2泊3日の旅行をした。結婚30周年、真珠婚の記念旅行。行先は新婚旅行と同じ。ここへは10年と20年の節目にも来た。そのときは子ども二人と一緒だった。今回は、30年ぶりに二人だけでの旅。
東京駅で新幹線に乗り、名古屋で下車。近鉄特急に乗り換える。ここで大失態を演じた。特急しまかぜの発車時刻を間違えていて乗りそびれたしまった。前に、北海道の千歳空港でスープカレーを食べていて、飛行機に乗り遅れたことがあった。それ以来の大失態。あんなに苦労して切符を予約したのに。仕方なく、ふつうの特急に乗り、最初の目的地、鳥羽へ。
鳥羽も新婚旅行で来た場所。ここは先日崩御したエリザベス女王が宿泊したホテルで、英国女王と同じ晩餐を楽しめるプランを選んだ。料理はもちろん美味しかった。でも長テーブルの両端に座り、ピッタリとウエイターが付き添っていたので食べた気がしなかった。
シャトルバスを待つあいだ、ドアマンの男性にその話をすると、彼は目を輝かせた。彼は女王を接遇したホテルマンだった。それから、女王来館や皇室や各国元首が来館したときのエピソードを聞かせてくれた。話に聞いていたホテルマンの記憶力に驚かされた。
夜が豪華な食事とわかっていたので、ランチは食べず、有名なチーズケーキだけを食べた。
鳥羽からは計画通りの特急で賢島へ。鳥羽で少し海が見えただけであとは山間を走った。駅でホテルのバスに乗り数分で到着。
志摩観光ホテルには建物が3つある。昭和中期、1969年に村野藤吾が設計した「ザ・クラシック」、平成期に新築された「ザ・ベイスイート」、70年前の開業時からある「ザ・クラブ」。前回は「クラシック」が改装中だったので「ベイスイート」に、今回は改装された「クラシック」に宿泊した。旧館の「クラシック」は、新婚旅行で来た30年前でも、すでにレトロな昭和の雰囲気があった。居間と寝室(リビングとベッドルームではない)が完全に分かれていて、二つの部屋のあいだをふざけて走りまわったことを覚えている。
改装したあとも、木目を活かした落ち着いたインテリアなどで「伝統」を受け継いでいる感じがある。館内ではヒノキのいい香りがしている。
改装したとはいえ、元の構造が古いので、限界もある。耐震補強のために柱は太くなり、客室でも不自然に梁が部屋の高さを低くしているところがあった。
「クラシック」の部屋はロビーと同じように木目を基調としている。華美でなく落ち着いた雰囲気。ソファも椅子も座り心地がいい。浴室は明るく、半露天風呂の気分。
部屋は玄関とリビングとベッドルームに分かれている。部屋には靴を脱いで上がる。客室はどちらかといえば「ベイスイート」の方が広々として開放感がある。一方、「クラシック」は部屋から見下ろす英虞湾の眺めが素晴らしい。
今回の旅の目的は、「寛ぐこと」。伊勢神宮も前回、参拝したので、観光はしなかった。庭園を散策する以外はラウンジでソファに座り、コーヒーを飲み、複雑に入り組んだリアス式海岸の静かな水面を眺め、高圧線も鉄塔もない広々とした空を見上げて過ごした。「志摩時間」がゆったりとした速さで流れていた。
とくに「ベイスイート」の最上階にあるラウンジは景色の眺めもよく、屋上が庭園になっていて、広々とした風景を眺めるには最高の場所だった。
今回は終始、天候に恵まれた。十五夜と十六夜の月は雲に隠れて見えなかったけど、昼の間はずっと快晴だった。気温も高く、旧新館のあいだを散歩しただけでも汗だくになった。
今週末は台風が西日本から東海を直撃している。もし、台風が来るのが1週間早かったら、もし、旅行の計画が1週間あとだったら、想像するだけで恐ろしい。
料理も旅の目的の一つ。このホテルにはフレンチ・レストランが2軒ある。一つは昭和の「洋食」の伝統を受け継ぐ濃厚なソースを中心にしたメニュー。もう一つは、先進的で独創的な調理法や盛り付けをした挑戦的なメニュー。二夜連続でフランス料理を食べても飽きることなく、それどころか、二夜目は盛り付けも味も驚きの連続だった。
二つのレストランは室内のデザインから皿やグラスまで違う。「伝統の継承」と「創造的な挑戦」の両者を続けるレストランの姿勢に感動した。
食事中に写真を撮るのははしたないと思いながら、皿も盛り付けも美しいので、たくさん写真を撮ってしまった。
何を食べても美味しいなかでも、とくに美味しかったのが鮑。下田でも、シンプルな踊り蒸しが美味しかった。ここでは、焦がしバターやフリットやカレーの具材など、いろいろな調理法で美味しくいただいた。
珍しいものでは鹿肉のジャーキー。ワインに合う味と歯応えが楽しい。名物の伊勢海老。これも二つのレストランで調理法が違っていた。クラシックでは前回は半身だったのが、一尾丸ごと提供されたので驚いた。
広大な庭園の散策も楽しかった。散歩道には橋や金刀比羅宮や温室があった。芝生の広場では、20年前にここで駆けまわっていた幼い子どもたちの姿を思い出した。
またホテルは2016年の伊勢志摩サミットの開催地であることを至るところでアピールしていた。記念写真の際に、バラク・オバマが立っていた同じ場所に立ち、写真を撮った。
新婚旅行で来た宿が30年を経た今でも営業していて活況を呈している。こんなにうれしいことはない。
新婚旅行の前夜に泊まったホテルは経営母体が変わり、レストランも変わった。
商売を継続することは難しい。
節目のたびに思い出を作ってくれる場所に感謝したい。
帰りは行きに乗り損ねた観光特急しまかぜ。平日だったので、先頭の展望車両の一列目が予約できた。
展望席を独占して、奈良のクラフトビールを呑みながら車窓の景色を楽しんだ。
旅行のあいだ、スマホの写真を見ながら、これまでの旅行の思い出を話し、これから行きたい場所を相談した。
次のイベントは、大学院生の娘が就職する来春。また、家族で旅行したい。扶養義務から解放される記念品も探すことにした。
次の大旅行は、二人が還暦を迎える6年後。2028年。それまでに体力と財力を維持・向上することを努力目標に定めた。
夕飯は新幹線で松坂牛の焼肉弁当。家族には土産に赤福を買った。
ホテルには、私たちの子どもの年齢に近い年若いスタッフが多かった。「30年前に来た」と言っても自分が生まれる前のことでピンと来ない顔をしていた。その表情を見て、長い時間が経ったことを、そして私たちがもう中年から壮年になりつつあることを実感した。
「おもむろに」という言葉を森有正がときどき使う。30年という時間をかけて、私たちは「徐に」関係を深めてきた。疎遠だった時期もなかったわけではない。とりわけ私がうつの重い症状で苦しんでいたときには、互いに相手の心情をを理解することができず、辛い時間を過ごした。
二人の時代があり、三人、四人の時代があり、心が離れていた時期があり、そして、再び、二人で暮らす季節が近づいている。いまは、共に歳を重ねることを楽しみにしている。
微笑だけが愛じゃなかった
傷つき疲れて離れたことも
あの日あの時ひとつひとつが
今も胸を熱くする
——「汐風のなかで」(オフコース、"Three and Two")
さくいん:伊勢志摩、バラク・オバマ、森有正、うつ病、オフコース