【 馬 耳 東 風 】
−馬に憑かれて50年−
《 目 次 》
は じ め に
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第 1 章 馬の振りみて我が振りなおせ(異色馬術教本)
私が馬に乗るようになってから半世紀、第二次世界大戦中もまったく休むことなく、馬鹿の一つ覚えよろしく、
馬に明け馬に暮れる毎日を送っておりますが、じつはその間、つねに私の念頭から離れなかったことが一つだけありました。
それは「自分の楽しみだけのために、こんなにも従順でかわいい生き物を、口の中に鉄の棒をつっこみ、拍車や鞭で虐待
してもいいものだろうか、人間にそんな権利があるのだろうか」という罪悪感にも似た思いでした。しかしその気持も、
だんだんと年をとり、勝った負けたという生臭い試合の世界から離れて、何となく心にゆとりを持って馬に接するように
なった頃から、私の考え方のなかに、
一、
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この馬を本当に幸福にしてやれる人間は自分以外にいない、という自信のもて
る飼い方をしよう。
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二、
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この馬と一緒に自分も真の幸福をつかもう。
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三、
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馬場は人生の道場、この馬は我が人生の師、馬によって人格を磨かしていただこう。
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四、
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愛情豊かな馬と接することによって、人間としての生き方を学び、少しでも豊かな心をもって
人に接することができるように修業を積もう。
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そうでもしなければ私のような下手な人間を乗せて愚痴一ついわなかった、私の愛馬達に対して、まったく申し訳が
たたないという思いか芽生えました。そしてこのような気持で馬に接し、馬の身になって、馬の側から馬術の技術面を
改めて考えなおしてみると同時に、約半世紀にわたって私の師事した遊佐幸平先生をはじめとして、城戸俊三先生や
武宮正雄先生、星子友宏先生方より、折にふれて馬の禦法以外に語られたこと等を私流に解釈してみたとき、今迄に数多く
出版されている内外の技術面だけを強調した馬術書とは、また一味違ったものが、私にも書けるような気がして、あえて
今度「馬の振りみて我が振りなおせ」という題で書いてみることにしました。
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第 2 章 反 報(馬は我が人生の教師)
原始仏教の経典のなかに「もし人ありて反報を知る者は、この人はうやまうべし」とあるように、「反報」とは「報恩」
と同じく、恩を知り、その恩に報いるという意昧の言葉だと思います。
以前私は二人の娘や、音楽大学のピアノ科の教授に、「何故ピアノを弾
く前にピアノに向って最敬礼をしないのですか」
と質問して笑われたことがありました。
しかし私はいまでも馬に乗って馬場に入るとき、きまって馬場に向って最敬礼をします。
なぜなら、この馬場が私の人生の道場、この馬は私の人生の先生だと思っているいたわからです。そしてつねに馬に対する
労りの気持と感謝の心をこめて、「申し訳ありませんが今からこの道場で貴君に乗せていただきき、人生の修業をさせて
いただきます」と心に誓うのです。
毎日のように馬に接し、かわいい馬との触れ合いの中で、馬を通していろいろなことを考えさせられ、また教えられ
ながら幸福感にひたることのできる素晴しい人生に感謝しつつ、この大いなる「馬からの御利益
」を一人占めにするには
あまりにももったいないような気がして、その御利益のほんの一部でも周囲の人達にお裾分けをさせていただくことができる
とすれば、それが今迄、未熟な私をじっと我慢して乗せてくれた馬達に対する私のささやかな恩返えしだと思うのです。
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第 3 章 馬の耳に念仏(第二の人生)
「一人の人間の生活や、その一生の運命をきめるのは、ほんの一瞬である」とゲーテは言っています。
長い人生のうちには、まったく偶然の出来事によって今までの人生が一瞬にして大きく変ってしまったという経験をお持ち
の方も少なくないと思います。ある日突然、目には見えない非常に大きな力によって、まったく思ってもみなかった幸運に
めぐり会えたり、またはその逆に、想像もできないような不幸が身にふりかかるということもあるでしよう。
1991年7月末の、なんともいえない蒸し暑い日の午後、家族の猛反対を押し切って出場した馬術競技大会で演技の途中、
以前から悪かった心臓がついに耐えきれず「心房細動」というやっかいな発作にみまわれて、あやうく名誉の馬上死を遂
げるところで、私の人生最大の楽しみともいえる乗馬も、当然のことながらドクター.アンド・ファミリー・ストップと
なってしまいました。
以来、乗馬クラブヘ自分の馬の顔を見に行くのも辛
く、よい年をして失恋男よろしく悶々の毎日を送っておりましたが、
それから約半月後、以前から仕事の合間を見つけて始めていた自己流の馬の彫塑が、まったくの偶然が幾重にも重なって、
中央競馬会のある人の目にとまり、都内の公園の目抜き通りに面した所に、略等身大の馬の銅像を造らせていただくことに
なりました。
そしておそらく私の造る銅像は、なにか特別な事情のない限り、何十年もいや百年以上も、その場所に立ち続け、
想像もできないような大勢の人達に見られることになるのだと思った時、馬に乗ることのできなくなった今、今度は全身
全霊をこめて決して悔いの残らない馬の像を造ってみようと決心しました。
このように馬に乗れなくなって僅か半月で銅像造りの話が決まったことによって、私の人生は非常に大きく変りました。
心臓弁膜症というやっかいな病気にかかったおかげで、彫塑の楽しさを味わい、今までとまったく違う世界の人達と知り
合うことによって、一味違う美の世界を知り、またその心臓病の悪化によって、手術をよぎなくされた折にも、人工弁を
つけさせられて半病人のまま、これから何十年続くかわからない人生を家族の厄介者として送るより、一個の人間として、
より人間らしく生きたいと思い、私なりに仏教書を読み、心の整理をつけ、家族の同意も得て、あえて成功率の低い形成
手術に挑戦することに覚悟を決めました。
そして、手術前の検査のための入院生活のなかで、何人かの同じような心臓病の人達と出会い、「人間万事塞翁が馬」
の例えの如く、それぞれの人の心の持ち方によって、まったく同じ環境や境遇にあっても喜んで生きようとする人と、
まったく喜べない人がいることを知りました。喜べる人は喜べない人を気の毒に思い、反対に喜べない人は喜んで人生を
送りたいと願う人を馬鹿だというでしょう。
しかし私は今の境遇を、仏様から与えられた有難い試練と受けとめて、幸いにして手術か成功したら、新しく仏様からお預りする生命を大切にして、本当の意味での第二の人生を、決して後悔のないようにせいいっばい生きようと決心しました。
あ と が き
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