8月に亡くなった精神科医の中井久夫の仕事をめぐる論考が『現代思想』の特集になった。医学の素養があるわけではないけれど、彼の著作は何冊か読んできた。精神医学への興味というよりは、精神障害の当事者として読んできたように思う。
当事者として、精神医学や心理学の専門家の本を読むようになった。本書に寄稿している人たちにも、これまでに著作を読んだ人が少なくない。宮地尚子、村沢和多里、斎藤環、東畑開人、小泉義之、北中淳子、最相葉月。多くの読書が中井久夫を起点にしていて、また、読み終えてからまた中井久夫に帰っていく。当事者として読む私には、中井久夫の著作は精神医学世界を照らす灯台だった。
今回の特集号では、上記の、これまでに読んだことのある人の文章を中心に読んだ。人となりを回想する談話から中井の言葉を深く探究する論考まで、内容はさまざま。どれも興味深い文章で、非常に読み応えのある特集だった。白状してしまうと、「食わず嫌い」ならぬ「読まず嫌い」で読まなかった文章もある。
寄稿者が口を揃えて語るのは、中井久夫という人はどこまでも臨床医だったということ。思索も著述も翻訳も、治療という医療現場での実践のためにある。中井の言葉は「思想」と言ってもいいほど深さと広さを持ってはいても、初めに体系的な思想があって、そこから引き出されるのではなく、日々の治療の現場から生まれている。これも多くの人が指摘している。反体系、反権威という言葉も、多くの人が使っている。斎藤環の「エッセイ的」という表現は体系を目指さず実践的、という点を言い得て妙に感じた。
「体系を目指さず、実践的で、反権威主義」。中井が鶴見俊輔と意気投合したのは、ここに共通点があったからだろう。
門外漢の私が、斎藤環の言葉を借りれば「中井ファン」の一人になったのは、彼の言葉が実践的で、精神障害の当事者を励ます助言だから。かかりつけのS先生の言葉と共鳴する所も多いので、そこにも親近感がある。
私は、S先生も「中井ファン」ではないかと密かに考えている。前に「中井久夫を読む」という斎藤環の講演会に行くと伝えたら(講演会が月曜日の夜だったから行っても大丈夫かと尋ねた)、「それは僕が行きたいくらいだ」と返されたことがあるから。例えば、S医院では先生自身が扉をあけて患者を招く。これが普通ではないことは中井の著作で知った。
専門的に学んだわけではないし、多くの精神科医に診てもらったわけでもない。偶然にも身近な精神科医の姿勢が中井のそれと重なるところが多い。だから、中井の臨床哲学が過去にも現在でも、「精神医学においては異質なもの」(村澤和多里)という言葉には不思議な感じがする。それが当たり前と思っているから。
多くの論考が、中井の「寛解過程論」に言及している。私なりに拡大解釈すると、中井の考えでは、病気は「異常」なのではなく、社会や文化のなかでストレスを受けたときの過剰な反応ということになる。これは、私の勝手な解釈かもしれない。ただ、このように理解することは、精神疾患の当事者としては非常にありがたい。「異常」ではなく「正常な反応」が過剰なだけ。だからその症状を和らげていけば、社会復帰も可能になる。そういう励ましの言葉に聞こえる。
もっとも、精神疾患から寛解しても、ストレス過剰な現代社会への復帰は容易でないことを中井は指摘している。
このことと関係して重要なのは、現代が要求する人間の「性能」の厳しさのために、かなりのパーセントの人間が意義のある仕事に参加できなくなりつつあることである。たとえば、精神病の治療は今日非常に進歩し、多くの精神病が事実上治るようになった。しかし問題なのは、現代社会のさまざまな非人間的な側面にも耐えられるようにまで「治ら」ねばならないことである。社会復帰は、社会の方の壁が高くなってゆくために、ますます困難となりつつある。
(「現代社会に生きること」『関与と観察』、みすず書房、2005)
こうした鋭い視点の社会批評も、中井の文章に惹かれる理由の一つ。この一節は、障害者枠の非正規雇用で働いている私にとってずっと慰めになっている。
回復していないわけではない。現実社会の方がストレス過多で復帰を難しくさせている。
中井の言葉は患者に寄り添う。「当事者視点」(北中淳子)という言葉にも頷ける。
中井久夫の思想について、村澤和多里は「特定の精神障害のみを治療するためのものではなく、現代の私たちの息苦しさを乗り越えていく視座を与えてくれるもの」と述べている。
私が罹患しているのはうつ病で統合失調症ではない。しかも、中井自身はうつ病の治療は苦手と述懐していたという。それでも、例えば、「寛解過程論」において、回復期、すなわち山を下山する途中が一番危険度が高いという説明はうつ病にも当てはまる。先日、S先生からうつ病について同じことを聞いたばかり。
ストレス過剰な現代社会のなかで、私たちは山を登ったり降りたりして暮らしている。下山途中が要注意というアドバイス一つをとっても、現代人の暮らしにも有効な助言と言える。
専門的な論文は私には理解できないけれど、こうして専門家がかみくだいて解説してくれることで、私にも当てはまる励ましや助言を受け取ることができる。
一つ、懸念されること、そして私自身も注意しなければならないのは、精神医学の用語を人文科学や日常生活で用いるときに病気を「悪」としないようにすること。「トラウマ」という言葉はすでに何か悪いものとして濫用されている。「異常ではなく、正常な反応が過剰なだけ」という基本理解を忘れないようにしたい。
中井久夫は1934年生まれ。「戦前の記憶を持つ最後の世代」と自負していたという。私の母は1935年生まれ。中井の証言は母との会話からも実感する。
前に私は、中井久夫を松田道雄と岡本夏木と比較したことがある。3人には、何か共通するものがあるように感じたから。松田と岡本は中井よりも前の世代で戦前に高等教育を受けている。中井が戦前に受けたのは初等教育までだけれど、どこか戦前の教育、旧制中学や旧制高校の雰囲気がその幅広い(とりわけ古典の)知識や硬質な文体に感じられる。
現代の知識人は、古典の知識より、例えば斎藤環のようにサブカルにも詳しい人が多い。ポップとサブの大衆文化を抜きにしては、現代の知識人はありえない。そういう意味で、中井久夫は戦前の匂いのする最後の知識人と呼ぶこともできるのではないだろうか。
共に仕事をしてきた山中康裕の文章で、中井がカトリック信徒だったことを知り、すこし驚いた。著作には信仰にかかわる言葉を見たことがなかったから。
驚いたことにはもう一つ理由がある。私の学部時代の恩師も、1935年生まれでカトリックだった。彼もまた、講義や著作で信仰に触れたことはなかった。恩師は、60歳を迎える前に病気で亡くなった。葬儀で彼がクリスチャンであることを知った。もう30年近く前のことになる。
信仰を語ることについて禁欲的なことには、何か理由があるのだろうか。極めて個人的なことだからか。読者や学生に先入観を持たせたくないからだろうか。信仰を秘密にしている人がいる一方で、クリスチャンであることを公言し、それを表現の中心にしている人もいる。その違いはどこに起因するのか。信仰を持たない私にはわからない。
キリスト教に興味がありながらも信仰を持てずにいるので、信仰を持つ人がどんな経緯で信徒になるのか、とても興味がある。中井久夫の「思想」や臨床での実践と信仰には、何か関連があるだろうか。将来の研究を待ちたい。
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