シリーズ1をまとめて見た。少女漫画が原作とあったので青春恋愛物語と思って見たら少し違っていた。
厳しい死別体験から心を閉ざしてしまった少年の心を、思いを寄せる少女をはじめとする仲間が開いていく物語。青春も恋愛も実はスパイスであり、主題は悲嘆の意味づけだった。その点、同じ原作者でも、青春と恋愛を直球で攻める『思い、思われ、ふり、ふられ』とは違う色合いの作品だった。
主人公、双葉の描き方がいい。迷ったり、悩んだり、素直に謝ったり、一途に思いを深めたり。青春時代らしく純粋な、でも複雑な感情が上手に表現されていた。
「自分を変えよう」と思い立ち、自分が好きになれる自分を作るセルフ・プロデュースするところも好感が持てる。
意地悪な登場人物がいないのもよかった。とかく、この手の作品では、主人公を邪魔する悪役がいて、わかりやすい対立の構図をとる。同じ男の子を好きになってしまった時、親友にきちんと気持ちを伝えるというところも潔く、気持ちがいい。正々堂々勝負する恋愛ストーリーは初めて見たかもしれない。
こんな高校生活だったら楽しかっただろう。そう思わせる登場人物と展開だった。こんな高校時代を送った人にはとても懐かしく感じられるだろう。
要するに、いい子ばかりの作品ではある。それは現実離れしているかもしれないけれど、私はそれでいい。主人公が何度も窮地に立たされるドラマの方が辛くて見ていられない。
いい子たちが、ひたむきに、青春を謳歌する。
最近は、安心して見られる、そういう順風満帆な物語を好む。
私の高校生活は、この物語とは正反対だった。友人は少なく学校はサボりがちで、勉強も部活もテキトーだった。
洸には、共感するところがあった。私も高校時代、とりわけ勉強に対して投げやりになっていた時期があったから。
高校一年の最初のテストでクラスで上位になった。そのとき疑問が湧いた。
このままでは、中学時代と同じように、ガリ勉、点取り、体制側の人間(教員の駒)になってしまうのではないか
もう一つ。洸と同じように、厳しい死別体験をしていながら、それに対するケアも受けず、その意味づけもできていなかった。何となくモヤモヤした気持ちに支配されていた。長々と日記を書いたり、詩のような駄文を書いていたりしていたのはそのせい。
すべてを打ち明けられる友人もなく、悶々とした日々と過ごしていた。
そんな心境から私は勉強をやめた。学校もサボるようになった。成績はみるみる下がり、二年生の前期には、クラスの最下位グループにまで落ちていた。
この成績で過去に現役合格した生徒はいない
面談でそう言われて一念発起した。といってもセンター試験も受けなければならない国立はあきらめて、英・国・社の三科目だけで勝負できる私立大学に的を絞り、二年生の秋からは受験勉強に没頭した。その間、交友関係はほぼすべて切った。高校三年のクラスでは、ほとんど友人はできなかった。
その甲斐あって、何とか現役で大学に入学することはできた。
高校時代、洸のように誰かに扉を開けてもらう機会はなかった。むしろ自分からカミングアウトをして空回りすることが多かった。そこで途中から悲嘆は封じて高校生活を終えた。
高校生活だけではない。その後もずっと悲嘆にはふたをしたまま生きていた。自分の悲嘆に目を向けるようになったのは、『庭』をはじめた2002年、34歳の時だった。
しかも、その後も悲嘆ときちんと向き合うことはできず、今もまだできていない。
その意味では、友人に恵まれた洸をうらやましく思う。