書店で見かけてずっと気になっていた森有正論。住んでいる街の図書館が購入しないので、隣町から取り寄せてもらった。
著者は精神分析を軸にした心理療法を行なってきた臨床心理家。
本書が有益であるのは、まず伝記的な情報を網羅していること。高田博厚と椎名其二との関係、彼らから受けた影響は、森自身も多くは語らずにいて、これまでよく知らなかったことだったので興味深く読んだ。そしてもう一点、臨床心理家として森の性格を詳しく分析して、森有正という多面的な人物の「人ととなり」を鮮明に浮き彫りにしていること。
著者は森の性格を三つの層——「駄洒落の層」「社交的関係の層」「内閉的集中の層」——に分ける。そして、それぞれの層がどのように表出しているかを分析し、森有正の矛盾に満ちた生活と性格を解き明かす。この件りは非常に説得力がある。
また、全集でもすべて明かされていない森有正の複雑多岐な女性関係について、母性思慕を起点に分析している点も納得するところが多い。
そして、本書で最も興味深いところは、著者が臨床心理家として問いかけ、その答えになる言葉を森有正の文章から引き出して、まさに「対話を試みる」「第六章 森の音楽修行と私の心理療法の訓練」だろう。
森の経験の起点は何か。以前読んだ、『森有正におけるキリスト教的人間形成論 - 人間の在り方と信仰』で、著者の広岡義之は、アブラハムも聴いた「未知の声」による「促し」を起点とした。これは非常に説得力のある主張だった。
鑪は森の思想の根幹を「もの」と見る。
オルガンの修行を積み、楽譜通りに演奏できるようになったとき、そこで初めて、演奏者の個性が生まれる。未熟な演奏で聴こえるミスタッチやテンポの狂いは個性ではない。弛まぬ技術の鍛錬により無意識の内に技術が吸収されていくことを「経験の"もの"」と著者は捉えている。まさに「ものになる」「ものにする」とはそういう技能が無意識下に置かれることを指している。楽器だけでなく、スポーツや舞踊でも同じ。
ここで、西田幾多郎が『善の研究』で取り上げたジョットの真円を思い出したことは見当はずれではないだろう。
臨床心理家も、カウンセリングの手法に弛まぬ訓練を積む。クライエントの心から本人が気づいていない言葉を引き出し、本人に気づかせ、語らせ、本来の自己に気づかせる。その修行に終わりはない。
森は主動的経験にたどりついた。森はこれから長い年月をかけて、この主動的な経験を積み重ね、その中から森の哲学的な思考を構築していくだろう。私のような心理臨床家も、長い年月をかけて、これまでの人生経験と性格に組み込まれた重要な他者の影響過程を明らかにし、日常生活での「偽りの自己」を生む転移の力を最小にし、「自分」という主動的な経験が生まれてくるように活動しているのである。
オルガン修行から森の思索を掘り下げ、「もの」を起点に「経験」を「主動的自己」という概念に置き換える視点は新鮮で、これもまた説得力がある。
森も繰り返して述べているように、思想を考えるためには、それを的確に「操作」できる明確に定義された「概念」が必要になる。
ところで「もの」には、もう一つの意味がある。「有名な」教会、何某が賛美した建築、名高い芸術家が作った彫像。これらは観光名所と同じで見るだけでは何も生み出さない。「もの」そのものではない。
あらゆる修辞が落ち、目の前にある建築なり作品なりが、それ自体として美を放つとき、初めて美の「経験」ができる。「目から鱗が落ちる」と言うし、森は「偶像からつきものが剥がれ落ちる」と表現してもいる。偶像崇拝は「経験」の対極に位置する。
森有正は「本物のヨーロッパ文化」に触れてしまい「横のものを縦にする」だけでは満足できず、「ヨーロッパをヨーロッパとして」受け入れようと努めた。この解釈は一般的に受け入れられているだろう。ちくま学芸文庫版『エッセー集成』の裏表紙には、次のようにより詳しく、凝縮して言い換えられた一文が添えられている。
近代日本の宿命、西欧との交わりのなかで、その思想・文化の単なる知的理解ではなく、自己の内面から西欧を血肉化し、それに対応した日本認識を自らの命題とし、日々の生活を通して西欧という現実に食い入りながら思想経験にまで高めた森有正。
同じ内容を本書では次のように書いている。
日本から出かけて西欧的な「自己」として受け止めた。しかし、「もの」でなく、言葉、つまり考え、思考の内容を輸入することは難しい。西欧的な精神世界を「自己」の経験として受けとめるとと、内的には深い日本的思考との亀裂や葛藤を体験せざるをえない。その人たちは運命的に悲劇的な生活を選択せざるをえない。明治から今日まで、かなりの人がこの内的な亀裂で苦しんだ。
(第二章 森有正がパリに留まる契機について)
ここで一つ、疑問が生まれる。森有正は役職と家族を捨ててパリに留まり、思索を深め、経験という思想に到達した。「思想」に至るにはそこまでしなければならないのだろうか。パリに永住することができない一読者にとって、森の「経験」は学ぶことのできない遠いものなのだろうか。そうではないだろう。思想は壁に飾った絵画ではない。
言葉を換えれば、西欧に体当たりした森有正の「経験」に、もしくは「経験」"から"学ぶためには、その思想を自分の境遇に合ったものに再解釈しなければならない。
その点、本書は著者自身の経験に則して森有正論を展開しており、その姿勢は評価したい。
自然科学は先人から学ぶことができても、思想は学ぶことはできない、自ら経験を深めていくしかない、森有正は繰り返しそう言っている。
だから森有正について語り、森有正論を書くためには、自らの経験が思想の高みに届いていなければならないし、森有正についていくら語っても、自らの思想を持ち得なければそれは森有正論になり得ない。
森有正の思想について語る者はこの逆説を避けるわけにはいかない。私はまだその城門の前に立ち尽くしている。
本書は、森有正の人と思想を俯瞰したとは言えるとしても、その全貌を明らかにしたとはやはり言い難い。臨床心理家からの「対話の試み」は面白い切り口ではあるものの、思想の全体を明らかにしたとは言えない。
本書に欠けていて、森有正の思想を理解するうえで重要と思われる点が二つある。
一点めは死生観。母親の死については本書も触れている。加えて森の死生観に大きな影響を与えているのは父と長女の死。早すぎる父の死は十代の森に家長の重責を課した。戦争中に疎開先で幼くして亡くなった長女に対しては薬を届けることができなかったという自責の念を森に与えた。
この自責の念の反動がパリに引き取った次女への溺愛かもしれない。
森は父の死について、次のように述懐している。
いま、ふり返って考えてみると、私の中にあるすべてのものは、すでにその昔にみな私の中にあったようである。ただそこには、父が死んだあと、私を“見る目”(原文傍点)が欠如していたように思われる。だからそれは時の流れとなり、なつかしさになるのであろう。父がずっと生きていたら、それはなつかしさ、というようなものではありえなかったような気がするし、また父の死を私が生れる時まで押しやって、幼少年時代全体になつかしさを流れさせているような気もするのである。そしてそれは相当に強い私の生きる姿勢であったように思われる。ある意味で、成人してからの私の生活というのは、この消え失せた父の目が少しずつ再現し始め、生きるということが単なる時の流れではなくなる過程であったように思われるのである。(中略)つまり父の死は、私の中における経験の“自覚”(原文傍点)を少なくとも十五年おくらせたのである。私において、自分の経験の起源を問題にするならば、それはフランスへ渡ったことではなく、父の死をめぐる私の姿勢の中に求められなければならない、と思うのである。
(「遥かなノートルダム」『森有正エッセー集成3』)
また、長女の死については次のように書いている。
こうして歩いて行けば、少しは去っていった娘と近くなるのだろうか。しかし立ち止まれば、いつまでたっても、娘のところに行くことはできない。だから僕はどうしても歩きつづけなければならない。
(1967年4月20日、「流れのほとりにて」『エッセー集成 1』
死人を呼びかえすことができなければ、自分が死の中へ入って行くほかないだろう。どうしてこんな簡単な心理が判らなかったのだろう。
(1967年4月21日、「流れのほとりにて」『エッセー集成 1』)
これらの死に関する言葉の真意を解き明かさなければ、森有正の思想の全貌は見えない。
森有正の思想を考える上でもう一点、重要な点は、カトリックとの葛藤。
キリスト教徒でもなく、神学を学んだわけでもない私には考察することもできないので、問題の提起だけしておきたい。
森の父はプロテスタントの牧師だった。だから彼はプロテスタントで幼児洗礼を受けた。ところが、彼は小学校からカトリック系の暁星に通い、そこで多くの神父に学んだ。
パリに移り住んでからも彼はカルヴァン派の教会に所属した。その一方で、彼はノートル・ダムをはじめとしてカトリックの文化にも親しんだ。ルオーについても多くを書いているし、日記では「夢の中で僕はカトリックに改宗していた」とまで書いている(1965年3月17日、『エッセー集成 3』)
カトリックが多数のフランスに住み、カトリックの文化に日々触れていたことは「日本と西欧」と同じくらい激しい葛藤となり、彼の中で渦巻いていたのではないだろうか。
すでに書いたようにキリスト教徒でもなく、神学の素養もない私には、その葛藤の深さや意味を読み解くことはできない。ただ、プロテスタントとカトリックとの間で苦悩を抱えていたことは日記に記述からも想定できる。
参考までにプロテスタントとカトリックの間で葛藤した一人として吉田満の一文を引用しておく。真剣に信仰と向き合っている人には簡単には済ませられない問題であることがわかる。
そして私の危機もここにある。私はこのように信ずる――ということ以外に信仰の姿はない。このように信ずることも出来、またあのように信ずることもできるーーこれは断じて信仰ではない。私は文字通り暗きにさ迷うている。カトリシズムの堅固な克己と努力の信仰もすて難い。プロテスタンティズムの真摯な捨て身な信仰も本物だと思う。いかなる相違も表裏として見れば一体に過ぎない。例えば形式とか戒律とかいうが、真の信仰があれば人は形式には堕さない。逆に信仰がなければ自由な発意もマンネリズムに陥る。形式は情意に逆らうことも甚だしい。そして常に空言化の危険を伴う。しかしもしそこに信仰が保たれればそれは弱い人間性にとって恰好の器であるかも知れぬーーだが、このような観察は断じて信仰の立場ではない。(「底深きもの」『吉田満全集 下巻』)
森有正に出会い衝撃を受け、貪るように読んだ時期から15年以上が経つ。著者は50年近く森有正を読んでいるという。どんなに読み込んでも読みとることができず、語っても語り切ることができない。
森有正にとって音楽が思索の源泉だった。私にとっては森有正こそ「荒野で水を湧かせる」思索の源泉であり続けるだろう。それは私一人だけではなく、森有正の言葉に触れる多くの人にとって真実と思われる。