっただろう。
昨年、グリーフ・ケアのカウンセリングを受けた。カウンセラーと時間をかけて話しているうちに気づいた。私は、姉からのメッセージを求めて生きてきたということを。そして、私が生きてきた軌跡そのものが、姉の思いをたどる道のりだったことを。
若くして、そして自らの意に反して、この世界から去らなければならなかった二人を思い、杯を献げた。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、自死遺族、グリーフ(悲嘆)
漢珍亭のこと
漢珍亭は荻窪駅そばにあったラーメン屋。商業ビルの2階にあり、カウンターだけの小さな店だった。夫婦二人で切り盛りしていたこの店は、2013年の春、突然に閉店した。
私は学生時代からこの店に通い、子どもが生まれてからは家族でよく訪れた。
ラーメンと餃子はもちろん、レバニラ炒めや五目タンメンも美味しかった。
10年近く前に閉店した店の名前を、突然、テレビで聞いた。『マツコの知らない世界』のラーメン店の味玉の回。味玉の魅力を語る出演者が「味玉の最初は荻窪にあった漢珍亭」と説明していて驚いた。確かに、味玉も美味しかった。持ち帰っている客もいた。
ラーメンはおばさんが担当していて、おじさんの方は餃子と料理の担当だった。おじさんは無口な人で滅多におしゃべりをしなかった。昼過ぎの客が途絶えた頃に行くと黙々と餃子を包んでいた。
その無口なおじさんが、向こうから話しかけてきたことがあった。店に来る前に、小学校低学年だった息子とバッティングセンターへ行った。まだ身体が小さく、一番遅いボールでもなかなかバットに当たらなかった。息子はひどくしょんぼりしていた。
漢珍亭についても、息子はうつむいて黙っていた。するとおじさんが口を開いた。
兄ちゃん、何がそんなに悲しいんだい?
私が理由を説明すると、さらに続けた。
クヨクヨするなよ、人生、長いんだから
そう話すと、また黙って厨房の仕事に戻った。
息子が気を取り直したのかはよく覚えていない。とにかく、ふだんは無口なおじさんが、向こうから話しかけていたのでとても驚いたことを覚えている。息子はよほどがっかりした顔をしていたのだろう。
この話は家族のあいだで、繰り返して話題になる、漢珍亭の美味しい思い出とともに。
おじさんとおばさんはどうしているだろう。元気でいることを願っている。
写真はテレビの画面を撮影したもの。
さくいん:HOME(家族)
月一診察日
先週の土曜日、月一回の診察を受けた。
毎年、この季節は落ち込むことが多い。今年もそう。雨が降って終日家で過ごしていると、つい気持ちは内向きになる。2014年の6月はとくにひどかった。
何でこんなことになっちゃったのかな
答えのない問いがぐるぐる頭の中で回り出す。そうして内巻きの螺旋階段をゴロゴロと転げ落ちていく。これがいつもの6月。
今年も、低空飛行であることは例年と同じ。少し違うのは、そういう自分を客観的に見ることができていること。
先週、人事から社員全員にボーナス支給のメールが配信された。契約社員の私は正社員の1/4しかボーナスがない。わかってはいても、正社員向けのボーナス支給のメールなど見たくなかった。気持ちもやる気も大いに低下した。
数年前の私であれば、そのまま気を落として酒びたりになるか、寝込んでいるか、どちらかだった。今年は、低空飛行のまま、何とか巡航している。
自分の気持ちを理解して、制御できるのは大きな進歩
S先生からはそう褒められた。このままの調子で梅雨を乗りきれそうな気がする。
さくいん:S医院、うつ
先週末、病院で診察を受けたあと、久しぶりに東洋文庫ミュージアムへ行った。企画展は「日本語の歴史」。万葉仮名から常用漢字まで、さまざまな日本語表現が展示されていた。日本語は他の言語と共通点が少ないため、まだそのルーツは明らかになっていないという。
日本語は便利で自由な言語と思っている。縦書きでも横書きでも書ける。ほかの言語の音もカタカナでかなり原語に近く表現できる。横書きにすれば、他言語の単語を混在させて表記することもできる。
縦書きは美しい。できればこのサイトの文章も縦書きで表記したいのだけど、うまくできないので横書きで我慢している。以前、縦書きで自費出版も考えていたけど、その夢は冷めてしまった。電子書籍の発行も、今のところ計画していない。
展示を見てから、小岩井農場が経営するレストランでオムライスを食べた。トロトロの卵が美味しかった。
写真はモリソン書庫、「男もすといふ日記ものを」("すなる”ではない)と書かれた『土佐日記』の冒頭、小岩井農場のレストランのオムライス、「知恵の小径」にあるペルシアの諺「知は力なり」。
モリソン書庫の前に久しぶりに立って、厳かな気持ちになった。いつ来ても、ここはいい。小さな聖堂に来たような気持ちになる。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
六義園のあじさい
東洋文庫ミュージアムを見たあと、すぐそばにある六義園まで歩いた。
先月来たときは、まだあじさいは咲きはじめたばかりだった。今回は満開。紫や青や白に加えて、桃色の額あじさいもきれいに咲いていた。
枝の隅々まで手入れの行き届いた松もきれいだった。
雨は降らなかった。6月らしい薄曇りの一日。それはそれでよかった。
いつもは週末に行くライブハウス。珍しく火曜日に行った。というのも、特別なイベントがあったから。1979年のヒット曲だけを歌うというイベント。
1979年。私は小学五年生だった。木曜日には『ザ・ベストテン』を見て、土曜の午後にはFM東京で宮川泰が司会する『コーセー歌謡ベストテン』、日曜の朝にはロイ・ジェームスが案内する『不二家歌謡ベストテン』を欠かさず聴いていた。要するに歌謡曲三昧の暮らしを送っていた。
私だけがそういう暮らしを送っていたわけではないだろう。歌番組が全盛の時代だった。そういう意味ではテレビ三昧、ラジオ三昧の時期でもあった。
イベントでは、沢田研二やサザンオールスターズのマネージャーを務めた人や『ザ・ベストテン』のディレクターをしていた人から当時の貴重な「ここだけの話」が聞けた。
肝心のライブのセットリストは以下の通り。
- カサブランカ・ダンディ、沢田研二
- 真夜中のドア、松原みき
- 君の朝、岸田智
- セプテンバー、竹内まりや
- 銀河鉄道999、ゴダイゴ
- チャンピオン、アリス
- 異邦人、久保田早紀
- いとしのエリー、サザンオールスターズ
- セクシャルバイオレットNo.1、桑名博
- Dancing Queen, ABBA
数は多くなかってけれど、「真夜中のドア」と「異邦人」が聴けたので満足した。
「異邦人」は「深夜放送メドレー」で部分的には何度も聴いたことがある。全編を聴いたのは初めて。亡くなったリーダーの上田司さんがおもちゃのシンバルを鳴らしていた姿を思い出した。
1979年がどれほど大きな意味を私のなかで持っているか。さくいんの項目の数を見れば、よくわかる。
さくいん:ケネディハウス銀座、70年代、『ザ・ベストテン』、沢田研二、松原みき、竹内まりや、『銀河鉄道999』、ゴダイゴ、久保田早紀、サザンオールスターズ、ABBA
博覧強記の海野弘が一日一作品、366枚の風景画を紹介する。図書館で借りてきた。
366の作品が掲載された画集というのは聞いたことがない。実際、本はとても厚い。
知らない画家の作品も多い。奇抜な画風の作品はなく、穏やかで色鮮やかな作品が多い。眺めているだけで寛いだ気分になれる。
このシリーズはほかにも『物語のある絵画』と『絵画でめぐるファッション史』がある。
こういう本は手元に置いて、夜寝る前に一日1ページずつ読み進めたい。
買いたい。どうするか。安くはないので、迷っている。
さくいん:海野弘
昨日、約2ヶ月ぶりに出社した。
ひどく辛い時間だった。
頭が痛い。皆から指を刺されているようで苦しい。
場違いなところにいるような気もする。
うつ病だから精神障害者と認定されたのか、それとも精神障害者という自己認識が気分を憂鬱にしているのか、ときどきわからなくなる。
精神病患者にとっては心を病んだことが新しい秘密になるという土井健郎の指摘は正しい。
不登校の人の心理はこんな感じだろうか。
どうしても自分のいるべき場所に思えない。
体調がすぐれないことにして3時に退社した。フレックスタイム制だから早退することには問題ない。
実際、頭がおかしくなりそうだった。
いまは在宅勤務制度のおかげでかなり助かっている。
さくいん:労働、うつ、土井健郎
金曜日の深夜、実家で安いワインを飲みながら見た。あまり期待していなかったところ、思っていた以上によかった。
原作はとてもよかった。群像劇でもあり、友情の物語でもあり、ロマンスの香りもあり、盛りだくさんの内容だった。それだけに、映像化は難しいだろうと思っていた。
10人の個性を描き出すことに無理に手間と時間をかけず、代わりに予選会や本選の映像に力を入れている。その結果、映画にしかできない臨場感あふれる見どころが数多くあった。
一対一の信頼がおける友人はいるけれど、仲間という間柄の友人はいない。だから、こういう作品を見ると、単純にとてもうらやましくなる。
さくいん:三浦しをん
眠れぬ夜
昨夜はよく眠れなかった。蒸し暑かったせいだろう。
いつものように10時前には横になったのに、目を閉じてもいっこうに眠りに落ちない。
読みはじめると眠くなる『旧約聖書』を読んでも眠くならない。冷たい水を飲んでもだめ。
目を閉じると余計なことばかり頭に浮かぶ。
間違いが多い人生だった。
思い通りにいかないことが多い
なぜ、あのとき、あの選択をしてしまったのだろう。
後悔ばかりが心をよぎる。そんなことばかり考えたのは桜桃忌だったせいだろうか。
どうやら0時過ぎに眠りはじめたらしい。
修士課程で論文を書き直す奇妙な夢を見た。どうして今さら大学院なんだろう。
『国際関係理論における平和概念の基礎』という題名だけは、朝起きても覚えていた。
さくいん:太宰治
平和の概念について
日曜日の夜、浅い眠りのなかで見ていた夢を思い出してみる。
平和の定義はむずかしい。一方では軍事的緊張があっても紛争自体がなければ平和という考え方もある。もう一方では、戦争がないだけではなく、個々人が「平和に暮らす」ことができる、すなわち平和的生存圏が実現されて初めて平和といえるという考え方もある。
国際関係や国際政治の理論では、軍事的緊張や紛争の有無をもって平和を議論することが多い。世界的な経済格差の是正を含むという見方もあるが、巨視的であることに違いない。
学部生の頃、そういう上から見下ろしたような国際政治の理論に違和感があった。もっと個人が「平和に暮らす」権利として、個人を出発点として平和を議論できないか、と考えた。
当時読んでいた本の一冊に『アイデンティティの国際政治学』(馬場伸也)があった。共感するところがあった。ただ、当時専攻していた政治思想史とどう絡めることができるのか、目処は立たなかった。
今は学問からは遠く離れてしまった。最近では、書店へ行っても政治学や思想史の棚の前で立ち止まることもほとんどない。図書館でも学術書を借りることは滅多にない。先日、最近出版されたルソー関係の本を何冊か借りてきたけれど、読んでもまるで理解できなかった。
なぜ、急に昨夜、ずっと昔に考えていたことが夢に現れたのか。不思議でならない。
さくいん:ジャン=ジャック・ルソー
No.2であること - 北条義時について
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ている。毎週、誰かが亡くなるので気が重い。
源頼朝に仕える北条義時は、頼朝が次々と指示する無理難題や汚れ仕事を苦渋にに満ちた表情で、それでも何とかこなしていく。No.2とは、かくも過酷な立場なのか、と思いながら見ている。
もちろん、リーダーである頼朝も重い決断を迫られ、周囲からは恐れられ、孤独な立場ではある。ただ、No.2には自分の意志に反したことでも実行しなければならない困難がある。
私自身は、リーダーになる器ではなく、せいぜいNo.2の立場にいることが多かったので、義時の辛さに共感する。
今から思うと、何人かのリーダーに仕えたけど、すぐれたNo.2ではなかった。常に期待を裏切っていた。その上、No.2の立場をわきまえず、差し出がましいことばかりしていた。
では、義時のように「とにかく従う」という姿勢でいればよかったのか。そうだったかもしれないとしても、やはり、それはできなかった。
従えないことには"No"と言っていたし、間違っていると思う姿勢には苦言を呈することも厭わなかった。意図してそうしていたというよりは、そうせずにはいられなかった。そこに、私がNo.2になりきれなかった大きな要因がある。
いまの不遇は自業自得とも言えるし、「自分がありたい自分」を貫いた結果とみることもできる。できれば後者であってほしい。そういう風に自分を慰めてみる。
さくいん:NHK(テレビ)
昨日の昼休み、雨が止んでいたので、自転車で近くの図書館へ行った。
借りていた本を返して、予約していた本を受け取った。予約していた本は2冊。久米あつみ『森有正再読 ことばと思索』と千葉俊二著『作家たちの17歳』。
『ことばと思索』はしばらく前に銀座へ行ったとき、教文館のキリスト教関連本の売場で見つけた。発行は2012年。森有正関連の本はいつも気をつけて見ているのに、10年間も気づかずにいた。
『作家たちの17歳』は新聞広告で気になっていた一冊。残りの2冊、『日本の最も美しい町』と『人間じゃない』は図書館のなかを歩いていて見つけた本。綾辻行人は『十角館の殺人』で知った作家。短編集を見つけた。
まず、『ことばと思索』から読みはじめた。書名の通り、森有正の文章を丁寧に読み解いている。これから読み進めることが楽しみ。
図書館で借りてきても、全部を読み終えるとは限らない。気分で借りてきて、気が進まず、読まずに返すことも少なくない。とくに最近は根気がなくて読書が続かない。
とりあえず、出かけたことと本を借りてきたことの記録として書いておく。
さくいん:森有正、銀座
昔のままの、主に江戸時代の街並みが残る場所を紹介する写真集&ガイドブック。
こうした街並みを目的に旅をしたことがないので、ほとんどが行ったことのない場所。
行ったことがあるのは、川越、鞆の浦、倉敷、山手(横浜)、南山手(長崎)、竹富島。川越へ行ったのは中学生の頃。山手は高校生の頃、下校途中にときどき立ち寄った。長崎は大学一年生。通訳ボランティアでインドの赤十字職員に同行した。竹富島へ行ったのは大学四年生の卒業旅行。
どの町も若い頃に行ったので、記憶は薄い。最近は、旅に出ることもあまりないし、旅に出ても、宿で寛ぐだけのことが多く、積極的に街歩きはしていない。
行ってみたいところ。『夜明け前』の舞台である妻籠宿、伊能忠敬が生まれた佐原、西田幾多郎や森山啓も歩いたであろう金沢の古い街角。
写真を見ていると、どの町も魅力的に行ってみたくなる。退職したら、こんな町巡りをしてみたい。そのためには、まず先立つものが必要。
結局、そこへ戻る。投資はまったくうまく行っていない。あまりにも含み損が多く、当分、元に戻ることもなさそうなので、最近は株価を確認する気も失った。
老後に旅三昧など、夢のまた夢かもしれない。頭が痛い。
さくいん:横浜、長崎、沖縄(石垣島)、島崎藤村、伊能忠敬、西田幾多郎、森山啓
今週はまったくダメだった。仕事にも身が入らず、読書も続かず、5日間、ずっとだらけていた。これがうつの症状なのだろうか。思いつくことは後ろ向きのことばかり。さまざまな出版やイベントなどの情報が多すぎて、Twitterにも疲れてしまい、あまり見なかなった。
堕落した気持ちを切り替えると言い訳をして、毎晩、酒を呑んだ。これもダメだった理由。ダメになるなら、とことんダメになってやろうという呪詛も自分に言い聞かせた。そんな自暴自棄の一週間だった。
トドメを刺したのは、ふだんならば週末にしか呑まないハードリカー、ジンに手を出したこと。木曜の晩にロックで2杯呑んだ。そこまで落ちてしまったら、もう依存症も近い。気をつけなければいけない。これは危険な兆候。
気分が下向きなのは、空気が湿っぽい梅雨のせいだろうか。ため息が重い。
会社で偉い人の人事異動があり、歓送会に誘われたけど行かなかった。昇給もボーナスもない私は、ほかの人たちと"身分"が違う。会合に参加したところで卑屈な気持ちになるだけ。誘われただけでもとても苦しい気持ちになった。気を使うのも嫌だし、使われるのも辛い。
もう一つ、気分を害した出来事を書いておく。
会社で職場環境について従業員アンケートがあった。結果をもとに部門ごとに今後、どう改善するかを話し合うミーティングが開かれた。
その会議で、部門トップの人は、どういうわけか、最初に私にコメントを求めてきた。モチベーションがないことが明らかな私に、「職場環境を改善するために」、どんなコメントを期待していたのか。嫌がらせにも感じて、このときも、とても卑屈な気持ちになった。
毎晩、早く寝ている。寝つけなかった日曜日のあとは、毎晩、よく眠れている。
週末に何か気分転換して、来週はもう少しまともな暮らしをしなければならない。そうは言っても、気分転換する方法は酒と睡眠しかいまはない。
これではいけない。何か手を打たなければ。
さくいん:うつ、ジン
京都について
一週間遅れて『ブラタモリ』、鴨川編を見た。貴船から賀茂川沿いに下り、最後は鴨川の川床にたどり着いた。
京都の夏、なつかしい。
父が大阪に単身赴任していたので、小学生の高学年から高校生まで、休みのたびに父の家を拠点に大阪、奈良、京都、神戸などを見てまわった。高校三年生の夏は、父が実家に戻っていたので、初めて一人旅をした。そのとき宿にしたのは京都、丸太町だった。
その後、京都に憧れて京都の会社に入社したのに配属先は東京になった。それに失望したというわけではないけれど、その会社はすぐに辞めてしまった。
2009年の春、整理解雇されたあとで転がり込んだ転職先で、偶然にも、京都に本社のある企業の営業担当になり6年、ほぼ毎週、開発部門のある本社と購買部門のある工場を訪ねた。ときには米国本社の社長に随行して、ときには日本支社の社長のお供で、そして、たいていは一人だった。
朝は新横浜のオフィスに出社。シリコンバレーにある本社との連絡を終えて新幹線に乗る。京都駅でランチ。午後に客先で数件、打ち合わせ。夕方の新幹線で帰京。そのパターンが一番多かった。本社からの訪問者と一緒のときは泊まりがけ。社長を桜の咲く二条城に案内したこともあった。
もうしばらく京都には行ってない。しばらく前に万城目学のエッセイで京都のことを読んでとても懐かしい気持ちになった。
番組では、川床を作るために、鴨川の外側に「みそそぎ川」という用水路を作ったと解説していた。
鴨川沿いの川床にも何度も行った。本社からの訪問者を連れていくことが多かった。
最後の仕事では辛い思い出が多いけれど、出張先の宿や食事には楽しい思い出もある。
先斗町の川床、また行きたい。
さくいん:京都、『ブラタモリ』、NHK(テレビ)、大阪、奈良、神戸、万城目学
週末に近所の劇場で見た。前作を忘れていたので、Amazon Primeで見直して復習しておいた。前作を劇場で見た記憶はないが、内容は覚えていた。テレビで見たのだろう。
前作を見ていなくても楽しめるようにも作られていたけれど、前作を見ておいた方がより楽しめる作品だった。
空中戦が「カッコよく」見えるのは、機械対機械の戦いだからだろう。機械が壊されれば、勝負あり。操縦士は脱出して生還することができる。少なくとも本作ではそのように作られている。人が亡くなるのは戦闘のあいだではなく、訓練のあいだ。
陸上の戦闘ではそうはいかない。正規兵はもちろん、民兵から一般人まで巻き込んで人間対人間の血みどろの肉弾戦になってしまうから。
本作では、航空母艦も戦闘機も「カッコよく」、そして空中戦は「美しく」描かれている。
この作品を見て、海軍の航空隊を目指す人は、実際にアメリカにいるのだろうか。そんな余計なことも考えた。
設定は荒唐無稽で、むしろ、SFか、ファンタジーの作品のように思えたから。課せられた任務はほとんどあり得ない設定で、『ミッション・インポッシブル』のスピンオフのよう。
トム・クルーズの魅力を全開で全放出した作品だった。精悍な顔つき。逞しい肉体。毅然とした態度。そして憂いをたたえた悲しみの表情。顔のアップが多く、まさにトム・クルーズのための作品と言える。
本作を通じて、多くの人が彼に惹きつけられる理由がよくわかった。アメリカ文化における理想の男性像なのかもしれない。
家に帰って筋トレを始めたくなる作品だった。
さくいん:アメリカ合衆国
American Movie, Hamburger, and Navy
アメリカ映画を観たあとでアメリカン・ハンバーガーを食べた。ここは、1月に来て以来。
店は本来パンケーキの店。周りの人はいろいろなトッピングのパンケーキを食べている。パンケーキ屋に、なぜハンバーガーがあるのかはわからない。片手間といった感じではなく、本格的なホームメイドのハンバーガーが出てくる。
外は梅雨が明けたと思うくらいの猛暑。家に向かって歩き出したら汗が噴き出してきた。
真っ直ぐ帰ると途中で倒れそうなので、図書館に立ち寄った。
映画の続きのつもりで『世界の艦船』を手に取る。7月号の特集は、「アメリカ海軍の新型軍艦」、8月号は、「世界の空母2022」。世界各国は、日本も含め空母の増強をしている。現在、ウクライナでは地上戦が主に起きている。東アジアで緊張が高まれば、空母対空母、艦載機対艦載機の大規模な戦闘になりかねない。『トップガン』の世界はファンタジーどころか現実味を帯びている。少し怖い想像をした。
図書館で十分涼んだつもりが、帰り道でも暑くてクラクラしてきた。帰宅してから、氷水を飲んで昼寝をした。
筋トレ
映画『トップガン マーヴェリック』の感想に「家に帰って筋トレを始めたくなる作品」と書いた。前作ではビーチバレー、今回はアメフトで、兵士たちの逞しい肉体を惜しげなく披露していた。もちろん還暦間近のトム・クルーズも。
しばらく前にテレビで、90歳になる大村崑を見た。86歳ではじめた筋トレのおかげで病気知らずの健康体を手に入れ、しっかりした足取りで階段を登っていた。
映画やテレビ番組を見る前から筋トレはしている。在宅勤務で座っていることに飽きたら、鉄アレイを持ち上げたり、ゴムチューブを伸ばしたりしている。プランクという姿勢で腹筋も鍛えている。残念ながらまだ目に見える効果は出ていない。
Twitterで、「気分が落ち込んだときは筋トレ」というようなツィートを時おり見かける。確かに、集中して筋トレをすると気分転換にはなる。
本当は、ウォーキングなど有酸素運動もした方がいいのだろう。ここのところ出不精で、週末は何か用事を作って出かけていても、平日は、退勤後も自室で過ごすことが多い。
何をするわけでもない。音楽も聴かない。本も読まない。スマホも見ない。ベッドでゴロゴロしている。何となく冴えない気分が続いている。梅雨のせいもある。これもうつの症状かもしれない。
梅雨も明けたし、気分もじきに上向いてくるはず。
もっと外の空気を吸った方がいいだろう。7月の課題。
さくいん:うつ
悔やまれること
心の病気で失職という形で終わった営業職時代。悔やまれることが一つある。
得意先に対して大きな納期遅延を起こしたときのこと。原因は、会社の在庫管理システムにあった。ところが、アジア太平洋の営業担当副社長はこう言い放った。
会社のシステムが原因というと他のビジネスにも影響が出る。
ここは、担当営業個人の責任ということにする。
私は呆気にとられて返す言葉がなかった。そのまま黙って事態を受け入れてしまった。でもあのとき、即座に反論すべきだった。そうでな時ければ、会社の不正を通報する第三者組織に連絡するべきだった。
当時、すでに激務をこなしていて、冷静な判断ができるような状態ではなかった。
この一件は、その後、同じ業界で別の会社に転職したときにまで引きずった。迷惑をかけた会社をまた担当することになり、挨拶に行った。打ち合わせの部屋へ来たのは迷惑をかけた購買担当者その人だった。
あなたには二度と会いたくなかった
それが第一声だった。それはそうだろう。会社からは、私一人のミスと説明されていたのだから。私の方では、会社対会社の関係だから、まさかそこまで個人に恨みを持たれているとは思っていなかった。甘かった。
結局、この会社とはいい関係を築けないまま、別の人が入社してきて担当替えとなった。
不本意な転属や転勤、いわゆる左遷と呼ばれる、思いもよらない不運に会社員は襲われることがある。それでも、したたかに生き延びる人もいる。
私にはそういう強さはなかった。最後の会社に転職した2009年3月の時点で、すでに心は病んでいた。6年間は長くもった方と今になれば思う。
それにしても、上級幹部の身勝手な暴挙をまともに受けてしまったことは悔やまれる。
あのとき、毅然とした態度をとっていれば⋯⋯。眠れない夜にはいつも思い返す。
さくいん:労働