こういう本を買ってみた。
まず後半の解説編を読んだ。グリーフケアの最新の知見をまとめていて非常に有益。
本書が依拠している理論。
近年、死別研究や死生学という学問領域において、「物語」の視点が重視されはじめていますが、ナラティブ死生学はとくに、生涯を通じた発達過程における。社会的文化的文脈や重要な他者との相互交渉を通じた、意味の再構成を重視します。また他者との対話を通じて、意味を再構成しようとする存在として捉えられます。(参照注省略)
(2. 本書の理論的・学術的背景について)
本書の意図する三つの「学びなおし」はわかった。
「学びなおし」は「再構成」「再構築」、と言い換えてもいいだろう。それぞれ、自分の言葉で言い換えてみた。
- 故人との関係の学びなおし → 死別体験の意味づけ
- 世界の学びなおし → 世界と両思い、世界への基本的な信頼の獲得
- 自己の学びなおし → 自己肯定感の回復
言葉ではわかったものの、一つ一つのワークは実際のざっと見たかぎり、心理的な負荷が高そうなので、現在の心境のままでは、始められそうにない。
また、あまりにも時間が過ぎてしまったために、故人の交友関係のように、いまではもう調べようもないことも少なくない。
とはいえ、こういう本を買ってみる気になったのは、最近の著しく不安定な心理状態のせいでもある。いよいよ、この問題を何とかしなければならないときが来た、という気がする。そのきっかけは映画『君の膵臓をたべたい』にある。
書影だけ掲示して書名を書かない、というところから、まだ大きなためらいがあることがわかる。ファイルの場所も一段深いところに置いた。あまり読まれたくない。
『庭』を一通り読めば、私が自死遺族であることはわかるだろう。
それでも、直接にカミングアウトするようなことはしたくない。
このページの奇妙な構成は、そういうためらいの表れ。まず、この後ろめたい気持ちを消したい。後ろめたいことなど何もないはずなのだから。
ここまで書いて、「書きたいことはあるのだが、書けることではないのだ」と書いた19年前がはるか遠い昔に思える。ゆっくりではあっても、着実に歩を進めてきた。
追記。
NHKスペシャルで10-20代の自死防止を支援する運動を特集していた。関心はあっても、今の心理状態では見られなかった。
緊迫する状況下で思いとどまらせる活動をする人には頭が下がる。経験者として支援する側にまわりたいと思うこともあるけど、まだまだそういう状態にはないというのが実情。
ワーク実践(各ワークは非公開)
さくいん:悲嘆、自死・自死遺族、『君の膵臓をたべたい』