70年代後半から80年代前半は時代の転換期と思っている。前に読んだ『1979年の奇跡』では、1979年にピンポイントで焦点を当ててそれを言い当てていた。
本書は、1978年から1983年の6年間に、主にエンターテインメント界で起きたさまざまな出来事を軽妙な文体のコラムでつづる。読みやすい文体とはいえ、分析は鋭い。
黄金の6年間をリアルタイムに生きていた私は、コラムの一つ一つにうなづくことばかり。
本書にとりあげられた30を越える作品や出来事のなかで、私の中でも大きな出来事だったものを挙げておく。
- 『ザ・ベストテン』
- 映画『銀河鉄道999』とゴダイゴ
- 『A Long Vacation』と松本隆と大滝詠一
- 松田聖子
- タモリ
- 映画『時をかける少女』と原田知世
黒柳徹子も松本隆も松田聖子も、今でも現役で大活躍している。40年以上、エンタメ界の最前線にいるのは本当にすごいことと思う。
なつかしく思い出すこの6年間。エンタメ業界はどのように変化し、隆盛していったのか、子どもの目には見えなかった仕組みやからくりを本書は解きほぐしてくれる。人と人、番組と番組、業界と業界、思いがけない、さまざまなつながりが黄金の6年間を作った。著者はそのつながりの妙を「クロスオーバー」と呼んでいる。
黄金の6年間には、広告とエンタメ界のクロスオーバーが大きな鍵となっている。本書は、何度もそれを指摘している。広告とエンタメ界のクロスオーバーは著者も言うように、いまの言葉でマーケティングと言い換えてもいいだろう。
クロスオーバーは化学反応と言い換えることもできる。つながりのなかった広告とエンタメ界が融合して新たな文化が生まれた。それが黄金の6年間。
やがて、その手法はマーケティングとして確立されていく。そうなると、今度はクロスオーバーが野暮な、見えすいた策略と映るようにになってくる。90年代に入ると、そういう見えすいた策略を徹底的に暴くコラムニストとしてナンシー関が登場する。
そして、かつて黄金の6年間には輝いていたのに、いまでは賢者のふりをした似非知識人として良識ある人からは眉をひそめて見られている人もいる。
余談。
60年代から70年代にかけては、いわゆる教養文化とサブカルチャーのあいだにクロスオーバーがあった。人形劇の脚本やアニソンの歌詞を書いていた井上ひさしが直木賞を受賞し、現代詩人の谷川俊太郎がアニメソングの作詞をしていた。
個人的なことを少し書いておく。
1978年に小学四年生、1983年に中学三年生で、同時代に思春期を生きていた私にとって、この6年間は貴重な時間だった。
この6年のあいだに、私には、初恋があり、失恋があり、家族の一人を失う、大きな喪失があった。
エンタメ界のきらめきとは裏腹に学校生活は暗かった。
だからこの6年間は、私にとって、きらめきと同時に、苦しみと悲しみの時代でもあった。
読みながら疑問に思ったことがある。
この6年間は確かにエンタメ界では黄金期だった。その一方で、最近読んだ『日本の体罰』よれば、70年代後半から80年代前半は凄惨な校内暴力と対抗する教員による暴力(体罰)の時代だった。
学校が、もはや明るい青春ドラマのような世界でなかったことは、本書でも『3年B組金八先生』を通じて語られている。私自身を振り返ってみても、楽しかった小学校時代とは大きく異なり、中学校時代には辛い思い出が多い。
この陰と陽のコントラストは何だろう。黄金の6年間は輝いていただけではない。
校内での生徒と教員のあいだの抗争ばかりではない。いじめ、ひきこもり、若者の自死、格差、障害者への差別とバリアフリーなど、現代まで継続していて、いっそう深刻化している社会問題が顕在化しつつある時代でもあった。
巨視的にみても、世界は冷戦の真っ只中。ベトナム戦争は終わっていたものの、カンボジアでは独裁と虐殺があり、政情は不安定な時代だった。
この光と影はどこから生まれているのか。どんな仕組みで、世界は明るさと暗さを両有していたのか。私には論じる知識も筆力もない。
ただ、あの時代を思い出すとき、華やかさと同時に、言い知れない不気味さが胸にせり上がってくるのは、私個人の体験のせいだけではないと思う。
さくいん:70年代。80年代。『ザ・ベストテン』、『銀河鉄道999』、ゴダイゴ、松本隆、大滝詠一、松田聖子、タモリ、原田知世、ナンシー関、初恋、自死、悲しみ、体罰